6 大赦
延熹九年も暮れの十二月。張讓は焦りの中に居た。
李膺を処刑したければ、今年中に死刑の判決が下りねばならない。皇帝による一月の処刑裁可は、前年の死刑囚に対するものだからである。
李膺は宦官達の間を走り回り、李膺の死罪に関し判決が下りるよう運動したが、どの宦官も口を濁していた。
結局そのまま年は明け、延熹十年。張讓は絶望の中に居た。
儒者二百人に対する死罪判決も、処刑許可もなく、一月が過ぎ去ったからである。このままでは、李膺の処刑は一年伸びてしまう。
もちろん、皇帝自らが即刻処刑を命じれば別ではある。
張讓は度々この件を皇帝に吹き込んだが、嫌そうに睨まれた為、毎度引っ込める羽目にあった。
何故こんな事態になったのか?張讓は理解に苦しんでいた。
判らないのも道理。張讓は怒りの為、周囲の空気が読めていなかったのだ。いつの間にか、宦官の中にも、今回の処置を厭う気持ちが芽生えはじめていたのである。
呂強の様な一貫して士太夫の肩を持つ様な宦官は当然として、士太夫を嫌う汚職宦官達にも、その気分が増して来たのだ。
理由は簡単な事だった。
李膺や他の士太夫達を拷問し取り調べているが、彼らから罪を問える程の大逆の証拠が出て来ないのである。当然である。冤罪なのだから。
だが、取り調べの途中で、彼らが語ることは宦官達の身内の、汚職への怒りの話ばかりなのだ。
これらが皇帝に聞こえれば、宦官もその子弟も手痛い傷を負い兼ねない。
だからといって彼ら士太夫を殺すこともできなかった。皇帝がご自身の権利である「死刑の許可」を踏みにじられたことをお怒りなのが宦官達には伝わっているからである。
そして、拷問中の事故として殺すには、二百人は多すぎる。
もし殺したら、自分と競合する派閥の宦官が、手を回して自分を失脚させに来るかもしれない。彼ら宦官も一枚板ではないのだ。
そういった心配が、宦官達から積極性を奪いはじめた。北寺獄の拷問もいつの間にかやんだ。
張讓を除き、宦官のぼんやりした総意は「天の時のよろしきを得て大赦が起きてこの件は無かったことにできないか」に移りはじめたのである。
***
膠着した状況を変えたのは一人の士太夫だった。
賈彪、字は偉節。豫州頴川の定陵の人である。
若き日孝廉に挙げられた賈彪は初めての任地、隣郡汝南の新息県に着任した。そこでは貧しさのあまり、生まれた子を育てずに殺す、という事が横行していた。
「賊が人を害するのはまだ理がある。母が子を殺すのは天の道に違える」
賈彪はそう言って殺人として厳しく取り締まった。結果、三年の任期の間に助かった子供が千名以上。彼らは賈子あるいは賈女と呼ばれた。
徳と威を以て同じ頴川の苟爽と並ぶ名声だったという。
その彼は官を辞して故郷に定陵に帰って来ていたが、
「俺が西に行かなければ、大禍は解けぬ」
周囲にこう告げると旅立った。西、つまり洛陽へである。
旅装のまま、その足で外戚の竇武の所へ向かった。面会に支障はなかった。賈彪も充分に有名人であったから。
顔を合わせて早々、賈彪は切り出した。
「竇校尉、どうか皆を救ってやってください」
竇武はかぶりを振って言った。
「いや、私の望みもそれなのだが、帝の御気色が悪しくてな。まず当面は待ちだというのが、朝廷の総意なのだ」
「総意ですか……皆、職に汲々としているわけですか……」
「それは違う。仲舉殿が太尉を罷免されたように、うかつに諌言して官位を失うと、諌言する人間が減ってしまうからだ。後任に宦官共の息が掛かるものが入ったらますます事態が悪化する」
「では、あなた御自身は官位や爵位に恋々としていないわけですな?」
「無論」
「では、策がございます。あなたにしかできない策が」
***
城門校尉の竇武が書奏、つまり書面で奏上した。
それを中書が皇帝の前で読み上げる。
「臣は、明主は非難の言葉を避けず、それによって幽暗の中に真実を探すと聞きます」
中書の読み上げる奏上を、帝は静かに聞いていた。
(来るものが来た、かな?)
趙忠は気になって視線だけを張讓に飛ばした。
張讓は固く口を引き締めて尚書を睨んでいた。
奏上は本題に入って行く。
「最近では姦臣の牢脩なるものが党議があったなどと捏造した為に司隸校尉の李膺、太僕の杜密、御史中丞の陳翔、太尉掾の范滂等が逮捕され、連座するものが数百人。年をまたいでも未だ党議の証拠も出ておりません。臣が思いますに膺等は忠を建て節を守り王室を経する志がございます。誠に陛下にとっての名臣と言えましょう。ところが姦臣賊子の誣枉する所となり、天下は心寒く、海内は失望しております」
竇武は竇皇后の父である。、
三年前……延熹八年の春の事、皇帝劉志は二代目の皇后である鄧皇后を廃した。当然、三代目の皇后をどうするか、という議論となった。
劉志は後宮に六千の女性を侍らせていたが、その中でも特にお気に入りが九人居た。その中から寵愛深い田聖という采女を皇后にしようと考え、朝議に諮った。当時太尉だった陳蕃がそれを止めた。
「田氏は微賎の出です。ご寵愛は構いませんが、皇后にふさわしくありません.名家の子女からお選びになりますよう」
訳の判らない人物が外戚になって分を弁えず跋扈する。それが望ましい事でないのは劉志にも理解できた。
そこで陳蕃が勧めるまま、光武帝の功臣である竇融の子孫、竇武の娘竇妙を三代目の皇后に選んだのである。
だが、劉志にとって政策的に立てられた皇后なぞどうでもよい存在だったのだろう。竇皇后は帝に愛されなかった。立皇后の時に通われた後、劉志は皇后を見向きもしなくなった。
竇武は、竇皇后の父、つまり外戚である。
しかし、竇武は城門校尉という(外戚としては)低い地位に甘んじ、賄賂を受け取らず、優秀な人を辟し、妻子の衣食はぼろのままにして倹約をつとめ、身は清くして悪を憎む人物として知られていた。
その人物が訴えてきたのである。竇武の訴えを読み上げた後、最後に中書は付け加えた。
「城門校尉竇武は病いで職務が続けられないと申し、城門校尉と槐里侯の印綬を返上して参りました」
そういって台に置かれた印綬を皇帝に示した。
(うへぇ)
外戚の竇武が、自分の爵位や領地を放棄するから皆を許してやって欲しい、とまで言ったのである。
聞いている皇帝の顔がめずらしく曇っている。
(これは駄目かもしれないな)
趙忠は敵ながら感心した。
(見事な駄々のこね方だ)
竇武は、劉志が持つ、竇皇后に対するわずかな引け目を利用した。
劉志にも皇后を無視している自覚はあった。つまり、これ以上竇武に冷たくできなかったのである。
「考えておこう」
劉志が竇武の言を納れたのが、宦官達にははっきりと判った。
***
控えの間で憔悴する張讓に、趙忠は何故かすまなさそうにに語った。
「主上はさ、もともと党人達を殺す気はなかったんだと思うよ」
もし、帝が処刑前提で李膺らを逮捕されたのなら、逮捕の際に廷尉が毒を持参し、逮捕前の名誉ある自害を勧める筈である。
「ほとぼりが冷めた頃……陳蕃はさすがに早すぎたけど、誰かが党人を弁護したらお許しになられるつもりだったんじゃないかな?」
帝はお怒りになり、士太夫を牢に送る。しかし、誰かの弁護で帝は不承不承皆をお許しになる。帝の権威は回復し、士太夫は少しだけ帝に遠慮するようになる。
「それが筋書きなんじゃないかな?」
難しい顔をして話を聞いていた張讓は突然立ち上がった。
「李膺を殺して来る!」
そう言うと飛び出していった。一人になった部屋で趙忠はつぶやいた。
「可哀想だけど、それもさせて貰えないんじゃないかな」
***
実際、獄吏はかたくなだった。
「そうは参りません」
どういうわけか小黃門の権威が獄吏に通用しない。
「李校尉は帝の許可を頂かず死刑を執行なさいました。それ故に今、収監されておいでなのです。帝の許可を得ない刑罰は、張小黃門だけでなく我々にも咎が及びます」
獄吏は声をひそめると続けた。
「実を言うと上より、もう、拷問するな、傷つけるなと命令されております」
「上とは誰だ?俺が掛け合おう」
「上は……上でございます」
顎を上に持ち上げるしぐさから、命令の出元が黃門北寺獄を管轄する黃門署よりも上だと判った。ここでの拷問を仕切っている王甫よりも更に上、宦官の力の及ばぬ所からの命令だと。
「自殺、あるいは事故や病死でもいい。そう報告すれば済むだろう?」
獄吏は首を横に振った。
「では、俺が殺る」
張讓は長剣に手を掛けた。
だが、獄吏は首を強く横に振った。
「お帰りください。李校尉の所へはお通しできません」
張讓は悔しさに呻いた。
声を出さないように唇を噛んで呻いた。李膺に声を聞かれたらほくそ笑まれる気がしたから、声を噛み殺した。
唇から一筋の血が流れ、張讓の袍を汚した。
***
延熹十年六月朔日。午後の空が暗く翳った。皆既日食である。
日食の発生を告げる太鼓を聞きながら素服で空を見上げた皇帝、劉志は、公卿、校尉らに賢良方正を推挙するよう命じた。天の叱咤に対し、政道を正すという決意の表明である。
陳蕃の後任として太尉になっていた周景が
「大赦を行われては如何でしょうか?」
そう提案した。
日食に大赦は付き物と言っていい。
収監された士太夫達を解放するきっかけとして適切であり、ここで大赦をすれば帝の面子に瑕がつかない。そう思っての発言である。
劉志は、うす暗い中で周囲を見回した。
百官の目に期待が宿っていた。宦官達の目は、諦念に揺らいでいた。
劉志の答えは即断でもなく明解なものでもなかった。
「沙汰は追って出す」
先伸ばしの回答としか思えずに百官は落胆した。宦官達は歓喜した。だが、どちらも間違っていた。
答えは十日を待って詔の形で全国へ知らされた。
「大赦天下、悉除黨錮、改元永康」
改元し天下に大赦を行う。ただし党錮の件は一切許さず。
詔と共に洛陽宮の門外に建てられた石碑をみた士太夫は、この十日間が何に費されたかを知った。石碑には今回収監されたあるいは手配された士太夫達の名が刻まれていたのである。
この石碑に名が刻まれた者は今後一切の公職に就けない。公職からの追放……これを禁錮という。彼らは本貫地……つまり故郷へ送還されることとなった。この事件は党人に対する禁錮として、党錮と呼ばれた。
竇武はもちろん慰留された。
そして、公職追放を前提に獄中にある士太夫達は解放された。実に一年の拘留であった。
***
追放された士太夫達が次々と洛陽を離れる。
彼らは無位無官の私人として、それぞれの故郷に帰るのだ。
彼らの車列だけでも二百名分。更にその家人、賓客らが加わる。その車列の中に范滂の姿もあった。
家人が気を効かせて用意してくれた安車に座り、故郷の汝南への帰路についたのだ。
洛陽から南へ向かうとすぐに豫州は頴川郡に入る。それを抜ければすぐに汝南郡である。
短い旅路だが、范滂は安車の中でぐったりとしていた。長い牢暮らしと、たびたびの拷問に疲れ果てていたのだ。
(士太夫たる者が善を貫こうとすれば、宦官共ののさばる世では禍いしか呼ばないのかもしれんな)
自分の弱気に范滂は笑った。
(心まで疲れ果てているな、私は)
宦官と戦うための気力が萎えている自覚がある。
(この際、無位無官もいいかもしれん)
宦官と戦う理由がないのがこの際ありがたい。
(……気力が甦ったら、また私は戦うんだろうか?)
士太夫としての生き方はもう変えられないだろう。そういう自覚もまた、范滂にはあった。
頴川を抜け、汝南に入ろうとする頃、家人が異変を告げた。頴水の向こう岸に多数の車が待ち構えている、というのである。
驚いた范滂が車外に出て眺めると、確かに数えきれぬ車。
渡しで浅瀬を越え、車列に近付くと、それは范滂の見知った顔ばかり。南陽と汝南の士太夫たちで、実に車両数千両を連ね、迎えにきていたのである。
范滂が絶句する中、後ろから追い抜く形で近付いて来た車があった。
殷陶、黄穆の二人である。
二人は范滂と同郷の汝南征羌の出身で、范滂と同じく北寺獄に繋がれ、結果として范滂に助けられた者達である。陰ながら范滂を護衛しよう、そういう意図で范滂の車の後ろを走っていたのである。
「皆、高名な孟博殿を慕って迎えに来たのでしょう」
「皆様への応対は私供にお任せを」
にこやかに微笑む二人に、范滂は蒼白になった。
「こういうことしていたら、また酷い目に遭う!」
言い捨てると、その場を逃げだした。
***
数日後、張讓は自分の第に趙忠を誘った。
洛陽市街の一等地を占有する豪壮な第の高楼の上で、洛陽の市街を見渡しながら、二人は酒を汲み交わしていた。
張讓はじっと手中の杯を見つめ、しばらく考えて言った。
「なぜだろうな?あんな気に障る発言しかしない連中をなぜ生かす……?」
趙忠は手中の杯を呑み干すと言った。
「陛下は儒の教えの中でお育ちだから、どうしても士太夫の目を気になさるんだと思うよ。誰にも制肘されない至尊の方だからといって必ずしも自儘にお過ごしになるとは限らない」
もしかすると昏君として歴史に残ってしまうのが嫌なのかもしれない。桀や紂の様に。
「……今上では無理、ということか?」
「そうなるね」
「主を変えれば……?」
他の誰も居ない場所だが、さすがに声は小さくなった。
「今はまずいよ。皇后の親が誰か思い出して」
劉志は色を好む皇帝だが、どういうわけか男子が生まれない。もし今、皇太子の定まっていない中、皇帝が崩御したら、竇皇后は養子を得て新帝とし、竇太后となって親政するだろう。その時、実質的に政権を掌握するのはその父竇武と、竇妙を皇后の座に就けた陳蕃だろう。
竇武は宦官を嫌っている。そもそも竇一族は章帝の代にも皇后を出しており、和帝の命を受けた宦官の鄭衆が外戚竇憲を排除した経緯が有る。宦官と相容れない一族なのだ。陳蕃に関してはいうまでもない。
そうなれば党錮は解除され、宦官への逆風が吹くだろう。
「皇后をすげ変えれないか……?」
「ご寵愛が衰えたから皇后を廃する、というのはよく聞く話だけどそもそも今まで全然寵愛されていない皇后だよ?」
「となると、やはりどなたかに皇太子を産んでいただかないと」
「そう。そのお世継を士太夫の目を気になさらない方にお育てするしかないよ」
張讓が趙忠に酒を注ぐ。
「帝のご健康とご多幸を祈って」
張讓と趙忠は杯をあおった。
高楼から見下ろす洛陽の大道に、ひと際目立つ人垣が出来ていた。
「あの老体だ。故郷からもう戻って来れないかもしれないね」
大道には小さく、送還される李膺の姿が見える。人垣は李膺を見送ろうと列をなす人々であった。この宴は、それを見届けるための会でもあった。
「戻ってくるさ、自分の正しさをひけらかすために」
張讓は空の杯を李膺に向け、放り投げた。杯は無論李膺には届かず、虚しく階下に落ちていった。
「次は、必ず殺す」
張讓の怒気からはいささかの酒精も漂っていなかった。
(了)




