姫の奴隷で幸せです
パリーンッ!
ガラスが割れる音が廊下中に響き渡る。
何事かと確認しに行くと、そこには割れた花瓶と、その花瓶を割ってしまった男が二人、顔を青くして立ち尽くしていた。
俺に気付いた一人の男はニヤリと笑うと、俺を床に押し倒して踏みつにし、城中に聞かせるかのように怒鳴りだした。
「てめぇ! 王女様の大切な花瓶を割りやがったな! 陶器を扱う時は注意しろとあれほど言ってやったのに!」
「え? は!?」
突然のことに動揺を隠せないでいると、
「……何事なの?」
いつの間にか俺たちの主人が目の前に立っていた。
「おお王女様、こちらをご覧下さい! この男、またやらかしました! 王女様の大切な花瓶をこんな!」
もう一人の男も示し合わせたかのように語り出した。
「待って下さ……」
「うるせぇ! おめぇ王女様の前で言い訳するつもりか!?」
くそ……釈明させないつもりだ。
何とかしようと主人の顔を見上げると、肝心の主人はプイと目を逸らし、顔を赤くして怒っている。
「もういい、この者には任せられないから、貴方たちが後片付けをやりなさい」
そう告げると主人はそそくさと去っていった。
「……ふぅ、危ねぇ。ったく、あの女は相変わらず鈍いな」
主人が立ち去ったのを確認した男たちは肩を撫で下ろす。
「おら、早く片付けろよ」
俺を踏みつける足に力を込めながら偉そうに命令してくる。
「……くそ」
悔しいがこれ以上騒ぎを起こしたくない俺は、渋々割れた花瓶の後始末をした。
「こいつ本当に文句言ってこねぇんだな」
「ちっ、逆に気色わりーな。こんなんのどこがいいんだか」
男たちは俺を侮蔑しながら去っていった。
俺はハル。
今年17歳になったどこにでもいる普通の……
……奴隷だ。
ここはハルジオン王国の中心地、
ハルジオン城のとある一角。
この区画の主人は王国第三王女リリーナ姫。
今年16になるこの少女は俺たちの主人でもある。
背はあまり高くない。
150くらいと小柄で、少し幼さの残る可愛らしい顔に大きな真紅の瞳。
真っ赤なショートヘアは毛先が外に跳ね、可愛らしさと活発さを併せ持っている。
家が裕福であることを民衆に知らしめるため、貴族の女性は長い髪を綺麗に整えるのが慣わしである中、姫様はそういった貴族の風習を嫌い自分好みの髪型を貫いている。
そんな気取らない姫様は、街で不当な扱いを受ける奴隷を見かけると、あろうことか身銭を切って買い取る。
領主の元で人としての扱いを受けていなかった俺を救い出して下さったのも姫様だった。
姫様は俺たち奴隷にも一般人と同様に接してくれる。
衣服や食べるものも。
そんな姫様が周囲から変わり者だと言われるのは想像に容易い。
でも……
でも俺は……
そんな姫様が好きで好きでたまらなかった。
奴隷として姫様にお仕えできることに幸福を感じているくらいだ。
ただ、姫様は俺のことを嫌っているみたいだけど。
さっきみたいに目が合うと、顔を赤くして怖い顔をするし、
すぐに目を逸らされるし、
いつも監視されているかのような視線を感じる。
とても好かれているとは思えない。
さらに俺の恋路を邪魔したいのか、他の奴隷たちはさっきみたいに自分のミスを押し付けて陥れようとしてくる。
ただでさえ嫌われているのに……
「ハル、いい加減気付けよ。あのお姫様はお前が思ってるほどいい女じゃねぇ。俺たち奴隷にいい服を着せるのも、自分の周りに汚らしい者がいると見栄えが悪いからだ」
奴隷仲間のカナタが仕事中にも関わらず、馬鹿にしたような顔で俺に話しかけてきた。
「そうだぞ。たとえ気に入られていても、どうせ捨てられるだけだぞ」
同じく奴隷仲間のダンも肩を組むようにして俺に絡む。
「おい、サボってんのバレたらヤバいだろ」
「大丈夫だって。ここのお姫様はお優しいからよ」
カナタたちに釘を刺すが、どうやら完全に姫様を舐めきっているようだ。
「カナタはお前だけ成功するのが癪だから言ってるだけだが、俺はお前を心配してるんだぞ? ミスなく真面目に仕事をこなしていれば、数年で市民権を与えられて解放される。変な夢を見るより絶対にこっちの方がいいぞ」
「ばっ、ダンお前何言ってんだよ。俺は現実の話をしてるんだ。ハルもさっきみたいなアホどもにいいようにされてねぇで、さっさと目覚まして諦めな。そもそも身分が違いすぎる、王女と奴隷なんだ」
カナタとダンはニヤニヤと笑いながら俺をからかう。
だが、そう考えるのが普通だ。
「分かってるよ。姫様には俺なんかは不釣り合いだって」
そう……そんなこと言われなくても分かってるんだ。
でも、俺は姫様のことしか考えられない。
俺が他の奴らのミスを押し付けられても文句を言わないのは、ここでの仕事を完璧にこなしてしまうとすぐに解放されてしまうかもしれないからだ。
たとえいつかは捨てられてしまうとしても、せめてそれまでは姫様のそばでお仕えしたい。
いつもそう心に誓っているのだから。
――リリーナ姫――
「緊急! 緊急! 姫様、至急国王陛下の元へおいで下さい!」
なんだろ?
こんな急な呼び出し。
またアタシの髪型とか奴隷解放のことを叱るつもりかな?
アタシはため息を吐きながら急足で王座へと向かう。
「お待たせしました、陛下」
「おおリリーナ、来たか」
アタシは父である王国陛下の前で膝をつき挨拶を済ませる。
陛下は何やらとても慌てた様子でいる。
「緊急事態じゃ。隣国からあのタルコット将軍が侵攻中との報せが入ったのじゃ」
「んな!?」
タルコット将軍と言えば、隣国最強の戦士と謳われている男。
「タルコット軍の軍勢は約2万人。対するこちらの残兵は……1万を切っています」
陛下の側近の男が声弱々しく説明する。
「マリンもルナもそれぞれ軍を率いて他の戦地へ赴いておる。今から帰城したとしても間に合わぬ」
アタシたちハルジオンにも彼に並ぶ名声を誇る騎士が2人いる。
姉であるマリン第一王女、ルナ第二王女のことだ。
「お二人の不在を狙っての侵攻、何て卑劣な男だ」
陛下も側近たちも嘆いている。
「リリーナよ、急ぎ戦の準備を整えよ。あの男を王都まで進軍させてはならぬ。せめて姉たちが戻るまで、何としてもお主が奴を食い止めるのじゃ」
「し、しかし陛下! アタ……私はまだ軍の指揮を取った経験がありません! そんな大役が務まるとは……」
「リリーナ殿下、国王陛下の命は絶対です。早急に取り掛かりなさい」
「陛下待ってください! 陛下!……お父様!」
目も合わせず王座を後にしようとする陛下に嘆願するが、すぐに側近たちに取り押さえられてしまう。
「殿下、陛下のお心もご理解ください。貴方様しかいないのです。陛下も断腸の思いでの決断なのです」
側近たちは憐憫の目を向けつつもアタシを諌め、王座の間から退室させた。
「どうしよう……姉様たちが大半の軍を率いてしまっている。城に残る兵は1万弱。どう考えても足りない……」
不安と絶望に押し潰されそうになりながらも、アタシは兵と自分の部下たちを率いて戦地へと赴くのだった。
――ハル――
「ぎゃああああ!」
「おい、やべぇぞ! また一人やられた!」
殺伐とした戦場に仲間の悲鳴が響き渡る。
俺たちはそんな戦場で何故か武器を持たされていた。
「クソ国王め! 人が足りないからって俺たちみたいな素人を送り込みやがって!」
隣でカナタが絶叫している。
「そんなこと言ってないで生き残ることを考えろ!」
「そうだぞカナタ!」
俺は仲間を鼓舞しつつ、命かながら戦っていた。
まさに多勢に無勢、戦況は非常に悪い。
どうして数で劣るハルジオン軍がこんな何もない開けた草原で敵を迎え撃ってるんだ?
せめて囲まれないような場所を選んだりするだろ!?
文句を言っても仕方がないとは思いつつも、皆どこかでそう思っているようだった。
「もうダメだ! こんな負け戦に付き合ってられるか!」
「全くだ! 経験のない姫様の指揮じゃ軍がまとまらない!」
あまりの劣勢に兵たちは逃げ始める。
「兵どもが逃げやがった! こうなったら俺たちも逃げるぞ!」
カナタが俺とダンに声をかける。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
俺は逃げ出そうとしていた近くの兵を呼び止めた。
「指揮したことがない姫ってどういうことだ!?」
「なんだ知らないのか!? 第一王女、第二王女が不在のため、今回の指揮を第三王女が取ってるだよ! 兵法のイロハを知らない素人だ! こんなところで命をかけられるか!」
そう言って俺の手を振り払い、兵は逃げ去ってしまった。
「そんな……姫様が……」
――リリーナ姫――
「これはこれは……第三王女殿下とお見受けする」
部下の悲鳴と共に現れたのは、頑丈そうな鎧で身を固めた男だった。
「くっ、アンタ何者だ!?」
聞かなくても何となく分かっていた。
堂々とした風貌。
「お初にお目にかかる。オレはタルコット……」
「貴様がタルコットか! 王女たち不在のタイミングで攻めてくるとは卑怯な男だ!」
部下の一人がそう叫びながら飛びかかった。
ぶしゃあああ!
タルコットの肩に担がれていた大剣が横に薙ぎ払われ、部下は一瞬で真っ二つにされてしまった。
「挨拶の途中だろ。邪魔すんじゃねぇよ。だがその通り、あの王女たちがいない今を狙ってやってきた。その方が楽だからな」
下劣な顔で笑いながら語るタルコット。
「くっそぉぉぉ!!」
悲鳴を上げながら次々と部下たちが挑むが、皆一瞬で斬り伏せられていく。
「ハハハッ! 楽勝すぎてあくびが出そうだ」
「や、やめて! もうやめて!」
アタシはタルコットに挑もうとする部下たちを静止させる。
「ハハッ! 何だ? お前がオレの相手をしてくれるのか? オレはガキ相手でも容赦はしねぇぞ?」
タルコットは醜い顔でアタシを嬲るように睨みつける。
「調子に乗んな! 無限火球!」
無数に生み出された拳大の火の玉が全てをタルコットに向けて放たれ、タルコットを炎の渦に閉じ込めた。
が、
「ハハッ! そんな魔法が通用するか!」
叫び声と共に炎が一瞬でかき消される。
「……そ、そんな……無傷」
「オレは王より魔法耐性を持つ鎧を授かってる! この程度の魔法痛くも痒くもねぇ!」
「うぐっ!」
タルコットの大剣を自分の剣で受けたアタシは、力及ばず横に薙ぎ倒され、そのままうずくまってしまう。
「おいおい、もう終わりか!? まさか今ので腕でも折れちまったのか!?」
アタシを嘲笑うかのように見下すタルコット。
つ、強い……アタシや部下では敵わない。
悔しいけど、これ以上皆に血を流させるわけにはいかない。
「……降伏します……アタシの命一つで許して。他の者は見逃して」
「ハハッ! 捕虜になるのか? 楽しみだなぁ、こんな小さな姫様で遊ぶのは! 奴隷にしてオレの世話をさせるか? 貧民街に裸で捨てるのも面白そうだ!」
もう、ここまでだ…… 悔しくて涙が止まらない。
下卑た笑い顔で近づくタルコット。
痛みと悔し涙で視界が霞む。
ああ……
最後にもう一度だけ、あの人に会いたかった。
子供の頃、森で迷子になったアタシを助けてくれた男の子。
自分勝手で危険を犯したアタシを、王女であるアタシを誰も怒れない中、唯一、初めて、そして真剣に叱ってくれた。
あの人はそんなこと覚えてなかったみたいだけど。
あの日から一度たりとも彼のことを忘れたことはなかった。
奴隷の買い取りなんかをやったのも、髪型をあの時から変えなかったのも、全部……
最後に……もう一度……
「姫様!!!!」
「ぐっ! 何だお前は!?」
タルコットの手がかかる瞬間、一人の男が飛び出してきた。
「お前のような汚れた男には、もう指一本たりとも触れさせない!」
アタシの前に立つその背中はとても大きく輝いて見えた。
ゆ、夢……なの?
「俺は姫様の忠実な奴隷であり、姫様を守る騎士だ!」
そう叫びながら目の前の男はタルコットに剣を向けた。
……ハル!
――ハル――
間一髪!
間に合ってよかった!
「早く! 姫様を守ってください!」
周りで呆気に取られていた数人の部下に大声で指示を出す。
「オレの前で余所見とはいい度胸だ!」
がぎぃぃぃん!!
「な、なに!?」
勢いよく頭へと振り下ろされた大剣を、俺は鞘に入った状態の剣で受け止めた。
「俺は周囲の魔力を感知・視認することができる! お前のような鈍間の動きなんて手に取るように分かる!」
「何を馬鹿なことを! 死ねぇ!」
タルコット将軍は大剣を振るいながら縦横無尽に攻め立ててくる。
「くっ! なぜ!? バカな!」
どんなに斬りかかられようと、彼が発する魔力を感知し、無駄な動きを一切せずに攻撃を躱し続ける。
「……す、すごい」
後ろで見ていた姫様から感嘆の声が漏れた。
「姫様! 受け取ってください!」
俺はタルコット将軍から一度距離を取ると、両手で周囲の魔力を集め姫様へ流し込んだ。
「こ、これは何なの!? ケガが癒えてる」
「俺の才能【世界に愛されし者】は世界の魔力を視認し操る力! 一定時間だけど姫様の力を強化しました!」
姫様は不思議そうな顔で手をワキワキと動かしながら確認している。
「姫様! 奴を倒すには貴方様の力が必要です! 力を貸してください!」
「ア、アタシの!? このままでも勝てそう……」
「俺の全力では鎧を破ることはできても、体を斬る前に反撃されてしまいます!」
そう言って俺は鞘から剣を抜く。
「……分かった! ハルを信じる!」
え? 今俺の名前……
「行くよ! はああああ!」
姫様は掛け声と同時に大量の魔力を振り絞る。
「極炎魔法! 大火炎砲弾!」
直径にして4〜5メートルはあろうかという巨大な火の玉がものすごい勢いで俺めがけて放たれた。
「さすがです姫様! では俺も!」
俺はタルコット将軍めがけて飛び上がる。
「纏え! 獄炎剣! 火炎砲弾斬!」
「ま、まて! やめろ! うぎゃあああああああ!!!」
姫様が放った巨大な炎を自分の剣に渦巻くように纏わせた俺は、そのままタルコット将軍へ向けて振り下ろした。
俺の剣が鎧を砕き、姫様の超高温の炎が将軍の体を焼きつくした。
「はぁ、はぁ、姫様! さすが……!?」
「やったやった! ハルのおかげだよ!」
「姫……様……?」
「……あ!」
抱きついて喜んでいた姫様はハッと慌てだし、すぐに離れてそっぽを向いた。
「よ、よくやった。 貴方のおかげで敵将を討ち取ることができた」
好かれて……ないんだよな?
このまま勢いに乗ったハルジオン軍は、俺が姫様に提案した作戦を成功させて戦況を覆し、とうとう勝利をおさめたのだった。
「この度、我がハルジオン王国に勝利をもたらした第三王女・リリーナ殿下にハルジオン王国国王・ジェフ・ヒカリエ陛下より勲章が授与されます」
パチパチパチ……
あの戦いから数日が経過した。
今日は城の大ホールにて、戦いの勝利報告と功績者である姫様への勲章授与式が執り行われている。
そして……
「続いて、先の戦での功績を讃え、ハルの奴隷身分剥奪と我が軍の将軍としての勲章を与える」
タルコット将軍の討伐を評価された俺は、国軍の将軍に抜擢された。
俺は陛下の前で膝をついて礼をする。
「国王陛下、先に無礼をお詫び申し上げます。この度の奴隷身分剥奪、及び将軍職への抜擢、これらを全て辞退させていただきます」
俺の声にホール内が一斉にどよめく。
「き、貴様! 陛下のご恩情を蔑ろにするつもりか!」
陛下の側近が声を荒げる中、俺はもう一度陛下に礼をして立ち上がる。
向かった先は第三王女リリーナ姫の前。
「森で貴方様と出会ったあの日から、貴方様のことだけを想い生きてきました。そして、今こうして人としての生があるのも貴方様のおかげでございます。貴方様に救われたこの命、貴方様のためだけに使いたい。どうか私をこれまでのように、おそばに置いていただけないでしょうか」
突然の告白に驚いた姫様は、真っ赤になる顔を小さな手で必死に隠している。
ただ、いつもとは違って目は逸らさず、じっと俺を見つめていた。
そして立ち上がり、
「あ、貴方の気持ちはよく分かりました……第三王女の名の下に、貴方を私専属の“奴隷騎士”として永劫を私の隣で仕えることを許可します」
そう言って左手を差し出した。
「ありがたき幸せ」
俺は差し出された小さな左手の甲に優しくキスをした。
突然のことに静まり返るホール。
一番に拍手を送ったのは陛下と王女たちだった。
「これはめでたい! 我が国に新たな騎士が誕生した!」
陛下の言葉でホールに歓声が上がる。
「ずっとずっと一緒にいてよね! 浮気なんかしたら承知しないんだから!」
「はい、我が主人に誓います」
大きな拍手と歓声がいつまでも続く中、俺たちは両手を強く握りながら未来を誓い合うのだった。
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