第一話 よそのけ開拓団、王都を後にして新天地へ向かう
―― 駐屯地を発つ日は、夜明け前まで霧雨が降っていた。
一切の私物は執務室から昨日のうちにまとめて運び出され、今は馬車の荷台で防水帆布に包まれている。わずかばかりの荷物がなくなっただけで妙に広く感じられる部屋でソファに座って天井を眺めながら煙草を呑んでいると、清掃を終えた姉さん被りの少年がコーヒーを持ってきた。
「連隊長、せっかく掃除をしたんですから灰を落とさないようにしてくださいよ?最後、怒られんの俺なんですから。」
この小僧は初めて顔を合わせた時から、こんな風に階級だの何だのを無視してずけずけとものを言い続けてきた。もっとも、それが面白いからこうして傍に置いている訳だが。
「ああ、気をつける。それと…」
「それと?」
「元連隊長な。今日からは『団長』だ。お前の身分も従卒じゃなくて領主たる男爵様の『従者』。忘れたか?」
「たいへん失礼をいたしました、ご領主男爵団長サマ。」
「……団長、でいい。」
灰皿で煙草を揉み消してカップに口をつける。フルシティローストのちょい熱。うん、美味い。
初めの頃はカップに泥湯を入れてサーブしていた獣人族の少年は、いつの間にか人の好みに合わせた最適の淹れ方ができるまでに成長していた。
よろしい、俺の名で「カフェ男子二段」の称号を授ける。だが残念だな。その容貌でこれだけのコーヒーを淹れられるのなら、日本じゃ大人気カフェのオーナーだろうに。
「…この部屋を使うことはあんまりなかったですけど、いざ出て行くとなったら惜しい気持ちにもなりますね。」
「なんだよ、惜しけりゃ残ってもいいんだぞレオン?」
「じょーだん。次の住人はあのマシェフスキーですよ?アイツの顔見て過ごすくらいなら、貧乏長屋に戻って棒手振りでもしてる方がナンボかマシですよ。」
離宮からも烽火が見えるような状況になってさえ「真種」人間族のみの部隊編成に拘り続け、獣人やその他の諸部族の力を借りようとしなかったとかいう伝説のビア樽だからな。もし軍に残ることを選択すれば、この有能な兵士の今後の昇進の道は断たれたも同然か。
少年は卓の上に腰かけて、不満げな表情で言葉を続ける。
「ただ、あんなのがこの部屋で『司令』なんて呼ばれながらふんぞり返ってる姿を想像したら、そんな気持ちにもなりますって。」
「…あんなのでも一応は王家の血筋で、三十何番目だかの継承権まであるそうだからなあ。戦闘の実績はともかくとして、一軍を率いて参戦したという事実がある以上は何らかのご褒美が必要だったんだろう。」
「明らかに、ご褒美の貰いすぎですよ…」
どうにも納得のいかない風の我が従者君だが、勅でそのようにせよとのお達しなのだから仕方がないだろう。
「ま、連中がこの先どんな目にあうか、俺たちは気にせず鼻ホジで見てりゃいい。【邪帝】を討ち果たして明確な共通の敵はいなくなった、となりゃ今度は王都あたりを舞台に幾つもの勢力が覇を争う時代になるのはどこの世界でもお約束だ。後はオマエラだけで勝手にやってろ、てな。俺たちは俺たちの好きにする。そう決めたろう?」
立ち上がって少年の肩に手を置くと、上目遣いの悪戯っぽい笑みをこちらに向けて来た。
「やっぱり異世界人、最後の最後で意地が悪い。」
「おう。だから非真種人集団の頭目なんて仕事が務まったんだ。さて、最後のコーヒーも飲んだことだし、くされビア樽の面ァ拝む前にとっとと出発しちまうか。レオン、予定にゃちと早いがビョルンを呼んでくれ。」
「はっ。……それでは団長、灰皿とカップの始末はご自分で頼んます!」
「へいへい。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
歴戦の勇士の行進といえば道の両側を埋め尽くす大観衆と賛美の歓声、喇叭や鼓笛の勇ましい響きがつきものだろう。だが、今の俺たちにそんなものはない。それも当然といえば当然、仕方がないといえば仕方がない話だ。
まず、俺たちは既に王立軍の人間ではない。昨日の昼に軍旗を返納して部隊は解散。ほぼすべての者が役を解かれて襟と肩、胸から階級章や部隊章が外された。俺たちは予備役に編入されることもなく、常人の集団となった。
しかもその集団の八割を占めるのは、この国で「非真種」と呼ばれ忌避される獣人、鬼人、エルフ、ドワーフで、残りの二割も「真種」人間族とはいえ、貴族だの有産市民だのとは全く無縁の下層階級出身の者ばかり。おまけにその常人の集団を率いるこの俺は、今や王国にとって用無しになった「異世界人」ときた。
よそものとのけものの集団に、この国の上層部は興味ないらしい。。
しかし幸いなこともある。
状況を考えれば悲惨ではあるのだろうが、このよそのけ集団に悲壮感のようなものはない。営庭に整列する戦友たちを馬上から見渡せば、誰の顔にも屈託のない笑いがあり、何かをやり遂げた満足感と何かをやってやろうという高揚感があたりを包んでいる。
兵舎から出てくる人の列が途切れる頃、残務処理と引き継ぎのため更に二週間ほどを軍人としてここで過ごさねばならないミレーナ・シルキア大尉が見送りに出てきた。「非真種」ながら大尉任官最年少タイ記録を持つ、鬼人族の優秀な女性将校だ。
「仕事が終わったら身辺整理をすませてなるべく早くこちらを発ちます。どんなに遅くとも四月末までには落ち合えるのではないかと。」
「無理はするな。こっちはお荷物と大荷物を抱えての大移動だ、予定より遅れることはあっても早まることはない。焦る必要はないから、とりあえずは無事に合流することを第一に考えてくれ。それよりも、手間をかけさせるが残務と引き継ぎの件、よろしく頼む。」
「ご心配なく。殿は慣れてますから。」
「すまんな。」
「いえ。それでは道中御無事で。」
「おう。んじゃ、先に行ってる。体に気をつけろ。」
昨日の朝までとは違う、少しだらしなく整列した集団の前まで馬を進ませると、旅支度に身を包んだビョルン・ノルトランデル元・中佐が左足をやや引き摺りながら近寄ってきた。
「すぐにでも出発できます。いつものように、一発カマシますか?」
「ん?ああ……聞け!出発前の点呼だ!いねえヤツは返事しろ!!」
またか、みたいなあきれ顔を俺に向けてため息をつく元・第808連隊の面々。なんだよ、お約束みたいなもんじゃねえか。
「最後にもういっぺんだけ聞いとくぞ!オマエら本当に俺についてくるんだな!?」
「「「「「 応!! 」」」」」
「これから先、身の安全の保障はできんぞ。途中で死んだとしても、まともに弔ってやれるかどうかもわからん!俺が約束できるのは命の危険、過酷な生活、いつ果てるとも知れぬ苦労、そして流れる血と汗だけだ!」
「しつもーん!そりゃ、今までと一体何がちがうんで?」
手を挙げて豹虎氏獣人族の女性兵士が大声で叫ぶ。
沸き起こる笑い。笑い。笑い。
「……今までと違うのは、『テメエの判断でいつケツまくっても処分はされない』ってことだけだ。だが同じケツまくるなら早いほうがいい。今この列を抜けたとしても咎める者はないし、それで何かをひっかぶらにゃならなくなる訳でもない。昨日言った通りだ、俺に義理立てすることなく自由に抜けてくれて構わん。追ったり引き留めたりはせん!」
沈黙。沈黙。不動。
「……どうにも物好きな連中ばっか集まっちまったな……」
「アタマが物好きで変わりモンなんだから、仕方がないんじゃねえですかい!?」
顔こそよくは見えないが、声でわかる。双斧を使う片目のドワーフだ。
再び沸き起こる笑い。笑い。笑い。
「後悔すんなよ?つか後悔する前にせいぜい逃げるこったな。
よし!それでは最右翼列より順次、マグナート州に向けて、出発!!」
「「「「「 応!!! 」」」」」
馬に乗った二人の元士官の指揮先導で四、五人程度が一組となって馬車に乗りこみ、駐屯地の門をくぐって西方街道に向かう。気をつけろ、事故なんか起こすんじゃねえぞ。
「ビョルン、その体で大丈夫か?なんならこの馬を貸すが?」
「いえ、幌馬車に寝床を作らせてもらいました。目的地に着くまでは、養生しながらのんびり過ごさせてもらいます。」
「そうか。どうにも具合が悪くなったらすぐ言え。」
「ご心配くださるんで?」
「一番つきあいの長い部下……いや、もう家臣と呼ぶべきか?だからもし捨て置くのなら、介錯だの止め刺しだのは俺の手でやるのがスジだろう?」
「……ひっでえ鬼領主もいたもんだ……」
「何か言ったか?」
「別に……」
背を向けて歩いていく会心の友。
いや、感謝してるんだぞ?オマエがいたからここまで皆がまとまったようなもんだ。部下だとか家臣だとかではなく本当に俺の友人、相棒だと思ってるんだ。だからこそ、もしもの時にケリをつけるのは他の誰でもない俺の役割だ、というのを軽い冗談として……
「…わかってますよ、それくらい。」
「何も言ってないぞ?」
「おや、そうでしたかね…」
・ ・ ・ ・ ・
続々と列をなす馬車を少しぼうっとして見ていると、伝令役として先導組に付けたもう一人の少年従者であるロランが駆け寄ってきた。
「ハァ…ハァ…連隊ちょ……じゃなかった…団長、おこし願えますか。アハティラさんが至急、なるべく静かに、と。」
少年の手を引いて後ろに乗せ、馬を速歩で進ませて隊列の前方に向かう。道の傍らの小さな広場に着くと犬狼氏獣人族の女性、カティヤ・アハティラ元・少尉が馬から下りて待っていた。
「カティヤ、どうした?」
「団長、あの丘を……」
指さす先に目をやると、小さな丘の上に一台の真白い瀟洒な馬車が停まっているのが見える。周囲には十騎ばかりの護衛の騎士と、黒馬に跨る鎧姿の美丈夫一人。
「ゲール将軍です。それにあの馬車は確か……」
「五の姫御子、エレクトラ殿下だ。」
馬を下り手綱をロランに渡して跪礼の姿勢をとった後に顔を上げると、くそイケメンがいったん右手を挙げてから下ろすのが目に入る。
「忍びゆえ、礼儀無用」の合図だ。
国内に二つとない、四頭立ての洒落た超高級四輪馬車に護衛の騎士隊と【破邪の大将軍】を従えてお忍びもクソもあったもんじゃないだろうと思うが、まあ、そこはそれ。あのおひいさまだからしょうがねえか。
「お忍びだから気にするなとの仰せだ。カティヤ、引き続き指揮を頼む。」
「はっ。でも……いいんですか?」
「何が?」
「今後の移動に関して殿下の所領を中継宿営地に使わせて貰うんでしょう?直接お会いしてお礼を言ったほうがいいんじゃないかと……」
「それがスジなんだろうけどな。アチラは救世の英雄にあらせられる【破邪大将軍】を自陣に加えて、王国で三人目の女王になろうかという道筋の見えたお方、こっちは夜逃げみてえに都落ちするよそ・のけ集団だぞ。下手に接近して向こうさんにケチをつけることはできん。『無視しろ』って言ってるんだから、気にせず自分の仕事をしてりゃいい。」
「わかりました。アハティラ、任に戻ります。」
「おう。あ、それと…」
「?」
「俺たちはもう軍隊じゃないんだから、そんなに堅苦しくやらなくていい。気楽にやろう、な?」
馬に跨ってもう一度丘の上を見る。
じゃあな姫さん、大将軍閣下。
協力感謝する。
しばしの別れだ。
アンタたちも上手くやれよ?
ダメだったら、いつでも俺たちのところに来い。
多少不便でもいいのなら、いくらでも場所を作ってやる。
―― 霧雨に濡れた街道には、百輌を超える馬車の通った轍が刻まれていた。
[ 王都新報 3月第2週版 一面 ]
去る三月二日午前、【六英雄の師】【中天の普賢】ことロン・イー・ランゲン男爵(元・王立軍上級大佐)が前日に解隊した第808連隊の元兵士から成る開拓団を引き連れ、昨年拝領したマグナート州オーバンへ出発していたことが軍関係者への取材で明らかになった。またこれに連動して王都周辺に建設された非真種諸部族難民キャンプの一部で撤収・移動の動きが始まりつつあり、【邪帝】侵攻以来王都の民を悩ませ続けてきた諸問題も解決の方向に向かうのではないかと期待する声もあがっている。
前出の軍関係者によると、開拓団の一行はエレクトラ第五王女殿下の所領であるレイントン州ウィルキンガムで休養・補給した後にマグナート州に入り、五月ごろから本格的にオーバンの開拓事業を始める予定とのことである。
また、これまで第808連隊が拠点としていたコルトレーン駐屯地にはウラジミル・スタニスラヴォヴィチ・マシェフスキー少将が3000名の兵士を率いて新司令として着任したとのことである。
[ 王都新報 4月第2週版 一面 ]
三月二日に王都を出発し、マグナート州へ向かっていたランゲン男爵率いる開拓団がウィルキンガムに到着したことを第五王女殿下の秘書室が発表した。道中幾度も魔獣や盗賊の襲撃を受けたものの、一行は難なくこれらを駆逐激攘し革や肉、爪牙などの素材を手土産とばかりにウィルキンガムの領民に配って親交を結んだとのことである。
彼らは二週間程度の休養をとった後に補給を行い、四月下旬までには本隊第一陣がオーバンへ向け出発する予定とのことである。