第七話 オーバンへ② 渡河
ウィルキンガム宿営地を出発して八日。俺たちの眼前を流れるのは、北のカルナバック/ミウラ山系を源としてレイントン州とマグナート州の境を兼ねるキルマン川。両岸は緩やかな丘陵地帯で常緑針葉樹の森が生い茂る。川幅は目測でおよそ300メートルといったところか。川岸には先行偵察隊が立てた赤い旗が二本立って渡河点を示している。
「団長ぉ……ホンットーにここを渡るんですかぁ……?」
「偵察隊隊の連中からは上下流20キロくらいの範囲でここが一番ラクな渡河点だと報告があった。他は水深があって舟か艀が必要になるんだと。何か文句あんのかレオン?」
「別にぃ文句って訳じゃないですけどぉ、これってぇたぶんまだぁ半分くらいは雪解け水ですよぅ?せめてもーうちょい水が温む時期まで待ったほうがいいんじゃないかなーと。」
その喋り方、なんかいらっとするからやめろ。
「んなことしてたら向こうにつくのが六月終わりになっちまうだろうが!五月中に拠点建設予定地に着いて仕事を始めようと思ったらこうするしかないんだ。お前だって一度や二度の渡河作戦経験がないわけじゃないだろう?ほら脱げ、さっさと脱げ!こうか!それともこうか!うりゃ!いやいや、こっちか?こっちのほうがえ・え・の・ん・か~?」
ぐへへへへへ。あ、なんか楽しくなってきた。
「あれ、ヌシさま。何をなさいますのサ。そのやうなゴムタイはおよしになっておくんなさいましぃ~」
「…おほん。お二人とも、気はすみましたか?」
「「 はい。失礼しました。 」」
ミレーナの冷たく見える割にはじっとり&ねっとり&にらにらとした仄昏い何かを感じる視線を受け、俺たち二人は正気に返って川を渡る準備を進める。準備と言っても下帯一本になる、ただそれだけなんだけどな。
脱いだ服と靴を足下の籠に入れ、体全体を擦って温めながら「男組」の集合場所へ。あ~う゛~、五月になろうかってのにこの辺はまだ寒いな。
低木の林を抜けるとちょっとした野原があって、そこで男連中は文字通りのウォームアップの最中だ。先に言っとくが全員ふんどしいっちょ。見目麗しくないことこの上ない。このへんだけ温度が三、四度高い気がするし、湿度も高くなっているはずだ。ああ、むさ苦しい。
丸太を二本も担いでスクワットに打ち込む大熊氏獣人、川べりで水をかけあいながら集団ランニングに勤しむ犬狼氏獣人、総掛かりの鬼人族と文字通りの鬼ごっこをしてるのは遊び好きの豹虎氏や赤狐氏の獣人。
こいつらは問題ない。これでもある意味優等生だから。
気になるのはまずドワーフ連中。あいつらは……
「死ねダボがコラァッ!!」
「うるさいてめえこそ死ね!!」
…ボクシングと喧嘩とラグビーと喧嘩とレスリングと喧嘩と柔道と喧嘩と空手と喧嘩と相撲と喧嘩と喧嘩を足して足しっぱなしにしたような何かでじゃれあってるな。いつも通りだ。
「竹の子がナンボのもんじゃこのホンジナシがぁ!!」
「茸風情がデケエ面するなプリムンがぁ!!」
あ、いかん。そろそろ止めにゃ死人が出る。
「レオン、任せた。体を張って止めて来い、そ~れっ!」
「え?は?うそ?俺!?ちょっ、待っ…団長!? ぴに゛ゃぁあああああ!!」
『バントライン17年』の減るのが止んだと思ったら、今度は『ゴールド・バー18年』が減り始めたんだ。レオン、何か知らないか?
…さて、次はエルフ隊。あいつらどこ行った?
「なあ、ウォーム中にすまん。エルフのやつらはどこに行ったか知らないか?」
でっけえ木の下?んなとこで何やってんだ?んっとに……
「…ファブリツィオ、俺に何かあったときは弟たちのことを頼む。お前たちは兄のように茨と病葉の道を歩むな、と。それだけを伝えてくれ。」
「バカなこと言うもんじゃない!たとえ生まれた月日はちがっても死ぬときは一緒だと、森を出るとき神樹の前で誓ったじゃないか!」
「ファブリツィオ!…」
「ヴィットーリオ!…」
♪ タワシを~ 好きにならない~ ひとは~ いやしない~
「隊長、遺書を書き終わりました。故郷の母に届くよう、どうかお取り計らいください。それと自分のペンダントは妹に。」
「辞世、『わが骸 浮くか沈むか淵の花 御祖の杜は 夢のまた夢』…」
「皆、支度はできたか。さあ行こう、きっと川底にも天国のさぶらふぞ。」
「「「「 隊長! うっううっ…うううっ…… 」」」」
死ぬ気か。
・ ・ ・ ・ ・
ウォームアップも終わり最終点呼。目の前に居並ぶ百数十名の男たちの体から立ち上る熱気は陽炎となり、流れる汗は湯気となる。ああ、むさ苦しい。
「皆、体は温まったか!?」
「「「「 応! 」」」」
「これより眼前のキルマン川を渡る。向こうはいよいよマグナート州、俺たちの土地だ!」
「「「 うおおおおおおおおお!!! 」」」
「やっとここまできたぞー!」
「渡る前に一応聞いとくぞ。郷里や王都へ帰りたいって奴ァいるか!?」
「「「「 なし! 」」」」
「いい度胸だ。よく聞け!そもそも渡河作戦というもののはじまりを歴史書に求めると……」
「今するような話かよ団長ぉ!」
「それ間違ってるよ!」
「せっかく温めた体が冷めちまうだろ!」
「動くのやめたら意外とさみーんだよ!わかってくれよ!」
ちぇ、付き合い悪いな。
「各員、事前の打ち合わせ通りに指定の馬車に随伴し対岸に向かえ!待機している間は体を動かすのを忘れるな!川の中、白旗の立っている辺りは水深がやや深くなるから注意しろ!先頭、カティヤ小隊並びにローバット小隊!進め!」
「「「「 うおおおおおおおお!! 」」」」
男たちは三々五々分かれて待機中の馬車に付く。四半分くらいの連中は温まった体に脂を塗って体温保持の助けにするようだ。そんな男たちを笑いながら見ているのが馬車の手綱を握る女性団員たち。
「アンタらたまには根性見せな!」
「流されても助けには行けませんから頑張ってくださいね~」
「うるせえ、コッチの身にもなってみろ!」
「流されたくないのでお願いですから馬車に乗せてください!」
仲良くやれー。自分だけ逃げようとすんなー。
「行くぞ!カティヤ小隊、続け!」
「ローバット小隊、遅れを取るな!」
先陣の二小隊が川の中へ次々突っ込んでいく。騎乗のカティヤ小隊は足が水に浸かる程度だが、緊急時脱出用の丸太や角材を抱えて馬車と共に進むローバットんとこの連中は皆、腰か胸のあたりまでが水の中。川幅が広いために深さはそれほどでもなく流れも比較的緩やかなのは幸いだと思ってたが、やはり問題は水の温度か。
「おあああああああ!思ってたよりキクぅうううううう!!」
「いいか!とにかく体ァ動かせ!芯が冷えたらお終いだ!声だけでも出すんだ!」
うわぁ、寒そう。
馬車列が三分の一ほどを進んだあたりで次の連中が川の中へ。
頼むから途中で立ち往生なんかするんじゃないぞ。
―― しばらく後、対岸にて
「皆、よく乗り切ってくれた…、脱落者なし…、馬車も無事……。久しぶりの渡河だったが、まだ鈍ってはいなかったようだな……」
「「「「 …うぁ~い… 」」」」
渡る前と比べてこの覇気のなさよ。
あのドワーフ連ですら身を寄せ合ってダンゴを作り、紫色の唇でカタカタ震えてる。エルフたちは小芝居をする気力も失って虚ろな瞳で宙を見てるし、いつもは強気な豹虎氏の獣人にいたっては涙目で焚火にあたっている始末。
「タキア~ッ!ファイッ!ファイッ!ファイッ!…声出せオラッ!気合だッ!気合だッ!気合だッ!…どうしたアクセリ!?辛いか?そんな時は笑え!」
そんな中、ただ一つ威勢の良いのが犬狼氏のタキア族。前の奴の肩に手を乗せて密着縦列のランニングでわっせわっせと体を温め直している。さすが優等生。やっぱアイツら頼りになるな。いい土地を優先的にまわしてやろう。
「おまたせ~!甘酒できましたよ~。酒粕タイプのほうがいい人はレティシアたちに声かけてくださーい!」
カザリンと数人の女性団員が寸胴鍋ワゴンを押してやって来た。こんなことにもなろうかと、リベリオと相談して前もって準備していたんだ。
ウチの連中のことだから
『甘酒ェ?それより酒だ!酒持ってこーい!』
などと駄々こねするかと思ったが、どーしてどーして。皆行儀よく温かいコップを受け取っては
「いつもすまないねえ…」
「俺がこんなカラダでなかったら…」
「ありがたやありがたや。干天に慈雨とはまさにこのこと…」
なんて殊勝に礼まで言ってやがる。俺ももらいに行きたいのだが、従者二人がみしっとしがみついて震えてるから動けねえ。
「レオン~、僕うごけないから団長のと一緒に取って来て~」
「おおおお俺ももももむむむむ無理りりりり…。」
そんなに寒かったか、従者君?しかし、弱ってるとカワイイなコイツら。
「続いてお待たせッス!!甘酒の後は鍋で体の芯からぬくもるッスよ!!」
リベリオたちが引くワゴンの鍋からは濃厚な味噌の香り。
「リベリオ!すまんが後でいいから俺のとこにも三?人ぶん頼む!」
「…?ああ!りょーかいっス!もすこし待っててください!」
ヤッコはどこ行った?
「団長、お疲れさまでした。むこうでもらってきました。たしか、団長は酒粕のヤツでしたよね?」
手には甘酒のカップが四つ。立ち上る湯気が既に美味い。
「助かる。コイツらがこんなだから動くに動けなかったんだ。…そうだ。ヤッコ、持ってけ。」
【アイテムボックス】から出した蜂蜜のチューブを渡す。ヤッコへの礼なら言葉よりコレ。見たまんまだけど、大熊氏の獣人は本当に蜂蜜好きばかりだから仕方ない。
「…!あっざっーす!!…あの…団長……。他の連中にも分けてよろしいですか?」
「おう。川ん中で停まった馬車の救出も、大熊氏がいなかったらどうにもならなかっただろう。よく働いた褒美だ……もう一本持ってけ。」
立ち往生しかかる馬車が出るたびに、ヤッコたち大熊氏の獣人は丸太や角材、ロープを手に手に集まって進路を塞がないように救出してくれた。その働きに比べて褒美の品の安いのが問題だが、喜んでるんだからいいや。
「あざーす!あっざーっす!!おおおおい!団長からご褒美だってよ!」
「「「 おっほお!団長ゴチでーす! 」」」
チューブの中身を甘酒のカップににゅるにゅる落とすくまさん集団。
……甘いものもキライじゃないが、胸焼けしそうな光景だ。
「団長、おまっとさんス!リベリオ特製『肉団子のショウガ味噌鍋』ッス!」
「ああ、スマンな。レオン、ロラン、そろそろ離れろ。オマエらのもあるからとっとと食え。」
「「 うぁ~い… 」」
まずはスープを一口。出汁は鶏ガラと昆布、いいバランスでとったな。豆乳を使って三種類の味噌仕立て。ショウガを効かせてあるからこれはぬくもる。具材は鶏ダンゴと白菜、えのき、エリンギ、ねぎ、大根。おお、ダンゴのほうもショウガ入りか。ふむ、スープで炊かれてくたくたの白菜が美味い。
「唐辛子は一切使ってないス。ありゃあその場でカーッときて汗はかくスけど、結局は体を冷やすことになるッスから。」
「よく考えた。皆のぶんはあるか?もらいそこねはいないか?」
「大丈夫ス。少し多めに作りましたから。」
「じゃあ引き続き配ってやってくれ。」
「うス。…一杯目をもらってない奴はいるッスか!?おかわりは後にするッスよ!…」
ワゴンを引いて男連中の間に分け入るリベリオと入れ違いにミレーナとカティヤがやって来る。
「団長、お時間をいただいても?」
「ん、ちょっと待ってろ…」
椀の中身を一気にかっこむ。
?
ああ、従者はムリしなくていい。ゆっくり食ってろ。
さて、何かあったか?
「今日のこの後の予定ですが…」
「そのことか。脱落も立ち往生も出なかったから、時間に余裕はあるんだろう?」
「はい、かなり。」
「それなら食事後すぐに支度をして先行隊の作った野営地まで移動しよう。着いたら少しだけだが酒を配ってねぎらいとする。」
「はい。ならば甘物も是非。」
「承知。……ところでミレーナ。」
「はい?」
「オマエの言う通りにしたが、これで良かったか?」
「ええ。いくら開拓者とは言え、最低限の身だしなみに気を付ける習慣は持たねばなりません。宿営地を発ってからこのかた、特に男性は行水すらしないものですからそれなりの臭いが……」
軍にいた頃は割と普通だったんだけどな。
今となっちゃ昔の話か。
「まあ、折角の領地入りの前に身を浄めることができたんだ。いいアイデアだったと思う。礼を言う。」
「ありがとうございます。では後ほど。カティヤ、男性陣がヨゴレモノを再び着ないように指導してまわりましょう。」
「はい!」
立ち去る後姿が小さくなり、声も届かないくらいになったのを見計らってレオンとロランが口を開く。
「俺らが行水も洗濯も、汗拭きすらロクにできなかったのって……」
「それ用の水のストックを女性に最優先でまわしてたからだったと思うんですけど……」
オマエ達が言いたいこともわかる。
だけどな、あの場ではああ言うのが正解なんだ。
「たそがれ」も同時更新の予定だったのですが、台風の後始末が……
勢力が弱まっていったとは言っても台風は台風。
950hPa位だとそれなりのダメージは何かとあるもんですよ。
皆様もお気をつけて & 今日は後始末だという方にはお疲れさまです、と。