11 袖を戴つ
「殿下、少しはお食べになってください」
曹騰が食事を勧めるが、劉保はわぁわぁと泣いていて箸を付けようとしない。ため息をつくと曹騰は冷めきった食事を引き下げた。
ここのところ、劉保はずっとこの様な状態であった。
劉保は皇太子を廃されたものの、在国しない諸国王の立場であり、建前上は犯罪者と言う訳ではない。だが実質的な扱いはかけ離れていた。本来、劉保は劉祜唯一の男子として、父帝の殯礼を行なう立場であった。だが劉保の上殿は許されなかった。こんな近くに居るのに、父が安置される梓宮(棺)には近付くこともできない。劉保は悲しみのあまり、食事が喉を通らなくなった。
同じ頃もう一人、劉祜の棺に近付けない事を嘆く人物が居た。王聖の娘、伯栄である。
王伯栄は母王聖と違い、そもそも無位無冠の私人である。彼女は母の威光と劉祜の乳姉弟であるという立場だけを使って本来入れない内宮であれ、ずかずかと入り込んできた。
彼女が劉祜の名代として洛陽を離れ甘陵を詣でた時など経路の官民がその贅沢に多大な迷惑を被ったと言われている。
彼女にはどこへ行くにせよ、憚りも遠慮も必要無かった。しかし、その彼女に上殿が許されなくなった。
「会わせてよ!ひと目でいいから!あの人はあたしの!」
内宮門前で狂乱する彼女を衛士たちは取り押え、城外に放り出した。この様を見た王聖は自分達の運命を悟った。
次の皇帝として濟北恵王劉寿の子、北郷侯劉懿が立てられた。
むろん、幼い劉懿に代わり、皇太后となった閻姫が親政することとなった。そして翌月、粛正の嵐が吹いた。
劉祜の父の正妻の兄、という血のつながらない叔父であった耿寶は、官を免ぜられ、侯から亭侯に落され、国に送還される途上で自殺した。耿寶に属していた侍中の謝惲、周廣は讒にあい、逮捕された。
「待ってください。私は皆さんの仲間でしょう?何故彼らと同じ扱いをされなきゃならないんです!?」
内宮で宦官達に拘束された樊豐が、引き立てられながら叫んだ。
「王聖とはずいぶんと懇意にしていたようではないか」
江京は言った。野王君が第を建てる時に樊豐が協力していたことを指していた。しかし実際の理由は違う。江京はこれから閻太后の威光の下、宦官の上に君臨し朝廷を統治するつもりである。自儘に偽詔を出し奔放に振舞う樊豐の存在が邪魔になったのである。
この時捕まった一党は皆、獄中で殺されることになる。
樊豐が引き出された後、江京は側にいた中常侍の李閏の方を向いて目を細めて言った。
「貴様は耿寶に兄を推薦してもらったことがあったな」
「あの時はずいぶんとふんだくられましたよ」
李閏はとっさに言い逃れることができた自分に感心した。
***
王聖は爵地を剥奪され、娘達と雁門へ流刑となった。雁門は北辺の僻地并州の北側にある世界の果てである。ここへ送られるのは通常、死刑になる所を減刑され、北辺の護りに就かされる犯罪者たちである。女達がどういう目にあうか、想像するまでもなかった。
劉祜の死から二月も経たず、朝廷は閻太后とその兄弟のものとなった。粛正が終った後、葬儀が行なわれた。劉祜は孝安皇帝と諡され、恭宗、という廟号が贈られた。
当然、劉保は葬儀にも参列できなかった。二カ月泣き暮らした劉保はげっそりと痩せていた。
劉保の居る徳陽殿は後宮の長樂宮や用の無い者の行く場所ではない東宮とは違い、士太夫達が通る開かれた場所にある。
多くの士太夫が日に日にやつれていく劉保の姿を見ることになり、同情の目が注がれることになった。
主が食事に手をつけないのに自分も食事をする訳にはいかない。
曹騰も食を絶ち痩せ始めた。しかし、すぐに興渠がそれを止めた。
「お前はまだ子供だ。たらふく食って大きくなり、殿下をお助けしろ」
「しかし、殿下がお痩せになっているのに自分だけぶくぶくと飽食してはあんまりではないですか」
「殯礼も葬儀もできないのはお痛ましいことだが、親が死んで悲しみで食事が喉を通らずやせ衰えるのは子にとって普通のことだ。帝位を継いだ皇帝には許されぬ贅沢だ。せっかくの機会だから、殿下には孝行を尽くしていただこう」
曹騰ははっとして興渠を見た。儒教的に主人の行ないは正しい。曹騰は自分に親を悼む気持ちなど全くないので気付かなかったのである。
***
半年が経った。
新皇帝は洛陽南宮の長樂宮の奥深くに座し、三公も公卿も皇帝に謁見できない状態が続いていた。
全ての命令は閻太后が発し、長樂宮の宦官がそれを伝えた。宦官の長、江京の権威は絶大なものとなった。
そんな宦官達の中で、密かに噂されることがあった。
「皇帝不予」
幼い皇帝劉懿が病いで危篤状態にあるらしい。
誰から流れたかもわからない、誰にも真偽を尋ねられない噂。劉保の謁者長、興渠は噂について考えながら、中天の満月を見上げていた。
十月半ばの明るい月が徳陽殿の広場を照らしていた。
西鍾下の建物の前から見る徳陽殿は、日が暮れ夜も更けた後の前殿広場には誰一人いない。
徳陽殿西鍾下の濟陰王の部屋では雑事が待っていて考えをまとめる暇がない。興渠は考え事をする為に室外に出ていた。
(もし、新帝が崩御されたら、皇帝は空位になる……ここで濟陰王にご即位戴いたら、閻太后の機先を制することができるだろうか?)
半年前、安帝が崩御された時、閻太后が喪を発せず密かに洛陽に戻り新帝を帝位につけた、という事実は、すでに知る人の知るところになっていた。もし、あの時彼女が旅の空で喪を発していたら、誰か……来歴殿あたりが濟陰王を担ぎあげることができたかもしれない。敵ながら凄い手腕だと興渠は思う。
(もし新帝が崩御しても今度も閻太后は隠し通すだろう)
だが、ここは旅先の車の上ではない。事が内宮で起きるのであればだれか宦官の知るところになる。だれか宦官が知れば自分の所にも情報が来るはず。
(しかし、即位したからといって、勝てる相手か?)
閻顯と弟達は洛陽の軍権を握っている。それ以外の官僚組織にも閻太后と江京は命令できる。勝手に即位を宣言しても、兵に押し包まれ斬り殺される光景しか思い浮かばなかった。
“……興謁者長”
月を見上げながら思索に耽っていた興渠に、後ろから声を掛けたものがいる。ささやき声であった。驚いた興渠が振り返ろうとしたが、両肩を強い力で掴まれ、振り向くことはできなかった。
“お静かに。来ているのを知られたくない”
後ろからの声はそう言った。興渠はこの声に聞き覚えがあった。興渠が力を抜くと、ゆっくりと肩から手が離された。
「稚卿殿か?」
中黄門の孫程。字は稚卿である。
孫程は劉保付の宦官ではない。彼は元々鄧太后の長樂宮の下級宦官である中黄門として、鄧太后に、時に劉保にも給仕していた。興渠とは劉保が長樂宮に居た時からのつき合いであった。鄧太后の崩御後は閻皇后の長秋宮で勤め、今も閻太后の長樂宮で給仕の仕事をしている筈だ。
興渠が驚いたのは、孫程がいつの間にか自分の背後に回っていた事である。どこから彼が来たのか見当も付かなかった。孫程は月と興渠と結ぶ線の先、つまり興渠の影の中に、いつの間にか入り込んでいた。
“月でも見ながら静かに聞いてくれ”
背後から声が続く。
“先帝は讒言で廃嫡されたが、濟陰王に落度は無い。嫡統に戻すべきだと思う。”
言わずもがなの事だ、と興渠は思った。
“新帝はもう虫の息だ。回復されそうもない”
長樂宮の給仕からの情報である。裏が取れた、と言えよう。
“江京と閻顯を殺ろう。それでケリがつく”
本当か?本当にそれで済むか?そもそもできるのか?興渠はこれが罠でないと信じたいと願った。そしてしわがれ声で尋ねた。
「卿のその動き尋常ではない……どこかの間者だったのか?」
“ケチな盗っ人だったよ。捕まって棄市になるところだった”
棄市は斬首の後、市場に晒される刑である。
そういった死刑を免れる方法として、宮刑……すなわち男性器の切除を受け、宦官に志願するという手段があった。
“すっかり鈍っちまったが、まぁなんとか動けるだろう”
興渠は確かめねばならないと思った。濟陰王を陥れる為の罠の可能性もあった。
「ずいぶん肩入れしてくれるではないか。閻太后に何か怨みでもあるのか?」
“嫌になったのさ”
何が?とは興渠は言わず、黙って続きを促した。
“あの女の下げ渡す残飯を食う生活が、さ”
孫程の声からまぎれもない嫌悪を感じ、興渠はくすりと笑った。興渠の答えは簡にして要を得たものだった。
「やろう」
濟陰王とその周辺は、監視されている。根拠はないが、興渠はそう考えて行動している。だから動かなかった。いや、動けなかった。そこへ孫程が連絡役を買って出てくれたことになる。
***
孫程はひそかに仲間を集め始めた。
中黄門の王康。彼は過去、太子府に勤めていた。そして皇太子が廃された時から噴懣を抱き続けていた。
孫程と同じ長樂宮に勤める長樂太官丞の王国。長樂太官は皇太后の食事の担当官であり、王国はその部下である。
職務上孫程とは気心が通じあっていた。
彼ら三人が秘密裏に活動を開始した。
仲間を集める、というのは陰謀で最も危険な局面である。ここで露見し一網打尽に摘発される陰謀は数多い。
興渠はこの件を劉保に相談しなかった。まだ十一歳の劉保を、露見するかもしれない陰謀に加胆させるわけにはいかない。
ぎりぎりまで自分一人の心に納め、万が一の時は自分の命で贖おうと考えていた。
十日程経った十月二十七日。
突如、洛陽南北宮の全ての外門が閉ざされた。
全ての門は兵が封鎖し、宦官達が指示する間だけ開く様になった。士太夫達は洛陽宮に入れず、外をうろうろするばかりで弱り果てた。詔勅を書く必要があるため、尚書台に宿直する者が通れるばかりだった。
(これは……)
興渠は新帝の崩御を悟った。各門が閉鎖される直前、早馬が各地に送られたのが目撃されていた。
おそらく、帝の崩御を漏らさぬ様に門を閉じ、後継候補を諸王の封地に迎えに行く為に早馬を出したんだろう後継者が洛陽に参上するまでは新帝の喪は発されないし、次帝の即位もない。ここが勝負時だ。
月が代わった十一月二日。月灯りのない暗い夜道を、灯りもつけず人影が通る。
その晩、徳陽殿西鍾下の青銅の鐘の下に宦官達は集合した。燈心のゆらめく光が一同をぼんやりと浮かび上がらせる。
孫程、王康、王国の三人に加え、黄龍、彭董、孟叔、李建、王成、張賢、史汎、馬国、王道、李元、楊侘、陳予、趙封、李剛、魏猛、苗光。合計十九人。そして興渠。
「全員揃った」
王国が言った。全員が顔見知りで、中黄門、つまり下級の宦官達である。江京から甘い汁を吸わせてもらってはおらず、締めつけだけを受けている身。
孫程が口を開いた。
「この十九人で江京を殺る」
一同は頷いた。
「知っての通り、日が暮れると中常侍どもは揃って皇太后に挨拶をしに行く。その後一旦前庭に出て休憩、歓談する。そこを狙う」
王康が尋ねた。
「その後は?皇太后の身柄を押えるか?それとも閻顯めを殺りに行くか?」
「この人数ではどちらも無理だ。まずは戻って王に践祚戴く」
その答えに興渠は頷いた。
「そして尚書台に連絡を取り、詔を書いてもらう」
尚書台には終日尚書が詰めている。夜間も誰かが待機している筈だ。
「我々はしがない中黄門でしかない。だから帝の命令で兵を動かしてもらう以外、勝ち目はない」
宦官には軍を動かす権限も才能もない。だが尚書台は皇帝の命令を伝える正規の機関である。ここを通せるかで話が違うだろう。
「尚書にはどう?」
王国が尋ねる。
「宦官が命令を届けることに慣れてるさ。だからこそ江京は斬らねば」
江京が生きていたら必ず妨害してくる。中黄門の命令と、大長秋の命令では重みが違いすぎる。
「いつ?」
「明日にでも」
「いや駄目だ。江京は休沐だ。明日はいないぞ」
王国が江京の予定を把握していた。
宮中勤めは基本的に宮殿内の宿舎に住み込み、働く。
だが、五日につき一日、休沐という休みが与えられる。家に帰って髪を洗い、身だしなみを整える為である。
「では明後日だ。日が落ちる前に南宮の崇徳殿に集まろう」
しばらく、沈黙が流れた。決めることは決まったのである。
「我ら二十人、濟陰王の御為に盟を結ぶわけだ。誓いの証として血でも歃るかね?」
王康が切り出す。いけにえを祀り、その血を皿に受け、互いに歃るのは古来からの盟約の儀式である。もちろんこの場に犠牲の牛はいない。皆の緊張を解く為、少しふざけたのだ。
「互いに盟を交わすのではない。全員が濟陰王に忠誠を誓うのだ。……そうだ、皆、単衣の袖を戴って献上しよう。忠誠の証として」
この袖は一種の割り符であり、反乱の一味である証拠でもある。
切った袖を濟陰王に渡し、袖の切られた単衣を着ることで、彼らは運命を共にすることを誓った事になる。
上質な絹でできた、ごくごく軽い袖。
十九枚の袖を重ねて渡された興渠は、その重さに両手が震えた。