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俺解釈三国志  作者: じる
幕間10 飛燕(中平二年/185)
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3 招聘(中平二年/185)

 半年が経った。年が明けた頃には褚燕の一味は万を越える軍勢となっていた。


 近隣の豪右を襲う必要も無くなった。襲われたら終わりだと自発的に粟や銭を献上しはじめたのである。


 真定の県城。その中心部は褚燕一味のねぐらに一変していた。だが県城というのは万余の軍勢を常駐させる場所ではない。褚燕一味にとってはこれでも手狭な状況であった。


 その真定の県城の、かつて役場であった建物の正門前に、一人の男が座っていた。


 その男はやせぎすで、ひょろひょろとしていた。ところどころまばらに長い毛が生えた禿頭に不精髭。逆三角の顔に、目だけがただぎょろぎょろと大きかった。明らかに士太夫ではなく山賊の一味、という服装だが、このあたりではちっとも珍しいものではない。


 その男は、辛抱強く待っていた。役場の正門が開くのを、である。


 真定の市は百姓しょみんの往来も多く、正門前も活気に満ちていた。盗賊が支配する荒廃した城、という印象はまったくない。近隣の住民は粟を無理して換金しなくてもよくなって、生活が楽になったからである。


 その様子を男はぎょろぎょろと眺めながら座っていた。男の異相は通行人の注意を惹いており、通行人もまた、男を遠慮無く眺めながら通りすぎていった。


 ぎい、と正門が静かに開いた。その音で男は立ち上がった。門内から出て来たのは褚燕。この真定の支配者である。孺子ともう一人、子供を連れていた。


 目の大きな男はにいっと口を歪ませ、無言で片手を挙げた。笑ったらしい。


 褚燕も手を挙げて応じた。


「大目。久しぶりだな」


 笑顔で近寄ってくる大目と呼ばれた男と褚燕の間に、すっと孺子が入り込んだ。割って入った上に睨みつけてくる大柄な少年を指さして大目は尋ねた。


「これは?」

「うちの子だ。護衛してくれてるんだと」


 褚燕も苦笑いである。


「そりゃあ偉くなったもんだな」

「偉いに決まってるだろ!頭目は一万の部下がいるんだ!」


 孺子の叫びに大目も苦笑いした。


「なるほど確かに!ちなみに俺様は八千の頭目だ。そろそろ護衛を付けた方がいいのかもな」

「あ」


 孺子は驚きに目を見開いた。いつのまにか褚燕が大目の横に回り込んでおり、その肩を叩いて孺子たちに紹介したからだ。


「こいつは李大目。隣の九門の頭目だ。でっかい目だろ?ものすごく良く見えるんだぜ?」


 これにもう一人の子供が食いついた。侏子ちびと呼ばれている子だった。


「どこまで見えるの?!一里先の蟻ん子とか見える?!」

「なんのなんのこの大目玉なら洛陽まででも見通せるさ、なぁ?」


 笑顔の褚燕に、大目は苦笑して南……都らしき方向を向くと、目の上に手をかざしてことさらに目を見開いた。


「おお見える見えるぞぉ!孟津の渡しで馬に水を呑ませている奴がいるぞぉ。河の向こうは雨が降っているなぁ。残念、いつもは都の高楼まで見えるんだがなぁ」


 大目の目線と同じ方向に向いて大興奮する侏子。その死角で褚燕は無言で爆笑していた。それをうさんくさそうに見る孺子。

 ひと息間を置いてから、大目が振り返った。もうふざけた雰囲気は消え去っていた。


「黄巾共が討伐されたのは知ってるよな?」

「それはさすがにな」


 褚燕は真定県を不法に占拠した。当然、郵による行政文書は届かなくなる。周囲の県もそれぞれ盗賊達に占拠されてしまったので、情報が噂の形でしか入って来ないのである。実際問題この占拠が長期化するようなら、将来的には官が機能している所へ攻め込んで、正しい暦を手にいれなければならないだろうな、褚燕はそこまで考えていた。


「……来るかね?討伐軍」


 昨年末……つまり三ヶ月程前の事だが、鉅鹿郡で戦いがあり、黄巾討伐軍によって黄巾の教祖の兄弟が斬られた、という話は褚燕も聞いていた。


 だが黄巾の討伐軍が自分達野盗の討伐に来るのだろうか?黄巾討伐軍は黄巾賊を滅ぼすのが使命はないか。


 一部に自分達が黄巾の一党と誤解されているのは褚燕も知っていた。黄巾のどさくさで立ち上がったという蜂起の時期と、黄巾本拠地の鉅鹿が近いせいである。


 だが自分達は黄巾と無関係である。黄巾についてこの辺の住民の誰に尋ねても答えるだろう──なんであんなぽっと出の連中を?、と。


 ここ真定には常山がある。西漢五代の文帝劉恒の諱を避ける為に改名される前の名は恒山。周の昔より信仰を集める道教五岳の北岳である。黄巾などというここ十数年の歴史しか無い教団が入って来る余地はなかった。


「知らないようだな」


 大目は褚燕の知らない話を持って来ていた。


「黄巾鎮圧を帝が嘉され昨年末改元なされた。元号は中平だ。大赦もあった」

「そうか」


 大赦はすでに捕まっている者や罰に服している者を許す、ということであり、県を占拠し続けている褚燕らには関係のないものである。


「張角を倒したのは皇甫中郎将。帝に冀州の田租一年免除を進言したんだと」


 特に興味のある情報では無かった。畝に掛けられる田租は俗に百分の一税として知られる。物納であり、銭納の「算」の換金に比べれば庶民の苦労は少ない。


「そして皇甫中郎将はそのまま冀州牧に除された」

「牧?……牧だと!?」


 漢家では州の長である刺史は州を巡回する監察官である。この場合政治や軍事は郡の太守が担っている。刺史はその腐敗を正す役割である。だが、牧というのは軍権を有する州の長官である。郡を率いて戦い処罰もできる役職で、東漢では長らく廃れていた職位である。権限が強すぎるのである。


「……用向きが読めたようだな」

「同盟か」


 大目は頷いた。深刻な顔だった。


 褚燕達は既に常山国を崩壊させている。だが近隣の郡の太守はこちらが攻めでもしない限り何もしてこない筈である。郡の太守というのは自分の郡内にしか責任はなく、隣国隣郡の盗賊を鎮圧するような職責ではないからである。冀州刺史であれば州全体の監察権を持つが、兵を持たないので何もできないだろう。しかし、州の兵を率いる権限を持つ牧が相手なら話が違う。しかも相手は黄巾を滅ぼした英雄である。確実に鎮圧に来るだろう。個々の賊で県に割拠するだけで満足していれば各個に撃破は免れまい。


「牛耳は誰が?」

「博陵で名高い張牛角の親分をお迎えする」


 張牛角は常山国の人ではないがこの近隣では頼もしい大親分として知られている。


「漢昌で会盟する。俺は遣いでそこから来ている。飛燕……どうするよ?」

「……」


 今度深刻な顔になったのは褚燕である。無言で考え込む褚燕を大目は辛抱強く待った。が、ほとんど苦悶の表情で考え込む褚燕を見て、さすがに声を掛けた。


「お前の兵一万の有る無しは乱の帰結に影響する。参加しないで済む話じゃないぞ」


 褚燕が不参加を決めたら、同盟が最初にすることは真定を攻めて兵を奪うことであろう。大目はそう言っている。


「判ってはいるが事は大きい……少し時間をくれ。考えたい」

「あまり時間はないぞ」


 大目の言葉に褚燕は弱々しく頷いた。


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