2 復権
高名な儒者が、党錮の禁で追放された。
要職についているかどうか、という視点で儒者を評価できない時代が来たのである。その為、洛陽の太學では、名だたる儒者を別の視点で格付けすることが流行していた。
竇武、劉淑、陳蕃。この三人は三君と呼ばれ、最も尊敬を集めた。
三君は時代の模範となる人々である。
李膺、荀昱、杜密、王暢、劉祐、魏朗、趙典、朱宇。彼らを八俊と呼んだ。
八俊は人並優れた者である。
郭泰、宗慈、巴肅、夏馥、范滂、尹勳、蔡衍、羊陟。彼らを八顧と呼んだ。
八顧は徳行で知られる者達である。
張儉、岑晊、劉表、陳翔、孔昱、苑康、檀敷、翟超らを八及と呼んだ。
八及は人を導き、模範へ向かわせる者達である。
度尚、張邈、王考、劉儒、胡母班、秦周、蕃嚮、王章を八厨と呼んだ。
八厨は財をなげうち人を救う者達である。
ただ、これらの全員が党錮で追放されていたわけではない。
三君の一人、陳蕃は党錮で追放された者達を弁護したため太尉を解任されていた。しかし、本人は禁錮……公職の停止までは受けていなかった。
その陳蕃が久しぶりに朝議に参加する。竇太后の詔があった為である。
「そもそも、民が生じれば君が立ち、民を養い治めるものです。そして良い助けがあってこそ王業は固まるものです。前太尉の陳蕃は忠清にして直亮の者ゆえ、太傳にして録尚書事とします」
太傳は新たな皇帝を良導する名誉ある非常設職であり、録尚書事は尚書を統べる。
太傳録尚書事は伝統的に皇帝即位の時に皇帝を補佐する為に置かれる、実質的な政権担当責任者である。
だが、この人事は
(根回しも無く丸投げか!)
陳蕃にとって晴天の霹靂であった。
だが仕方がない。竇妙を皇后に推したのも、その結果竇武を外戚にしたのも自分である。
責任を取れ、ということなのだろう。また、これは陳蕃には望むところであった。
(この機会に党錮を解き、宦官どもを殲滅してやろう)
そう決意し、参内したのである。だが、そこは先年までとは違った様相を呈していた。
「なんという有り様か。これで朝廷と呼べるのか?」
朝堂に入った陳蕃は思わず声に出した。
政治の中心であるべき朝会は閑散として人の姿もまばらだった。
竇太后は代理の宦官を出すだけで臨朝されていない。これは予想できていた。皇太后は別段政治のできる方ではない。
外戚の竇城門校尉も不参加。皇太后が臨席されない以上、外戚ながら清廉で名高い彼には力を奮ってもらわないと困る。
そして三公の列席もない。
(気を遣っていただいたかな?)
現在太尉である周景は予州刺史であった時、服喪で官を去っていた陳蕃を別駕従事として辟招してくれた恩人である。しかし、就任中に意見に行き違いがあって陳蕃は周景の元を去っている。そういう意味でわだかまりがないでもない。
司徒の胡廣もかつての上司であり、大先輩である。陳蕃は中庸で無難な意見の持ち主である彼とは意見が合わず、陳蕃は彼の居るところを避けるようになっていた。
これら先輩相手に過激な意見を通すのは難しいし、迷惑が掛かる。彼らは陳蕃がやりやすいように欠席してくれたのだ。
問題は尚書らである。彼らは病と称し欠席していた。
この皇帝空位の時にあって、外戚か、宦官か、それとも別の権官か、誰が勝つのか様子見とし、身の安全を図ろうとしているのだ。
理解は出来たが、許せるものではなかった。
陳蕃は書を認め、尚書台に送りつけた。
「古えは、主が亡くなられたからといって生きておいでの時とはなんら変えずに尽くすことを節義としていた。今、帝いまだ立たれず、政事は日々混迷の度を高めている。なぜ諸君らは悲しみに身を任せ、床で寝て過ごしていられるのか?義の足らない者に、どうして仁をなすことができようか!?」
陳蕃の剣幕に尚書たちはおそれおののき尚書台に集まって来た。これで陳蕃は録尚書事として尚書を掌握することになった。
次いで陳蕃は、自ら城門校尉の竇武を訪れた。
陳蕃は高名な大儒である。太傳録尚書事は城門校尉より遥かに高位である。三君の一人として崇敬を受けながらも恐縮し出迎える竇武を、陳蕃は一喝した。
「游平殿!あなたにこんな所でくすぶっていてもらっては困りますぞ。御自身の責務を果たされませ」
游平は竇武の字である。竇武はその剣幕に驚き、うろたえて弁解した。
「いや、これも分を弁えての事。自分には城門校尉がせいぜいの所です」
「取り返しのつく地位に安住できた時は過ぎました。卿が天下を動かすのです。どうかそのご覚悟を」
「いやいや、とてもその任では」
「そうはいかんのです。早く手当しないと、我々には時間が無い」
皇帝が崩御し、漢家に残されたのは竇太后だけ。漢家に人無く、竇父娘が漢家を支えねばならぬ局面だった。
「まず、なにはともあれ游平殿には大将軍に就いて頂きます。卿が国政を壟断しなくて誰がするのです。娘さんを放り出す気ですか?」
皇太后親政の場合、外戚は大将軍に就任して睨みを効かせるのが通例となっている。
「実際の政務はこの蕃が回します。だが、游平殿の決断がなければ国は動かない。そういう体が必要なのです」
陳蕃は竇武に反論を許さず、話を続けた。
「そして早く次の皇帝を選んでください。ほっておくと反乱が起きますぞ」
対する竇武の歯切れは悪かった。
「そこまで切迫した案件かな?諸侯に諮り、適切な人物を選ぶべきでは?」
「游平殿。それはいけません!」
陳蕃はぐいと竇武に顔を寄せ、
「漢家の問題は漢家だけで解決なさるべきです。そして漢家とは今、竇太后陛下と卿の事なのです。游平殿が全てお決めなさい。急がねば他の諸国王が口出ししてきます。それは避けねばなりません」
言いたいだけ言うと陳蕃は帰っていった。
残された竇武は力なくつぶやいた。
「わかってるんだそんな事は……」
竇武の家は漢中興の祖である光武帝の頃から続く名家であり、その家柄で娘が選ばれて外戚になった。だが、竇武自身は朝廷を牛耳りたいと思った事は無いし、そもそも、そんな事が出来る能力があると思ってはいなかった。
竇武が大将軍といった仰々しい地位に就かず、城門校尉というかなり地味な地位に就いたのも望んでである。
大将軍は将軍主座であり、場合によっては戦地に赴く必要すら出てしまう。そんな自信は竇武には無かった。
洛陽城の城門を管理するここなら、外征の必要もなく、それほど政治に絡まなくて済む。そう思っていたのだが……。
竇武は先行きの暗さにため息をついた。




