15 黄龍(延熹九年/166)
ガタンと軒車が揺れ、曹騰は目を覚ました。少し夢を見ていたらしい。
(やれやれ、最近夢と言えば昔の事ばかり。歳は取りたくないものです)
軒車は河沿いに西へ向かっている。まだ梁国には入っていない。
それ程長く寝ていたわけではなさそうだ。隣では孫の吉利が川面をじっと見ている。
(器……か)
自分は宦官としては公正な人間として評判だった。だが、別に公正であろうとしたことはない。一族を二千石の高官に就け、私腹もきちんと肥していた。貪り過ぎないようにしていただけの事である。周りが貪り過ぎたのでマシに見えただけだ。自分には貪り過ぎる勇気も、貪る為の実力もなかったと思う。
(思えば自分は何もしてこなかった…)
実際自分は無能なのだと思う。無能だから公正に見えたのだ。公正は無能な人間にも出来る。過分な欲を捨てればいいだけなのだから。
あの頃の帝と同じ年頃の孫を見つめながら、曹騰は思う。
自分は、大長秋となり宦官としては位人臣を極めた。だが、漢の為に何か善を為したという記憶はない。順帝が父安帝と同じように宦官や阿母を優遇した時も、おこぼれに与りはしたものの諌めはしなかった。
外戚の梁冀が質帝を毒殺した時も、自分は何もしなかった。
(いや、一つ……一つありました)
梁冀が質帝を毒殺した後、次なる帝の候補は二人居た。蠡吾侯で十五歳の劉志と、清河王の劉蒜である。
劉蒜は厳しい人となりで、沖帝が崩じて質帝が立った時も次の皇帝候補に挙げられていた。当然、質帝の後は清河王、という話に成った。
前回は梁冀の意向で劉蒜は帝位に就くことはなかった。しかし、今回は梁冀も梁太后も、それを容認しそうな雰囲気があった。
(だが)
自分には清河王との間に遺恨があった。沖帝崩御後、都に上って来た劉蒜に、宦官だから、という理由で失礼な扱いを受けたのが忘れられなかったからである。
(あの人を帝にしたくなかった……)
そこで夜中にこっそりとあの梁冀の元を尋ね、説いた。
「将軍は累々皇帝の御親族で萬機を手に入れ、賓客はあちこちから尋ねて来られ贅沢もなさっていますが、清河王は厳しい方です。もし帝にお立ちになれば将軍はすぐにも禍いを受けることになるでしょう。蠡吾侯を立て、富貴を長く続かせた方がよくはありませんでしょうか」
自分は梁冀と組んで劉志を帝に奉戴し劉蒜を排除したのだ。
(思えばあれは完全に保身でした)
もし清河王が皇帝になっていれば、我々には災難だったろうが、漢家は立ち直ったかもしれない。
だがそうはならなかった。即位した劉志は成長して後、梁冀を排除する事に成功したが、結局、宦官の力を借りてそれを行った。
幼帝が擁立され外戚と皇太后が壟断するが、宦官が皇帝の味方になり政権を取り戻す。これを繰り返している間に漢は宦官が蔓延る国となってしまった。
(あの頃、自分達宦官は孤独な皇帝の家族として親身にした結果、やりたくもない国を牛耳るハメになったと思っていました)
だがそれは違うと今なら判る。
(自分達は、孤独な皇帝を篭絡し自分の身内に貶めてしまったんですね……至高の存在をわれわれ宦官の同類にしてしまった……)
親友とすら思える劉保……順帝も、今上の劉志も、冷静に評価すれば明君にはほど遠い。
(公正どころか漢を滅ぼしたのは自分じゃないのか……?)
二十年前、建和元年の二月。譙の空に黄龍が舞った。
曹騰自身、譙でその黄龍を見た。曹嵩を養子にもらった、その祝いの日だったのである。
火徳の国の漢に対し、土徳の黄龍は漢を滅ぼす者の誕生を意味するのかもしれない。あの時、そう思って義息となった曹嵩の顔を見つめたのを曹騰は覚えてる。
そんな器ではなさそうだな
だが、孫か、ひ孫か、この血統に漢を継ぐものが出るのかもしれない。
漢の滅びのきっかけが自分なら、せめて自分の子孫には国を立て直す力になって欲しい。それがこの子なら、少しでも知識を与え人脈を築いてやってから死にたい。それが老先短い曹騰の最期の願いだった。
「吉利や。今朝の日蝕ですが、五十と四年経ったらちゃんと同じに見えるか、祖父の墓に報告に来てくださいね。約束ですよ」
少年は指折り数えた後、気まずい顔で言った。
「仙人でもないとそんなに長生きなんてできると思えないけど……お爺様。僕は長生きするより武人になって何かでっかい事がしたいよ」
曹騰は笑って孫の頭を撫でてやった。
(了)