前編
修正版です。
「Extra.」はシリーズとして扱うことに致します。
下水が黙々と暗闇を流れていく。
その最中に一筋の光が見いだされた。マンホールの蓋が開いたのだ。
防具を来た人間たちが続々と降りてくる。甲冑と一体になったガスマスク。
甲冑には正円に十字のひかれた〈神秘隊〉の象徴が刻まれている。
甲冑達は両手剣だとか、錫杖と盾だとか、長槍だとか、機関銃だとか、それぞれが物騒な武器を背負っていて、いかにも重い。
そして、彼らは闇の中であっても、白く、ほのかに明るかった。
梯子を伝って、一人また一人と下水道に降り立ち、甲冑を下水に汚す。
彼らのうち、最後の一人、槍を背負った男が梯子の半ばに足をかけたとき、腐った足場が脆くも崩れた。
『おーい。少し離れてくれ』
長槍の、壮年の声が全員の脳内に響く。下に降り立った三体の甲冑が梯子から距離をとる。下を確認すると彼は、梯子からマンホールの底へと豪快に着陸した。
彼らの装備は非常に重い。甲冑は強化外骨格だが、装者への保護が薄い特殊仕様。
ばしゃっ
立ち上がる水面とともに骨の折れる音がした。
だが、甲冑から数多の触手が伸びて、装者の身体を癒していく。
「神に愛されている……」
機関銃を背負った男が悔しそうに呟いた。
嫉妬を後目に、両手剣を背負った女が通信を介して言う。
『行くぞ』
それを合図にして、甲冑たちは底の細い馬蹄菅の中に潜っていった。
馬蹄菅の中は狭く暗い。彼らは、暗視装置によって視界を確保していた。
行き先は視覚に直接投影されるHUDによって示されている。
始めの分岐に来た。馬蹄管の合流部。大きな本流だ。
頭上からは外の光が漏れ、外を行き交う車の音と、その影が通過する。本流の水位は深いが、両端に歩道があるため進行は妨げられない。
『神の川だ。邪な心を持ち込まないように』錫杖は警告する。
彼らは流れる下水の前で跪き、先頭の両手剣の女は唱える。
「無謬なる祖母よ。我ら信徒を受け入れたまえ」
川は淡々と汚物を運び続ける。
彼らは祈祷を終えて立ち上がった。行き先は向かって右側。この暗渠の下流の方向だ。
暗闇の中に死体が一つあった。
「酷いな」
錫杖が呟く。
壁に背を預ける死体は酷いありさまだった。強化外骨格は食い破られて、どす黒い血と、かき混ぜられた内臓が大気に晒されていた。極めつきは捩じ切られた首で、辺りに頭部はない。
長槍が言う。
『まだ新しいぜ。一晩も経ってない』
強化外骨格の表面には刻印された幾何学模様の稲穂のロゴ。
『これ、〈イブ〉のやつらのだ。狩場はかなり遠いはずだが……』
両手剣はガスマスクの下で複雑な表情をして呟いた。
『迷いこんだか、聖域を冒しに来たか。いずれにせよ、然るべき罰が下ったのだろう』
機関銃が言った。その口調は淡々としている。
『ネーゲル……』
機関銃のネーゲレフは応えない。両手剣が黙り込む。流れる水の音に、依然変化はない。
『おい、よく見ろ。こいつ背骨が無い』
死体を見分していた錫杖が言う。
死体からは背骨が巧妙に抜き取られていた。よく見れば、死体は軟体のようにぐにゃりと曲がっており、潰れた首からは肉片が溢れていた。
ここから先は、ずっと暗闇が続く。視覚に繋がれた暗視装置が、その優秀さを発揮するのだ。
長大な円筒形の管。この流れは、かなり長い。視界の果てまで見えるのは、大きな川と無機質な通路。そして、この円筒管に合流する下水管の小規模な穴。
神の川。彼らは自らの信仰の根幹に足を踏み入れた。
地を這う樹木が異形を貫く。枝分かれする魔法の樹木は、異形の身体の中を這いまわりながら代謝中枢を破壊する。
まるで尾のような凶悪な触腕を掲げる黒い昆虫は、朽ちていく樹木の屑を身体中から発散させながら、触腕を下水へと投げ出した。
錫杖の放った異質術は〈神枝〉。コンクリートの一部を急速に成長する樹木へと変質させ、その連鎖反応で対象を貫く。神秘隊が主に扱う異質術の一つである。
まだ、ピクリピクリと動いているのを、長槍が銀に光る槍でとどめを刺す。
錫杖が下水に伸びた触腕を引っ張り上げる。大人の背丈ほどのそれは先端に片刃を備え、切り裂くのに適していた。
それから腰の鞘から短刀を取り出して、錫杖は異形を解体し始めた。
黒い甲殻と甲殻の隙間に刃を差し入れて強引に引き剥がす。その作業は暫く続いて、触腕の凶悪な先端が解体された。
昆虫の本体を引っくり返しながら錫杖は言う。
『こいつじゃあないな』
この虫には口器が無かった。
それからは淡々とした作業となった。先ほどの昆虫の様な異形は、かなりの数がいるようで、発見次第報告、撃滅。錫杖と機関銃は多忙になった。
バッテリーと銃弾は潤沢にあった。
長い通路を終えたあたりで、HUDの道案内は視界の外へ消えていた。
下水の奥深く、光はさらに小さく仄暗い水がますます黒い。
機関銃が小型のドローンを飛ばして地形データを入手する。共有されたデータを見て両手剣が指示を出す。
『この井戸はかなり深い。落ちるなよ』
彼らは共有されたデータを知覚に表示した。それは、暗い視界に重ね合わされるように表示され、都市に埋没する奇怪な大構造が露になる。
遥か下方へと伸びる巨大な井戸。井戸の中を無数に埋め尽くす大小さまざまなパイプ。重ね合わされた都市構造の残骸。
そして、汚水の滝。先ほどの暗渠の水は、すべてここに流れ落ちているのだ。
下降を開始する。
それぞれがアンカーを地面へと埋め込んで、その命綱を頼りに下っていく。
壁面は圧縮されたビルだったもの。
目指す地点は井戸を這う巨大なパイプ。パイプは井戸の曲面に沿ってとぐろを巻きながら、遥か下へと続いている。
降下はしばらく続いて、巨大なパイプに全員が降り立った。ゆるやかな曲面。パイプの端はゆるやかに暗闇に吸い込まれて、暗く満ち満ちた井戸の暗黒が落下の恐怖を誘う。
彼らは先程まで自分を留めていたアンカーに指示を出す。アンカーは、自ら埋め込まれた地面から這い出すと、次々と自由落下を開始する。彼らは空中で命綱を巻き取りながらドローンへと変態し、プロペラによる揚力で落下速度を落としながら強化外骨格へと帰投した。
“崇拝すべき川とは、その原始と、終端で一体である。その終端は神ですら知らず、それは死者だけが知っている。”
“死者たるならば、終端を目指し給え。その終端を知るものは同様に死者である。”
管の表面はほのかに熱く、そしてパイプというには人工感の無い、なめらかな材質をしている。
「はあ」
錫杖のため息。
『なあ、俺たち、本当に来ちまったんだなあ』
錫杖は気の抜けたように呟く。
部隊に漂う現実感の無さ。
『ああ』
両手剣は肯定した。
先程の恐怖はどこに行ったのだろう。あんな死体を見たというのに。
彼らに補給は要らなかった。それは彼らが、これから“死に征く”ためであり、長期の食料接種を必要としない神秘的改造人間のためでもある。
12時間後・・・
最下層。大井戸の中でとぐろを巻いていたパイプは地面に埋まっていた。ここは緩やかな坂道になっていて、汚水の滝壺とその先へ流れる水の音が聞こえている。
視界はますます暗く、彼らは、甲冑からわずかに伸びるライトの光と、ソナーによって感知された地形によって知覚を確保していた。
……頭が痛い。
頭痛は酷くなる一方だった。錫杖は甲冑の下で顔をしかめる。
なんだこの感触は? 頭と身体が追従しない。
錫杖は背骨に違和を感じた。皮膚の下で虫が蠢くような。
変化は、急速に訪れた。
甲冑がいびつな音を上げる。聞いたことも無い、カリカリと内側から叩く音。
初めに異変に気づいたのは長槍だった。
『おい』
ぐちゃり
「おお、おおおおおお、おおおおおおおおお」
錫杖は異様な声を甲冑内でくぐもらせる。
人でないように暴れる腕が兜を捉える。
両手剣は焦りながら問い詰める。
『何だ!? イマルフ? 何があった!』
『天啓だ! 天啓が降りたのですよ! 聖職者にとってこれほど喜ばしいことはない!』
はははははははは
暴れる腕が、ガスマスクを取り外すために金具を取り外し始める。
『馬鹿野郎! こんなところでマスクを外したら死ぬぞ!』
機関銃が錫杖の兜を抑える。
この場には有毒なガスが沈殿している。ガスマスクを外せば、卒倒することは避けられない。
錫杖の腕は、まるで骨がなくなったかのようにのたうち回る。
そして、変化はあっけなく露呈した。
金具は外れるまでもなく、その殆どが破損して飛び散った。
機関銃は兜が外れた衝撃で投げ飛ばされる。
誰かのライトがその正体を照らした。
血みどろの骨と、血走った目の頭部、奇怪に歪んだ老人の顔貌。
一瞬だけでも吐き気を催すそれは、錫杖のイマルフの頭部と脊髄そのものだった。
"それ"はライトの視野から瞬時に外れる。
それは恐らく、飛んでいた。
有毒なガスをものともせず空を飛行し、どこかへ消えた。
残された三人は、それを放心しながら理解していた。