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幻樹の森 ー失意の海の底にー  作者: 草野 大造
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第三章 神霊なるものに抱かれし

黒岩は、その後山奥の老人ホームに入居することになった。しかし、そこもやはり入居者は生気を失い、お迎えをただ持つかのような暮らしを送っていた。

 

     姥捨て山と呼ばれし老人ホーム


 そこは、養護老人ホームというよりも、山奥の小学校の廃校跡であり、かつての教室を真ん中で、ただ半分に区切った部屋に、そこにベットがただ置かれているだけの簡単なものであった。

 黒岩が、そこに辿り着いた頃には、もはや身も心も憔悴し切っていた、というよりも、生きていく希望も失い、ただ廃人のように生気の抜け落ちた様子で、生きていくことに執着することすらなくなっていた。そしてそのうえ、身体を包み込む倦怠感は、単に喪失感に起因するだけではなかった。明らかな根拠として、時たま襲い掛かる息苦しさと締め付ける胸の痛みがくることを感じていた。また、以前の食生活の影響が、黒岩の心だけでなく、身体をも蝕むことになっていた気がしていた。


 しかし、徐々にそこの空気を吸っているうちに、心の中に新たな空気が入れ替わりだしていた。

 黒岩にとっては、今までの棲んでいた東京のドヤ街の小さな狭いアパートからすると、案内された部屋は、広すぎるくらいに広く、黒岩にとってそれは、かえって落ち着かなかった。

 窓は大きく風通しもよく、それ以上にその廃校後は大自然に囲まれいて、澄み切っている空気の環境は、黒岩にとっては、この上もなく心地よく感じられていた。

 そして黒岩は、それだけで自然と、ひとりでに、今まで自分に消え失せていた生気とでもいおうかやる気が、僅かに身体全体から湧き上がるのを実感していた。


 かつてその村の小学校は、小さいながらも全校生徒数は35人ほどいて、賑やかな分校であった。秋には運動会が開かれ、村中の人が応援に駆けつけ、部落対抗リレーでは、村人がこぞって走ったものだった。児童の演劇会は、まるで有名俳優の公演でも見ているように、村人はその演劇にみなが見入っていた。ある意味学校というよりも、村の唯一の社交場のようなものであった。周りにいくつかの集落が点在していたが、子供らは皆徒歩で通学できる範囲であり、一番遠くから通ってくる児童でも一時間足らずで学校に通えるような小さな村であった。

 その昔は慎ましくとも、のんびりした長閑な暮らしであり、あぜ道を行き交う子たちが登校する姿は、村を賑わせてくれるそんな微笑ましい光景の田舎であった。村全体は山間のため、畑の面積は猫の額のような広さのものばかりで、山肌にへばりつくように張り付いていて、平坦な場所は全てこまめに石組みして、土留めされ田んぼになっていた。村には取り立てておもな産業もなく、それでもその広さは自分の家族が一年通して食べていくだけのお米と野菜を作り、慎ましやかに生活していくには十分であり、どこの家も特段現金収入は皆無に近かった。しかし現金収入は無くても生活に困ることはなく、一年を通して野菜の採れない冬場は、夏に採れた野菜の漬物とか切り干し大根それに山菜の干物などで、ほぼ間に合っていたので、昔からそんな暮らしを苦にする人は誰も居なかった。それがごく当たり前の暮らしっぷりだったのだ。

 田植え時期には、その集落ごとに結いと呼ばれる共同作業で、皆が力を合わせて田植えをし、稲刈りの時もまた同じように、お互いが力を合わせて収穫作業をするのが村の昔からの習わしになっていた。それ以外は小さいながらも好きなように各自野菜を作って、自分の畑で朝収穫したばかりの野菜に、手作りの味噌があれば、大抵暮らしには事欠かなかった。突然隣の人が病気になれば、馬車に乗せて下の町まで連れていくというように、皆が肩を寄せ合って慎ましやかに暮らしていた。

 しかし時代が経ち、村にも少しずつ変化が現れ始めていた。


 或る日のことである。下の町の農協の営業マンが村の若い衆のところにセールスに訪れた時からそれは始まった。

「今度お宅でもトラクターを買わないですか、ずいぶん野良仕事が楽になりますよ。」という若者にとって、それは甘い誘いであった。まだ世の中にもあまりトラクターというものが出回っていなかったその頃、それはまさしく画期的であり、物凄く興味深い刺激的な夢物語のような話しであった。

「いいじゃん!それ。おらも町に行ったときに聞いたことあったけど、まだ見たことないんだよね。何かカタログみたいなものもってないのかよ?」と若者が食いつくように言うと農協のセールスマンは、早速

「旦那さん興味あるなら、来週にでも実物持ってきますよ。百聞は一見にしかずって言いますから、是非一度試しに乗ってみたらいいですよ。」

「えぇ、ほんとかよ、そりゃいい。是非一回見てみたいから、すぐにでも持ってきてよ、買うかどうかは見てからじゃ。あっと、ダメじゃ、うちにはそんなもん買う金がないや、ごめん」と残念そうに彼が言うと

「心配ありませんよ、旦那様。代金は農協で農機具ローンというものやっていて、分割で少しずつ払えばいいんですよ。ご安心下さい。」という調子のいい話しであった。若者はその夜、家族そろって夕食を取っているとき突然

「父ちゃん、相談があるんだ。おら、今度トラクターってやつ買いてぇんだ、いいよな。これからの時代はなんといっても、農業は近代化の時代だ。どんどん機械化が進んで大儲けする時代になるんだよ。いつまでも時代遅れな、ちまちました百姓やってたら、時代に取り残されちゃうよ。俺にとっちゃ今が絶好のチャンスなんだよ。だからいいだろう、なぁ親父。」渋る親の顔を横目で見ながら、まるで子供がおもちゃを買って欲しさにご寝るように、半ば強引に父親に詰め寄り、早速農機具購入申込書にサインさせさせた。そして農機具ローンの連帯保証人の欄にも母親の名を書いて捺印してもらって、すぐに若者はこの間来た農協のセールスマン宛てに申込書を郵送して、最新型のトラクターの納車を待つだけとなった。

 若者はその後トラクターが来るまで浮かれた。今までこれという夢もなく、現金収入と縁のなかった彼にとって、このトラクターは夢また夢の世界であり、これ1つで村の暮らしが豊かになり、バラ色に輝くと信じた。

 しかしこのトラクターで村の暮らしが一転することになるとは、考えてもいなかった。若者はお金が無くてもローンを組めば、何でも買うことができることを知ってしまったのである。貯金通帳の残額がゼロでも、ローンを組めば、何だって手に入ることを知ったのだから、その欲望は膨らむばかりであった。セールスマンのいう返済など、後からどうにでもなると考えていたからだ。

 そうこうしている間に、次の週になるとトラックに載って新品のピカピカのトラクターというものがはじめて村に運び込まれた。

 その春の作業から、結いという先祖代々の相互扶助社会の仕組みは姿を消え去ったのである。トラクターは確かに村人を農作業という重労働から解放してくれた。一枚一枚田んぼや畑で鍬を振って、大地を耕すことがなくなったわけであるから。最初こんな楽ならばもっと早く持ち込んでくれればいいと誰もが近代的機械の恩恵に感謝した。

 若者は効率的に捗る農作業を各農家から請け負い、各農家の畑まで全て耕すことになったが、それでも小さな村の田畑を全て耕すことぐらいトラクターは余裕でやってのけた。その作業手間を現金で各農家から回収するにも、もともと現金収入などない人々から、もらうことなど毛頭できなかったので、収穫物を町の農協に出荷して、その売り上げから地代を農家に払うことにした。

 各農家も仕事を何もしないで、黙ってお金がもらえるとなれば、嫌だという人はほとんどいなかった。村人は朝早くから日が暮れるまで農作業に明け暮れて野良仕事をしていた暮らしが一転して、じっと掘りごたつで背中丸めて日長座っているだけの暮らしに徐々に変わっていった。そして、出荷の箱詰め作業や収穫作業を手伝うと、その分もアルバイト代として手当をもらうことが出来たので、手元に少しではあるが、現金を得ることが出来るようになっていった。

 そして地代としてお金も入ってきたので、そのお金で、出始めたばかりのテレビは欲しくなるし、移動販売の車が来る度に、食べたこともない食べ物が食べたくなるようになっていった。

 若者も年末に支払う農機具ローンも組勘という仕組みで、農協から農作物の出荷の売り上げの振込金額からローンの金額が自動的に差し引かれるので、その明細書を見るだけで支払いを滞ることもなく、何の苦労もなく支払うことが出来ていた。

 若者たちの欲望は、さらなる農業の近代化で出荷用のトラックや稲刈り用のコンバインとその購買欲の勢いは留まることを知らなかった。

 最初一軒の農家の若者から始まった農業の近代化は、俺も俺もと競い合うように、他の若者たちの心にも火が付いていった。

 だんだんと農機具が買い揃えられると、その分ローンの返済も増え、集落中の畑では支払いが間に合わなくなり、隣の集落、隣の集落の田畑も借り漁りながら、農業の規模拡大が続いた。

 その頃政府も国際社会に対応できる体力が日本の農業にも必要であると唱えていて、農業の法人化、経営規模拡大に拍車がかかり、農業近代化資金という制度資金を活用することで、多額の借り入れも低利で可能になり、誰でも高額な農業機械を簡単に購入することは出来た。

 しかし今から考えれば、この山がちな地域の田畑が、アメリカやオーストラリアのような広大な大地とどうもがいても、太刀打ちできるはずもなかったが、今までちまちま親父の手伝いだけやらされて野良仕事に明け暮れる生活からすると近代的な農業スタイルは、若者たちの野望を膨らませるばかりであった。

 そして村中に市場原理が入り込み、隣と張り合う競争心、他の家の暮らしぶりを羨み、仲間の妬みは止まることはなく、ちょうどそんな頃、山を降りたところに都会の企業が進出して大型紡績工場が建設され、各農家の奥さんたちは、新たな電化製品を買うために、その工場に働きに出る人が徐々に増えていった。隣のうちでは電話を引いたとか、自動車を買ったとか、温めるのに簡単だと電子レンジが欲しいと、瞬く間に家電製品が各家に競ううように買い揃えられるようになっていった。村人たちは口々に、

「便利でいい時代になったもんだねぇ。」とその近代的生活スタイルに陶酔していった。

 家の主婦も朝早くから釜戸に火をくべてご飯を炊くこともなく、冷たい川の水でごしごしと洗濯板に汚れものを擦り付けることもなくなって、日常の家事仕事から解放されたことに皆一応に満足していた。何でもボタン一つでできた。ご飯を炊くのも、洗濯も夕食を暖めるのも風呂焚きも。欲しいものはお金さえだせば、何でも手に入れることが出来た。食べたいものは何でも食べられるようになった。暮らしはどんどんと豊かになっていった。いわゆる生活はリッチになった。

 しかしその豊かさは、今までの田舎ならでわの暮らしから、長閑な風景と村人の心から余裕と安らぎを奪っていった。今までは採れたものはお裾分けして近所に配り歩いたものだった。雨が降れば一日中ぬれ縁でお茶のみ会を開いて、各家の得意の漬け物を持ち寄って食べ比べ、この漬物に昆布を入れた方が美味しくなるとか、あれこれとおばさんやおじさんたちが縁側に腰かけて話し込む姿をよく見かけたものだった。農閑期や雨の日は話に夢中になって、すぐに帰るといいつつも、いつも日が暮れた頃まで居座って話し込むのが、ごく普通の日常であった。

 村の中で暮らしていくということは、お互いが助け合うこと、分かち合うこと、他人を思いやることであり、そんな優しい気持ちを憧れの”便利”は徐々に村人の心から奪って取っていったのだった。若者は更なる便利を求め、更なる豊かさを求めて、他人よりもお金持ちになるために、村に居続けることより寧ろ町の暮らしに憧れ、一人又一人と長年住み慣れた村を捨て、子供たちを連れて若者は山を下りていった。

 ずっと何百年も続いた村の暮らしは、一台のトラクターが運び込まれてから、十年もしないうちに崩壊していった。その後、村人総出の秋祭りも開催されることは無くなり、婚礼の宴も10年前を最後に、催されることは無くなった。催されるのは、葬儀屋が執り行う葬式だけであった。やがて村から若者と子供の声は全て消えていった。

 そして、村には年寄りだけが、山を下りることを拒み、村を離れることよりも、住み慣れた田舎の暮らしが捨てられずに住み続けたが、寄せる波には勝てず、年寄りは老衰で亡くなっていく者、息子に引き取られ惜しくも村を離れていく者で、村はすっかり空き家だらけの限界集落と識別されて、ついには自力再生を国から見放された村となった。


 そんな子供の消えた山の分校は、最後たった一名だけの卒業生を送り出すと同時に、いくつもの楽しい思い出を残し、その学び舎は長い歴史に幕を下ろし、閉校することとなった。その後幾年もひとっこ一人立ち入ることのない、蜘蛛の巣だらけの廃墟となっていった。そして閉校後十数年が過ぎた頃、ある都会の老人介護サービスを手掛ける会社が、その廃校を再利用して、養護老人ホームを作ることになったわけである。一から施設を建てるとなると多額の費用がかかるが、廃校を改修するだけのもので、建設費用はほとんどかからず、入居者も入居初期費用が一切かからなかったので、施設経営者にも入居者にも有難い話しであり、お互いにメリットがある事業であった。

 しかし都会に住む人々は、なぜかその施設を”姥捨て山”と呼んだ。核家族化が進む日本で、家族から面倒を見切れないと言う理由で、年寄りが山奥の施設に送り込まれ、年に一度面会に来るか来ないかの老人施設は、そう呼ばれてもしかたなかった。

 黒岩が以前いた墨田区の民生委員に案内されて、その廃校跡の老人ホームに連れてこられたのが、まさしくそこがその”姥捨て山”であった。

 しかし黒岩にとって、そこはドヤ街の宿泊所からすれば、まさしく天国に見えた。

 黒岩にとって何が気に入ったかと言うと、先ずは、その空の広さであった。

 かつて東京に上京して以来、こんなにも空が大きく広がっていて、大空がこんなにも澄み切った青さであったことをすっかり忘れていた。そしてその大空の抜けるような青さに圧倒された。それは彼の眼には、まるで宇宙の彼方に繋がっていることを実感するような青さであった。

 黒岩はここに来るまで、高層ビルの間から少し顔を覗かせるのが大空だと思うくらいに、空は狭い空間にあるだけのものであったし、家族揃って遊びに行った湘南海岸でも、海と空の境界線が薄ぼけるほどにぼんやり霞がかかっていて、はっきりとその境目を区別することすらできずにいて、周りの視界にはいつも人工物があり、その人工物の一角にあるものが空であった。

 かつて自然というものをこんな身近な存在に感じることはなかった。自然の山々の息吹きは、疲れきった黒岩の心の中に、活き活きとした生気を吹き込んでくれていた。黒岩は生きていることを、身体一杯に噛みしめて、その頭の上に拡がる大空を暫く仰ぎ続けていた。



    親鸞聖人と出逢う


 施設内には、15名ほどの入居者が既に入居していた。黒岩がその施設を訪れた時には、その入居者の半分程の人は、談話室でテレビを見ている人、編み物をする女性、ただ窓越しに外を眺めている人、皆思い思いにゆったりと流れる時を寛いでいた。しかし談話室と言ってみてもそれは、もと理科の実験室で、食堂には、少々不似合いな人体模型が置かれており、それに描かれた内臓の様をありありと眺めながら食事をとるのも、如何なものかと彼には思えた。しかし、柔らかな光りに包まれて、穏やかな空気が、その部屋には漂っていた。

 そして、談話室以外にも、元の教室を半分に区切ったただただ広いだけの部屋で、本を読んでいる人もいた。黒岩は案内された自分の部屋の隣の入居者に、社交儀礼で挨拶をすることにした。また、合う人合う人に

「新しく入ってきた黒岩と申しますです、どうぞよろしくお願いします。」と笑顔で声を掛けたが、しかし、それに呼応する人はほとんどいなかった。まるで面倒くさい新入りがまた来たかと言わんばかりのそっけない態度であり、そのあからさまな他人を寄せ付けない態度は、自分は、彼らにとっては、招かれざる客であったことは、黒岩にはすぐに判った。

 しかし皆、強い嫌悪感を露わにするでもなく、はっきり言って無反応といったほうが正解かもしれないと思った。あまり相手にされそうでもなかったので、黒岩も自分から積極的に関わるのも面倒だと思い、黒岩自身も備え付けの本棚の雑誌を手に取ってページをめくって眺めていた。その雑誌も最新版ではなく、その記事自体は、もう一年も二年も前の内容であり、気抜けしたような雑誌であったが、黒岩も最新の事件を見たいとも思ていなかったので、雑誌を眺めて時間が過ぎればそれで良かったし、特段雑誌が新しいか古いかは、もはや問題ではなかった。そして黒岩は前いたあのアパートの住民と一瞬ここの入居者が似ているようでも、この施設の入居者はやはり少し違いがあった。

 確かに生きる希望を失い、家族から見放され、生きることさえ諦めたようなその眼差しは、いかにも生気を失っていたようであったが、施設に漂う空気は、どことなしか穏やかであり、和やかにも見えた。

 よく訳も判らないのに、解ったようなふりをする老人も居た。しかしそれはこの施設に限ったことではなく、世の中にはそんな人はざらにいるものだとも思った。

 それ以上に

 見て見ぬふりをする痴呆老人。

 知っているのに、知らないふりをする要領いい老婦人。

 無骨で不器用でいかにも見るからに取っ付きにくい初老の男性。

 しかし誰が調子よく施設内で重宝されて、誰が嫌われているのか、またまた正直に生きているだけなのか、要領だけがいいのか、本当に信頼のおける人が誰なのか、黒岩には判断することが出来ずにいた。

 何かがおかしいと思いつつも何も考えようとしない人が、施設の中の入居者には多かった。

 というのが、黒岩のまず最初、施設の入居者の第一印象であった。

 黒岩は、強いてあまりそんな入居者と積極的に交わろうとは思わなかった。面倒なだけで、関わり合っても期待できるものもないと考えていた。はっきり言って相手にする気にはならなかった。みな仲間に入れて欲しいというほど仲よさそうにも見えなかったし、一緒にテレビを見たいとも思わなかった。特に黒岩が気乗りしなかったのが、毎朝食後のお遊戯のように行われる全身運動であった。施設の職員の手拍子に合わせて、手を叩き手をあげたり下げたり、足踏みをしたり、おまけに歌を歌わせられたり、殆ど気乗せずに、いつもその時間帯は、いかにも体調がすぐれないかのように自分の部屋で寝たふりを決め込んでいた。

「今更、幼稚園の園児じゃあるまいし、一緒に足踏みなんかできるか」といつも独り言を言って、黒岩は布団を被って寝っ転がっていた。せいぜいヨガの時間ぐらいなら我慢できたが、保育園のお遊戯だけはごめんだと思っていた。

 黒岩は何時しか、朝食が済むとすぐに外を散歩することが日課になっていた。気分転換に職員が制止するのも無視して、いつも外に出かけるようにしており、そのことを脱獄だと職員は言った。


 辺りに広がる山並に囲まれて、小川のせせらぎに目をやり、小鳥の囀りに耳を傾け、新鮮な空気を胸いっぱいに深呼吸するだけで満足であった。

 以前会社勤めしていた時にスポーツジムに通っていた時期があり、その時の教わった呼吸法を思い出して、胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込んで、できるだけゆっくりと息を吐く腹式呼吸をしながら、散歩しているとつい夢中になってしまい、いつも昼食に遅れてしまい、ことあるごとに職員から嫌味を言われて、何時しか施設内では、黒岩を俳諧する危険人物といわれ、脱獄常習犯扱いされていた。

 その日も、相変わらず呼吸法の腹式呼吸を意識しながら、夢中になって歩いていると、黒岩の視界の先に、小さな山寺が入ってきた。つい、そのお寺の仏様に誘われるように、山寺に続く長い石段を登りだしていた。今まで、あまり運動という運動を殆どしていなかったので、その石段の長さは、弱った足腰にはきつく、へとへとになりながら息を荒げ、ようやくのことで本堂に辿り着いた。しかしその時、黒岩は、単に息を荒げるというよりも、(むし)ろ胸を締め付けられるような、違和感を感じていた。しかし、その心臓の動悸は石の階段を上り詰めた頃にはすでに消え失せていたので、大して気にすることはなかったが、その後もたまに、その息苦しい感覚は黒岩に襲い掛かることとなった。言い知れぬ身体の異変を彼は気付き始めていたのである。

 そこは、小さいながらも風勢のある趣で、静寂の中にも凛とした張り詰めた空気が流れていた。

 掃き清められた境内を抜けると、そこにはお堂があり、障子の向こうから読経の声がかすかに聞こえてきた。お堂の中では幾人かの黒い袈裟を纏った若い僧侶の読経の修行の最中であった。

 黒岩はこわごわと本堂の木の階段を上がって、少し空いた障子の隙間から中の様子を覗き込んでいると、そのお寺の和尚であろうか頭を丸めた年老いた僧侶が彼に声をかけてきた。

「どちらの方かは存じませんが、どうなすったんですか、何なら遠慮なくおあがりなさい、どうぞ」と物腰の柔らかな語り口で、老僧は黒岩を本堂に上がるように促がした。

 黒岩は老僧に促され恐る恐る本堂に上がると、その老僧から突然、

「折角だから少し御仏の前に座してみては、如何かな」と言われるままに、その中央に鎮座する仏像の前で読経する僧侶の脇に正座することにした。そして座るが途端に、そこには、言い知れぬ格調高き、厳粛な気が流れており、黒岩の心の奥までその厳かな空気が注ぎ込まれる思いであった。

「お主、何かお疲れのようじゃなぁ、客人はどこか患っていらっしゃるのかなぁ?何か言い知れぬ不安を心中で感じていらっしゃいますよなぁ。お主の背中が、そういってますぞ。もっと肩の力を抜いて力まずとも、決して阿弥陀は文句は仰りませんぞ。」といつしか黒岩の猫背になった背中を見て、老僧に語りかけられて黒岩は思わず、ずきっとした。その頃、時たま襲い来る胸の苦しみを一人密かに感じることがあり、不安を隠しきれなかったからでもあった。黒岩は老僧にあまりにも容易く自分の心のうちを言い当てられた気がした。

 若い僧侶の読経の声と共に、(かぐわ)しく漂う香の香りが静まりきった本堂のなかで、その静寂さをさらに一層際ださせていた。

 本堂の中央には、阿弥陀如来が何に動じるでもなく、厳かな空気に包まれて静かに本堂の真ん中に鎮座していた。その御仏のお顔は半眼開いて、黒岩は自分がいかにも、見つめられているように、その御仏は物言わず黙ってそこに座していた。

 その眼差しは、人を戒めるでもなく、諌めるでもなく、そっと神々しい光を放ち続けていた。

 黒岩がこの本堂に突如、入り込んできたかのように、まるで水面にわらしに小石を投げ込まれて、拡がる水紋の水面ように、その神々しく優しい光は、ゆったりと柔らかく黒岩を包み込んでくれていた。

 そして、その阿弥陀如来の柔らかな眼差しは、なんとも言えないほどに、優しくもあり、穏やかで、暖かくお堂の中を包み込んでいた。

 それは、黒岩を、まるで羽衣を纏った天女が、赤子を抱きかかえ、彼を天を舞うように見知らぬ世界に誘い、彼は引き寄せられて行くような感覚に陥っていた。黒岩は今までに感じたことのない、この上もない言い知れぬ安堵感に陶酔しきっていた。

 今まで煩わしく纏わりつれていた濃い霧のようなものから、ようやく解放されていくような心持であった。

 やがて黒岩が本堂を立ち上げり帰りがけ、御堂を立ち去ろうとしたとき、

「聖人曰く、ただひたすら、ひたむきに、利他の心をして、無為無心夢想の心を以て、弥陀の本願に帰命せよ」と老僧が黒岩に説いてくださったその言葉を、彼はその後ずっと忘れることは出来なかった。


 黒岩が山寺を出る頃には、すっかり日が暮れていた。辺りは、もう闇に包まれつつあった。

 そして黒岩はお寺を訪れたときに感じた神々しい光でいったん治まったかに思えたあの締め付けられるような胸の痛みを再び感じた。それは、その後度々その痛みに襲われる自分の身体の異変に、一抹の不安と、脅威を感じずにはいられなかった。


 しかし、黄昏の道の向こうには、西の空に宵の明星が光輝いていて、それを眺めているうちに、心の中にはその抱いていた不安は一切消え失せていた。

そして黒岩は決めていた。もう過去を振り向くことはよそうと。明日をいや今を楽しく生きていこうと、そしてその一瞬を目いっぱい楽しもうと。それが黒焦げになって死んで逝った老人の分までもそして失った者への報いとして。

 その瞬間から彼の目に映る景色は一変した。

月の明かりのない夜は、いつになく、星の数が際立つものであった。

満月の夜には、月の光は目映いが、その光に目を取られ、意外と星空に際立って輝く一等星くらいしか見えないものだが、その夜は月の明かりはまるでなく、だからこそ、いつもは見えない初めて無数に瞬く満天の星に目をやれるものであり、目を凝らして眺めていると、その一番小さな星屑のような星までを見ていると、己の煩悩は、それよりもなお遥かに小さなものであり、我が心の大きさを思い知らされる思いであった。

 夜道は暗く、我が人生にいろんなことがあったと、振り返ってはみたものの、その(はかな)さは悩み苦しむにも値せぬものであるように思えた。

 帰りがけ老僧の説いてくださった、親鸞上人の御心の意味は、その時の黒岩にはあまり理解しかねていたが、それこそが、その後の彼の生きる道しるべとなっていくことは、その時の黒岩には知る由もなかった。



     菊ばあさんと山の掟


 翌朝は、黒岩はいつもに増して早く起き、まだ夜が明けきらぬうちに施設を抜け出した。まだみな寝静まった施設を後にして、その朝は、思い切っていつも散歩する方向と違う、新たな方角に足を踏み出したかったのであった。それこそが、新しい人生の第一歩を踏み出したことになったのであった。

 その朝は濃い霧が立ち込め曲がりくねった細い道は、足元を踏みしめながら歩くのが難儀なくらいであった。そして少し小高い丘のような処に差し掛かると、ぼんやりと遠くに幾つかの家が見えだした。そこは今まで黒岩が訪れたことのない施設の周りの一番近い集落の1つであった。

 黒岩はその小高いところで一休みするつもりで、あぜ道に腰かけることにした。すると薄っすらと晴れかけた朝霧の向こうに、何やら黒い物体らしきものが黒岩の目に入ってきた。畑の中にこんな早い時間に人が居るはずもなく、獣が畑を荒らしに山から降りてきているのかと最初思ったが、目をよく凝らしてみるとそれは腰をかがめた老婆が畑で朝早くから野良仕事をしている姿であった。まるで小熊が農作物でも漁っていたのかと思っていたので、人間であることが、かえって黒岩を驚かせた。

 早速、黒岩はその老婆に声を掛けた。

「おはようございます、朝早くから大変ですね、ご苦労様です。」

「ああ、おはようさまじゃ、あんたはところでどこから来なすった、あまり見かけぬ顔じゃなぁ」と老婆が返事を返してくれた。

「黒岩と申します、先日あの施設に入居して参りました。今後ともよろしくお願いします。」と黒岩が丁寧に自己紹介すると老婆は、

「どうも話しっぷりがこの辺のもんじゃないなぁ、よそのひとじゃな。わしゃ菊っちゅうもんじゃ、まあゆっくりしていきなされ。」と優しく囁いてくれた。

「私にも何か少し手伝わしてもらえないでしょうか。あまり畑仕事やったことないんですが、何か簡単なことなら自分でもできると思います。お菊ばあさん」と黒岩が言うと

「ならその隣の畝の草取りでもやってくれるかい?そこいらへんに草取りガマがころがっておろう」と言われた。早速黒岩は、しゃがみ込んで、草取りを懸命にして、お菊ばあさんに尋ねた。

「こんなもんでいいですかね、おばあちゃん。」

「あらあら、まあまあ。芽の出たばかりの大根の芽をしっかりひっこぬいてくれたもんじゃ、まあええ、朝の味噌汁の具が多めに出来たよ。助かったのう、あっはっはぁ・・・・・。」と笑われ、黒岩は初めて自分の手で大根の新芽と雑草の区別も出来ぬことに今更ながらに恥ずかしく思えた。しかしその黒岩の間違ったことを怒るでもなく、でたらめの草取りにお礼まで言われて、その老婆の優しい人となりに、なんだか温もりを感じ、心から感謝した。その時、そのお菊ばあさんと昔亡くした自分の母の姿が重なって黒岩の目には映っていた。

 黒岩は、かつて会社の仕事で手が離せなくて、病に伏した母の最期を看取ることができず、葬儀にも参列できずにいたが、実のところはそれは親戚への言い訳に過ぎず、実際は価格の上がり続けた都内の土地の売買契約の契約日に過ぎなかったのであり、その虚しい理由で葬儀に参列できなかったことをいつまでも悔い続けていた。


 朝靄もすっかり晴れて東からまぶしい朝陽が山の向こうから登り始めていた。

「おばあちゃん、今日は迷惑かけて申し訳ありませんでした。また明日も懲りずに畑に来てもいいですかね。」黒岩がお菊ばあさんにお願いすると老婆は、愛想よく

「どうぞどうぞ、また来とくれよ。あんたに来てもろうて助かりますでのう。」と優しく頭を下げて、黒岩を見送ってくれた。

 黒岩は、足早に施設に戻ったが、既に施設では朝食は済んでいて、黒岩の分だけがテーブルの上に無造作に置かれていた。

「黒岩さん、いつもいつも困るんですよね、こんなじゃ、いつまでたっても片付きゃしい。あんたのために、私ら休み時間も取れないんですからね。今後気をつけて下さいよ。私ら時間で働いてるんだから、あんたみたいに気ままに生きてるわけじゃないんですからね。」と散々におばちゃんらに嫌味を言われて、黒岩はその言い方に溜まりかねて、

「今日は俺が食事が終わったら、あんたらに迷惑かけないように自分で食器全部洗っておくから、申し訳ありませんでした、ご迷惑をおかけして。」と言い返すと、すると間髪あけずにおばちゃんらは、これでもかと言わんばかりに、

「余計なことされるとこっちが迷惑ですよね。結構です。あんたは、黙って大人しくさっさと食事を済ませてくれさえすればいいんだから、余計な心配は結構です。」と黒岩が良かれと思って言ったことなのに、またも余計に彼女らを怒らせてしまうこととなってしまった。

 おばちゃんらには、黒岩はいつも嫌味ばかり言われっぱなしで、お互いの関係は険悪になる一方であった。しかしそんなことはどこ吹く風で、黒岩の耳には右から左に通り抜けていった。

 翌日も翌日もお菊ばあさんの畑に足しげく通った。その頃の黒岩にとって畑仕事というよりも、土に触れるだけで、身体から力が漲ってくる気がしていたのである。それはあの大都会の暮らしの中では、感じることの出来ない特別の感触であった。その欲求を満たすのには、その頃の黒岩にとってはそれは畑の雑草取りで十分であった。

 ある朝お菊ばあさんが、黒岩に顔を合わすなり、言い出した。

「お前さん、いつも手伝ってくれて有難いけど、うちじゃあんたにお金を払えんけどいいんかね?」と黒岩にぽつりと老婆が言った。

「おばあちゃん、最初からそんな気で畑に来ている訳じゃないんで、ご心配なく。心配はご無用です。こっちのほうがお礼をいいたいくらいなんですよ。勝手に畑仕事を手伝わせてもらって、いつも迷惑をおかけしてるのはこっちのほうですから。」と黒岩が言うと

「あんたは変わっとるのう。今どきの世の中じゃぁ、ただで働く人などおりゃせんというのにのう。」と微笑みながら老婆は黒岩に向かって言った。

 黒岩は、実際自分の仕事が足手纏になってやしないかと、そのことばかりが心配であったが、迷惑かけていないだけでも幸せに思えていた。

 その畑仕事も、あの山寺の老僧から教わったあの「ただひたすらに無為無心無想で」の言葉を心の中で繰り返し唱えていたからであり、黒岩はただそれを実践したかったのであった。

 それに朝の空気はなにより気持ちよく、施設内のどんよりと淀んだ空気を吸うくらいなら、朝から畑で額に汗して、大きく背伸びして、胸いっぱい山の空気に包まれて深呼吸したほうがずっと気持ちいいと思っていた。

 黒岩はいつものように明け方から畑に出かけてみるとお菊ばあさんは、その日一輪車を畑に持ち込んでいてて、大きな白菜を畑から運び出すことにしていた。そこで黒岩は、いくら何でも自分の方が一回りも二回りも若いはずであり、力仕事なら俺に任しとけと言わんばかりに意気込んで、

「おばあちゃん、大変だからおばあちゃんは、今日は収穫だけしててくれれば、俺が一輪車でその白菜残部運び出してあげますよ。」と威勢よく運び役を買って出た。しかし3歩も進むか進まないうちに足はよろめき、ほんの緩やかな坂を押そうとしたとたん、敢え無く一輪車もろともひっくり返って、黒岩は地べたに叩きつけらけられてしまった。あまりの無様さにしばらく起き上がることすら出来ず、恥ずかしさのあまりに顔を覆いたくなる思いで、地べたに這いつくばった。お菊バさんの前で思いっきり恥をかいてしまった。思わずやるんじゃなかった・・・と思った。

「ほらほら、言わんこっちゃない。慣れない人がやると案外難しいもんじゃろ。若い癖にだらしないもんじゃのう」といって、老婆はそのひっくり返った一輪車に白菜を積みなおして、何事もなかったように、難なく道向こうの自分ちの納屋まで白菜を運び込んでは、また帰ってきては運び出して、見る見るうちに畑の収穫したばかりの白菜は全て老婆一人で運び出してしまった。黒岩は余計なことを言わなきゃよかったと後悔したが、お菊ばあさんにしてみるとそんなことくらい最初っからお見通しの様子であった。

「今日はこのくらいにして、おめえさまもお茶にでもせんか。今持ってくるで、縁側に腰かけて待ってつかあさい。」今まで一緒に畑に居ても会話するといっても、殆ど口数の少ない人だったが、珍しく軽快に会話してくれるようになった気がした。田舎の人は往々にしてそういうところがあり、よそ者に最初からあまり愛想よく話しかけないことを黒岩は経験上よく知っていた。やっと少し気心が知れてきたのかと黒岩は安堵した。お菊ばあさんは、軒下にぶら下げてある干し柿を、二つ三つむしり取り「まあ食ってみ、うまいから」とお茶のあてとして差し出してくれた。

「あんた、よかったら昼からおらと一緒に山に山菜でも採りに行かんか。そろそろフキノトウがでとるころじゃろう。忙しくなけりゃ昼飯でもここで食っていけばいいや。」と黒岩に言うと、

「えぇ、お言葉に甘えてもいいんですか。じゃあ遠慮なくご馳走になります。」と施設の約束などどこ吹く風で、黒岩が遠慮気味に応えるとお菊ばあさんは、

「あんたにゃ、いつも世話になっとるけんのう。ここいらじゃ、手伝どうてもらうと金で返すもんじゃなく、ご馳走するのが習わしじゃが、今日は昼飯で我慢してくれやれ。こんなあり合わせで申し訳ないけんど、白菜の浅漬けなら丁度浸かったばかりじゃけん。」

 出てきた昼食は、決して豪華といえるものではなかったが、昨年とったというゼンマイの煮物と白菜の丁度漬けたばかりの浅漬けと手作りだという味噌の味噌汁だけであったが、その味は格別の味いで、かつて黒岩が労せずしてお金でお金を稼ぎ出した富で食べた、赤坂の高級割烹の板前の料理よりもそべて格段の美味しさを感じた。

 黒岩は少し村人の仲間入りが出来たのかと嬉しくなっていた。それに草取りもろくに出来ないし、一輪車すら押せない自分にお礼などとはあまりに奥がましいと少々恐縮していた。昼食をご馳走になって黒岩はしばらく一服していると、早々に

「さあ、あんちゃん出かけるとするべ」とお菊ばあさんが腰をあげて、納屋から腰びくを二つ取り出して、そのうちの一個を黒岩に差し出して、

「あんたもこれを腰にしばりつけて、せっせと晩ご飯分でも採ってくりゃいいさ。」というなり、とぼとぼと一人、家の裏から続く獣道を歩き出した。そして小一時間ほど山道を歩くと小さな小川が出てきて、その沢沿いには驚くほど一面にフキノトウやコゴミが出始めていて、黒岩は思わず、

「いやぁ、こりゃ凄い。全部採ったら、腰びく一杯になっちゃいますね。」と威張るように言うと

「ばかこけ、愚かもんが。後の人のこと考えて根こそぎとってどうする。根っこは土に残して地面から上だけ、タラの芽は、木一本から一芽だけもぎ取るようにしないと、その木が弱る。山菜は山の神様からの授かりもの。欲を張って片っ端から採ったら、来年何もとれなくなっちぃまうじゃろ、間引きするように採って後からまた芽が出ますようにと、自分たちの後から来る人の分をしっかり残して置かにゃ罰が当たるぞ。それが”山のおきて”というもんじゃからのう。覚えておけよ。しっかりとのう」と諫めるように老婆は黒岩に言い放った。黒岩は、そうかこれぞ、山と共に生きていくということなのかと昔からの村に続く習わしとその教えに改めて感服した。自分のためだけに欲を張るのでは無く、他人のことを思いやって生きることの大切さを、さりげなく実践しているこのおばあちゃんに一本とられて脱帽していた。その後この時教えられたお菊ばあさんから”山のおきて”は、その後の黒岩達に大切に引き継がれることとなった。

「ところでおめえさん、わしゃあんたの名前を聞いとらんかったなぁ。なんちゅうだ?」

「黒岩と言います。今後ともよろしくお願いします。師匠!」

「何じゃその師匠って。・・・」とお菊ばあさんは大笑いした。

「あんた、ところでいつもおらのとこに遊びに来てて、大丈夫なんかねぇ、そっちは?」

「俺の方が感謝しているくらいです。百姓ってこんなに楽しいなんて、恥ずかしながらこの年になるまで全然知りませんでした。手伝わせてもらえるだけで幸せなんです。施設に居てもやることがないんですよ。実は」と黒岩が言った。すると黒岩は、張り切って

「何なら、そろそろ村じゃ田植えが始まる。田植え仕事も手伝ってくれんかねぇ?」と老婆が言うと

「喜んで、師匠!」、「その師匠はやめんね。」

 その頃から黒岩はだんだん農業が楽しくなっていった。そしてまさしくお菊ばあさんは農業の師匠であった。

 黒岩は、頑張って自分の採った山菜を新聞紙にくるんで、折角だから施設の仲間にも食べさせてあげたいと思い、勇んで施設に帰り、元家庭科室の厨房のおばちゃんたちに手渡して

「これ好きに料理につかってください。」とさぞ喜んでもらえると張り切って黒岩が新聞紙に区論だ山菜を差し出すとおばちゃんたちの反応は真逆だった。

「黒岩さん、また証拠にもなく、勝手なことばかりされたら困るっていったでしょ!こんなもん持って帰って来られても手間ばかりかかって、誰が調理すると思ってるんですか。この間言ったように、私ら時間で雇われているだけなんで、早く帰って家の仕事が待ってるんですよ。まったくもう!」とぷんぷんと言いながら、新聞紙にくるんだ中身を開こうともせずに、カウンターに置き去りにしたまま彼女らは料理を続けていたので、たまりかねた黒岩は、

「そんなに面倒なら結構です、私がやりますから」と大見えを切った。実際は今まで料理というものをしたことがなく、殆ど出されたものを食べるだけだったので、大見えを切ったはいいが実は困り果てていた。大口をたたいた手前、今更おばちゃんたちにやっぱりお願いしますとも言えず、

「だったら厨房の道具は借りますからね。」と言うとまたもさらなる勢いで

「後始末と火の元だけはしっかりしておいてくださいよ、もしもの時は責任取るのはこちなんですからね。」と最後まで面倒くさそうに捨て台詞を言って、おばちゃんたちは早々に足早に帰っていった。

 まぁ、天ぷらぐらいなら何とかなるだろうと思い、衣をつくってアツアツの天ぷらを皆に差し出すと

「あんた、こりゃ旨いや!やはり春は山菜の天ぷらに限るね、今度俺も山菜採り一緒に連れて行ってくれよ」、

「天ぷら食べりゃ、一杯やりたくなるよね。でもダメか。施設内は禁酒禁煙だって言われてたからな。」と今まで無口だった人々が、山菜料理で一気に和やかな空気に包まれた。黒岩も避けるわけではなかったが、強いて仲良くなろうともしなかった人たちが、こぞって山菜料理に興じてくれて黒岩自身も嬉しくてたまらなかった。

「じゃあ、今度山に山菜採りに行くとき一緒に行きたい人、手をあげてください。その時こっそり酒でも飲みましょうよ。」と言うと数人が手をあげて、

「よっしゃ、今度はいっぱいやっか!」と皆が久しぶりに意気揚々となり、そのおばちゃんらの帰った施設内は、今までになく盛り上がった。実際に施設の食堂に出てくるいつもの食事は、食材業者の作った袋入りの出来合いモノを温めるだけのもので、以前のさすがに賞味期限切れではなかったが、真心こもった料理とは言い難く、毎食代り映えのしない料理ばかりだったので、季節の山の幸は、その欲求不満を吹き飛ばしてくれて、皆活き活きとなっていた。

 そして数日後、早速この前お菊ばあさんに教えてもらった山に数名の仲間で山菜採りに出かけた。そして黒岩はいかにも山を知り尽くした山の達人の如く、同行した仲間にこの間聞いたばかりの”山のおきて”をしっかりと教え込んで、山を荒らさないように山菜を採った。この間連れられてきた時よりも季節が進んだせいか、前よりもずっと各種の山菜は大きくなっていて、みるみる間に持ってきたゴミ袋は一杯になった。そして急いで施設に帰って、またも厨房のおばちゃんたちに文句たらたら言われながら、各自で思い思いに天ぷらを始め、お浸し、酢味噌和え、お煮しめなど前よりもバラエティー豊富に山菜料理に興じた。黒岩はその前日こっそり出入りしている業者に、日本酒の一升瓶を今度の納品の時に持ってきてくれと頼んでおいたので、約束通り一升瓶が届けられていた。それに自分も久しぶりに飲みたかったせいもあったからであった。黒岩にとっても、酒とは久しくご無沙汰であり、またどうして規則だといって高校生でもあるまいし、禁酒なのか理解できなかったし、そんな納得のいかない規則にどうして縛られなくてはならないのか解らずにいた。

 その夜は久しぶりに賑やかな夜だった。いつもあまり口数の少ない入居者も、酒が入ると急に饒舌になり、皆打ち解けた様子になった。騒ぐうちにある者の提案で、料理する時と洗い物は、今度から当番制にしようと言い出した。

 すると若干一名が急に「そんなら俺は降りるぜ」と言い出して、折角盛り上がった空気は一転して一気に冷めてしまった。

「そんなことは、ここの職員の仕事だ、何で入居者がそんなことまでしなくちゃならないんだ。」と言い放って、彼は一人、自分の部屋に引っ込んでしまった。それでその一言でその夜の宴はやがて自由解散となった。

 そして数日後、黒岩は施設長に呼び出された。

「黒岩さん、困るじゃないですか、施設内で好き勝手ばっかりやってもらちゃ。厨房使うまでは許可したが、誰が酒を飲んでもいいと言いましたか。どういうつもりですか?」黒岩は誰かがあの夜のことを施設長に告げ口されたと思った。あの中で施設長に言いつけたやつが居るに違いないと思った。黒岩は誰かは目星は着いたがそんなことはどうでもよく、酒の一杯くら子供じゃあるまいし、いちいちあんたに言われたくないと思ったが、結局首謀者ということで、今までも睨まれていた黒岩は、始末書を書かされることとなった。

 しかし黒岩はもう二度と以前のドヤ街の鶏小屋のような生活はしたくなかったし、同じ同居する人たちにも鶏舎のカゴに閉じ込められた鶏のような暮らしはして欲しくはなかったし、もっと人間らしく喜び合い、助け合う生き方をしてもらいたかった。だから施設の入居者には少しでも楽しそうに過ごせるならば、それで黒岩は満足で、自分がどんなにお目玉くらおうが気にしてなんかいなかった。施設長は、おまけに黒岩にダメ押しのように云いつけた。

「黒岩さん、あなたが来てからというもの、施設内の風紀が著しく乱れてしまいました。今後、自分の行為には十分自粛してもらわないと、施設から退去してもらうことにもなりかねませんから、そのつもりでいてください。」

「そして、今後外出するときには、必ず外出届を出して、許可を得てから外出するように」と言い渡された。お前の施設管理の都合で、一方的に酒を飲むな、外出は許可を受けてから、食事には必ず戻ってくるようにと、散々施設長から言われたが、黒岩にとって、その自らの都合で作られた規則には、黙って従うことがどうしても許せなかった。

 ことなかれで、平穏に何事もなく、施設を管理する人にとっては、都合がいい規則かもしれないが、管理者の都合で、肝心の入居者がまるで死んだような目をして、押し黙って、大人しく、もの言わず暮らすことのほうが、はるかに深刻な事態であり、その規則を遵守することにどれほどの意味があるのか、そのほうがずっと解決せねばならない問題だと黒岩は思った。

 黒岩はは、もうあのドヤ街のような暮らしはうんざりだった。入居者が人として活き活きと暮らしていくために、どうあるべきかをまず最初に考えるのが、施設長として一番に重要視すべきじゃないのかと思った。黒岩はどうしても酒が飲みたくてしようがないわけでもなかったが、たまに酒ぐらい呑んで、固く閉ざされたお互いの心を開き、打ち解け合って何が悪いのか解らなかった。そしていつも寡黙にいる人々が、心を許せるようになったことにかわる重要なものが、ほかにあるものかと思った。

 それに皆、家族に愛想曹れ、この”姥捨て山”に無理やり連れてこさせられて、そんな忘れかけていた和やかな雰囲気に包まれて生きていくことこそ、彼らの幸せへの第一歩だと黒岩は思っていた。

 黒岩は、その後もそんなことに懲りることなく、毎日朝早く、みんなが寝静まっているうちから、村の畑に出かけては、施設長からその都度呼び出されて、説教を食らっていた。


 それは、春の訪れに合わせて、遠くの山並に残雪に農鳥の形が現れて、その時を告げてくれるのだとお菊ばあさんに聞かされていたその時が、まさしく田植え時期であった。

 やがて村に田植えの時期がやってきた。田植えは村で一斉に始まったが、それは順繰り各田んぼを皆が助け合いながら進めていくことになっていた。

 だから黒岩もその流れの中で、確実に田植え要員の一員として、各農家の田植え仕事を手伝うことになった。しかし当時は今と違い、稲の苗を一本ずつ手で植えていくため、それは慣れない黒岩にとっては、けっして楽な作業ではなかった。腰を屈めたままで、一本一本植えていくのは、彼にとっては極めてきつい作業であった。しかし田植えに慣れた村人は、一息つくことなく腰を屈めたままでどんどんと前に進んでいくので、他の人から比べると黒岩の田植え作業はまるでカメとウサギのようなものであったが、ただでも遅い黒岩の疲れ具合は、他の人からすると捗らない割に人一倍であった。しかし大見えを切った以上途中で投げ出すわけにもいかず、腰の痛みに耐え、歯を食いしばって、遅れを取らないようにみんなついていくのが必死だった。

 村の風習で、田植えの作業を手伝ったからと言って、時給いくらで手当がもらうわけではなく、すべて”お互い様”の考えで自分の田んぼを手伝ってもらった分、自分の手間で返すのが村の通例であった。都会の生活じゃ、学生アルバイトも主婦のパートタイマーでも誰もかれもが、一時間いくらで働いていて、無報酬など考えられなかったが、その代わりこの村では誰かが困った時も、お互いさまで他人の分まで農作業を手伝ってくれたりして、それで村社会が成り立っていた。

 その代わり、その家の田植えが終わると決まって、昼飯と夕食はそのうちが手伝ってくれた人に振る舞う習があり、そのため黒岩はあちこちの家で、その都度ご馳走になり、何時しか全ての村人から顔を覚えられるようになっていた。各家でもいろんな独特のその家の味があり、しかしどのうちもその味には味こそ違えど、その作り手の真心がこもっていて、施設で出てくる業者の出来合いの食事とは雲泥の差があった。その味はどんな東京の一流料亭であろうと三ツ星レストランであろうが、そこで食べたどんな贅沢な料理よりもその頃の黒岩にとっては、どの家の味も心のこもった格別の味がした。また黒岩はずっとそんなおふくろの香りのする味に飢えていた気がした。


 お菊ばあさんの依頼で、今度は村の区長の杉下さんという長老の家の田植えに行くように言われ、その頃しっかり慕っていた農業の師匠の言われるままに、そのうちの田んぼで田植えの手伝いをした。そのお宅の田んぼは、さすが村の長老だけあって、他の家よりも数倍広く、手伝いの人もいつもよりも頭数がいくらか多かった気がしたが、黒岩にとっては、いくらか慣れた田植え仕事と思ってもいたが、やはりあの広さはすぐに腰に来て、溜まりかねて畦で一服することの多い作業になってしまった。何しろ他の人がやるように中腰でぶっ通し田植えをし続けることは、黒岩にとっては地獄の作業であった。

 昼時、折角差し出されたおにぎりを頬張ることもなく、黒岩は疲れ果てて土手に寝っ転がっていた。

 その田んぼの主の杉下おんじが心配して、黒岩のもとに寄ってきて、

「黒岩さんといったっけ、お菊さんからあんたのことはよう聞いとるよ。毎日毎日よう頑張るのう。慣れない仕事で、さぞ疲れたろう。もうあと一息じゃ。今夜はご馳走するで、うちでうまい酒でものんでけや。」と長老に励まされたというか、慰められた。そして田植え仕事もようやく終えたのは、陽が傾き空が茜色に染まった頃であった。

 遠くの田んぼの土手に親子であろうか2頭の鹿の姿が夕陽に照らされて、くっきりそのシルエットと紅に染まった空の情景が、なんとも印象的な夕暮れ時の光景であった。

 その夜、杉下おんじんのうちで例の如く夕食の宴が催された。その夜は杉下おんじの勧めで、自家製のどぶろくをご馳走になった。黒岩の疲れ切った身体には、そのどぶろくはよく利いて、五臓六府に染みわたった。何となくアルコール度数が並みでないことは口に入れたときにすぐに感じ取れた。どぶろくでほろ酔いになったころ、杉下おんじが黒岩に言った。

「あんた、今日はご苦労様じゃったのう。よう頑張ってくれた。それにしてもあんたはようやるのう。分校に入っとると聞いたが、来春からあんたも自分の畑、耕してみんか?ここんとこ、だあれも使わんようになった山の草刈り場がこの山の向こうにある。以前は村の衆は、田畑に肥料として枯れ葉集めしたり、屋根の吹き替え用の茅を刈り取ったり、いろいろ活用したもんじゃたが、今じゃとんと立ち寄るものもおらんようになった。きっとあの広い草刈り場ももうすっかり荒れ果てて、木が生えとるかもしれんが、その荒れ野を開墾して、自分で畑を耕してみんか。昔は家族総出で、握り飯もってよく草刈り場に行ったもんじゃった。」と昔を懐かしむように長老が黒岩に告げたが、彼にはあまり突然の話しで、どう答えたらいいのか、かいむく解らなかった。第一自分が農家をやるとはその時まで、まったく考えてもいなかったし、農作業に励んだのも、例の山寺の和尚から「ただひたすらに淡々と」と言われた言葉がやけに頭に焼き付いていて、無為無心夢想の心境で、畑仕事は黒岩が意識せずとも、そうさせてくれる貴重な時間となっていただけであり、農業をやりたいとかを思うでもなく、何の為でもなく、心を無にして、ただひたすら無心になることの心地よさがこんなにも素晴らしいことだとは、黒岩は今まで考えてもいなかったからである。


 黒岩は上京して以来、我武者羅に働いたがそれは、やはり会社の中で出世したいという願望、他人に認めてもらいたいという欲望、お金持ちになりたいという野望が全てそうさせていただけだったのである。それからすれば、無心に大地に鍬を下ろし、地べたにへばりついて雑草を取り、腰の痛みに耐えながらも一本一本稲の苗を田んぼに植えこんでいく仕事は、まさしく無為無心夢想そのものを実践させてくれるのには、絶好の作業だったのだ。

 そして黒岩は、あのかつての鶏小屋には二度と戻りたくない、誰一人も鶏小屋の鶏になって欲しくないという気持ち一心で、野良仕事に没頭出来た気がしていた。

 これぞ「ただひたむきに淡々と」だったのである。

「あんたは、本当に欲のない人じゃのう。自分の損得はいつも度外視じゃ。今時の若い衆はすぐに、金金金じゃ。あんたを見習わせたいもんじゃよ。わしゃそんなあんたが好きになった。気に入ったんじゃ、是非もう一度あの荒れ果てた草刈り場を甦らせてやってくれんかのう」と再度杉下おんじが黒岩に言った。黒岩は『あんたは欲がないのう』と言われても恥ずかしだけだった、今まで欲の塊だった自分が、そういわれることが妙にむずかゆくて仕方なかった。

「ところで草刈り場ってどういうところなんですか?」と黒岩は杉下おんじに尋ねると 「あそこはのう、村の共有地でな当時皆、金肥のない時代は、落ち葉で堆肥を作りおったんじゃよ、それに茅葺き屋根も50年に一度は吹き替えが必要で、村人総出で各家の屋根の吹き替えをしたもんじゃった。屋根の葺き方もそうやって若いもんに教え込んでいったもんじゃった。家を建てるといっても、当時はその周りの山から一本一本大きな木を切り出しては、新しい分家するうちを建てたもんじゃった。その時使った馬がそこの馬小屋で静かに余生を送っておる。可愛くて手放す気になれんのじゃよ、あいつだけは。誰がなんといおうともな。」杉下おんじの言葉は我が娘を嫁に出す親ように、その馬搬に使った馬に対する深い感謝の気持ちが痛いほど感じ取れた。

 そして黒岩はふと思った。きっと昔の会社の同僚に会って、こんな話をしたらきっと

「お前はありがたいやつだなぁ。一日こき使われて、その代償がどぶろく一杯かよ」と。都会に住む人間にとって、一日働く労働報酬は少なくとも国の定める最低賃金以上でなければならず、多ければ多いに越したことはなく、収入が人の優劣を決める指標のようなもので、ただで働く奴は探してもいないのが都会の常識であったが、しかしその時の黒岩にとっては、その日の働きをお金だけで清算することの方が寧ろ寂しい発想であり、そんな浅はかな考え方が虚しく思えていた。ただお金欲しさで働くならば、もっと楽してお金儲けできる術を知っていたが、それではなく昔から受け継がれてきた結いの一員になれたということは、ようやく自分も一人前の村人と認識してもらえた証であり、それが村人の仲間入りしてもらえたことだったのである。

 それは、昔の日本の暮らしの中に既に、福祉王国と呼ばれる北欧諸国よりもはるかに優れた社会相互扶助システムが存在しており、それが日本の田舎社会に確立していたことを知ったのである。村で病人が出たら、近所中でその年の農作業を手伝い、死人が出ると村総出で葬儀を行う。生涯現役生活を全うし、村では病院にいくこともなく、朝起きたらおじいちゃんが息をしていなかったということが当たり前だった。今、介護保険制度で年寄りの世話をするのも点数制で、買い物したら何ポイント、お風呂で背中流してあげると何ポイントとテレビゲームじゃあるまいし、身体の不自由な人の面倒を見て、他人を思いやってお金にカウントするなど人間以外の動物では聞いたことがないと思った。

 黒岩はその頃、他人を思いやれる気持ちを持てば、自分の心までもが豊かになれることを感じていた。都会人の発想が今になってみると何と浅ましく、品祖な考えなかと憐れんだ。負け犬の遠吠えじゃないが、敗者の哲学として、人生を失敗して始めて知ったものとして、人として最も大切にしなければならないものが何かを、それをこの結いの作業を通して彼は知った気がしていた。



    ヨサクとヨサコ


 翌日杉下おんじに連れられて、山の向こうの草刈り場を案内してもらった。獣道のような細い道を登りきったところに、目を疑うように広大な大地がそこに広がっていた。確かに30年というそこに流れた月日の長さは、そこに生えている木の幹の太さからもうかがい知ることが出来た。木というものはたった30年で、こうも大きくなるものかと改めて感心した。そこには様々な樹種の木が生えていて、その下にはドングリがいっぱい落ちていた。そしてそのドングリからは各々に小さな既に芽を出していた。まさしく生命の息吹きであり、小さな生命の誕生であった。そしてそれは、その先の周囲の山肌に生えている木々とは全然別物であった。周りの山肌に生えている木は、全て針葉樹であり杉の木だと思った。杉下おんじの話しでは、その昔はこの山一帯が、目の前のような雑木だったが、関東大震災と太平洋戦争の終戦間際の東京大空襲で、焼け野原になった大都会の復興のために建設資材が枯渇し、政府主導で雑木林を切り倒し、一斉に建築資材として成長の早い杉の木が植えられたのであるという。杉下おんじたちも子供の頃、学徒動員で授業の一環であの杉の苗木の植林作業をしたもんだと昔を懐かしそうに話してくれた。すなわち周りの山は全て人工林で埋め尽くされていて、皮肉にも30年放置されたところだけが、自然林になっていったのかと時代にこの村も翻弄されたのかと黒岩は思った。

 そして杉下おんじが黒岩に言った。

「黒岩さん、あんたこの荒れ野を耕してみんか、あんたの好きにするがいい。もう若いもんは村には誰もおらん。二度と帰ってくることもあるまい。このまま雑木林になるの然り、畑にするも然りじゃ。やってみんか、どうだ?」と杉下おんじは感慨深げに呟くように言った。

 黒岩は即答することが出来なかった。まず農作業は未経験であったし、第一農業をやろうとは、それまで一度たりとも考えたことがなかった。この荒れ野をどこからどのようにすれば、畑になるのかすら見当が着かなかったからだ。

 しかし廃校跡の施設じゃやっかものだし、くすぶっていても老いるのを待つばかりであり、それに草の生えた運動場を畑にすること考えたら、この広大に広がる丘の上で、思う存分自然相手に格闘しても悔いはないだろうと密かに心の中で燃え滾るモノを感じていた。

 そして意を決して

「杉下さん、俺にやらせてください。何が何でもやってみたいです。よろしくお願いします。」と後先も考えることなく、何かにもう一度かけてみたいという気持ちを抑えることが出来ず、深々と長老に頭を下げた。

「出来れば来春と言わず、明日からでもいいですか?」と言うと杉下おんじは

「あんたがやりたいならいつでも構わんさ。その代わりといっちゃなんだが、稲刈りの時もあんたの力を借りたいから、その時はまたお願いしますぞ。」と杉下さんが言うと

「当たり前です、喜んで。農業の大先輩からの授業だと思えばお安い御用です。」・・・・


 早速翌朝から黒岩は、山向こうの草刈り場に通うことになった。入居者の中で元気良さそうな者に声をかけると草刈り場開拓団の志願兵が3人ばっかり名乗り出てくれた。皆、いつも手持ち無沙汰でしょうがなかったそうで、翌日には、4人で草刈り場に出かけることとした。草刈り場開拓団の彼らが荒れ野に着くなり、早々に木の這えていないところを探して、先ずは少しの広場から鍬を振り下ろすことにした。しかし思った以上に地面は固く、おまけに根っこがびっしり張り巡らされていて、鍬が歯は立たなかった。容易には彼らの侵入を自然は許してはくれなかった。早々に憧れの農業は瞬時にして挫折した。農作業に不慣れな彼らが、いくら力いっぱい振り下ろしても、鍬の先が地面に食い込んでくれることはなかった。

 今まで黒岩が村で手伝ってきた畑とはわけが違い、まるでその荒れ果てた大地は、開拓団の面々には手ごわ過ぎて、硬くしまった土地は彼らにとっては、岩石を叩き割るようなに感じられた。

 この広大な大地を畑にするという幻想はすぐに消え失せて、とりあえず先ず力を合わせて何とか一畝だけでもいいから、今年のうちに種子を撒きたいということに切り替わっていた。それでも一畝といっても畑仕事に慣れない寄せ集めの開拓団にとっては、それすら途方もない一代事業に思えていた。

「ダメだ、この辺にするべ、黒岩さん」と誰かが一旦口にすると直ちに他の皆が同調して、来る日も来る日も草刈り場に通いづめたが、いっこうに作業は捗らず、日毎に作業時間より大幅に休憩時間の方が上回り、捗るどころか完全に暗礁に乗り上げた状態になっていった。しかしこつこつと鍬を振ってると、さすがに少しずつでも耕したところが増えて、やがて一条だけ高畝を作り上げ、ようやくのことで植えこむ準備が出来あがった。

 黒岩は開拓団の仲間を先に帰らして、農業の師匠であるお菊ばあさんのところに立ち寄って、作付けの相談することにした。

「おばあちゃん、素人でも簡単にできる野菜を何でもいいんで教えてくれませんか?」と黒岩がお菊ばさんに頼むと

「納屋に里芋とジャガイモの種芋があるから持っていけ、それなら植えとけば、それだけでいいから。」と快く一畝には十分な種芋を譲ってくれた。翌日皆で出来たばかりの畝に里芋とジャガイモの種芋を地中深くに植えて、漸くのことで植え付け作業は終了した。

 それからと言うもの、早く芽が出ないかと開拓団の面々は畑に通いづめたが、そう簡単には芽は出ては来てくれなかった。ひょっとして深く植えすぎたのかもと誰かが言い出し、開拓団のメンバーは急に不安になったが、数日後には何とか土が盛り上がり、ひょっこりと芽が顔を出して、皆は胸を撫で下ろした。

 と喜んでいると昼下がりからポツリポツリと大粒の雨が降り始め、そしてその雨は勢いを増しながら丸二昼夜降り続き、雨は止むことはなかった。その雨は村の長老も経験したことのないほどの豪雨であり、その雨の降り方に皆心配の色が濃くなっていった。屋根に打ち付ける雨音は、寝ている者にも容赦なく鳴り響き、恐怖感を駆り立てた。

 ようやくのこと雨が降り止んだのは、明後日の朝であった。早速畑に様子を見に開拓団の面々は草刈り場に出かけてみると、黒岩たちの精魂込めた畑では、出たばかりの芋の芽は無惨にも土からむき出しになり、作ったはずの高畝もすっかり無惨な姿に変わり果てていた。皆それを見て、ただ呆然と立ち尽くすしかできなかった。

「なんてこった、あんなに苦労いて耕した畑だというのに、折角芋の芽が出て喜んだと思ったらこのありさまかよ、まったくもう。やってられねぇよ。」とメンバーは揃ってその姿に愕然とした。

 そしてもっと驚かされたことは、その先の山が大きくその姿を変貌していたことであった。立ち並んでいたはずの杉の木は、無残にもなぎ倒されて土砂崩れの土と一緒に谷にまで流れおちていた。まるで今まで見慣れた山が、そのまんま大きくずれ落ちるような姿に変わっていた。黒岩達の畑も同じように一か月近くに及ぶ農作業の苦労は、その大雨で一瞬にして無残にも跡形もなく、押し流されてしまった。と同時に山の木々も軒並みなぎ倒された姿は、自然の猛威の前に人間の無力さをさらけ出したような形になり、一旦自然が牙を向けば人間などひとたまりもないことを思い知らされた気がした。

 黒岩は、その山崩れの全貌を見てみたくて、山の奥まで分け入ろうとしたが、あまりに足元がぬかるみ過ぎて、一歩も足を踏み入れることすら出来なかった。水分を大量に含んだ土砂は、今にもまたずり落ちそうな様子で、黒岩は前に進むことを断念せざるを得なかった。しかし目を凝らして見ると、霧の晴れたその先に、その崩れた部分だけでも300mくらいはゆうに続いており、その先にもまるで熊が爪でひっかいた傷のような跡が幾重にも続いているような気がしたが、黒岩には全貌をうかがい知ることは出来なかった。黒岩は一旦上流に進むことを諦めて、草刈り場周辺を見て回ると意外とそこに生えていた雑木林は何もなかったように、平生の姿のままで静かに木々が立ち並んでいた。そして足元もぬかるむことはなく、足を取られることもなく、辺りを見て回れた。さっきの土砂崩れの現場で見たなぎ倒された杉の木は、根っこごとむしり取られるように倒されていたが、黒岩が気づいたのは、その幹にへばりついていた根はまるでお皿をひっくり返したように薄っぺらく、円盤状になっていて、地面を這うように根が広がって張っていたのかと改めて見つめていた。これでは確かに斜面がゆるんだ時には、あれほど大きな木なのに根こそぎなぎ倒されるのも無理はないと思えた。

 黒岩は一応の様子が解ったので、その足で村の長老の杉下おんじのところに立ち寄り、その惨劇の様子を報告することにした。

「いやぁ、心配はしておったが、そんなことになっておったか。あまりに雨の降りっぷりが強いので、一時はどうなるかと思っていたが、村の周りは特段被害がなかったので安心していたが、草刈り場の奥はひどいもんじゃの。昔俺の父親の時にもえらい大雨が降って、下のほうじゃ川が大暴れして、家がたくさん流されたことがあったと聞いておったが、その時にはこの山の中はなんともなかったそうだったが、きっと戦後雑木をすべて切り倒して杉の木を一斉に植林したからかのう?」と杉下おんじが黒岩に話してくれた。黒岩は長老の話しに納得いく部分がいくつもあった。

 戦後の植林で杉の木を植林したというが、あのなぎ倒された杉の木の根っこでは、土を抱きかかえることなど到底できるはずがない、きっとその以前の雑木林では、もっとしっかりと土の奥底にまで根を生やす木がそこにあったから、こんな大災害にはならなかったのかもしれないと思った。

 それに草刈り場の周辺の木々も雑木林であり、歩いてもぬかるむことすらなかったから、きっと雑木林は土を抱きかかえることと一緒に、水分も抱きかかえて浸透させることができるから、あれほどの大雨の直後でも、土はぬかるむことがほとんどなかったのかと少し自然の摂理を知ったような気がした。黒岩は以前学生時代、都市工学を学ぶ中で、広葉樹の根域の持つ保水性と地盤支持安定能力を勉強したことがあったが、それは教科書のうえでの知識であり、現実にこのようなことを目の当たりにするのは始めてであり、実際の現場でそれを実感できた経験は大きかった。

「困ったことになったのう、あそこいらも共有林になっていて、なぎ倒された木のまんまじゃ、またいつ大雨に見舞われて再び土砂が崩れるかもしれんからのう。こりゃえらいことになったもんじゃ。」と杉下おんじが頭を抱え揉んで黒岩にいった。

 すると黒岩は大胆にも

「ということは、あの倒された杉の木は片づけなけりゃならないということなんですか?それって俺にやらしてもらう訳にはいかないですかね。」と杉下おんじに突然、思いついたように言い出した。

「いくら何でも黒岩さん、そりゃ無理ってもんだよ。いくらあんたがきばってみたって、丸太一本人の手で引きずりだすことなど出来はせんよ。村のこと心配してくれるのは有難いけど、そりゃ、はなっから無理な話しじゃよ。」と杉下おんじは駄々っ子の子供に言い伏せるように黒岩に説き伏せた。それに対し黒岩は、杉下おんじに言い返した。

「杉下さん、以前私に馬搬のことを話してくれたことがありましたよね。馬に負かしたらどうでしょうね。杉下さんのところで可愛がってるあいつがいるじゃないですか?」

「黒岩さん、バカ言っちゃいかんよ。あれはもうとうに、おじいちゃんだよ。自分が立ってるのがやっとで、もう余生を送るのが精一杯じゃよ。」

 黒岩は「ううん、ダメか」と杉下おんじの話しを聞いて肯かざるを得なかった。

「じゃあ、まずはこれで」と黒岩は折角と思ったが、それ以上すぐには妙案が頭に浮かんでも来なかったので、残念そうな顔で杉下おんじの家を後にした。しかし帰り道とぼとぼと歩きながら、何かいい方法がないものかと頭を捻っていた。というのも黒岩の頭の中には、別にもう一つの夢が膨らんでいたからだ。それは以前訪れた南の島西表島のはずれで自分一人で民宿や小屋を作った民宿の親父さんの話しであった。今までは、家は大工さんが建てるもの、道は土建屋さんが作るものと決め込んでいたが、黒岩は、あの西表島で見た建物をいまだに忘れることが出来ずにいた。そして何とかすれば、自分の手で家が建てられるかもしれない、あの場所で。と歩きながら夢は膨らむ一方であった。

 そして、食堂のテーブルに用意されていた食事にも手を付けることはなく、自分の部屋に籠ったまま、試案にくれたが妙案は一向に何も浮かんでは来なかった。

 それで、半ば諦めかけたとき、ベットに寝っ転がって目を閉じていると、ふとばんえい競馬の景色が目に浮かんできた。

 あっそうだと思った、あの馬だと。あのばんえい競馬の馬こそが、木材を搬出するために生まれてきたような馬だと確信した。あの逞しい足、そして力強いソリを引く力。あれさえいれば何とかなると思ったが、黒岩には実際にどうすればいいのか見当もつかなかった。杉下さんちの馬はもうとっくにおじいちゃんになっていて働けそうにないし、どうしようと思案した挙句、黒岩は、むくっと起き上がり一通の手紙を書くことにした、北海道ばんえい競馬協会宛てに。

「拝啓、北海道ばんえい競馬協会御中

 突然のお手紙で恐縮ですが、私たちの村は、先日の豪雨災害で被災いたしました。樹木もろとも大規模な土砂崩れが発生し、そのなぎ倒された木を搬出するために御協会の馬を是非お借りしたいんですが、ご協力していただけないでしょうか。」という文面であった。

 あまりに唐突過ぎるお願いだとも思ったが、それ以外に妙案が頭に浮かんでこなかったので、ダメでもともとの覚悟で、手紙を競馬協会宛てに送った。

 数日後、北海道ばんえい競馬協会から返信が帰ってきた。黒岩は胸を膨らませて封筒の封を切って内容を見たが、その内容はあまりに事務的過ぎていて、

「当協会は、競馬馬を所有する協会ではないため、そちら様のご意向にはお応え出来かねます。」とだけ書かれていた。そして最後に「その件は馬主組合にお問い合わせください」と書き添えられていた。

 黒岩は一抹の期待を込めて再度手紙を同じ趣旨の内容で、北海道ばんえい競馬馬主組合の住所も書き添えられていたので、その住所宛てに願いを込めて手紙を認めた。

 返ってきた手紙には「当組合では残念ながらお貸しできる馬はいません。しかし引退馬で殺処分で馬肉になる馬なら、今度芝浦の食肉加工センターに送られることになる馬が2頭いるからそれでよければ、それなら紹介できる」ということであった。おまけに末尾に

「災害復興にご尽力されているとお聞きし、さぞ大変でしょうから、本来であれば、加工肉の代金と運送費用を請求するところでありますが、お手紙の趣旨を鑑み、当組合として特別に無償でご協力させていただきます。」と追伸で書き添えられていた。それを読んだ黒岩は天を仰いで感謝した。その書き添えらえた一文が黒岩の心に染みわたった。なんて優しい人がこの世の中にいるもんだと、感謝しても感謝しきれない気持ちで一杯になって、早速お礼と感謝の気持ちを込めて手紙を返した。

 そして2週間ほど経った頃、いよいよ2頭のばんば馬を乗せたトラックが村にやってきた。

 黒岩は最初、その馬たちに対面した時の第一印象は、引退馬ということで、杉下さんちの愛馬の弟分くらいだと覚悟していたが、何と2頭とも現役競争馬そのもので、昨日までレースにでも出ていたのかと思わせるほど元気で、毛並みも艶々していた。逆に言えばこんな若々しいのに、屠場に送り込まれる運命だったのかと思うとあまりに哀れにも思えた。

 馬は来てくれたのは、有難たかったが、今までに馬を扱った者など施設の入居者にはいるはずもなく、施設内で馬を飼うとなるとまた施設長とすったもんだになると思い、一層のことここは杉下おんじの指導を受けるほうが手っ取り早いと思い、2頭の大きな図体の馬を引いて、黒岩はぽかぽかと蹄の音を立てながら杉下おんじのところまでその馬たちを連れて行った。案外身体はごつい割に大人しく歩いてくれて助かったと思った。途中で暴れられでもしたら、手の付けようもないと危機感を抱いていたので、黒岩は無事何事もなく杉下宅に辿り着いたときはほっとしていた。

 馬搬経験のある長老は、こういう時には頼りになるもので、納屋には当時使った馬具から何からは大切に仕舞われていた。丁度馬小屋も当時5頭程いたらしく、今いる馬の他にも残りのスペースはゆったりと余っていたので、連れてきた2頭も当分新しく馬小屋ができるまでそこで預かってもらうことにした。

「黒岩さんは、たいしたもんだのう。本当に馬を連れてきちまった。あんたの行動力には呆れるよ。よくこんな元気な馬を手放してくれる人をみつけたもんだなぁ、大したたまげだ、あんたって人は。それにこいつらよく見ると牡馬と牝馬じゃから、まだまだ子種が期待できるかもしれんぞ!」と長老が大笑いしながら黒岩を冷やかした。

 その後二人は、土砂崩れ跡に一緒に見に行ったが、あれじゃいくらなんでもこの馬でも足を踏み入れることは無理だということで、当分土が乾くまでしばらく様子を見て、当分はあの土砂崩れ現場はほうり投げておくしかないというお互いの見解が一致して、その間に馬の餌やりから馬具の装着方法、扱い方を馬搬の大先輩から黒岩はみっちり仕込んで貰うとのこととなった。

 黒岩は、これでなんとかなりそうだと大舟に乗った気分で、足しげく杉下宅に毎日足を運んだ。そして朝早くから干し草をやり、水を汲み替えて、馬の背中にブラシを充ててやり、黒岩は少しずつ馬との距離が縮まっていくのを肌で感じていた。そして少しずつ各々の意思が通じ合うようになった気がしていた。杉下おんじが愛馬を自分の娘のように思う気持ちが少しわかったような気になっていた。

「ところで黒岩さん、あんたあの倒木を片づけてくれるのは有難いが、それからどうするつもりなんじゃ。あれ全部いくら馬がいるといっても一人じゃ大変すぎるぞ。わしも手伝ってやりたいところじゃが、何せこの年じゃから馬もそうじゃが、わしも使いものになりそうにない。どうなさるつもりなのか?」と杉下おんじが黒岩に尋ねると、黒岩は自分の心に中に秘めたる大いなる夢を語り始めた。

「実はあの倒木を使って、まずは自分の住める小屋を作りたいんです。そしてあの施設をできるだけ早く出たいんです。あそこにいるとあそこの責任者とぶつかるだけだし、自分も老ける一方なんです。村の人は皆揃って元気に畑で働いているというのに、施設の入居者は皆ぼけ老人のようにお迎えを待っているだけの生活を送っているんです。生涯現役の村の衆が私にとっては、一番の励みなんですよ。」と黒岩が言った。

「それに羨ましいですよ、生涯現役でいられるなんて。村の人は皆いくつになっても活き活きしている。それに毎日が実に楽しそうで皆肩寄せ合って仲良く生きてっるって感じですよね。いままで私が住んでいた東京じゃ、60歳過ぎれば、みんなしっかり老人になって、たまに旅行に行くかゲートボールするのが、唯一の楽しみみたいで、最後には息子たちに邪魔者扱いされて、老人ホームに送り込まれるのがおちですからね。それからすれば村の年寄りは、いつまでも元気で凄いですよ。施設の仲間にももっと活き活きと生きて欲しいんですよ。村の人のようにね。勝手に話し込んじゃってすみませんでした。そろそろしっけいしますね。」と黒岩が腰を上げようとしたとき、杉下おんじが

「よっしゃ判った、あんたの気持ちが。村の他の衆には俺が説得しとくから、安心してあの荒れ野の草刈り場を甦らしてくれんかのう。このままじゃ草刈り場は元の山に戻ってしまうだけじゃからのう。」と杉下さんが言うと、

「ありがとうございます、杉下さん。自分なりに精一杯頑張らせてもらいます。」と黒岩は、張り切って杉下おんじに返答した。

 そして、しばらく土砂崩れの現場には足を踏み入れていなかったが、そろそろかと思って黒岩はあのどろどろにぬかるんだ土砂崩れ現場にいってみると、何とそこは乗用車が走れるほどにしっかりと固まっていて、もういくら馬が蹄を立てても、びくともしないくらいに硬くしまっていた。

 それで黒岩はようやくいざ出陣とばかりに、一頭の馬を引き連れて現場にやってきた。長老に教わった通り馬具をしっかりと馬に括りつけて、威勢よく手綱を引いたが、しかし一向に馬は動こうとしなかった。

 折角ある程度お互い意思疎通が出来てきたかと思いきや、それは実際の現場じゃまるで言うことを利かなかった。馬小屋で餌をやってるときには、あれほど物分かりよさそうに大人しく、頭を撫でてあげると嬉しそうにしていた癖に、いざ外に連れ出すとその馬は梃子でも動こうとはしなかったのだ。どんなに手綱を強く引こうが、尻に鞭を討とうが断固として足を踏ん張って、まるで地べたに根っこでも生やしたかのように、断じて黒岩の言うことを聞いてはくれなかった。

 杉下おんじからは、以前から言われていた、

「どんなことがあっても、馬の後ろに回ってお尻を押すなんてことはしてはならんぞ、あの太い後ろ足で蹴られようもんなら、お前さんの頭が吹っ飛んでしまうからのう。」と再三忠告されていたので、お尻から押すのだけは止めていたが、その他の考えられることは何でもやったが、馬はまるで黒岩の言うことを聞こうとせず、どうしても動こうとしてくれないので呆れ果てて、馬具をはずしてみると、途端に、あんなにも動かなかった馬が、さっさと草むらにひとりでに歩き出して、むしゃむしゃと草刈り場の生えている青草を美味しそうに食べているではないか。

 黒岩は「こん畜生め!」と思ったが、考えてみると馬は目の前に生えている美味しそうな青草を横目にして、歩きたくないのも無理はないと思った。人間だって目の前にご馳走が並んでいるのに、いつまでも来賓の長い話など聞きたくはないもんだと変に納得した。そしていっとき草を食べ終わると、馬はようやくのことで足を前に動かしてくれた。そして硬く締まった地面を一歩一歩と歩き出し、ようやくのことで、山の奥にまで分け入ることが出来た。それはもう陽がすっかり傾いたころであり、着いた頃にはもう夕方になっていたので黒岩達は、足元の明るいうちにと、もはや帰るしかなかった。そして何をすることなしに、またも来た道をとぼとぼと戻って、いつもの馬小屋に馬を縛り付けて、軽く挨拶代わりに杉下さんちに顔を出すと杉下おんじは、

「そんなもんじゃよ、最初っから馬は人間様の言うことなど聞いてはくれんよ。」と軽く杉下おんじから笑われた。黒岩もまたそんなもんかと変に納得した。

 そして翌日には、夜が明けるのを待ちきれずに馬小屋に行き、今度は散々腹いっぱいに干し草を与えて、水も思う存分飲ませて、またも土砂崩れ現場に向かった。

 その日は昨日とは打って変わって、馬は嘘のように素直に黒岩の言うことを聞いてくれて、山奥に直行してくれた。黒岩は思った、昨日梃子でも動こうとしなかったのは、さぞや腹が減っていて、目の前の青草を我慢してまで歩く気にはなれなかったのも当然だと思った。少しは馬の気持ちになって無言のうちにも、馬と会話が出来始めた手ごたえを密かに感じていた。

 黒岩は、杉下おんじから借りた斧で、倒木の根っこの部分と先端部分を切り落ちし、適当な長さに切り揃え、その間は馬を沢筋に縛り付け、好きな時に水が飲めるようにしておいたので、「ずいぶんこいつも素直になったなぁ」と感心するくらいに、黒岩の言うことを聞くようになっていた。そして縛り付けた馬具とソリに切り揃えた丸太棒をしっかりと括りつけ、ようやく一本目の搬出作業にこぎつけた。それは黒岩が馬搬を思いついてから約一か月半後のことであったが、ようやく長い旅に船出したような気分であった。難航した船出ではあったが、一本を平地まで運び出すと、その後少しずつ道は踏み固められ、まるで列車が線路の上を走るように馬はひとりでに同じコースを歩いてくれたので、二本目の丸太からは、案外スムーズにことは進んだ。そして最初約一往復するのに2時間ほどかかったが、それが作業が進む内に1時間半にそのうち一往復が1時間もしないで熟せるようになり、一か月ほど続けいる間に、積み上げた丸太の数は瞬く間に、ひと山できた。そしてやがて夏がやってきて、太陽が容赦なく黒岩と馬に降り注ぎ、黒岩も大汗を掻きながら斧で倒木を切り揃えたが、さすがの馬も身体全身から汗が吹き出していて、黒岩は始めて馬も人間と同じように汗をかくんだと初めて知った。そしてその暑さの中での仕事はさすがに人馬共にきつく、陽の高い日中は無理をせず、黒岩は草むらに寝っころがって木陰で昼寝をし、馬はゆっくりと青草をむしゃむしゃと食べてゆっくりと休むことにしていた。

 その頃黒岩はふと気づくと丸太棒と毎日格闘していたが、人と話しをするということはめったになく、言葉を発す先はいつも馬にだけであった。そして何時しか黒岩も気づかぬうちに馬を呼ぶときには、「おい、ヨサク!」と呼ぶようになっていた。それは来る日も来る日も斧を振り下ろすとき、疲れてくると決まって”北島三郎の『へいへいほう、へいへいほう、与作は木を切る』”と誰も聞いていないのをいいことに、大声で声のでる限りに歌うというよりも寧ろ自分を励ますために、掛け声をかけて気合をいれていたので、いつの間にか馬を呼ぶときもヨサクと言うようになり、いつの間にか牡馬の名前はヨサクに定着していった。黒岩は、もう一頭の雌馬も面倒だったので、ヨサコと呼ぶことにしていた。

 やがて、暑い夏も峠を超えた頃には、半ば倒木も残すところ半分くらいになり、運び出す残りを数えられるようになっていたが、その頃には村では稲刈りの季節を迎えていた。

 かねてから黒岩は、「稲刈りの時も頼むぞ!」と言われていたので、今更それを断るわけにも行かず、朝は夜明け前に山に着き、丸太を一本だけ下ろし終わると、すぐに各農家の稲刈りを手伝うことになり、馬とようやくウマが合うようになってきていたが、馬搬の作業ペースは一気に落ちて、秋遅くまでは、もっぱら稲刈りの手伝いで追われる日々になってしまっていた。



    恩の返し仕方


 そしてその頃、村でも小さな事件が二つ起こっていた。事件と言っても嬉しい出来事だった。杉下おんじから聞くところによると、二人の子供を連れた若い夫婦が空き家になっていたうちに、引っ越してきたいうことと、もう一人昔この村に住んでいたという人が村に帰ってきたということであった。

 若い夫婦には、二人の子供がいて、その上の男の子は、子供の頃、川遊びをしていて、足を擦りむき、人食いバクテリアに感染し、その後左足の歩行機能を失ってしまい、当時の教育委員会は、その児童の特別支援学校への編入を迫まったが、親はどうしても、子供を普通学校への就学を続けさせてあげたいと強く要望し、結局それは受け入れられることはなく、やむなく息子を受け入れてくれる田舎の小さな学校を見つけて、移住を決意したそうであった。

 それは、減ることはあっても増えることのなかったこの村の人口が、一気に5人も増えたということは、大変な出来事であった。

 黒岩は、春から比べると自分でもだいぶ体力も着いたと自負するところであったが、いざ稲刈りガマを持って稲刈りを始めてみると、やはり腰を屈めての仕事は田植えの時と同様相当腰にきて耐えきれず、周りの人がそれを見かねて黒岩をできるだけ稲刈りをする作業を避けて、刈り取った稲を稲架掛けする作業に回されるようになっていた。

 稲架掛けは、二人一組で行うようになっていて、一人は組まれた稲架にまたがり、もう片方は、刈り取られた稲を集めてきて、上に投げ上げる役目になっていた。黒岩はもっぱら下から束ねた稲を上に投げ上げる役割に回されていて、稲架にまたがりそれを受けるのが今度村に帰ってきたという立花玄造と言う男であった。だからどの田んぼでもおのずとこの二人が、いつも対になって作業を行うようになっていた。作業が一段落するとその相手方の男が黒岩に声を駆けてきた。

「あんたが黒岩さんっていうんかい。杉下の親父から話しはよう聞いてたよ。ずいぶん草刈り場では、がんばっているようだなぁ。あんた一人でたいしたもんじゃ、今度山にあんたが行くときには俺も見てみたいんでそのうち顔出してみるよ。その時はよろしくな。」とやけに肩幅の広い体格で、そのごつい手はどう見ても力仕事向けの指をしていると黒岩は彼の話しを聞きながら、彼の手の平をずっと見つめていた。後から杉下おんじから聞いた話であるが、彼は昔っから村の田んぼの土留め用に石組み仕事を請けて生業にしていたが、村で石組みの仕事がなくなってからは、山を降りて下の町で土建屋の手伝いをして生計を立てているらしかった。その立花玄造なる人物が後々黒岩の良いパートナーとなるとは、お互い知る由もなかった。

 やがて、村中の田んぼの稲刈りも大半が終わり、土手の草を燃やす青い煙があちこちから立ち込めていた。黒岩も最後の稲刈りが終わるころには、また山仕事に専念するようになっていた。その頃にはすっかり日が短くなり、夜が明けるのも遅くなれば、また陽が暮れるのも早く、その分一日の稼働時間もおのずと少なくなっていた。しかし黒岩にとっては、この仕事を特別焦ってやる仕事でもなく、期限や納期があるわけでもなく、気の向いた時にはせっせと倒木を運び出したが、そうでないときにはヨサクの馬具をはずして、馬にまたがり草刈り場周辺を探索することも楽しみの一つになっていた。山が色ずき始め、山ぶどうの実がたわわに稔り、倒れた老木の脇には名も知らぬキノコにも目をやるようになっていた。馬のヨサクが鼻から勢いよく吐き出す白い息は、まるでかつての蒸気機関車D51のように、力強く黒岩には頼もしく映って見えていた。それはもうすっかり黒岩に取って、ヨサクとヨサコはいつの間にか同じ夢を追いかける良き同志であり、頼もしい掛け替えの無い相棒となっていた証でもあった。

 その日も、どちらかというと、もっぱらの彼らの仕事は、たわわに稔った山ぶどう採りであった。この時期を逃すと先に小鳥に食べられてしまうので、山深くまで分け入ってせっせと山ぶどうを採り続けていた。それはかつてあのお菊ばあさんのところで呑んだあの山ぶどうワインの味が忘れなかったからで、春からずっと山ぶどうの蔓がどこにあるのか見当を付けていたので、いざ秋が深まったときには、一目散で目的地に直行出来たし、しかし以前聞いたあの”山のおきて”を忘れることなくなく、蔓ごとむしり取れば早かったが、一回一回木に攀じ登り、ひと房ずつ丁寧に採ってできるだけ山ぶどうの蔓を傷付けないように気を配っていた。そして陽が傾きだすとすぐに辺りが暗くなるので、山ぶどう摘みもほどほどにして、ヨサクを杉下おんじの馬小屋に返そうと家路を急いだ。

 その日は、ようく空は晴れ渡り、早々に冷え込んでいたので霜が降りるのを覚悟していた。いつもの曲がりくねった道を下り始めたとき、道路わきに見知らぬ自動車が路肩から大きくはみ出して、道路の法面に突き刺さるように止まっていた。その傍らで呆然と立ち尽くす若い女性の姿があった。困り果てて、誰かに助けを呼ぼうにも、ただでさえも道を行き交う人の少ない道で、誰を待つでもなく、慌てふためき、狼狽えるだけの女性は、その場に立ち尽くしていた。車の中には二人の子供が乗っていて、それだけでも珍しい姿で、黒岩は何やらどこか知らないところから来た人が、凍り始めた路面に気づかずにスリップして、敢え無く脱輪したことが容易に想像が着いた。これじゃどうせ自力では、脱出出来ないだろうと思い、頼まれたわけでもないのに、(おもむろ)に何を言うことなく馬を道脇に停めて、勝手に持っていたロープを馬具にしっかりと縛り付け、片方を脱輪した自動車の前方のフックに縛りつけて、馬に引かせた。

 最初、脱輪した車はピクリともしなかったが、黒岩がヨサクに鞭を入れるとその大きな鼻からまさしく蒸気機関車の吹き出す蒸気のように、白い息を思いっきり吐きながら蹄を立てて、鬣を大きく棚引かせ力一杯路面を叩きつけるように一歩ずつ太い足を歩みだして、ようやくのことで、脱輪した乗用車を元の道まで戻すことが出来た。

 さすがは、ばんえい競馬で慣らしたことがあるだけに、ヨサクにとっては重いソリを引いて障害を乗り越えることぐらいはお手の物だった。そして乗用車が無事に上がり元の道に戻すと、黒岩は徐に縛ったロープを片づけて、そして何もなかったように家路を急いだ。少し後ろを振り向くと若い女性は、いつまでも深々と頭を下げているのが見えたので、黒岩も振り向くこともなく、代わりに軽く手綱を持った手を片方にして、片方の手を軽振ってその場を立ち去って行った。もうすっかり陽が沈み、辺りは薄暗くなり空は茜色に染まっていた。


 数日後、いつものように山仕事に来ていた黒岩のところに、見知らぬ来訪者が親子連れで歩いてやってきた。草刈り場には杉下おんじ以外はほとんど誰も来ることはなかったので、黒岩は最初、この辺りで子供連れなど見たこともなく、誰だか見当がつかなかったが、そういえば、この間杉下おんじが言っていた、あの村の空き家に移り住んできたという、家族のことを思い出した。

 そしてその家族の主人であろう人が近寄ってきて、黒岩に深く頭を下げて言い出した。


「黒岩さんでしょうか?先日は、うちの家内が車を土手に落として、困り果てているときに助けていただき、本当にありがとうございました。その時は妻が子供らの学校の送り迎えで下の町まで行ってた帰りで、子供たちも乗っていたので、本当に助かりました。あいにく私は東京に出張しており、妻も困り果てていたところを、助けていただき、本当に余計なお手間を取らせてしまい申し訳ありますんした。大変失礼かと思いますが、これをお納めください。少ないですがほんの気持ちですから。」

 とその男は黒岩に白いのし袋を差し出してきた。

 黒岩は、それを見て、

「あの時はそんなつもりでやったわけじゃないよ。何も気にすることはないよ。こんなものは、受け取るわけにはいかないので、お納めください。それに困った人を助けるのは当たり前のことで、もしもいつかどこかで君が困った人を目にしたら、是非その人に手を差し伸べてあげてくれれば、それで十分ですよ。この村じゃそんなことを、お金で片づける習わしは無いので、それは気持ちだけいただきます。」と丁重に黒岩はのし袋を突き返した。

「そんなことはどうでもいいから、今日は天気もいい。折角だから子供ら連れて、ちょうど今ならアケビや栗拾いでもしてくりゃいいよ。そこの足の不自由な子は、おじさんが馬に乗せてあげるから、こっちにおいで。ほかの人はゆっくりと楽しんできな。今日はさぞ気持ちいいぞ、きっと。」と言い放って、その子供を一人乗せて、またも相棒のヨサクと共に、山の奥の方に消えていった。黒岩はふと思った、若夫婦がここが解ったのも、さすがに馬に乗ってうろついているのは、自分くらいしかいないから、村の誰かにでも聞いて、すぐにここにいると解ったのだろうと察しが着いた。


「坊や、足が不自由みたいだけど、怪我でもしたのかい?大変だったなぁ?」と黒岩は背中の馬の背にまたがった少年に話しかけた。

「おじさん、僕は、何も大変なことなんかちっともないよ。みんながよくしてくれるもん。実はね、ぼく、怪我する前はいじめっ子だったんだ。弱い子をいじめるのが大好きでよく友達引き連れて、いじめをやらせてたんだ。お山の大将ってとこかなぁ、でもその時の仲間は、みんな僕の命令は聞いても本当のお友達じゃなかったみたい。僕が怪我してからは、彼らが今度手の平返すように僕のことをいじめだしたんだ。でも僕に最初に肩を貸してくれたのが、以前僕がいじめてた子だったんだ。だから僕はその子とは一番の親友になったんだよ。他にも僕を助けてくれる友達が、いっぱいいるから、おじさんが言うような僕は、ちっとも大変なんかじゃないよ。」と馬の背にまたがってその子はさぞや初めて馬に乗って楽しかったのか嬉しそうに黒岩の余計な気配りをよそにそう言った。

「そいつはよかった。坊主にしてみりゃ、そりゃ怪我の功名ってとこかなぁ?」

「功名ってなぁに?」

「まあいいさ、そんなことはどうだって。僕にはいい友達出来てよかったなぁ。」と二人は仲良く、ヨサクに乗って背にまたがって、森の中でゆっくりとした優しい時間を楽しんでいた。


 その頃には、すっかり日は短くなり、つるべ落としのように昼が過ぎるとすぐに陽は傾き、帰り支度をしなければならなくなり、期限の無い仕事といえども何とか雪が降る前に、倒木の片づけにメドを付けたかったが、日増しに運び出す本数も減っていった。

 そして、早くこの馬たちの馬小屋だけでも作ってやってやりたかった。というのもやがて産まれてくるであろうヨサコの子のためにも産まれるまでに作り上げてあげたいと考えていたのだった。そのために産まれてくる仔馬が少しでもお暖かくできるようにと、予め稲わらも稲刈りの時に頼んでおいたので、黒岩の気持ちはまず馬小屋づくりであった。逸る気持ちを抑えつつも、日増しに日の短くなることに焦りも色が濃くなっていった。

 そんな或る日のことである。稲刈りの時の良きパートナーであった立花玄造なる人物が草刈り場にやってきたのは。稲刈りの時にも思っていたことであったが、そのがっちりした体形は、遠目でもすぐに彼だと分かった。ヨサクもヨサもその姿も確かに足は太く逞しかったが、その彼も遠目で見る限りあまりその馬の姿に引けを取るものではなかった。

「おぉう黒岩君、久しぶりじゃのうぅ。今日もがんばっちょるかねぇ?結構、結構!山に変わったもんがおると聞いたが、本当におったのう。これ全部一人でやってのけたんかい、たいしたもんじゃのう。これからは俺にも少し手伝わせてくれんかい。おもしろそうじゃきに。」と黒岩に逢うなり、昔っからの竹馬の友のように、大きな声で黒岩に話しかけてきた。

「お久しぶりです。その後お変わりありませんでしたか?その節はいろいろとお世話になりました。ちょっと待っててくださいね。丁度今、山から一本木を運び下ろしてきたもんですから、一緒にお茶でもしましょう。そのうちに馬も休ませて、そこの沢にでも水飲ませに行かしときますから。」と黒岩は手早く馬を沢に連れて行き、二人は丸太の上に腰をかけた。

「まあ、立花さんも良かったら、あったかなお茶でも一緒に飲みませんか。コップは一つしかないですけど我慢してください。」と持ってきた暖かなお茶を彼に差し出した。辺りはすっかりと寒くなっていて、暖かな飲み物はそれだけでありがたかった。

「悪いのう、気を遣わしてしもうて。ところであんた何をおっぱじめようとしとるんじゃい。こんなに一杯の倒木を山から運び下ろしてきて。ただただ積み上げて終わりということでもあるまいし。変わったやつだとは聞いてはいたが、何か考えがあるんなら聞かせてくれよ、わしにも。」とただでも大声の彼が、下腹から声を出すように言い換えれば、威圧的な言い方で黒岩に話してきた。

 黒岩は前にも思っていたことが、この人の二の腕は、まるでそこにいるヨサクの前足くらいの太さがあり、肩幅も馬並みであった。見るからに、もしも彼が怒こったら、自分の身体一つくらい、軽く放り投げ上げられるような豪快な体形であり、その人並み外れた体つきは、まるで人間離れしていて、類人猿の血がそのまま流れているようにも見えた。

「そりゃ頼もしいです。是非立花さんの力を貸してくださいよ。私なんかこんな重労働今までしたことなかったので、立花さんに手伝ってもらったら鬼に金棒ですね。」と言うと

「いくらでも手伝ってやるが、あんたこれから何がしたいんか、わしに話しを聞かせてくれよ。話しはそれからじゃ。ところで、これからはその立花さんというのは止めてくれんか。どうも背中がむずがゆくてしかたのうなる。村じゃ皆わしのことは”玄”って呼んでるからそれでいいさ。これからわしもあんたのこと”黒”って呼ばせてもらうけん。」と大男が言った。

「ありがとうございます、ではさっそく玄さん。実は私はここで村を作りたいと思ってるんです。自分の住める家を建てて、こいつらの馬小屋も建てて、そして施設の仲間も呼び寄せて、自給自足の暮らしをしたいんです。金に縁のない暮らしをね。それが私の最後の夢なんです。どうでしょう、玄さんも私に力貸してもらえますか?」と黒岩が目を輝かせて、玄さんにそのことを話し出すと、その真剣な眼差しと濁りのない言葉に、ぞっこん惚れてしまったで、玄さんは声をさらに大きくして

「ようっしゃ、そりゃ面白いや。わしもとことん手伝わせてもらうよ。わしに負かしとけ。わしがそのあんたの夢叶えさせてやるわい。わしがあんたのでっかい夢を現実にしてやるから、あんたの真剣な眼差しにぞっこん惚れちまったぞ。黒!」とさらなる元気な大声で笑いながら、黒岩の願いを快く承諾してくれた。

 それからというもの、さすがに現場慣れした玄さんは、いちいち黒岩が何をいう暇もなく、勝手にどんどんと現場の段取りをとってくれた。以前土建屋に働いていたらしく、その作業は手際よく、一人で概ねの広さを綺麗に鋤簾で平らにして、そこに丁張を張り始めていた。

 黒岩は、いつもは気の向くままに気楽に仕事をしていたが、一気に勢いの着いた現場に逆に追われるように、必要な材木の皮むきを必死に行った。まず自分の住む家よりも先にヨサクとヨサコの馬小屋だと思っていたので、まずは手習のつもりで、細めの材料を用意して、そこに簡単に杭を打ち、使う材木も細いものばかりだったので、玄さんの参戦で、見る見るうちにそれなりに馬小屋は完成した。おまけにエサの干し草置き場と、農具置き場も出来上がった。後は屋根を葺くだけだったが、めぼしい資材がなく、とりあえず、

「そこの木の剥いた皮を張り合わせときゃいいや」と玄さんがいい、それは彼が京都に仕事に行ったとき、杉皮はお寺の屋根を葺くのに使っていたらしく、雨露が凌げる程度の簡単なものであったが、一人で考えているときには、まるで考えも及ばなかったことが、ところが玄さんが参戦してくれたお陰で、丸一日で馬小屋は概ね完成してしまった。

 後は、出来上がったばかりの馬小屋の土間に暖かな敷き藁を敷いて、水飲み桶をおけば良かったが、その桶だけはどうしようもなく、とうとう杉下さんから借りてきて、そのまま借りっぱなしとなってしまった。馬小屋と言っても馬の親子三頭ゆっくりと羽を伸ばせるスペースとほぼ半年分の干し草置き場、それに作業に必要な馬具を一式しまい込む納屋まで併設してあり、立派なもので一人前の恰好をしていた。さすがだてに長年土建屋に働いていたわけじゃなかったんだとつくづく玄さんには感服した。

 ヨサクは早速その夜から、出来立ての新居で寝ることになったが、やはりいつもと違う雰囲気に落ち着かない様子で、いつも一緒だった奥さんと子供がいないと、なんとも寂しそうで一晩中うろうろ歩き回ってヒヒッンヒヒッヒンと唸り声をあげていた。そして翌朝には、玄さんが「杉下おんじのうちによって、わしが2頭いっしょに連れてきてやるさ、安心しとけ。」と言って、玄さんは早々に帰っていった。

 しかしその翌日、事件が起こった。玄さんは雌馬のヨサコにまたがり仔馬を連れて杉下さんちを出たはずだったが、草刈り場に着いた時には、ヨサコにまたがった玄さんは、その時まで仔馬が後を付いてきているとばっかり思い込んでいたらしく、着いた時初めて仔馬がいないのに気づいた。二人は大慌てで、元来た道を辿りながら、必死に仔馬の行方を探したが、一向にその姿は見当たらなかった。近くで草を燃やす年寄りに聞いても、皆口を揃えてそんなもん知らないと言われて、二人は困り果てて杉下さんに相談に行くと、

「その子なら、いい子でちゃんと馬小屋で寝そべってるぞ。」と杉下おんじが笑いながら言った。それを聞いて二人は胸を撫でおろした。一人ほっぽり出されて、やはり自分が産まれた馬小屋が一番良かったのか、そこで無邪気そうに二人の心配をよそに気楽に寝そべっている姿を見て、二人は一安心したと同時に呆れた。

「まいっちまったなぁ、こんなとこでのんびり寝てやがって。こっちはこんなに心配して探してやってるというのに、のんきなもんだ。」と玄さんが吐くように言うと、

 黒岩は「どっちがのんびり屋だ!自分の胸に手を当ててからにしてよね。」と言ったが、その時玄さんは、いつも手際よく仕事は熟し、力仕事なら負かしとけというだけのことはあったが、あの図体の割に、どこか抜けているところがあり、それでも人にいい、どこか憎めない人だと改めて黒岩には思えた。

 そして二人はとぼとぼと仔馬を引き連れて草刈り場に戻ると、今度はヨサコとヨサクが馬小屋にはいなかった。二人は慌てて仔馬を探しに出かけていったので、馬の綱を縛り付けるのを二人とも忘れて行っててしまたのであった。そして辺りを見回すと二頭とも仲良く、その辺でのんびりと草をむしゃむしゃと食べていた。

 黒岩は「まあぁみな憎めない連中ばかりだ」と呆れるばかりであった。空は真っ青に晴れ渡り、なんとも気分のいい昼下がりの出来事であった。


 しかしその青空も長続きはせず、昼下がりからはどんよりと鉛色した雲が広がり始めていて、帰るころには黒岩と玄さんの二人の頭にも白いものがちらほらと積もり始めていた。それは、いよいよ本格的な冬の到来の兆しであった。

 翌日黒岩は、残り僅かになった倒木を運び出すのを諦めて、運び出しはゆっくり雪の中でも仕事ができると思っていた。というよりも寧ろ雪の上のほうが、丸太の滑りがよく運び出しが楽になると杉下おんじから聞いていたのを思い出していたので、それはそれであまり焦るものでもなかった。それで玄さんとじっくりとこれからの作戦を相談することにした。玄さんの意見では、

「早かれ遅かれ本格的に雪が降る。その前にまず河原から石を拾い集めて、建物の基礎を作るのが先決だなぁ」と言った。確かに雪が降ると基礎工事はやりずらいのは確かで、玄さんのいう通り、まず玄さんはヨサクに馬具を付けて、近くの河原で石を拾い集め、黒岩は材木の皮むきをするように、各々が何も言わずとも役割を分けて仕事を分担した。そして玄さんはやはり石組み職人だけのことはあり、基礎石を穴に埋めながら、段取りよく概ね基礎が出来上がるころには、黒岩の方は皮を剥いたログハウスの材料が揃い、材料に組み合わせる切り込みを入れて、概ねの材料が用意できた。

 そして、翌日からは玄さんはやぐらを組み、滑車を付けて、要領よく重い丸太を二頭の馬に引かせて、少しずつ土台になる丸太が組みあげて、みるみる間に家らしくなっていった。

 そして一週間ほどで大体外壁部分は恰好が着いた。黒岩一人でもがいていても、こうは行かなかったがさすが二人いれば、その作業は二倍、嫌三倍にも四倍にも捗った。

 そしていよいよ屋根さえ葺き終われば、大体外側は完成かと思っていたら空からはまたも雪が降りだしていた。

 玄さんは「この降りじゃ急いでやらにゃ全て雪の下になるぞ」と本当ならば、陽が傾けば、いつも仕事を上がるところを、その日は何とか屋根葺きを仕上げてしまわないと後が面倒だと意気込んで

「さっさと片づけるぞ、黒ちゃん。あんたも上に上がって一緒に手伝ってくれや。」と大きな声で、玄さんが応援を求めてきた。黒岩は、

「玄さん今日はこの辺にしときましょうよ、もう手元も見ずらくなってきたし、第一まだ根雪にはならないから、そのうち晴れると思いますよ」と黒岩が玄さんを諫めるように言うと、

「だから素人はいやなんだ、今やっとけば明日が楽になるんだから、作業には区切りっちゅうもんがあるんじゃ、もう一息じゃ。がんばるべ、黒!」と言ってる間なしに、降り積り始めた薄雪に足を取られて、あのゴリラのような大きな身体はあれよあれよといってる間に敢え無く屋根から滑り落ちて、地べたに叩きつけられた。

「痛てぇ~!、 助けてくれ~、ダメだ、落っこちまった。」と悲鳴が聞こえた。慌てて黒岩が立ち寄ると

「やっちまった。ダメだ歩けねぇよ、これじゃ。痛てぇ、痛てぇよう。」とまるで子供のように軒下で玄さんがうつ伏せになって唸っていた。

 黒岩は慌てて足を触るとどうやら骨が折れているようで、慌ててそこいらに落ちていた小枝を副木代わりに自分の腰に付けた手拭で玄さんの太ももに強く縛り付けて、急いで馬にソリを縛り付け、玄さんをそこに乗せて、山を降りて村の診療所に連れていくことにした。もうすっかり辺りは暗闇に包まれていたが、通いなれた道であり、大体のことは馬の方がよく知っていて、スムーズに闇夜の曲がりくねった道を急ぎ足で馬は走り出した。

「痛てぇよ、もう少し優しく走れねぇのかよ、おめえらは。こっちはケガ人なんだからもっと優しく扱ってもらいたいもんだよ、まったくもう、少しはこっちの身にもなってろらいたいもんだぜ!」とぶつぶつソリの上で玄さんが唸っていると、

「玄さん、文句があるんなら道に言えよ。このがたがた道をどうやって優しく歩けっていうんだよ、そんなに痛いんなら一人で歩いて診療所に行けばいいさ」と黒岩は我慢できずに言い放つと

「それだけは、勘弁してくれ、俺は歩けないから、このソリに乗ってるんだろ。それなのにわしに〇△◇×〇#・・・・!」


 そんなこんなで、翌日からほぼ二か月ほどは、玄さんは松葉杖生活になり、敢え無く戦線離脱、戦力外通告になってしまった。

 それを受けてか、ある夜黒岩に施設の入居者の一人が、話しかけてきた。

「黒岩さん、どうだい何やら大そうなもん作ってるって、ここの職員から聞いたぜ、俺にも一度そいつを見せてくれないかい?その大そうなもんを」と声をかけてきたのは、何と以前当番制で料理と後片付けをしようと言ったときに、矢の先に反対して、自分の部屋に引っこんでいった吉住という無骨な男であった。

 黒岩はあの時、施設長に告げ口した張本人だと思っていた人間が、まさかこんなことを言い出すとは想像もしていなかった。畑をやるといった時にも知らんぷりをしていたし、いつも自分の部屋にこもりっきりで誰ともかかわりを持とうとはしなかった彼が話してきたことは、意外であった。それにあの時畑を手伝ってくれた草刈り場開拓団の人たちも折角の苦労が、あの大雨にすっかり流されて、一気に意気消沈して戦線離脱し、もうこりごりだと草刈り場開拓団は敢え無く解散し、その後誰もそのことに触れようともせず、興味すら示さなくなっていたというのに、どうしてあの人がと黒岩は正直思った。黒岩はしかしそんなことを顔には出さずに、

「いいですね、じゃ明日一緒に草刈り場に行ってみますか?」ということで、翌日朝食が済むとすぐに二人は、馬たちが待つ草刈り場に向かった。そして着くなり、黒岩は馬のエサの稲わらを借りてきた押し切りで細かく切り、馬たちにその細かくなった稲わらをあげて、そして沢に降りて水を汲みに行った。その日は昨日とは打って変わって空は綺麗に晴れ渡っていて、昨日降った雪もすっかりと溶けていた。あんなに夕方頑張らなくても、今日まで待てばあんなことにはならずに済んだのにと、黒岩は心の中で呟いた。

 水汲みから帰ってみると、そこには真新しい簡単な椅子が2脚並んでいた。黒岩は思わず

「どうしたんですか、誰かこんな朝早くにここに来たんですか?」と吉住さんに尋ねると、

「いやぁ、辺りを見回しても座るもんがなかったんで、そこいらに落ちてたものを勝手に頂戴して、申し訳なかった。」と彼が言うと黒岩は驚いた。

「いつの間にこんなものを作ったんですか、吉住さんって大したもんだ。どこかで大工でもやられていたんですか?」と黒岩が尋ねるといつも寡黙な彼が、重い口を開いてくれた。

「いやぁ、ちょっとしたところで、家具作りを習ってたもんでね。それがこんなとこで役に立つとは、自分でも思ってなかったよ。」と頭を掻いて、少し照れ笑いを浮かべて無骨ないつもの様子とは裏腹に、優しい目で黒岩に話してくれた。彼とは施設でも殆ど話ししたことはなかったし、第一彼自身ほとんど入居者と交わろうとはせずに、いつも自分の部屋に閉じ籠もり切りだったので、お互い顔を合わすことすらなかった。いつも陰気そうな態度で人と関わることがよっぽど嫌だのかと黒岩は思っていた。

 黒岩はすっかり溶けた屋根の雪を見て、玄さんがやり残した屋根葺きを済ませようと屋根に上がりっぱなしで、吉住は話し相手もいないので、一人でコツコツと何やら始めていたらしかった。その日は昨日とは打って変わって、天気がよく、小春日和で屋根に登ったままの黒岩には、その温もりがたまらなく、柔らかな陽が差し込み、汗ばむくらいで、それでも懸命に天気のいいうちにこれだけは片づけて置かなきゃと思って、吉住がいるのも忘れて懸命に杉皮を張り続けた。その作業が終わったのはもう昼をとっくに回った頃であった。そして、ようやくのこと作業を終えて、屋根から降りてみると吉住も暑いと見えてシャツ一枚になっていて、汗を滲ませていた。

「ほったらかしですみませんでしたね、ついつい夢中になってしまっていて。」と黒岩が彼にいうと吉住も

「俺もこんなに気持ちよく夢中になったのは、久しぶりですよ。」と額の汗を拭いながらさっき作ったばかりの椅子に二人は腰を下ろした。黒岩はその時、はっと思った。何と汗びっしょりになったシャツ越しに彼の背中に何やら模様のようなモノが汗に濡れたTシャツに透けて見えた。黒岩は余計なモノを見てしまったと思ったが、半袖のTシャツの袖からはその一部がはみ出して見えていた。吉住も、はっと思ったのか、慌てて脱ぎ捨てていた上着を着なおしたが、彼の方から思いも寄らぬ言葉が返ってきた。

「見られちゃったかなぁ?背中の紋々が。」と吉住が言うと、

「別に何も見てませんよ、おれは。何かありましたか?」と黒岩は慌てて切り返した。

「いいんですよ、どうせ早かれ遅かれ隠し通せるものじゃあるまいし。あまり気にされるほうがこっちが困っちゃいますよ。正真正銘背中の登り龍は、やくざの時の組の家紋の彫り物ですから。今はすっかり足を洗ったのでご心配なく。」と何事もなかったかのように、淡々と吉住は、黒岩に話してくれた。

 黒岩も最初はドキッとしたが、背中に立派な刺青をいれているのは彼が学生時代、貧乏アパートの近くにあった銭湯の湯船で一緒になったやくざものが一人いたが、その時は少し離れていたのでまじかに見るのは初めてであった。黒岩はあまりそのことを気にしすぎるほうが、寧ろ彼を追い詰めることにもなるし、かえって彼を傷つけるのかもしれないと思って、極力何もなかったように、平生を振舞った。黒岩は何でもいいから話題を代えようと昼ご飯の話しをした。

「ちょっと遅くなったけど、昼にしましょう。」

 黒岩は、夏の間に撒いておいた大根と大雨の時に掘り起こされた芽の出たばかりの種芋をその後大事に植え代えていたので、秋が深まり、どれもこれもたわわに大きくなっていた。そして玄さんがそれを見て、転落事故になる前に家から鍋と俎板、包丁、味噌、醤油等調理道具一式を持ってきてくれていて、ログハウスが完成したら二人で細やかに建前のお祝いをしようと計画していたのだったが、当の本人が怪我で居なくなったので仕方なく、この際相手は誰であれお祝いだといって、秋の芋煮会を二人で行うことにした。材料を切りつけるのを黒岩が行い、吉住さんにはもっぱら火を熾してもらうことにしていた。そしてお互い手際よく準備が出来たが、肝心の水がなく沢まで汲みに行くのが面倒だったので、目の前にある馬の水飲み桶からそれを少々拝借することにした。その辺はお互いあまり気しないほうだったので、そのことをとやかくいうものはいなかった。

 黒岩が黙って芋煮の準備をしているとあのいつも口数の少ない住吉が関を切ったように心のうちを話し始めてくれた。

「黒岩さん、いいね。この秋晴れの空のもとで飯が食えるなんて。私に取っては、ずいぶん久しぶりですよ。長い間塀の中でくさい飯をずっと食ってきた者にとってはね、こりゃ最高だ。施設の飯もあまり褒められたもんでもないから、あの時の山菜の天ぷらは久しぶりに最高でしたよ。」と声を弾ませて重い口を開いてくれた。黒岩は何も言わずに肯くばかりであったが、なんだか嬉しい気持ちが込み上げていた。

「黒岩さん、実は私は若い頃、少し荒れててゴロツキのような暮らしをしていた時があったんですよ。その後先輩に誘われるままに、暴力団事務所、登龍会に入っていました。その名残が背中に刻まれた登り龍です。チンピラの俺にいつも期限切れの弁当をこっそりと差し入れしてくれたコンビニの女子店員が、のちの私の女房でした。その頃組の上層部への上納金が足りないと言って、下っ端の俺に飲み屋に行ってみかじめ料を脅し取らせ、それでも足りないと女房にソープランドで働かせろと強要され、気の小さい俺は泣く泣く女房をソープに行かせて、その給料の大半を紹介料だと称して兄貴分に巻き上げられていました。こんな暮らしをいくら続けても仕方ないと思い、夫婦二人でいっそ逃げようということで、隣町に移り住むようになったんですが、そこにも兄貴分は追いかけて来て、ふたりで働いてやっと稼いだ金を、全て持っていかれてしまいました。それで思い余って、或る日私は組事務所からチャカをこっそり持ち出して、アパートに押し入ってきた兄貴に最初ヤキを入れようとしたが、はずみでついやってしまいました。なんてことをやっちまったんだと思ったんですが、後は警察に自首するしかありませんでした。それで殺人罪で懲役刑をくらうことになり、ようやく刑を終えたと思ったら、待っててくれてると思った愛する女房は、親戚の反対で私が前科者という理由で既に別の人と結婚していました。今は二人の子供に囲まれて幸せに暮らしていると、噂で聞いたんでそれだけでもあっしは幸せです。その長い務所暮らしの時に職業訓練で身に着けたのが家具づくりでした。こんなところで、それが役に立つとは、思ってもいませんでしたよ。」と”あっははあぁ”笑い出し、心の奥にずっとしまい込んでいたものをやっと吐き出しすことが出来たといわんばかりに爽快な顔をして吉住さんは全てを黒岩に打ち分けてくれた。

 黒岩は、自分を恥じた。人のことを何も知らずに、厳つい顔でいつも人を見下すように睨み付け、お前らみたいなバカとは付き合ってられないというように、部屋に籠りっぱなしというだけで、訳も知らずに自分の偏見だけで、他人を判断していた自分を悔いた。

 そして黒岩がずっと決めつけていた、あの酒飲み事件の告げ口の犯人が、その時明らかに彼では無いと黒岩は確信した。その時どうせ厨房のおばちゃんたちが、めんどくさいと思って施設長に云いつけたのだろうと思った。とんだ勘違いで人を一方的に疑い続けていた自分が恥ずかしく思えてたまらなかった。

 気が付けば、既に火にかけた鍋が煮えたぎっていた。二人は秋晴れの下、その後何も言うこともなく、ただただアツアツの芋煮に箸をやり続けた。食べ終わったころには、もう日が傾き始めていて吉住さんは、几帳面に率先して鍋を洗い、食器を片づけてくれて、

「今日はご馳走さん。美味かったぜ、久しぶりにうまいもんを食わせてもらったよ。またこれからもよろしくな。」と一人先に帰ると言い残して、彼は草刈り場を後にした。黒岩は何だか胸が熱くなっていた。今まで誰にも言えないことを打ち明けてくれた彼が、やけに哀れにも思え、そして彼の暗い過去を打ち明ける彼の勇気に力づけられた気がしていた。


 黒岩はいつものように馬の世話をして、子供のように思いついたようにその夜からは、出来たばかりの隙間が風の吹きすさぶログハウスに寝泊りすることにした。黒岩は一日でも早く施設を出たいという思いで、いっぱいだったので、まだ入口の扉も作る前で、容赦なく隙間風が吹きすさんできたがそんなことなど気にすることはなかった。その夜は、いつも以上に冷え込んでいたが、その分闇夜に瞬く星たちもいつになく綺麗に輝いてるように黒岩には見えた。言い知れぬ開放感に浸れた夜であった。

 その頃、施設でも大きな出来事が起こっていた。

 翌日、黒岩はいくらか置着っぱなしの私物を取りがてら施設長のお望み通り退去を申し出に施設に行くと、あの廃校跡の通称”姥捨て山”の施設管理会社が、他の事業で多額の負債を負って、会社更生法の適用申請を出したと入居者の一人から聞いた。何でも安上がりに管理していたはずだったが、不動産部門で大きな損失を計上することになったそうであった。

 施設の入居者は、今後のあり方を会社側と管財人と村役場の住民福祉課といろいろと話し合いをしていたようであった。入居者のうち数名が自主管理で独自に施設を運営する方向で調整が進んでいたようであった。入居者の中に、そっちのほうに明るい元会社で経理畑一筋でやってきたという者がいて、何とか村の助成金を活用して、自主運営できる道を村に提言していた。

 しかし黒岩は、そのことには一切口を挟むつもりはなかった。自分も過去不動産投資では大変な目に合わされたことがあり、一方的に運営会社のせいにするだけでは無いと考えていた。きっと施設管理の赤字補填のために良かれと思った不動産事業が、例の負の連鎖を起こしたのかと想像した。黒岩も退去申し入れも施設長の入居者が少しでも居なくなることには大歓迎で、何をいうことなくすんなり受け入れられ、黒岩はそのまま草刈り場のログハウスの戻り、名実ともに一国一城の主として誰にも気兼ねすることなく、一人暮らしていけるという開放感に浸っていた。しかしまた黒岩に取って気がかりだったのが、施設に残った入居者が、果たして独自に自主運営して行けるのかということが、気がかりで仕方なかった。

 まあしかし、それは他人のことで、まずは自分の棲家のことが先で、入り口の扉をしっかりと設置して、玄さんがもらってきてくれた窓ガラスをしっかりはめ込み、いつ雪が本格的になるかもしれないので、少なくとも外よりは家の中のほうがいくらかでも暖かな状態にするのが先決であった。

 黒岩がふと部屋の隅に目をやると、そこには小さなテーブルがあった。それは吉住さんがこの間汗かきながら懸命に作っていたものだとすぐに分かった。黒岩は彼に感謝した。そして二脚の椅子とテーブルで、何となく家らしくなってきたことが、黒岩にとっては嬉しくてたまらなかった。

 黒岩は、そっと秋の深まりを噛みしめていた。秋の夕陽は、とにもかくにも人を物悲しくさせるものでり、単に寂しいというよりも寧ろ深まりゆく秋の様相に人生を重なり合わす思いであった。しかし彼がこの草刈り場に来て、常に自然に囲まれて、季節の移り変わりを直に感じていて、その情緒に触れあうことで、感受性は大きく育ち始めていた。木の葉の秋色に音を感じ、川の流れに色を感じ、ざわめく木の葉の音に香りすら感じていた。その意味で秋は彼の感性をより一層豊かなものにしていった。

 都会に住んでいるときには、その逆で万年、空調の効いた部屋にいて、コンクリートとアスファルト舗装に囲まれて、殆ど季節が夏になり、やがて秋が深まり行くといっても、それがいつ変わったのかすら感じなくなっていたし、仕事場では毎日殆どがパソコンのモニターと睨めっこして、一日が過ぎ去っていたので、自然と触れ合うことが殆どなかったが、そこはそれとは、まるっきり違っていた。

 彼はその頃暇に任せて、色付く木の葉の変わりゆく姿に心動かされ、涙ぐむことが多かった。

 また流れゆく大空の雲の声に耳を傾けて、何を口にするでもなく語りかけ、大空にぽっかり浮かぶ羊雲と会話をして微笑んでいた。黒岩は大空を仰いで、

「おぉい、お前はこれからどこに行くつもりなんだ。ずいぶんのんびり気持ちよさそうだなぁ。」。

 燃えるように色付く紅葉の山肌に向かって、

「今日はずいぶん賑やかそうだけど祭りでもやってるんか、出店からいい焼イカの香ばしい匂いがするけど、もうすぐお祭りも終わりにさしかかってるのかなぁ?」。

 そして、せせらぎに人生を振り返っていた。せせらぎの流れに目をやり、その流れを眺めながら

「そんなに急いで流れて行かなくとも、急いで行ったって、淀んでずっとそこにいても最後行きつくところは同じなんだから、少しはその流れ、とまってみてはどうなんだ」、と。

 そして頬を撫でるそよ風に有難さを感じ、その季節の移り変わりに心動かされるようになっていた。せせらぎの流れる音と小鳥の囀り、ざわめく木の葉のこすれる音、春の芽吹きの新芽の勢いは、彼にとってまさしく、森のオーケストラの奏でるシンフォニーであった。彼にとってはこの森は、東京の国立劇場で聴くN響のクラッシクコンサートよりも優美であり、それよりもむしろ官能的な劇場であった。

 いつしか黒岩は愛馬にまたがり、この森の中をゆったりとした馬の歩調に合わせて、自然の営みを肌で噛みしめるのが一番のくつろぎの時となっていた。ゆっくり流れる時間が彼をそうさせていたのかもしれない。何をするわけでもなく、何をしなければいけないわけでもなく、何に追われることもなく、ただ目の前に繰り広げられる自然の移り変わる情景に酔いしれていたかったのであった。そして、自分のゆったりとした貴重な時間をもう一度一人で静かに噛みしめて、味わっていたかったのであった。


 その頃から、吉住もよく草刈り場に顔を出すようになっていた。彼もまたようやく暗く立ち込めていた重苦しい霧が晴れ、心の(わだかま)りがすっかり吹っ切れたように、人間らしい暮らしを堪能し始めていたのだった。

 そして他人(ひと)(あや)めた自分の過去の責め苦から解き放たれ、今度は他人(ひと)に喜んでもらえることに至福すら感じるようになっていた。彼にとってもそれこそが、今も愛する妻への(はなむけ)であり、我が人生の幸せの時だと思っていたようであった。

 ことあるごとに余った材木で鹿のオブジェを作ってみたり、あるときは自分の使い勝手がいいように木工用の作業台を作り出していた。そしてそんなあるとき、彼は黒岩に話し出した。

「黒岩さん、今施設の中は毎日ギグしゃくして大変だ。俺もここに引っ越させてくれないか?」と頭を下げて、黒岩に申し出た。黒岩は、施設がやはり責任者不在になり、そろそろ行き詰まりを見せいてはいないかと思っていたので、吉住がそういってくるのも理解できた。今まで黙って何も考えなくても差し出された食事を食べ、就寝起床時間を守って、規則正しく生きてさえいれば、それだけですんだ暮らしが、今度は一転して、自分たちで何でもやらなくてはいけなくなる。何も考えなかった人たちが、ある日突然雪山にほっぽりうだされた小鹿のように、自分たちの力で暮らしていくことは、そう容易いものでないと危惧してはいた。

 黒岩は、吉住の申し出に、快く応じて、それからしばらくして彼も紙袋一つの荷物を持って、草刈り場で一緒に暮らすことになった。

 もうしっかりと秋も深まり、まだ間に合うだろう白菜、ほうれん草、ブロッコリーと村のお菊ばあさんに相談して、真剣に冬場の食料確保をする覚悟で、二人はその年の最後の畑仕事に励んだ。

 そして、お菊ばあさんからいつもこれもってけ、あれもってけと行くたびに差し入れに漬物やゼンマイの干物、干し芋などを恵んでもらっていたので、何とか冬場の生活を乗り切るだけのものは揃っていた。おまけに稲刈りの時には、お礼代わりに玄米と馬用にと稲わらをもらっていたので、二人や三人が暮らして行くことに不自由はなかったし、馬たちも楽に来春の草が伸びるまでのエサに事欠くことはなかった。

 灯りの無い暮らしも暗くなれば寝ればいいだけであり、冬場は二人とも大抵夕方6時ともなれば床についていた。

 ただ贅沢を言えば、暖を取る手段だけは冬が近づくに連れ、どうしても欲しくなっていた。そのために黒岩はヨサクを連れて以前いた施設に行き、倉庫に積れれていた段ボールを幾枚も分けてもらうことにした。それはかつて玉姫公園で見たブルーシートテントの中で、段ボールシェルターを作っている人がいたことを思いだして、冷え切った部屋の中に、二人とも段ボールを筒状にして、床の部分には馬小屋から彼らのためにと、もらってきた稲わらを馬から分けてもらって綺麗に敷きならべ、その中に自分の身体を突っ込んで身を(かが)めて寝た。黒岩はふと以前ドヤ街の路上で背中を丸めて寝転んで寝ている老人に自分の着ていた登山用のヤッケとマフラーを被せて上げたことを思い出し、あの時のあれさえあればとも思ったが、それ以上にたとえその後老人は息を引き取ったかもしれないが、生きている束の間だけでも、少しは暖かさを感じていてくれたらと思い、昔を悔いることの空しさのあまり考えるのをやめた。

 きっとかつて南極観測隊で氷の世界に置き去りにされたタロウとジロウのほうが、さぞ南極の長い冬は厳しかっただろうし、グリーンランドに住むイヌイットの人々やイルクーツクの貧困な人々の方が、もっと厳しい寒さと今も戦い続けているのだと自分自身に言い聞かせ、脳天に突き刺す寒気を耐え、凍える手を股間に挟んで寒い夜をこらえながら眠ることにしていた。


 そんな或る日ようやくにして、松葉杖をついて久しぶりに玄さんがとぼとぼと草刈り場に戻ってきた。あぁ、もう元気になったんだと黒岩は安堵して玄さんを出迎えた。

「久しぶりじゃのう、元気でやっとったかい、、労働者諸君。まだ生きとっていてくれて一安心じゃぁ。」と玄さんが相変わらずの能転気な調子で言い放つと

「どっちが元気ですか、ですか?、心配してたんですよ、こっちだって。ところで足の具合はどうですか?歩けるようになったんですか?」と黒岩が玄さんに尋ねると

「御覧の通りじゃ、黒岩君がそんなに俺のこと心配していてくれていたんなら、ふつうは見舞いにでも来るもんじゃがなぁ、さっぱり誰かさんは顔もださねぇ。まぁ、そんな小汚い顔みたくもなかったけどな。いつもとびっきり可愛い看護師のお姉ちゃんに囲まれてうきうきだったからな。骨折のお蔭で、すっかりゆっくりさせてもらったよ。もうほとんど杖なしでも歩けるほどになったわい。ところでもう一方は、どちらの人じゃ、はよう紹介せんか」と玄さんが言うと

「吉住と申します。これから黒岩さんのとこにお世話になります。玄さんのことは、既に黒岩さんからよく聞かされておりました。今後ともお見知りおきのほど、よろしゅうお願い申します。」と吉住さんが自ら自己紹介すると、

「なんじゃい、その挨拶は。まるでヤクザの仁義みたいじゃのう。」と玄さんがいつものように冗談紛れに言い放つと、残りの二人はギョとして黙りこくってしまった。しかし吉住は、口ごもりするでもなく

「ご名答です。よくわかりましたね。しかしもうすっかり足は洗いましたよ。」とお互い半信半疑のまま、真意を追及するでもなく軽く笑い飛ばした。

「ところで黒、あの例の姥捨て山、近々破綻するんだって。大変じゃのう。町の病院にいる時看護師から聞いたぞ。まだあそこの入居者いっぱいいるんだんべ。ついでにもう一棟大きなの作るべ。こんな小屋みたいなのじゃなくて、今度はもう少し立派な奴、作るべよ。」と突然ろくにまだ足の傷も癒ぬうちから玄さんが言い出した。

「実は、僕もそう考えていたところなんです。あの施設きっとこのままじゃいつか立ち行かなくなる時が来ると思っていました。その時開拓団の何人かでも希望する人がいれば、ここに住めば賑やかでいいんじゃないかと思います。自分一人、のうのうと暮らしていては、罰が当たりますよ。僕はそんな人のためにも村を作りたいんです。」と黒岩が今まで心の中で密かに温めていた夢を語ると

「おぉ、大きくでやがったな。いいじゃないの。折角ならこの限界集落を甦らせてみるべやぁ!。」と玄さんが勢いよく同調してくれると、吉住も

「俺にできることがあれば、何なりと言ってってください。お手伝いさせてもらいます。黒岩さんを見てて、俺も今度は人のために何かをやってみたくなってきたんですよ。」ということで、三人は意気投合した。

 今まで冷えきった目で、何事にも斜に構えていた吉住も何時しか積極的に自らが動き出してくれていたことが、黒岩にとっては何よりも嬉しかった。黒岩は思った、きっと彼も本当は人の幸せを願っていたに違いないと。しかし人生の流れは、それと真逆にいつも流れていき、気づけば刑務所に入り、いざ出所してからも前科者扱いで定職にも付けず、最愛なる奥さんのためにと思った行為が、全てを狂わせて、挙句の果てにその愛する奥さんにも見限られ、彼女の幸せを世間の片隅でそっと見守る吉住の気持ちが、痛いほど掴みとれた。そしてやがて自分と同様に老人ホームに入居してきただけなのだろうと思った。

 もうログハウスの周りは、すっかりと雪化粧していたが、先日のミーティングの結果、無謀にもこの冬の間にもう一棟建てようという結論になっしていた。


 翌朝から早速基礎工事に入ることになった。しかし病み上がりの玄さんには、あまり無理をさせてはと心配していたら、自ら以前下の町で働いていたという土建屋の社長から重機を借りてきていて、草刈り場の現場に運び込んできた。さすがに凍り始めた地面は手持ちのスコップでは、掘るのがやっとのところも運び込まれたバックホーでは容易いことで、当然オペレーターをかって出たのは足のまだ完治していない玄さんであったが、手先と口だけは健在で、起用にアームを操り、一日も立たないうちに基礎の穴は掘りあがり、黒岩と吉住さんはせっせと馬を操って河原から石を運んだ。

 最初に建てたログハウスからすると全ての工程のスピードは、各段向上しており、冬場だというのに面白いほど作業は捗った。

 そして、見ている間に基礎は出来上がり、建物の土台を回して、一人は材料の丸太の皮むき、もう一人は組み立てのための切り込み、そして足の悪い玄さんは、もっぱら口先だけの現場監督であったが、適宜監督の指示の下、作業は順調に進んだ。そして幸いにもその年は本格的な雪は遅く、雪のしっかり降る前にと、朝は夜が明ける前、薄明るいうちから作業を始め、しっかりと陽の沈む夕方まで懸命に作業が続いた。寒くて凍える手を焚火で温めながら手を擦り、寝るのを惜しんで二棟目のログハウスは、皆がコツを会得したということの他に、現場監督が優秀で、

「ばかやろう、こんなことしちゃ怪我しちゃうだろう。もっと気を付けろ」と自分のことを棚に上げて、他人の行動には細心の注意というか激を飛ばして、建て方は思いのほか順調に進んだ。概ね外壁の丸太の組み上げが仕上がり、最後の屋根仕事を残すだけというときに昼過ぎには雪が降りだし、翌朝には全ては深い雪の下になってしまった。少しぐらい雪をかいたぐらいではどうしようもなく、作業はまた春が来て、雪が溶けるのを待つしか彼らには方法がなくなってしまった。

 しかし吉住は、その間もその降り積もった深い雪を掻きわけて、コツコツと三脚を作ったり、部屋の片隅に流し台をひと冬中作り続けた。一方黒岩というとヨサクと仔馬を引き連れて、いわゆるスノートレッキングに出かけるのがもっぱらの日課で、新雪の上に残された小さな獣の足跡を追いかけて、森の奥まで探索したり、たまには気の幹に掘った穴を見つけて、その穴から出てくるオコジョを観察するのが冬の間の楽しみになっていた。その頃になると仔馬もだいぶ大きくなり、体つきも親馬の半分くらいの体格にまで成長していた。来年には働き手として活躍してくれる日も近いと黒岩は期待していた。そして、ヨサコのおなかには早くも新たな命が宿っていたのか、餌やりの時には注意しないとすぐに服を嚙みちぎられる時があり、黒岩の服はあちこち上着に歯形がついていた。

 そしてある朝、すっかり元気になった玄さんが村で捕れたというイノシシの肉を持ってきてくれて、久しぶりに凍らないようにと室の中に新聞紙に包んで仕舞ってあった白菜と大根をとりだし、それにイノシシ肉で三人で牡丹鍋を囲んで昼間っから、出来たばかりの山ぶどう酒で宴会が始まった。いつも冷え切った部屋で丸くなっていた二人だったが、久しぶりにハウスの中は熱気が籠り、そしてイノシシ肉はおなかの中から身体をあっためてくれると見えて、夜まで身体がポカポカと暖かく、酒のせいもあって心まで温まった。

「黒ちゃんよ、これはいくら何でも部屋寒すぎるべ。明日俺が下の町に降りて、いいもの探してきてやるべ。」と言って翌日、ガソリンスタンドから、いらなくなった廃油の入っていたペール缶を二つとブリキの煙突そしてエルボ継ぎ手を持って戻ってきた。黒岩はこれどうするつもりなんですかと玄さんに尋ねると

「ちょっと待っててみろ、凄いもんつくってやるから」と言ってそれはよく土方現場で暖を取るときに使ったというロケットストーブというものだった。それはペール缶を横に二つ並べて、その間に煙突を繋ぎ片方にはエルボで煙突を立てて組んで、それを針金で縛り付けただけの簡単なものであったが、これがまた凄い優れモノで、あっという間にそこいらにぶんながっていた端材をくべると、すぐに冷え切った部屋は温まり、その日からそのロケットストーブのお蔭で、身体を丸めて寒さに絶えることなく、森の中の暮らしも、いたって快適な暮らしとなった。

 今までは一斗缶の脇に幾つかの穴を開けただけのもので、毛頭室内で使えば、部屋の中は煙だらけになり、お湯を沸かすも、ご飯を炊くにも全て吹きすさぶ雪の中であったので、それからすれば、このロケットストーブは、暖を取るだけじゃなく、調理も出来て、ハウスの中ではまさに革命であった。そして吉住の提案で、そのロケットストーブの片側のペール缶に川から拾ってきた小石を入れておくと、蓄熱効果になるということで、小石を小脇に抱えられるだけ雪のなか石を拾ってきて、煙突の周りに並べると、案の定火が消えても部屋はいつまでも暖かく、そして一人一個ずつその温まった石を懐に抱いて寝ると、丁度人肌くらいで暖かく、その夜からというもの二人はぐっすりと良質な睡眠をとれるようになった。そうこうしている間に、ログハウスの内装もだんだん本格的になってきて、吉住がいつの間にか中二階を作り、梯子をかけて登ってみると、そのロフトの上には、ベットが二つ出来上がっていた。いつの間にこんなことがと黒岩は思ったが、だてに刑務所生活で学んだ木工がこんなところで、活かされているとは改めて感心した。いつも馬を連れて雪の中を遊び回っている間に、いつのまかベットが出来上がっていて、同居していた黒岩もびっくりで、早速馬小屋に蓄えておいた餌の藁をハウスに持ち込んで、ベットに敷き詰めすぐにホカホカのベットが出来上がった。

 何につけても仲間のいろんな思い付きで、徐々にハウスの中は快適な暮らしに様変わりしていった。

 やがて節分を越えると、少し日差しも心持ち和らいできて、黒岩も再度山に入り、残りの倒木の搬出作業を行うこととした。しかし雪に埋もれているものも多く、思ったほどは運び出すことは出来なかったが、一本また一本と焦らず、徐々に山から運び出している間に順繰りと、やがて山の雪も消えてきて小川のせせらぎが見え始める頃には、ほぼ作業にもメドが見えてきた。そしてまた山にも遅い春が訪れ、まず最初にそれを知らせてくれたのがフクジュソウの真黄色の花であった。岩の割れ目ににひょっこり顔をだして、なんだかこっちを向いて囁いているようであった。そこに朝日が差し込んで、フクジュソウの花がその光に照らされると、その黄色は一層に輝きを増し、白一色の景色の中で一際鮮やかにそれは見えた。

 そしてせせらぎの脇の日当たりのいいところでは、早くもフキノトウも芽を出し始めていて、いよいよ今年も山菜の季節がやってきたことを知らしてくれていた。黒岩は早速出たばかりのフキノトウを摘んで持ち帰り、手作り味噌と合えて作った”ばっけみそ”がいつも殺風景な朝食を久しぶりに賑やかしてくれた。やはり旬を愛でるということは、人の心に潤いを与え、何よりもの幸せを感じさせる瞬間でもあり、また人も自然の中の掛け替えのない一員であることを実感させてくれた。それは決して都会では感じることの出来ない感覚であった。



    養護老人ホームの破綻


 そんな頃、日曜日になると子供を連れて佐伯家族もちょくちょくピクニックがてらファームに遊びに来るようになっていた。佐伯は奥さんの車を引き上げてもらった、あの時の恩返しをといつもこだわっており、

「黒岩さん、僕にはなかなかあの時のお返しをすることが出来ません。自分にできることがあったら何なりと言ってくださいね。」と常々佐伯は黒岩に言っていた。

 そして、四人の各自の想いと発想が一つになって始めて、ことが成されることを皆が感じていた。自分だけでは成しえないことも二人三人と自分の得意とすることをお互いが尊重し合い、お互いが力を合わせて行くことの歓びを噛みしめた早春の一日であった。

 やがてログハウスの周りの雪も概ね溶けて、いよいよ途中で中断していた屋根葺きの作業が再開しようとしていたが、今度の建物は、最初のもよりも数段大きさが違い、屋根材が足りないことを黒岩は心配していた。

「玄さん、こんな大きな屋根を賄う骨組みはあっても、杉皮はもう現場じゃ確保出来なさそうになってきたぜ。どうすりゃいいかなぁ?」と黒岩が玄さんに困った顔で相談すると

「わしにいい考えがある。茅葺にするべ。萱ならこの草刈り場には一杯ある。ただで取り放題だ、そうするべ。裏山の竹林で竹切ってくれば、何とかなるはず。わしも昔一回だけ茅葺屋根の葺き替えの手伝いをしたことがある。そして解んなきゃ、杉下の親父に教えてもらえば、彼なら得意のはずだから。」と突然とっぴおしもない提案をしてきた。丸太小屋に茅葺屋根とは、いくら何でも聞いたことがなく、出来上がりを想像しても、(おぞ)ましい姿を頭に浮かべるだけでも怖くなった。しかしただで調達できるのは、確かに玄さんの言う通り、竹と茅くらいしかないのも明らかであった。玄さんに言わすと実はイギリスの古い家ではよく使われた工法らしかった。

 ということで、ログハウスの屋根は茅葺という世にも珍しい恰好に決定した。早速竹やぶで太めの素性のいい竹を選んで大量に切り倒して、またも馬に引かせて現場に持ち込んだ。そして要領よく合掌の骨組みが出来上がった。そして周りの茅を三人が手分けして刈りまくり、相当の量を刈り集めて、そして強くなりだした日差しで干すことにした。しかしいざ茅で屋根を葺くといっても、その要領はさすがの玄さんも皆無く解らず、若いころ手伝ったといっても年寄りの言われるままに、茅を屋根の上に運ぶ役目だったので、俺に任しとけとは殆ど根拠のないもで、実際の作業の流れは皆無く理解していなかったという。

 それでやむなし、杉下おんじの出番で、彼に現場に来てもらって長老の指示のもと、三人が竹で組まれた骨組みにまたがり張り付いて、束ねた茅を一個づつ荒縄で縛り付け並べていき、カケヤでたたいては一個一個締固め、そして端っこを切り揃えて、ようやくのことで茅葺屋根らしき恰好が出来上がった。丸二日の作業であった。

 春の日差しが優しく出来上がった茅葺屋根に差し込んで、いかにも暖かそうな風景であった。そして、内装は吉住にまかせて黒岩と玄さんは、雪の溶けた畑で春の作付けの準備にとりかかった。以前は草の根っこが絡み合った地面に鍬の歯すらまともに入らなかったので、今度は馬に鋤を引かせて大地の天地反しから始めることにした。その鋤もやはり杉下おんじが大事に納屋にしまい込んでいたもので、おんじもまさか民俗資料館行きだと思っていたらしく、現役でまたも役立つとは思ってもいなかったらしかった。さすが馬の力は凄く,二頭引きで引っ張るとあの硬く締まった大地も根こそぎ天地反しされて、畑らしくなった。

 その頃黒岩にはもう一つやりたいことがあった。野菜を作る前に、それが奥に広がる雑木林の下に大量に落ちたドングリを拾い集めて畑に植えて、広葉樹の苗木を作ることであった。そしてやがてその小さな苗木が大きくなったときに、あの山崩れ現場に移植してやりたいと考えていた。それがあそこから貴重な丸太を恵んでもらった、せめてもの恩返しだと思っていた。恵んでもらったらその分をまた自然にお返しする、と最初お菊ばあさんに山に連れて行ってもらった時に教わった”山のおきて”であった。その後黒岩はその教えを山に他人(ひと)に伝えるときに、

「ベネフィット・フロム・ネイチャー・フォー・ネイチャー」つまり自然から授かった恵は必ず自然に恩返しするという掟でありその言葉は後々にファームに訪れる他人にも受け継がれることになっていった。いわゆる資源地域循環システムであり、ベネフィット・ローカル・サイクルであった。そしてそれをファームでは、いつしかBLC憲章と呼ぶようになった。ファームの憲法のようなものであった。

 佐伯君もよく黒岩からその話を聞いていたので、自分のできることはインターネットだと思い、黒岩から教わったことを自分だけで聞いているのではもったいないと思い、ツイッターやユーチューブでその様子を配信するようにしていた。そして、ファームの出来事は黒岩達が知らないうちに、リアルタイムにその彼らの暮らしぶりは全世界に紹介されていたのであるが、それを知るものは佐伯以外誰もいなかった。


 春になる頃、玄さんが町で聞いた噂によると、この年度末であの廃校跡は村に返還されて、入居者は全員退去することになるといっていたと黒岩に伝えてきた。その理由は厚生労働省の方が、養護老人ホームに責任者不在のまま公共施設を貸与することに難色を示したからだということであった。入居者の中には何とかこのまま居続けたいと希望する者もいて、その彼らは村に幾度となし陳情していたが、文部科学省の指示で、速やかに撤去するするようにと村の教育委員会に通達があったらしかった。

 それで黒岩は、その詳細を知りたくて久しぶりに施設に顔を出すと、確かに施設内は荒れた感じで、ゴミ箱からはゴミが溢れかえり、飲みかけの缶コーヒーは無造作に廊下の隅に置かれたままで、やはり黒岩が危惧していた通り、施設の中は収拾が付かない状態になっていた。そして年度末までに全員退去という通達は、既に入居者全員に告げられていて、早々と家族に引き取られる者、ほかの施設に移動する者など大体の人は、既に施設から出て行ってしまっていた。そこで行き場の決まらぬものだけが、未だに施設に居残っているという状態であった。

「黒岩さん、久しぶりですね。元気そうで何入りです。私ら、もうすぐここを追い出されるというのに、次の行先がなくって困ってるんです。身を寄せる身内もいないし、どうすりゃいいのか毎日試案に暮れているんですよ。」と以前畑を手伝ってくれた草刈り場開拓団の仲間が、まさしく困り果てて話してくれた。

 黒岩は、政府はいつも如何に無責任な対応をするのかと憤りを隠せなかった。霞が関の常識と世間体ばかり気にして、実際の利用者である当事者の気持ちを無視した態度に呆れるばかりであり、溜まりかねて彼らに言った。

「そうなら来たい人がいたら、私らのところにいつでもくればいい。生きていく気になりゃ何とでのなるはず。その代り必死に生きていく覚悟が無けりゃ止めた方がいいけどね。」

 と親切そうでもあり、厳しそうでもあり、黒岩なりの思いを彼らに伝えると

 肯いたのは、そのうちの三人だけで他の人たちは、

「そんなどうなるやもしれないところに自ら率先して行かなくても、また民生委員の人がどうにかしてくれるはず」とたかを括っていて、見るからに他力本願で敢えて自らが冒険の道を選ぼうとはしなかった。しかし人とは、そんな些細な決断でも”ようし、やったるかぁ!”という踏ん切りがその後の自分の人生を往々にして大きく変えることになるものであるが、最初から勇気を出さずに諦めてかかれば、そこに生まれるものは何もないものである。

 黒岩もそれ以上無理強いするつもりもなかったし、無理やりあんな苦しい思いを押し付けるつもりもなかった。それは生きていくということは、他人任せで誰かがいつかどうにかしてくれるという人にはそれほど優しいものではなく、それなりの覚悟を以てして始めて自分の力で生き抜いていけるのだと身を以ってしっていたからであった。それほどに厳しくとも、それ以上に楽しい暮らしが待ってるものだと本当は教えてあげたかったが、無理に引きずり込んでも、後悔されるのがおちだと思ってもいた。

 そして3月も末になり、いよいよ退去期限が迫ってきて、三人が草刈り場にやってきた。片方の手に提げていたものは小さなボストンバックと幾つかの紙袋ぐらいなもので黒岩もそうであったが、いたってみな身軽なものであった。

 黒岩は先日、施設を訪れた際、帰りに村役場に立ち寄って、施設内に置き去りにしてある布団、食器類、鍋窯を引き取らしてもらいたいと申し出しており、役場の方でもどうせ粗大ごみで処分することになっていたので、快くというより持って行ってくれれば手間が省けると思っていて、珍しくそれは簡単に承諾してくれていた。

 そして、その頃玄さん一向に草刈り場には顔を見せることはなかったが、久しぶりに草刈り場に姿を見せると早々に

「馬を借りるぞ」と言い放って、すぐさま馬にまたがって、またもどこかに行ってしまった。

 そして、昼下がりにまた戻ってきたと思ったら、何と凄いものを馬に引かせて帰ってきた。

「どうじゃ、いいべこれ。これさえあればこれから何でもできるぞ」と勝ち誇ったような顔をして、皆の前に出来たばかりの幌のついた台車を見せびらかした。たしかにその姿は昔の西部劇に出てきた幌馬車そのものであった。スクラップ工場でボデーとエンジンとハンドルを取り外し、その上から農業用のパイプハウスの骨組みを溶接して、古びた使い古しのテントを張っただけのものであったが、ソリから比べれば、いかにも便利そうにも見えた。おまけにその馬車の先端付近には、トラックからはずしてきただろうベンチシートが付けられていて、まさしく大草原の小さな家のインガルス一家を思い浮かばせる風格を漂わせていて、黒岩はただただ玄さんの個性的な発想に頭が下がる思いであった。

 並みの人では到底思いも寄らぬことを平気でやってのけるのは、彼ならではの人並み外れた個性だと黒岩はつくづく玄さんの行動力には感心した。

「玄さん、今度は凄いもん作ってきたね。お疲れのところ申し訳ないが、今日から仲間になったうちの一人を連れて、あの廃校に行ってくれるかな。布団とか調理用具とか目ぼしいものを片っ端から持ってきて欲しいんだ。新人さんの紹介はその後からだ。今夜は久しぶりに歓迎会でもやるべやぁ。」と黒岩は玄さんが帰ってくるなり言い放つと

「相変わらず、黒は無茶ばっかり言うな。わしゃあんたにこき使われて、そのうち殺されちまうよ、まったくもう。今夜は仕込んだばっかりのどぶろく期待してるからな。」といつものようにブーたれながら出来立ての幌馬車をもう一人の新入りの元経理部長の霧島さんを乗せて勢いよく走り去っていった。



   掛けがえのないものへ


 黒岩は、まあよくもこんなに、お金に縁を切られたものばかりが集まったもんだと呆れるほど皆人生に何かしらの傷を負って来た人々ばかりであった。一人は喫茶店経営で失敗した元マスタ、そして生真面目だけが取り柄の元経理部長、そして紅一点の女性が若い頃、小学校の先生だったが、教え子の自殺を機に学校を辞めた元女教師、そして元チンピラヤクザ、そして石組み職人の玄さん。皆いろんな思い出したくない暗い過去を背負って草刈り場にやってきた者ばかりであった。言わずとも黒岩もまた思い出したくもない幾つもの暗い過去を背負ってここにきたのだった。

 夕方になると荷物を一杯積み込んだ幌馬車がシャンシャンと熊除けの鈴を高々と鳴らしながら草刈り場に帰ってきた。

「玄さん、何をこんなに一杯もらってきたんだよ?どうするつもりなんだよ、こんなにいっぱい」と黒岩が帰ってきたばかりの玄さんに聞くと

「どうせ、引き取らなきゃゴミになるだけなんだろ。折角だから片っ端からもらってきたまでさ。あって邪魔になるもんは無いから安心しとけ。置く場所がなければ、また小屋の一つも作ればいいさ。」と相も変わらず能転気に笑い飛ばされた。

 その夜は出来上がったばかりの新しい茅葺ログハウスにみんなが集まり、例のロケットストーブで焼肉パーティーをした。

 肉はというと、今度は冬眠から覚めたばかりの熊が裏山で捕れたということで一頭ごと村の猟友会の人が差し入れしてくれたものであった。誰しも一頭丸ごとを捌いたものはこの中にいるはずもなく、黒岩と玄さんが勇気を振り絞ってようやくのことで熊の毛皮を剥いで、悪戦苦闘すること小一時間、二人は血みどろになりながら何とか部位を切り分けて、それはまさしく生々しい作業で、二人の着ていた服は血まみれで、まるで野戦料理そのものであった。初めて解体現場に直面した他の者も食欲減退気味であったが、どぶろくの勢いで次第に完全に減退していた食欲が呼び起されて、そのうち皆いつのまにか美味い美味いと、さっきまでの無残な光景もどこ吹く風のように忘れ去られていた。紅一点の彼女も最初その残虐な光景に強い拒否反応を示して、解体作業員に軽蔑の態度をあらわにしていて、眼を塞いでいたが、いつの間にか久しぶりのワインにすっかり酔った風の顔をしながら小さな口から血を流しながら、熊肉を食いちぎっていた。そして皮を剥いた毛皮は頭ごと綺麗に玄さんがなめしてくれて、それはその後ずっと玄関の壁に飾られるれることとなった。

 その夜は、吉住の精魂込めた出来たてのベットに、持ち込んだばかりの布団、そして優れモノのロケットストーブで温められた石を湯たんぽ代わりに皆小脇に抱えて、皆がすっかり寝静まったのは、空が薄っすら白みはじめていた頃であった。


 翌日からは、皆誰が指図するわけでもなく、思い思いに動き出していた。ある者は、部屋の食い散らかした食器の片づけ、また足りない椅子や家具を作る者、馬の世話をする者、畑起こしをする者と何となく自分の居場所を各自で探して各々が動いていた。

 そして、いつしか昼前になると元喫茶店のマスタは、台所にたって外から摘んできた草花で特製のハーブティーをいれてくれ、みんなに振舞うのが習わしになっていた。さすがマスタだけあり、コーヒー豆こそなかったが、器用に草の中から香りの強い野生のレモンバームだとかたまにはヨモギ茶やドクダミ茶などバラエティーに富んだお茶はみんなに好評で、彼もまたそういわれ喜んでそのお茶を楽しんでくれる姿を見るのが何よりもの楽しみのようになっていった。

 そして元経理部長は、若い頃に奥さんを病気で亡くし、二人の子供を片親だけで育て上げた経験から、もっぱら料理が得意で黒岩が採ってくる出たばかりの山菜をとっかえひっかえいろんな料理にして、食卓を華やかにしてくれていた。それで玄さんは彼をキャプテンクックと呼んだ。玄さんはその日まで海洋探検家のキャプテン・クックのことをキャプテン・コックと思い込んでいたからに過ぎなかったからである。

 そして元教師のお嬢様は、部屋掃除の他に野山に出かけては、野の花を摘んできて、窓際やトイレを花で飾ってくれていた。それは、いつも殺風景な部屋の中が一気に華やかに彩られていて、そんなさり気無い思いやりも見る人の心を和ませてくれていた。そして今度は彼女は紙すきを始めたいんだと玄さんに話しをしていた。

 そして黒岩はというともっぱら馬の世話と畑仕事に明け暮れていて、次から次と途切れないようにと工夫しながら週に一度の割で、毎週種まきをして、時には「今度何か食べたいものあれば、畑が一杯あるから自分で種まきすればいいよ。」と各自も思い思いに食べたい野菜を気の向くままに種を撒くようになっていた。


 そんな穏やかな日常に慣れてきたある朝、突然むくっと(おもむろ)に立ち上がり言った。

”人生とはハウマッチではなく、ハウエンジョイライフだよ!”とマスタが台所で叫んだ。それは、ピザを焼く石窯を作ることを思いついたからであった。以前経営していた喫茶店の自慢の一品が石窯ピザであり、もう一度でいいから石窯でみんなにいろんな季節のタルトを食べだせてあげたいという願望の叫びであった。

 現代人の殆どが、その価値観を貨幣に代えてそれ自体の価値を計りたがるものである。

 あの人は東京にでて大成功を修めたらしいとか、あそこのご主人事業に失敗して散々な暮らしをしているとか、如何に多く人がどれだけお金を稼ぎ、高い地位を得たかで、人生を成功だとか、失敗だといわせたがるが、そしてそれを勝手に幸せだと言っり、不幸だと言ったりする。

 しかしこの誰も使わなくなった荒れ野の草刈り場では、その本当の価値がお金に代えられない大切なものがあると皆気づき始めていた。

 またその逆に失業してお金を失っても、自然に触れ、季節を愛でて、暇に任せて好きな絵を描いたり、時に自然が織りなす物事に心動かされて詩を詠むこと、歌を歌うことで優雅な人生を満喫することができると気づき始めていた。老人ホームの暮しよりの大変でも生きているっていう実感を噛みしめるには、ここの暮しが一番だとみな思い始めていた。


 森の中での暮らしにもすっかり板についてきた面々は、いつしか草刈り場のことをファームと呼ぶようになっていて、面々の間では、お互いの呼び名をそれぞれ”黒さん”、”マスタ”、”親分”、”キャプテン”、”玄さん”、”お嬢さま”といつの間にか気づかぬうちにお互いを呼び合うようになっていた。老人ホームにいたときには、お互いの名前も知らなかったというに。



 その頃、新たに四人の子供を連れた若い夫婦森下家が、村の空き家に引っ越してきたと玄さんから聞かされていた。村に新たに6人も人口が増えたことになった。

 夫婦は子供を自然に囲まれた環境で育てたいということで、村への移住を決心したようだった。そしてインターネットで空き家情報を調べている間に、この限界集落のことを知って思いきって引っ越してきたそうであった。

 そして4人の子供を連れた若い夫婦がファームを訪れたのは、村の人から面白い人たちがいると聞いたといって、天気のいい学校の休みの日に散歩がてら遊びに来たのだった。

 玄さんは、遊びに来たその夫婦のことを”新入り”と呼んだ。でも云ってる本人も云われるほうもそして聞いていた周りの人もそこに嫌味を感じるものはいなかった。そこには相手を思い遣る暖かな心と損得のない仲間としての連帯意識の証のようなものがそこにはあったからである。


 その頃マスタは、玄さんに相談して、石組み職人だと聞いていたので、今まで憧れていたピザの焼ける石窯を作りたいと言い出していて、その日から一生懸命二人で河原から手ごろな石を拾い集めてきては、それを周りの赤土を練った泥と積み重ねて石窯を作っていた。

 マスタは新たな来客のために作ったばかりの石窯で特性の山ブドウタルトを焼いてみせた。

 親方はというと、勝手に思い込んでいつか使うかもしれないと子供用の椅子を作るために、余った木の枝の皮剥きを始めていた。久しぶりの来訪者をみな心から歓迎する彼らなりの表現方法でもあった。

 誰が指図する訳でもないのに、各自が思い思いに動き、思い思いの暮らし方をしていたのだった。だから答えもまた様々で、やることも思い付き、ときにそれが独り()がりだったり、思い込みであったり、空振りだったりしてもお互いを様々に思いやってのことであった。会議をするわけでも無ければ、そこにリーダーが存在する訳でもなく、それは相手の存在をお互いが尊重しあい、お互いに干渉しあって生きていたからこそできた形だったのだろう。

 それは都会の暮らし方とは真逆であった。マンションで隣の人と顔を合わしても挨拶さえしない暮らし方とは別世界のようなものであった。しかしその生き方は、誰かに教わったわけでも、規則に縛られるわけでもなく、なるようになっただけのことであった。そしてみなお金はなかったが、不思議といきいきと暮らしていた。それは人生をいろいろと乗り越えてきた人々ならではの生き方であった。

 そしてその森下一家もそんな彼らの暮らしを見て、自分たちもこのファームの一員になりたいと言い始めて、やがて新たなる仲間と新たなハウスの建築構想が練られ始まっていた。勿論若い夫婦もその日から、いっぱしの設計技師であり、都市計画係であり、農夫でもあった。



    独自の個性とそれぞれの生きがい


 彼らは知っていた。本当の歓びとは何かを。森の中に暮らしている間に、様々な自然に触れ、野生動物の親子を時に目にし、新緑の芽吹きに心動かされ、秋の枯れ葉舞い散る姿に哀愁を感じ、やがて訪れる冬の厳しさを予感しながら繰り返す季節の変わりゆく姿を肌で感じているうちに、各々が身に着けた生きる楽しみ方であった。そしてその日を如何に楽しく、如何に充実し、如何に満足いく一日を過ごせるかを最優先に考えるようになっていた。もう後悔する一日だけは送りたくないと願っていた。そしてそれ以上に多くを望む者はいなかった。

 それこそが、ひたむきにひたすらにただ淡々とその日を懸命に生きていくことの素晴らしさであった。またその素晴らしさこそ日々の暮らしの中にあることを彼らは知っていた。

 黒岩たちは、いつしかそんな暮らし方に安らぎを覚えるようになっていた。一心不乱に斧を振るときにも、無我夢中に土を捏ねるときにも、天真爛漫に野原を駆け回りるときにも、釜戸に火をくべピザを焼き、気が向いたら歌を歌い、野山にデッサンに出かけるも、馬を我がこのように可愛がり、時たま見かける熊の親子に思いを馳せ、そんな思いのままに生きていくことに、この上ない歓びと充足感を感じていた。そして生きている実感を身体で感じていた。ファームのメンバーはみなそれを由しと感じていた。

 自分のことを差し置いて、他人の喜ぶ姿を見ることにこの上ない幸せを感じ、思い立ったことに根を詰め、気の向くままに動き、他人のために骨身を惜しまず、額に汗を流すことにこの上ない歓びを感じるようになっていた。そしてその幸せを仲間と分かち合うことでそれが二倍にも三倍にも膨れ上がっていくことを知っていた。

 マスタが作る手焼のお焦げの石窯ピザが、電話したらいつでも家まで配達されるピザよりもずっと美味しく、特製の手作りホットジンジャエールというから皆が期待したら、それが殆どただの生姜湯であっても、作り手の心の温もりが伝わり、どんな高価な北欧家具よりも、太い丸太を半分にぶった切っただけのテーブルの方が少し乾燥して捻じれいていたとしても、そこに並べられた料理の味と木の温もりは他の何にも代えられない調味料となり、独特の味わいを醸し出していたし、24時間営業のコンビニのある暮らしよりも暗くなればすぐに寝てしまうファームの暮らしの方が朝の目覚めが気持ちよく、携帯もパソコンもないのに伝わる意思疎通の方が大切なことが伝わることをみんなはよく知っていた。コンクリートジャングルの聳え立つ高層ビル街と消えることのない街の灯りよりも漆黒の闇夜に無数に光輝く満天の星たちに心打たれることの方がどれほど素敵なことかを皆が知っていた。豊かな自然にただ抱かれて生きているだけの方が、銀座の高級クラブで美女ぞろいのホステスたちに囲まれてザ・マッカランに酔いしれることよりもずっと豊かな暮らしであることを知っていた。

 そしてそんな毎日をみんな各々が送っていたのだった。極当たり前のことが当たり前でなくなりつつある現代社会で、その当たり前を極普通のこととしてやっているただそれだけのことであった。

 そしてみんなの集まる部屋はコンフィデンスルームと名づけられた。信頼と自信の意味を込めてであった。


 誰だって時には疲れることもある、憔悴することもある、落ち込むこともある、挫折することもある、すべてが嫌になるときもある。ファームの面々はそんな苦い経験を幾たびも経験してきた。

 そんな時は、ごろっと草むらに寝そべって天を仰いで、頭を空っぽにすればいい。せせらぎに枯れ葉が流れ落ちて行くように、過去の嫌なことを一個一個流れ落ちていく枯れ葉に流れにすべてを委ねて生きていけばそれでいいとも考えていた。それもしたくなければただただせせらぎの流れを見つめて、語りかけるでもなく問い正すでもなく何を求めるでもなく、ただひたすらその静寂に包まれている自分を感じていればいいといって落ちゆく滝の飛沫(しぶき)を見つめている者もいた。

 この世の中、無理することなど何もなければ、恐れることも不安がることも何もいらない。全ては時が流れに身を委ね、常にならないものはならないし、なるようになるものだからと彼らはその頃にはそう悟れるようになっていた。だから誰も無理して生きてはいなかった。

 人は誰しもが、やがて必ず全てのものに訪れる死と向かい合うことにより、生きることの真の意味を知ることができるのであろう。

 死を覚悟することで生きることに覚悟ができる。

 生きとし生きるもの全てが逃れることのできない事を怯えるよりも見つめることで、残された限りある貴重な掛けがえのない時をいかに大切に生きていくべきなのかをファームのみんなは知っていた。誰しもにそれがやがて訪れることを知っているはずなのに、それを怯えて生きている人がこの世の中にはあまりに多く、大切な時間をただただ追われるように生きていく。

 誰しも生きる意味を見失うことはあっても、今生きている意義を忘れることは決してならないはずなのに。それはもはやあくまでも偶然ではなく、必然であっただけのことである。



    ハレルヤと天を仰いだ


 いつも時間をもてあそび暇なファームの連中は、日ごろから退屈(しの)ぎに鼻歌を歌って作業をするのがやけに好きだった。

 娯楽のない暮らしの中では、自然の織りなす情景を愛でることと歌を歌うことが唯一の楽しい時間だったのである。穏やかに流れる時を心の底から喜ぶようになっていた。そしてまた目の前の自然の懐が、慈しみに満ちていて言い知れぬ優しさは神霊なる森の空気を妖精のように、彼らが気づかぬうちに人の心を豊かにしてくれていた。だから豊かに満たされた心持は、他人を喜ばし、人に優しさを与えられるものである。そして何よりもその人の喜びを自分のことといて歓べるようにしてくれていた。 それこそが様々な各自の個性的な生き方が、それを育む源であり必然でもあった。


 また酒が入る、それはさらに助長され、皆の歓びを増幅し続けた。

 玄さんはいつも決まって十八番の無法松の一生を繰り返し歌った。するとそれが始まると決まってマスタは言った。

「もう少し、いいかげん違う歌ないのかよ!玄さん。同じ歌ばかりじゃ聞き飽きたんだよね。」、

「悔しかったら、おめぇが歌えよ」ということになり、マスタはまるでフォークソング大全集のように昭和の若かりし頃のフォークソングのメドレーを自分の青春を懐かしむように歌いだすとそれもまた止まることはなかった。要は、来る日も来る日もワンパターンな日々の繰り返しだったが、それもまた楽しい夜の(とまり)が下りる時間であった。

「黒ちゃんもなんか歌いなよ。」ということで、歌の苦手な黒岩が歌い始めたのが決まって「レオナルド・コーヘンのハレルヤ」であった。最後のフレーズ、サビのところのハレル~ヤ、ハレル~ヤ~~~の響きが、みんなの傷ついた心に郷愁を誘うもので、それ以来誰かしら畑仕事の時にも、テーブルを作るときにも、ハーブティーを入れる時にもそのハレルヤを鼻歌交じりに歌うになっていた。

 そして何時しかファームの名はファームハレルヤと誰となしに呼ぶようになった。

 そして森の中で誰かがその歌を歌っていると、その歌声はやまびこのように谷間にこだました。しかしその歌の英語の歌詞というか原曲は、殆ど原型をとどめておらず、各自思い思いの歌詞をつけて、替え歌というより殆ど別物といったほうがいいくらいにアレンジが施され、最終的にはサビの部分”ハレルーヤー、ハレル~ヤ~~というところだけが原型をとどめているだけの、そのほかの部分は何でもよかった。しかしその歌声は、最近はやりのフラッシモブのように、どんどんと大きな響きとして谷間にこだまし、しかしその共鳴しあう歌声は、人の心を大きく郷愁を誘っていた。というわけでその頃から歌声は森の中で途絶えることはなかった。


 黒岩はユーチューブでファームハレルヤの専門チャンネルを開設することを佐伯君と相談していた。それは単にファームの出来事という佐伯君の今まで配信していたもののほかに、幾つかの講座を開設したいと考えていた。

 その名はジオ・サイエンス・アカデミーと名付けられた。つまり地球科学自然塾とでもいうべきか、自分たちの思いの丈を誰かに伝えたかったのであった。

 山の自然の仕組み、森のもつ自然の大切さ、野生動植物の棲息状況と共生のあり方、エネルギーの自給社会、冷蔵庫のいらない食品保存方法、各種の木工技術、薬草毒キノコの見分け方等の昔ながらの暮らし方と自分たちが誰に頼ることなく、自分の力で生き抜く為の術を講座の中で紹介し、これからの生き方をみんなで考える機会にしたかったのだった。そしてその講師は、勿論村の人々で、すべて賄えると黒岩は考えていた。というよりもそうして黒岩が様々な人から学んできた大切なことを、自分だけのものじゃもったいないと思っていた。

 例えばお菊ばあさんは、もっぱら漬物の漬け方のコツ、糠漬けのぬか床の隠し技、山菜の保存方法、切り干し大根の作り方のように昔から伝わる田舎のおふくろの味の極意を紹介した。

 杉下おんじは、茅葺屋根の葺き替えの一部始終、そして昔、草刈り場を使ってぼかし堆肥を作ったこと、村の伝承文化などを。

 そして親分は如何に身近にあるものを工夫して、生活用品を作るか、そして捨ててあるものを使ったリサイクル用品の作り方、等各講師の先生方は、自分が得意としてきたことを少しでも広くの他人に知って欲しいと考えていた。そしてもっぱら黒岩はインタビュアーとの対談形式で、勿論インタビュアーは佐伯君がかってでた。

 I:黒岩さんの自然観をお聞かせえてください。

 K氏:すべて自然はバランスで成り立っていると思います。そのバランスを壊さない生き方こそが、人間が選ぶべき道であると考えます。自然に迷惑の掛けない生き方、例えばニホンオオカミが人間に危害を及ぼすと言って、大正時代に彼らを村人は絶滅に追い込んだ。そのために村人はオオカミからの危害を受けることはなくなったが、ニホンジカは、天敵がこの世に居なくなったのをいいことに、大量に数を増やして、森の樹木を食い荒らし、農作物の畑を荒らすこととなった。そしてそれを人間は害獣と呼んだ。その答えはすべて人間の都合で行ったことなのに。

 I:人間にとって生きていくための資本ってお金ですか?

 K氏:世界は資本主義と社会主義に二分化されているように思われがちだが、毛沢東時代からの中国共産主義は、今や中国自身が市場原理を導入するようになって経済大国になっていった。しかし人類にとって、最も豊かな暮らしを支えている原資は、自然力であり、自然資本こそが、これからの唯一の社会資本になるのです。人類は自然無くして生きてはいけないし、自然資本を劣化させては、この星はいずれ、人類が生存していくことを許さなくなるでしょう。自然資本こそが未来の子孫に残さねばならない唯一の資産なのです。それに、決してしてはいけない行為だと思います。

 地球温暖化と環境汚染を食い止めることが、人類の最優先課題だと思います。生物の生命は食物連鎖で、その頂点に人間がいるのではなく、すべて生命は大きな環を成して生命の連環を作り上げているのです。だからそこに永続性が維持できるのであり、食物連鎖は所詮人間の幻想に過ぎないのです。鎖には必ず端があるものです。食物連鎖の頂点にいるのが人類だと考えているようでも、人もやがて土にかえることは誰しも知っているはずなのに。

 I:今後の世界の農業の今後のあり方は?

 K氏:世界の穀倉地帯に広がる大規模で合理的なモノカルチャーは、今後人類を破滅に導くでしょう。単一作物の連作は、土壌微生物の生態系に大きな偏りを生むことになるでしょうし、モノカルチャーと遺伝子組み換え作物が大規模農業にとってどれほど都合がいいやり方かは解らないが、それが及ぼす影響は、収穫量の多さより遥かに大きな損失になるることはまちがいない。穀物のF1化と遺伝子組み換え技術は、アメリカモンサントス社に多大な利益を独占させるだけであり、従来型の農業を多くの人々から収奪するものであると・・・説いた。 


 そんな具合に黒岩は、その都度この地球自然環境を壊す行為を、いち早く辞めさせるべきだとこの山奥から全世界に向けて発信し続けた。

 そしてもう一つ黒岩は廃校をもう一度復活して、森の分校を作りたいと考えていた。ファームにいる子供たちの初等教育と自然を学ぶ若人のために、自然の知恵を教えるための学校である。勿論国の文科省と教育委員会の管轄下ではなくて。

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