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俺解釈三国志  作者: じる
幕間2 大丈夫の処世(永康元年/167)
24/173

1

 中国には十三の州がある。洛陽の都はその筆頭である司隷の東端にあり、郡としては河南尹に属する。

 洛陽を出て司隷を西へ向かうと、かの函谷関かんこくかんがある。函谷関を越えると関中盆地に入る。

 関中盆地は中央を黄河と街道が東西に横切り、その南北を山脈が囲む要害の地である。 さらに西に進み、関中盆地を抜けると古都長安に至る。ここが司隷の西端である。


 長安は太祖劉邦が漢の都として定めた場所だが、王莽の簒奪時の戦乱で荒廃した。中興の祖、光武帝劉秀が洛陽への遷都を決めた為、長安の旧王宮はいまだ復興が成っていない。半ば廃虚の様な状態である。


 しかしながら、長安の重要性はいささかも下がっていない。ここは西域との貿易路の起点であり、涼州の異民族の反乱鎮圧の根拠地である。


 長安のある京兆尹、その北の左馮翊、さらに西の右扶風。この三郡は合わせて「三輔」と呼ばれる。ここは西の異民族から中原を防衛する最後の砦でもあった。


 だが今や、この三輔までも異民族の侵入と略奪に晒されていた。


***


 県城の土壁はところどころが崩され、中の建物は煙を上げて燃えている。

 城壁の内に、外に、上に、死体が転がっている。


 燃える家から異民族の男が手に手に荷物を持って出て来る。彼らはこの雲陽うんよう県を劫掠し、戦利品を馬に積み込もうとしているのである。


 その一人が、木箱を馬の鞍に載せようと家の方を向いた時


 ひゅ!


 後ろから飛来した矢が男の頚から喉へ突き通った。


 目の前、顎の下から飛び出た鏃を、目を丸くして見つめた男だが、その手はだらりと下がり、全身の力が抜ける。


 男が倒れ終わる前にその背後を馬が駆け抜ける。


 馬上の射手は右手に弓を、両腰に鞬をぶら下げている。男は左手で矢を番え走りながら次々と略奪者を射殺して行く。


 一順撃った後、男は左手を高く掲げた。


 丘の稜線から、わらわらと官軍が現れ、雄叫びを上げながら突進する。


 男は弓を左手に持ち替え、馬を返すと腹を蹴って走りださせる。今度は右手の矢で次々と略奪者を射殺していく。


 略奪者は組織的な抵抗が出来ず掃討されていく。雲陽県は一刻を待たずして解放された。


***


(予定通りだな)


 董卓は死屍累々の城下を視察しながら、この一方的な戦闘結果に満足していた。


 左馮翊の西、もっとも涼州に近い側にある雲陽県と祋祤たいう県。この二つを同時に先零羌が襲った。

 

 度遼将軍張奐は軍を三つに分け、司馬の尹端いんたんと董卓を分撃させた。

 だがそれは董卓と羌族の友人、李文侯の仕掛けであった。


 李文侯は自分達の氏族に敵対する羌族を利益で釣って、二つの県城を共同で攻めた。

 董卓が来る側の県では、董卓の到着まで落城を引き延ばす。直前で落城させ、敵対部族に略奪させておいて自分達は撤退する。董卓は略奪に夢中で無防備な生贄を掃討する、という手筈である。


 尹端は先に落城、略奪を受け、燃える廃虚を掴まされる事になっている筈だ。


 こちらは異民族の首を取る。しかし尹端は首も取れず町を守れず、結果として自分の評価が高まるだろう。そこれが董卓の計算だった。


「兄者!県令が生き残っておいでだ」


 董旻とうびんが若い士太夫を連れて瓦礫の中を寄って来る。

 董卓は弟の旻を私的に部下に採用し、連れて来ている。将来自分の手駒にと考えていているからだ。


 董卓は大げさに両手を広げ、笑顔で県令を迎えた。


「ご無事でなによりです!」


 がっしと県令の肩をつかむと、真顔に戻って同情の体を取る。


「いやぁこの度は大変な災難でしたな」


 県令の肩を離すと煙を上げる民家を見回す。


「張度遼がずっとおられたら、こんな事にはなっておらんかったでしょうに」


 そもそも、今回の反乱は朝廷の失策である。


 涼州の重鎮、度遼将軍張奐を大司農にする為、洛陽に召喚した。替わりに皇甫規を派遣したが、皇甫規は前線から逃げ出した。これにより涼州三明のうち二名が欠けた状態となった。


 この戦力的な空白を見て、北辺三州で羌族、鮮卑、南匈奴、烏桓の連合が立ち上がったのである。


 朝廷は張奐を再度派遣した。

 この時張奐に与えられた肩書が「護匈奴中郎将幽并涼州督及び度遼烏桓二営兼察刺史」という複雑怪奇なものであった事が朝廷の狼狽を示していた。


 この時は張奐の復帰を聞き、異民族で降伏するもの二十万人、という事態に及んだが、一度起きた反乱の狼煙は依然としてくすぶり続け、今度は先零羌に三輔が侵されることとなった。


 だが、董卓にとってこの事態は望んで引き起こしたものである。無論、貴重な手柄の立て場所として、である。


 文侯と共謀して、適切に敵を屠り、戦争を長引かせ、戦費を着服する。そして立身出世の糸口にする。


「洛陽の方もそこを理解して頂きたいですな」


 県令の口から、根本原因が張度遼の不在である、と報告されれば張奐の遠征は長くなり、予算も増えるだろう。そうすれば自分のうま味も増す。

 董卓にとっての戦争はそういうものであった。


***


 凱旋軍が粛々と洛陽の門を通る。


 だが、凱旋兵の顔に喜びは無い。洛陽の百姓にも喜びはない。皇帝不予による首都召喚であり、その崩御後の洛陽入城だったからである。


 静かな列の先頭で董卓は思った。


(こりゃ論功行賞が揉めそうだぞ)


 張度遼に命令した皇帝が既に居らず、政治的には次の皇帝が立つ前の空白の状況である。

 残された皇太后と官僚が褒美を「節約」しようとしてもおかしくなかった。


 数日後、皇太后からの詔は案の定の内容であった。


 張奐は成果を賞され、銭二十万を下賜された。また、家人の誰かを郎に推薦する権利を得た。


(少ない!)


 董卓の感覚では、二十万銭は大金ではあるが、「護匈奴中郎将幽并涼州督及び度遼烏桓二営兼察刺史」などという馬鹿げて大仰な任務の達成であれば一桁、いや二桁は足りない。

 爵位や封地などもあってしかるべきである。


(張度遼は宦官と圧轢があるからな……)


 張奐は宦官に賄賂を送らない……つまりそういった配慮の不足した将軍である。

 そんな将軍でも満足いく論功を得られてしまっては、今後賄賂を送るものがいなくなる。宦官としては「宦官に賄賂を送らないと正当な評価も受けれないぞ」という見せしめにしなければならないところである。それで皇太后に宦官が働きかけているのであろう。


 これでは自分への報償も少ないのではないか?


 董卓が頂戴したのは郎中への就任と、縑九千匹の下賜であった。やはり大した褒美ではなかった。


「俺の手柄ってことになったが、こいつは皆のおかげだ」


 董卓は縑九千匹を部下であった兵士らに残らず分け与えた。絹布は貨幣であり、九千匹もあればそれなりの財産であったが、


(ちっとも惜しくない)


 董卓はそう思っている。

 私腹なら軍事費の着服で肥やしている。この程度の褒美、さほど嬉しくは無いのである。


 分配を受けて大喜びする元部下達に微笑みながら


(俺の顔を忘れてくれるなよ、気前のいい大将って評判をばらまけよ)


 そう念じていた。


 董卓自身は郎中になったことの喜びの方が大きい。


 去年の正月は平民だった。

 去年の夏には羽林郎の兵士で

 去年の冬は張度遼の司馬で一軍を率いる司馬になった。

 そしてこの冬は郎中である。


 僅かな期間に平民が一応の中央官僚にのし上がったのである。名高い儒者でも評判の孝行者でもない者には望外の出世である。


(偉くなってやる)


 郎中であればいずれどこかの太守や刺史に抜擢されるも有り得る。賄賂を使ってでもでそうさせる。


(そして俺は張然明の後継者に成る!)


 率直に言って董卓は張奐を尊敬していた。


 張奐が来た、そう聞いだけで異民族が降伏する、そういう偉大な将軍に董卓もなりたかった。


「大丈夫たるものの処世は、国家の為に辺境に功を挙げる事だ」


 張奐は若い頃にそう言ったという。

 董卓は自分が涼州を独立させれば,、それはそれでも国家への功と信じて疑っていない。


 今は只の部下に過ぎないが、異民族との最前線で名を馳せ、いずれは張奐の後継者として涼州に威を示し、そして独立の為の地盤を築く。


 それが董卓の望みであった。


 だが、兵士の一人が言った。


「あっしらはこうやってお頭にご褒美をお裾分けしてもらってますけど、他の隊は何にも褒美を貰えなくて悲惨らしいですぜ」


 理解できなかった。


 張奐ほどの人なら、下賜された銭を部隊の面々にも配っていると思い込んでいたからである。


「ああ、二十万銭の話ですか、御辞退なさったって話ですよ」


 董卓は息が詰まったような気がした。深呼吸し、考えをまとめる。


(……潔癖すぎるな、あの方は)


 正当に評価されないなら、いっそ貰わない方がいい。そういう潔癖さだろう。


(そうだ。褒美が無いならお困りだろう)


 家に帰った董卓は、自弁で縑を百匹用意させた。下賜された縑は既に配り終えたからである。


「旻!使いを頼む」


 弟を呼んだ。


「これを張度遼にお渡ししてくれ。進物だ。丁重にな」


 遅くなって弟は憔悴した顔で戻ってきた。

 荷物を持ったままである。

 董卓は弟の元へ駆け寄り、両肩をゆすって尋ねた。


「なにがあった?」

「張度遼は受け取ってくださりませんでした」

「なぜ?」

「……」


 董旻は言い淀んだ。


「言え!」

「張度遼は……」


 董旻は困った顔になり、また言い淀んだ。


「言え、言ってくれ」

「張度遼は言われました。ペテンで得た汚れた財物には触らぬ、と」


 董卓は血の気の引く音を聞いた気がした。


 バレていた。

 談合は見抜かれていた。


「はは」


 声が出た。


「ははははははは」


 どういうわけか勝手に口から笑いが出る。笑い事ではないのに。


 張奐の後継者?笑わせてくれる。

 張度遼に憎まれては涼州で生きていけないだろう。


 笑い続ける董卓に董旻が声を掛けた。


「兄者、聞いてくれ。」

「はははははは、終わった。終わったぞ俺は」


 董旻は董卓の肩を掴んだ。


「兄者!」


 肩を揺すぶられ、董卓は少しだけ現実に戻って来た気がした。


「…なんだ?」

「張度遼の噂を聞いた。」


 張奐は二十万銭をただ辞退したのではない。引き替えにしたものがある。


 董旻はそう説明した。


「張度遼は、二十万銭を辞退する替わりに弘農に本貫を移させてもらったらしい。」


 董卓の目がゆっくりと座った。


「……確かめよう」


 董卓は郎中である。朝廷に出入りし、真偽を確かめることなど造作もない。


(本当じゃないか!)


 他の郎の話をにこやかに聞きながら董卓は激怒していた。


(あの野郎!)


 自宅に帰った董卓は壁を殴り付けた。

 董卓の膂力である。壁に穴が開き、壁土が崩れ落ちた。


(涼州を捨てやがった!)


 張奐の本貫地は涼州敦煌郡酒泉県である。中国の果ての果て、最果ての地である。それを司隷の弘農郡華陰県に移していた。


 本貫を辺境から都会へ移すのは禁止されている。さもなくば辺境から人が居なくなるからだ。


 今後張奐が「故郷に帰らされる」事態が起きた時、敦煌ではなく弘農に戻る事になる。董卓の感覚では、それは故郷涼州を捨てる事である。


 そんな事のために、部下に分け与えるべき二十万銭の報償を放棄したのか。張奐という男は、涼州を愛することも、自分の部下に福を与えることも、そして自分を後継者にしようとする事もない、身勝手な男である。


 董卓の中で張奐へのあこがれが急速に萎んだ。


(なのにあの野郎は名声がありすぎる)


 董卓の中で張奐は既に倒すべき政敵に変貌していた。


(奴の足を引っ張り、名声を地に落さねばなるまい)


 董卓はギロギロと目を動かし、中空を睨んだ。


(いや、俺より名声のある奴は全部、全部蹴落してやる!)


 それは紛れもない董卓の真意であり、誓いであった。


(了)



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