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俺解釈三国志  作者: じる
幕間1 兆し(延熹九年/166)
17/173

2 双帯両鞬

 空が夜の様に暗い。叩きつける砂と雪で目の前も見えない。一面の白で天も地も判らない。ここ涼州臨洮では、もう春という時期でもこんな風に吹雪く事がある。危なくて馬には乗れる状況ではない。


 旅人は目に入る砂粒に顔をしかめながら、馬をひきずるように歩く。足が道を覚えていると信じて前に進む。


 やがて見知った門の輪郭が目の前に浮かぶ。ためらわず扉を叩いた。間を置かず扉が開くと、腕を掴まれて強い力で家の中に引きずり込まれた。


「おお、文侯ぶんこうか。こんな日に寒かったろう」


 引きずり込んだ男は精悍な顔立ちに獰猛な笑顔を浮かべ旅人を出迎えた。

 二人は抱擁しあうと、男は奥へ声を掛けた。


「母者、客人だ。湯を沸かしてもらえないか?」


 家の奥で人の気配が動いた。


「助かった仲穎ちゅうえい。この時期にここまで吹雪くとはな」

「最近の天気はどうもおかしい。古老達は昔はもっと暖かかったと言っている。なにぶん天の事ではどうしようもないが」


 男は旅人を暖かな炕の上に座る様に勧め、自分も座った。


「あまりもてなしてくれるなよ。俺には返すものがない」


 文侯、と呼ばれた旅人は冗談めいた口調で言った。


「そういうなよ。友達じゃないか」


 仲穎、と呼ばれた青年は真面目な顔で応えた。


 仲穎の母が椀に湯を運んでくる。客人は丁重に礼を述べると、椀に顔を近付けてつぶやいた。


「これはありがたい」


 酒を湯で割ったものが入っていた。


 凍えていた顔のこわばりも融け、すっかりくつろいで二人はよもやま話をはじめた。


「少し太ったか?」

「最近は馬に乗らんからな。お主は変わらんなぁ」


 客人は李文侯。この臨洮の郊外一帯に居住する羌と呼ばれる異民族の一人である。

 むろん本名ではなく、漢民族とつき合う為に自称した名である。


 男の姓は董卓とうたく。字は仲穎という。この涼州臨洮の生まれである。


 ***


 董卓は平凡で豊かとまでは言えない家の次男に生まれた。次男とはありがたい。母と家は兄に任せて自分は自由に遊び歩ける。なんて幸せなんだ。そう思って董卓は育ち、実際家の手伝いもせず自由に遊んだ。だが、董卓少年の遊びというのは尋常なものではなかった。


 子供ながら家を飛び出すと、涼州の方々を旅し、各所の羌族を訪ね、持ち前の度胸で各部族の族長と交遊を深めた。文侯ともその時に知り合った。馬の走らせ方、羊の追い方……人の殺し方。いろいろな事を董卓少年は羌族から教わった。


 だがその幸せな少年時代は突然終った。兄の擢が急死したのである。


 定住し、痩せた土地を耕し、黍を植える生活が始まった。家長の責務が襲いかかってきた。董卓は大人に成らざるを得なかったのである。


 董卓は家長として、農夫として、一家を率い切り盛りした。羌族達とも殆ど縁が切れていた。


 それから数年が経った頃。羌族の長達が揃って家の前を通る、ということがあった。旧知が素通りしようとするのに驚いた董卓は、農具を放り投げると彼らを呼び止めた。


「お前もしかして董仲穎か?判らなかったぞ」

「おひさしぶりです。今日は皆様お揃いでどちらまで?」

「国家が長安まで行幸なさる、というので見物よ。もし機会があれば陳情したいことは山程あるしな」


 国家、というのは皇帝のことである。


「敵にするにしろ顔ぐらい見ときたい」


 別の族長が不敵に笑った。


 董卓の知る限り、彼らは義従……親漢王朝の羌族である。積極的に漢朝に敵対する理由は無いはずだが、そう一筋縄で行かない連中なのも董卓は知っていた。


 董卓は彼らを引き留めると、宴を開いた。そのまま通すという不義理は思いも付かなかった。旧交を温めたかったし、ここ数年の状況も知りたかった。なにより、沢山受けた恩義に報いたかった。


 だが饗応するにも急な事で満足な食材がなかった。董卓はためらわなかった。家に一頭しかいない農耕牛を殺し振舞った。


 族長達は出て来た料理に驚いた。


 羌族は家畜の価値については敏感である。彼らは農耕を重要視しないが、漢人にとって牛がどれだけ大切な物かはよく判っていた。


 翌日出立した後、旅の道すがらで族長達は相談し、恩義にはより大きな恩義で返そう、ということになった。


 しばらくして董卓の元に千頭を越える家畜が贈られて来た。董卓の家は裕福になった。賄賂を送る余裕ができたので郡の役人にもなれた。


 文侯はそれを念頭に釘を刺したのである。


 ***


 董卓は笑っていなした。あんな事があってから逆に大げさにもてなし難くなった。欲の皮が突っ張ってわざわざ牛を振舞う奴などと思われては立つ瀬がないではないか。


 ふと、話が途切れた。


 董卓は少し黙って、それから思い切って言った。


「実はな、文侯。俺は都に行こうと思っている」

「何で?」


 商売ができるわけでも縁故があるわけでもない。

 文侯の反問は当然だった。


「国家が羽林の人材を求めておいでだ」


 羽林は洛陽の王宮を守護する兵士であり、皇帝直属の兵である。涼州はそもそも武人の産地と認識されており、羽林は涼州六郡の屈強な若者から選別されることになっていた。


「その年でか?あれって見入りがいいわけじゃないんだろう?」


 羽林士や羽林郎は洛陽の王宮に常時詰めて宿衛する、純粋な兵隊である。一般人の入る場所でもないので賄賂も乏しい。羽林を率いる羽林中郎将にでもなれば秩禄二千石が付いて来るがそんな役職は羽林の兵隊が昇格して為れる様な物ではない。この一帯のそれなりの家の家長が、わざわざ兵隊になりにいくのも理解に苦しむ。


「見入りが目的ってわけじゃないんだ」


 董卓は応えた。


「都へ行きたい。俺も国家がどの程度の男かこの目で見てみたい」


 代々天意を受けた天子、そうは言っているが所詮は沛の呑んだくれの子孫ではないか。


「それに出世の当てがないわけでもない。張度遼が洛陽に戻られるらしい」


 度遼将軍張奐の事である。


「また荒れるな。あの方でなんとか北の平穏は保たれてるのに」


 文侯は義従の一族だけに身に浸みて感じていた。

 ここ数年、張奐の人間性でこの涼州、并州、幽州の北辺は保たれている。

 段熲は局地で乱を巻き起こしているだけだし、皇甫規の存在感はいつの間にかとてつもなく希薄なものになっていた。


「だろう?またぞろいくつも反乱が起きる。と俺は見ている」

「もし治まらなかったら」

「張度遼が再召喚されるだろう。あの方でないと治まるまい」


 だから。


「羽林として都で頭角を現せば」

「張度遼殿の目に留まるかもしれない、という訳か」


 再赴任する際の兵力は洛陽で編成するはずで、羽林からも編入されるのはむしろ当然の流れだった。そうなれば董卓は張奐の部下である。


 反乱が起きているところへ戻るのだから手柄の立て様もある、という話は口に出しては言わなかった。友人とはいえ羌族である。そんな事は聞きたくないだろう。董卓はそう思った。その配慮はすぐに裏切られた。


「仲穎。遠征軍としてこっちへ戻ってくるなら、手柄を立てさせてやれるぞ」


 何を言ってるんだ?気でも狂ったのか?


「お前相手なら安心して反乱できるからな」


 どうやら友人は本気らしい。


「俺らは反乱を起こす。お前は鎮圧に来る。戦ってる振りをする。軍費は山分けだ」

「……なるほど」


 やっと呑み込めた。反乱を談合しよう、そう言っているのだ。


「こいつは信頼できる相手にしかできねぇ。段護羌の様な奴相手だと安心して戦えねぇ」


 護羌校尉の段熲は異民族殲滅主義者である。彼と交渉して欺戦を繰り返すのは命取りに成り兼ねない。


 涼州の反乱を鎮圧に来た将軍が軍費の一部を懐に入れてしまうのはもはや常識である。

 懐に入れる代わりに自分達にバラ撒け、と友人は言っている。


「だがそれでは戦果が出ない。すぐに更迭されるぞ」

「目障りな奴らならいくらでもいる。そいつらの居留地に案内してやるよ」


 董卓の常識が衝撃を受け揺らいだ。親しい友人、と思っていた相手は同族を生贄に差し出そうとしている。

 自分が子供時代に交遊して来たのは羌の表の面であり、子供には本当に血生臭い裏は見せていなかったのだと董卓は識った。


「いい水場を持つってのはそれなりに覚悟が要るってことだ」


 土地に関する考え方も違った。


 農耕民が土地を移るのは大変である。作付けが途切れたら途端に飢えることになる。だから少々痩せていても同じ土地に執着してしまう。だが彼ら遊牧民はより良い土地があれば気軽に移動できる。彼らの財産には脚が生えていて移動できるのだ。


 考え方を変えよう。大人にならねば。董卓は決意した。


「俺が部隊を率いる時はよろしく頼むわ。」


 二人は顔を見合わせにやりと笑った。

 友であり共犯者は尋ねた。


「仲穎。お前は金の為でないが出世したいという。お前は出世していったい何がしたいんだ?」


 答えに迷いは無かった。


「涼州を独立させる」


 涼州は辺境にあり、異民族との圧轢に絶えず晒されている地域である。

 漢王朝はこの州を捨てようとしたことがある。それも二回。税収に対し防衛費用が掛かりすぎるからである。


 董卓から言わせれば、防衛費用を懐に納めて私腹を肥す漢朝の将軍共が悪い。

 また、気候厳しく土地の痩せた涼州に、中原と同じ税収を期待するのがおかしいのだ。

 西域……大月氏や安息国などとの貿易も含めて涼州の価値は考えるべきなのだ。


 涼州を漢の版図外として費用を削減しよう、という提案は二回とも皇帝の許可を得られず、廃案とはなっていた。だが状況は変わっていない。今後もこの手の議論は起きることだろう。


 捨てるのならもらってやろうじゃないか。


 我が涼州に軍閥を作り、涼州をまとめて実質的に漢朝から独立する。漢朝と敵対するのではない。漢の重荷を自分が背負ってやるのだ。


「そういうのは役人になった方が早道じゃないのか?」


 文侯の言う事はごもっともだった。だがそうはいかないのだ。


「漢家の掟でな、涼州の出では涼州刺史にはなれないんだ文侯。それに俺は腕っぷしの方にしか自信が無いんだ。」

「じゃぁ張度遼殿が討伐に来るな」

「そりゃ困るな」


 なんの根拠も無く「自分は強い」と思っている董卓だが、張奐に打ち勝つ自分というのは想像できなかった。


「そうなったら張度遼殿に頭になっていただくさ。あの方も本州出身だ」


 自分が張奐を従えている姿も想像の外であっただが、張奐を頭に、従いつつも暗躍する自分なら想像できた。


「ハメる気か?」

「他に手がなきゃな」


 張奐は気真面目な男である。情に訴えたり、罠にはめたり、やりようはその時に考えればいい。


 話が途切れた。


「……で、そもそも頭角を現すってのはどうやるつもりなんだ?」


 文侯は軽い口調で言った。


「仲穎は顔は厳ついし我等が鍛えたから腕っぷしも強い。そうそう他の漢人にひけをとらないとは思う。だが、それを判ってもらうのは生易しいことじゃない……だろ?」


 それは董卓も悩んでいたことだ。

 董卓は平民の出で、誰か有名な儒者に師事したということもない。亡き父は皇甫規の家で働いていたので故吏といえなくもないが、関係として薄すぎる。どこかの戦いで戦果を挙げたわけでもない。つまり評判がない。

 腕っぷしには自信がある。しかし短時間で判ってもらうのは難しい。


「じゃぁ俺が右にも騎射する方法をお前に教えてやる……他人に教えないと天に誓えればだがな」

「誓うとも!」


 董卓はがっちりと友人の手を掴んで叫んだ。


 馬に乗って矢を射る時、射手は手綱から両手を離し、両足で馬の胴を締めつけ、左手の弓を目標に向け突き出し、右手の矢を引いて射る。


 両手を離し足の力だけで馬を走らすだけで既に曲芸に近いが、そこまでやっても左方向にしか射てない。足が固定されているので馬の首よりも右は窮屈過ぎて撃てないのだ。弓は左に向けて射る武器、というのは常識である。だが彼ら羌族にとっては違うらしい。


 文侯は董卓の意気込みに笑いを堪えられず言った。


「わかったわかった。ところで鞬(矢筒)は二つあるか?」

「あるさ。だが何で?」

「左右に一つずつ要るのさ。雪が止んだら馬上で弓の持ち替え方を教えてやろう」


 数ヵ月後、洛陽で一人の男の卓越した武技が評判となる。


(了)

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