5 弁護
『強きを畏れず陳仲舉』。
そう太學で尊敬された陳蕃が党人達の赦免を求め、皇帝に上疏した。
文書での強諌が、内宮にいる皇帝の元に届けられたのである。
張讓は苦虫を噛み潰した顔になった。
(いくらなんでも早すぎじゃないか?)
皇帝の右に立ってそれを聞いた趙忠は疑問に思った。
(昨日の今日で党人を赦免したら、帝が士太夫の圧力に負けたことになっちゃうじゃないか。奴らそんな事も判らないのか?)
内宮で尚書の代わりに文書を読み上げる中書が陳蕃の書を皇帝に奏上する。
「臣は、賢明な主は輔佐に心を委ね、亡国の主は直辞を憚る、と聞いております。湯武が聖であるといえども、伊呂によって興りました。そして桀紂は迷い、惑って家臣を失い国は滅んだのです。故にこういうのです。主君は頭であり家臣は手足となり共に善とも悪ともなるものであると」
読み上げられた内容を聴きながら、趙忠は皇帝劉志の様子を確認した。劉志はつよく口を引き結んで聴いていた。
(いくらなんでも、恐れを知らなさすぎだよ)
陳蕃は、よりにもよって帝を夏の桀王や殷の紂王に擬して諌めようとしている。
その上自分達を伊尹と呂尚に当てはめている。
これでは「お前の出来が悪いので悔い改めなければ滅ぼすぞ」と言ってるのと同じではないか。話を聴いてもらわなければいけない局面で、どうして相手の機嫌を損ねようとする?
(勉強しても頭が良くはならないもんだね)
朗読は長々と続く。
「……伏して見ますに、前の司隷校尉である李膺、太僕の杜密、太尉掾の范滂等、身は正しく瑕一つ無く、死ぬ気で社稷を守ろうとしておりました。しかし忠義の心で逆らった為、収監され拷問を受けたり、牢屋に繋がれたり、徒る所を無くし自殺したものもおります」
(逆らってる自覚はあるんだ……)
「天下の口を塞いで一世の人を聾盲とするのは、秦の焚書坑儒と何が違いましょうか?昔、周の武王は殷に勝って王位に就くと、殷臣商容を顕彰し比干の墓を封じました。今、陛下は政に臨まれて、先ず忠賢を誅しようとされています。善政に遇う事は少なくないでしょうか?悪政を待つ事は多くないでしょうか?
(ああ、これは多分、名文という奴なんだろうなぁ)
士太夫の代表の一人が書いたんだからそうなのだろう。趙忠の教養ではどこがどう名文かなど、わからなかった。だが、それでも趙忠に判ることはある。
(こんなんで主上の心は掴める筈が無いのに)
主上の心を掴んで動かすには、機会を伺って、機嫌を読んで、自分を捨てて諂う。そうでなくて心が動く筈がないではなじゃないいか。宦官どころか子供でも知っているような話だ。
(自分は正しいから従え、か。士太夫って奴らはごう慢だね)
「……臣は位台司(三公)に列んでおり、深く重く責め憂いております。生を惜しんで無駄に録を喰むくらいであれば成敗を受けるつもりでおります。もしお採り上げいただけるのであれば、身と首が分かれ、別々に門を出て行くことになっても、お恨みいたしません」
お決まりの締めが読み上げられた後、しばらくの静謐があった。ようやく、くどくどしい諌言が終ったらしい。
劉志は言った。
「次」
張讓がほうっ、と深い息をついた。この諌言が納れられなかった事への安堵である。
だが陳蕃の弁護はこれだけに終わらなかった。文書で、そして直接、劉志に何度も何度も
逮捕された士太夫達を解放するよう諌めた。
涙ながらに弁護をやめなかった。
内宮で、何度目か判らないほどの上表を聞いた後、劉志は軽くかぶりを振って切り出した。
「陳蕃の小言は聞き飽きたな」
陳蕃はあきらめを知らないが、劉志もまた、我慢を知らないのである。
「だが、爺を罰したくはないし、小言が嫌だったから遠ざけた、では情けない。何か手はないか?」
すかさず管霸が助言した。
「獄に繋がれている者の中には、陳蕃の故吏もおります」
「なるほど」
数日後、陳蕃は、ふさわしくない人材を辟した、という理由で太尉を解任された。
そして成瑨、劉質は殺され、死骸は市に晒された。
陳蕃の諌言が解任さという結果に終わり、二人が殺された事で、朝廷の空気はどんよりと淀んだ。
***
范滂は熱を出し倒れた。彼だけではない。黃門北寺獄に繋がれた士太夫の間に病気が流行ったのである。劣悪な環境と拷問に体が悲鳴をあげたのだ。
だが獄吏達は容赦なく拷問を続けた。
牢屋の階下にある拷問の間では、手枷、足枷、首枷で繋がれ、頭に袋をかぶせられた、誰とすら判らない士太夫達がか細い悲鳴を上げ続けていた。
范滂達は拷問の順番待ちとして、広間の端に繋がれ、この声を聞かされていた。
范滂は獄吏に頼んだ。
「皆を牢で休ませてやってくれ。このままでは死んでしまう」
駄目だと断わった獄吏に范滂は告げた。
「では、皆の代わりに私を尋問したまえ」
驚いて范滂を凝視する獄吏に、別の声が掛かる。
「その責め苦の半分は私が受けよう」
汝南の名門袁氏の一員、袁忠である。范滂は袁忠を一瞥すると微笑し、よろよろと立ち上がった。
「連れて行くがいい」
袁忠も同じく立ち上がった。
拷問の差配をしていたのは宦官の王甫である。
王甫は「ほう」と言ったが、何の手心も加えず二人に手枷、足枷、首枷を付けさせ、頭から袋をかぶせると床に蹴り転がした。
ガッ!
固い床で首枷の厚い板が突き止まり、首に直接衝撃が来た。
「……ッ!」
范滂は呻いた。
首枷は横たわる范滂の首に食い込み、不自然な首の角度を強要し続ける。後ろ手にされた手枷が、足枷が、自由を奪い姿勢を正すことを許さない。麻袋に包まれて、自分がどの方向を向いているのかも判らない。身じろぎすると、必ず体のどこかに新しい激痛が起きる。
継続する痛みの中で、王甫の猫なで声が袋のすぐ傍から聞こえて来る。
「君は人臣の分際で、国家に忠を尽くさず、お互いに褒めあい、朝廷の悪口をいい、虚構を口にし続け、謀を結ぼうとしているね。何が目的かね?隠し事をしても……痛みが続くだけだぞ」
范滂は答えた。
「孔子は『善を見ては及ばざる如くし、不善を見ては湯を探るが如くする』と言われた……」
これは論語季氏篇にある言葉で、善を見たら自分の不足を感じ不善を見たら手を引くような善人を見たことはあるが、隠れて志を求め、行いでその道の義に達するような人は聞いたことは有っても見たことがない、という孔子の言葉である。
王甫は文脈を取り兼ねて聞き返した。
「それがどうしたね?」
范滂は想像していた以上の苦しみの中にあった。痛みで考えがまとまらない。思惟が文章にまとまる前に口から出てしまう。
「善を見て同じ善をするのを清という。悪を見て同じ悪をするのを濁という」
「……つまり、君はなにごとも善意で行っていたと言いたいのか?」
王甫の問いに、范滂は痛みの中から言いたいことをようやく探り当てた。
「そうだ。我々は王政への願いを確認しあっていただけだ。それが党を為すと言われることを判っていなかったのだ」
王甫は続けて尋問した。
「では、卿自身の話を聞こう。卿は互いに推挙し合い、派閥を作って他を排除した。どういうつもりだね?」
范滂は南陽太守の宗資の下で功曹をした際、不正を憎んで多くの悪徳官吏を罷免した。そしてその地位に、范滂が見出した優れた人材を抜擢していた。范滂の推挙した人材は結束も固く、范党、と呼ばれ、宦官達に憎まれていた。
「古代の善とは多くの福をもたらすもの。今の世の善とは、身を大戮に陥れるもの。ああ、私が死んだら、願わくばこの滂を首陽山の側に埋めてください……上は皇天に負わず、下は夷齊に恥じるものではありません…」
夷齊は伯夷と叔齊の事である。二人は家臣の身で殷を滅ぼした周の武王の不徳に絶望し「周の粟は食わず」と言って首陽山に入って餓死した。
范滂の答えはもはや意味を為していない、そう感じた王甫は、范滂の頭を覆った袋の紐を解き、彼の両目を指で開き、反応を確かめる。
「少しきつすぎたかな?ここまでにしといてやろう……俺は優しいんだ。殺してもまずかろうし」
憐憫から彼らの枷を解き、牢へ戻してやった。
***
洛陽市街、北宮からほど近くにある濯龍園。
皇帝専用の巨大な庭園の美しい池のほとりで、皇帝劉志が密かに一人の士太夫と会合していた。
「仲承よ、顔を上げよ」
池の水面に乗り出すように立つ小さな亭の軒の外で、平伏を続ける男に皇帝は親しく声を掛けた。
ようやく顔を上げた男に、劉志は更に続けた。
「そんな所で畏まられては話も出来ぬ。そこに座れ」
そういって亭内の敷物を示した。
恐縮しながら入って来た男は劉淑、字は仲承という。
劉志と同じ河間国は楽成県の人である。
劉淑は若い頃から五経に明るい事で知られていたが、官には就こうとせず、隠居して精舎に立ち、数百名の諸生を指導していた。
五府で続け様に招聘しても、賢良で推薦されても、病を理由に行かなかった。劉淑は官僚として政治に関与する士太夫になるより、学者として生涯を終えるつもりだったからである。
だが、招聘を断わった事で逆にその名がますます高まった。ついに皇帝劉志の知るところとなり、劉淑の人生は激変した。
劉志は責めた。招聘に応じない劉淑をではなく、招聘に応じさせない州郡を責めた。そこで州郡では病を理由に断わろうとした劉淑を輿に押し込んで、そのまま洛陽に送り届けた。劉淑は仕方無く議郎の一人となった。無論、話はそこで終わらなかった。
劉志は同郷の、高名な学者である劉淑に特別な尊敬を感じ、なにかあれば劉淑に密かに相談するようになったのである。
「で、どう考えた?」
今回、皇帝が劉淑をこの庭園に呼び付けたのは、今回の李膺と党人達の処遇について意見を聞きたかったからである。
池のほとりの亭の付近は人払いされ、宦官達も居ない。劉淑は小さく咳払いすると、彼なりの意見を述べた。
「理解はできましたが、いささか宦官側に偏り過ぎかと」
他の士太夫であれば、儒の教えを歴史から紐解き、皇帝である自分を感化させ、是正しようと諌言を始めるだろう。だが劉淑は士太夫にありがちな極論ではなく、穏やかに常識を答えてくれる。
劉淑の案を劉志が採用する事は少なかったが、その意見を劉志は愛していた。尚書、侍中、虎賁中郎將と、洛陽勤めの官職で出世させたのはそれが故である。
「宦官どもは関係ない。李膺たちの越権が問題なのだ」
宦官が後ろに居て李膺らを訴えさせたことぐらい、劉志にも判っている。李膺を失脚させることは宦官達を利する、というのも気付いていた。だが、そこはもう本質ではないのだ。
「朕がひとたび赦した者を誅するのは、無辜の者を殺すのよりずっとたちが悪い」
後者はただの殺人に過ぎない。だが前者は帝権への挑戦である。
「確かに司隷は思慮が足りませんでした」
劉淑は頭を下げてから続けた。
「畏れながらお尋ねしますが、別段落度などが見当たらない他の士太夫達まで収監なされたのはなぜでございましょう」
「皆、根は李膺と同じである。朕の怒りを理解させるには仕方なかったのだ」
劉淑は理解した。帝は自分への絶対の忠誠を求めておいでなのだ、と。自分は今では士太夫の一員になっているが、もともとそうなるつもりはなかった。だから士太夫には判らないことが判る。
今上は儒より忠を優先させよ、と言っているのだ。
昨今の士太夫は帝への忠に重きを置いていない。親への孝であれば例え自分を嫌う継母相手にでも逆らわず孝を尽くすのに、帝への忠に関しては「あえて諌言する事こそ忠」という空気がある。宦官がのさばっている閉塞感がそれを助長している。
その空気が帝には不快なのだ。役人や太學生が儒の徳を盾に自分に逆らうことが。至尊ならざる自分でも、その不快は理解できる。では、どうすればいい?
「お願いがございます」
劉淑はあらためて平伏し、申し上げた。
「今回の件、これ以上士太夫達の命を奪わぬ形で終結なさいますよう、お願い申し上げます。命を奪わば、聖徳に瑕がつきます。また君臣の間に消せない罅が入ります。これは御為になりません」
劉志は考え込んだ。
「朕はどうすればいい?」
「そうですな……罷免と追放は如何でしょうか?。一旦彼らを故郷へ帰し、頭を冷やさせるのです。帝のお考えが伝わったその後で、大赦で戻してやればよろしのです。何卒……」
劉志の答えは同意とも拒絶ともとれるものだった。
「ふむ」