14 閻太后
封鎖された門扉が軋みを立ててゆっくりと開き、少年がゆるりと長樂宮へ入って来た。
女官も宦官も、みな長樂宮の前庭にひれ伏して、曹騰が通るのを見守っていた。前夜から暁にかけて、ここから逃げ出そうとし衛士に制止されて長樂宮を出られなかった者達である。
大勢がそこには居るにも関わらず、長樂宮は粛として声もなかった。皆、声を出すと殺される、そう思っているかの様だった。
この長樂宮へ来たことはないが、曹騰は迷い無く奥へ向かって進んだ。最奥の扉を開くと、ころころと可愛いらしい声が響いた。
「あら?いつかの東宮の宦官さんかしら?」
「さようでございます。陛下」
一段上になった玉座に座る閻太后はまっすぐに視線を曹騰に注いだ。曹騰は目を逸らさず受け止めた。
「ご用はなにかしら?」
「はい。こちらでお預りの伝国の玉璽と六璽」
言い切らぬうちにそれらが放り投げられた。
ごとんと大きな音を立てて袋が転がる。
「これでいいかしら?」
「……お投げにならなくとも」
そういいながら曹騰はそれを拾った。ずしりと固い玉璽に歴史の重さを感じる。
「……もう少し聞き分けの悪い方かと思っておりました」
曹騰にしては珍しい厭味だった。
投げたものを拾わされた為、少し腹が立ったのだ。自分は犬ではない。
「だって無駄じゃない。あなたを殺しても次が来るだけでしょう?」
閻太后の言う通りだった。
曹騰が来たのは、長樂宮に宦官以外が踏み込む、ということに憚りがあったことと、一度会っていて顔を知っているからに過ぎない。半刻経って戻って来なかった場合、羽林の兵が突入する段取りになっていた。
「玉璽を投げたのはちょっとした抗議みたいなものよ。ごめんなさいね」
にっこりと微笑みながら閻太后は答えた。
思わぬ饒舌に、曹騰は閻太后の顔をまじまじと見つめた。華の様な笑顔の中心にある二つの瞳は、すでに死者のそれだった。
「で、妾はどうなるのかしら?」
「陛下は母殺しにはなりたくないとのことです」
「そう……もうしばらくは生きていられるって事ね」
曹騰は答えなかった。
「あーーーーーあ」
閻姫は退屈そうに伸びをした。
「敗けちゃったぁ」
敷き物の上に足を放り出して言った。
「こんな事なら早く殺しとくんだったわ。廃嫡されてたから油断しちゃった。……あの人こうなるって知ってたのかなぁ」
閻姫は正座から安座に足を組み変えた。なまめかしく足が露出し、曹騰は存在した記憶のない器官がうずいた気がした。
「でも、いったい妾の何がいけなかったのかしら」
沈黙があった。
「他の宮女を殺させた事?他の女が産んだ王子を殺させた事?血の継らない皇太子を廃嫡したこと?それとも養子を皇帝にして国を牛耳った事?批判した奴を粛正したこと?」
早口でまくしたて、閻太后は曹騰の方を向いて聞いた。
「どう思う?かわいい宦官さん?」
答える前に閻姫は続けた。
「そんなのあのババアだってやってた事じゃない……」
閻姫は、目の前の若い宦官から答えが返って来るとは思っていない。ただ、愚痴が言いたかっただけだ。
また少しの沈黙があって、曹騰が答えた。
「思えば鄧太后陛下は厳しい方でした。他人にも、ご自身にもです。そこが違いではなかったのでしょうか」
閻姫は、少し驚いた顔で曹騰を見つめた後、苦笑して言った。
「器かぁ」
ぐにゃりと後ろに倒れ込んだ。
「ありがとう、かわいい宦官さん」
そういうとそれきり口を閉ざした。こちらに視線はくれなかった。
曹騰は二呼吸ほど待った後、静かに一礼し、彼女に背を向けて悠々と退出した。
年が明け正月が過ぎた後、閻太后は崩御した。曹騰は誰が手を下したのかなど考えない事にした。




