二十話 死のない男
勝負の緊張感が解けると、湿る空気が張り詰める中でバラコフは大きく安堵の息を漏らした。その横でサンゴーはグシュウと熱を逃すような空気を全身から吐くと、
「熱量、過多。スミマセン、バラコフ。十五分ノ休息ヲシマス。ソノ間、私ハ動ケマセン」
「サンちゃんはよく頑張ってくれたわよぉ。じっくりがっちり休みなさいなぁ!」
その言葉を受けて、サンゴーはその場で片膝をついて排熱を始めた。バラコフは一仕事終えた仲間の肩にポンと手を置くと、
「熱ッッッッッ!!」
ジュッという肉を焼く音が一瞬してバラコフは急いで自分の手を池の水に突っ込んだ。思った以上に彼の機械の体は、炎天下に長時間晒した鉄板の如く熱を持っていた。
「触ルト危ナイデスヨ」
「あっちちちち!! 早く言いなさいよねぇ!」
何故か逆ギレするオカマにサンゴーは何も言えなかった。
「おっと、こんなことしてる場合じゃなかった! まだ終わってないんだったわぁ! ヴィエリィはどうなってる!?」
バラコフは急いで回りを見渡すと、池を半周ほどした奥の開けた場所でヴィエリィと男が戦っている影が見えた。
「あんなところに──」
すぐに向かおうとするが、何かおかしい。そもそも彼女が"まだ"戦っているのがおかしいのだ。自分とサンゴーが戦闘していた時間よりも長い、それはバラコフが見てきた彼女の戦いの中で恐らく最長とも言えるだろう。
「苦戦してる……?」
敵は恐らく逸脱。ヴィエリィがいかに天才といえども、彼女は特別な能力があるわけでは無い。並の能力者なら先日のように倒せるかもだが、今回はどうも違うらしい。考えられるは、敵の能力はもしや自分達が戦っていた水使いよりも強いものかも知れないという予想。
今の自分が取るべき行動をバラコフは考える。そしてオカマは友のために勇を振るい、その足を動かした──。
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「カカカ! そらそらぁッ!」
「──くそっ!」
どれほどこいつを倒しただろう。幾度の拳の交差──顎を砕き、腕を折り、足の指を潰し、背骨にまでヒビを入れるような渾身の私の技を食らってもこの男は平気な顔をして立ち上がり向かってくる。
そして男は立ち上がる度に学習して、もう私の攻撃のほとんどを見きれるまで戦いの中で進化していた。今では私が防戦一方。スタミナも無くなってきた私はギリギリの攻防をしている。
「女、しぶといなあ!」
「それは私のセリフ……! しぶとすぎよ、あんた!」
「そりゃそうさ。なんたって俺は"不死身"なんだからなあ!」
裂けるように開く口が笑いをこぼす。その姿を月光が照らすと、人の姿でありながら男は不気味な怪物にも見えた。
「あと何分だ……? あと何分もてる? 負けの覚悟と死のカウントダウンは済んだか?」
「──冗談じゃない。あんたに負ける気なんか微塵もないわよ」
「おーいおいおいおい。そこまで強がりが過ぎるとこっちも冷めちまうぜ。ならいっそのこと、もう決めちまうぜ──?」
ブオン! と、力任せの右のミドルキック。私は左肘を落としてそれを何とかガードをする。
「ぐっ……!」
「クカカカカ! それだよ! それでいいんだ! その苦悶の表情をもっと見せろよお!」
敵のラッシュが始まる。パンチとキックの乱暴な乱打。私はそれを全てガードし、やり過ごす。
「シャアアッ!」
ラッシュの刹那、そのガードをしようとした私の両手を掴まれ、敵はヘッドバッドをしてきた。
「まだ!!」
振り下ろされる敵の頭部、私は自由の効く足の反撃。真っ直ぐ天を突くような真上に放つ蹴り。それは敵の顔面を捉えてガツンとぶつかると、バティータは掴んだ両手を離してぐらぐらと揺れながら後ろに倒れた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「────クククク。痛ぇなあ……。しかし"それ"も覚えたぜえ。もう同じ手は食わねえぞ」
息切れを起こす私と、またもや男は無傷で立ち上がる。今の顔面への蹴りは鼻骨を砕く一撃である筈なのに、この男の鼻は何事も無いように綺麗な形をしている。
強さとは違う別の狂気。私は理不尽なこの能力差に歯噛みした。万策尽きるか? 否、万策尽きたとしても引かぬ乙女がここにいる。私はまだまだ諦めない。
そんな乙女の不屈の闘志が天に通じたのか、
「ヴィエリィ! なに苦戦してんのよぉ!」
「!! バラコフ!」
「リリアンよぉ!」
自分を呼ぶ懐かしき友の声が聞こえた。
「ああ? てめえ、なんでここにいやがる? アッピアは何してんだ!」
「もう夜よぉ? あんたのお友達ならもう眠ってるわよぉ」
バラコフは皮肉を効かせて言う。
「てめえ……! アッピアを倒したのか。くそっ! こんな雑魚に使えねえ野郎だ!!」
「雑魚なんかじゃないわ! 私の友達はみんな強い心の持ち主よ!」
「うるせえ……! なら俺がてめえらまとめてぶっ殺してやるよ!!」
バティータは首をコキコキと鳴らすと、こめかみに血管を浮き上がらせて手を大きく広げて構えた。
「"不死身"の恐怖を思い知れ……!」
「なーにが不死身よぉ! あんたの能力なんてもうバレバレよぉ! ヴィエリィ! こいつはねぇ『月の光を浴びて回復する能力』なのよ!」
「そうなの!?」
バラコフは敵を指差して糾弾した。それは倒した敵の相方からバラコフが直接吐かせた情報! オカマは鼻で笑いながらドヤ顔でそれを言うのだ!
「ちっ! アッピアの野郎ペラペラ喋りやがったな……!」
「不死身じゃないじゃない! よくも騙したわね!」
「それがどうした? この状況で俺が不死身なのは変わらん。どうする? このまま夜明けまで戦ってみるか? 無理だよなあ? お前はそんな体力なんて残っちゃいねえもんなあ!」
──暴かれた敵の真の能力。だが、解決策が見えない。敵の言う通り、夜明けまで戦うのは体力的に無理である。他には月明かりの届かぬ場所におびきよせて戦う方法もあるが、この開けた所では難しいうえに自分の弱点を把握している敵は乗ってこないだろう。
「ヴィエリィ! こんな馬鹿に付き合う暇なんてないわぁ! ここはいったん引きましょ! 今度会うときは昼間よぉ! そこであんたなんかボコボコにしてやるんだから!」
もっとも賢明な判断である。ここで引くのが道理。そも夜に無敵であるならば昼に逢えばいいのだ。律儀に敵の都合に合わせる事は無い。ここは逃げの一手……誰もがそう考えるし、それが普通であり、常識でもある。
「……そうか」
「そうそう早く逃げましょ!」
「──ならやっぱりここで倒すわ」
「よし逃げるわよ! ……ってええ!?」
頑なな乙女。それは武人の魂か、深く刻まれた己の意地か、引くこと知らずの信念、または引き際を知らぬ愚か者か。
選択肢は最初から一つ! ここまで戦った血の滾り! それはある意味では敵への敬意でもあるのかもしれない! 戦乙女は手の薄手のグローブをぎちりと絞め直すと、敵に歩み寄るのだ!!
「お前……いい根性してるじゃねえか」
「不死身の種は割れたわ。あなたは私が倒す。それが世のため人のため。得意な夜に打ち倒される自分を呪いなさい」
詰まる二人の距離。その空気感にバラコフはもう見てられなかった。自分の相方が無鉄砲なのは知ってるが今回は度が過ぎる。こうなっては二人の行く末を生唾を飲んで見守るしか無い。
「シャアアッ!」
「流術──『飛魚』!!」
鋭く放つ相手のパンチを両手で掴む! そのまま自身の体を回転させ反動を利用した背負い投げをする。掴んだ両手を離すと敵の体は吹き飛ばされるように数メートル宙を舞った!
「クカカ! 投げてどうする!」
「こうすんのよ!」
私は自分もまるで飛魚のように空にジャンプすると、宙を浮く敵の腹部に更に追い討ちをかける!
ドグゥッと、蹴りがめり込む。敵はさらに吹き飛ばされてゴロゴロとその体を地面に転がした。
「ククカカ! なんだそりゃ? その程度のダメージ、一秒もかからねえぞ! 『月光浴』ォ!!」
月の光が男を照らす。瞬きも許さぬ一瞬の回復。夜は彼に味方する最大の友である。
「ヴィエリィどうすんのよぉ!」
「──ここからは根性と我慢の勝負、さあ行くわよ行くわよ行くわよ!」
乙女は敵に向かって走り出した。無謀な走りにも見える、やけになった者の行動にも見える。だが、オカマは信じている。自分の友はいつだって予想だにつかぬ事をやってみせるのだから。
「諦めがついたか! こいよお! そのプライド、ぶち壊してやるぜえ!」
「おおおおッ!」
敵を目前にして乙女がとった行動、それは──敵の片足を取ったタックルである!!
「ああ!?」
彼女のタックルで敵はさらに後ろへと押し込まれる! そして、その先にあったのは──
ザボォォォォン!
飛び込まれた水の音が静かな森に響く! 敵の後方にありしは池であった! 乙女は自分もろとも、敵を池の中へと飛び込ませた!!
「…………!! (こいつ!!)」
水の中でもがく男、それを逃がすまいと乙女はさらに池の奥深くまで引きずりこむ!
「ああ!? あの子! そうか! その手があったか!?」
ダメージの通らぬ無敵で不死身の男の倒し方──それは単純なる我慢勝負!! それはダメージを狙うので無く、人体の理を突くものである!
敵がどんなにすごい能力を持っていようが、元は"人間"なのだ。ならば同じ飯を喰い、水を飲み、ありふれた空気を吸う。用はそれを断てばいいのだ。
当たり前だが人間なら水の中ならば息が出来ない。これが水中でも呼吸が出来る逸脱なら話しは別だろうが、男の能力は最早割れている。
与えるのは"痛み"では無い──"苦しみ"だ。互いに酸素の供給が無くなった今、乙女と男は今夜初めて対等になった!!
あとは勝負の命運を別けるのは肺活量!! それも単なるものでは駄目! 根性、我慢、信念! それらを強く持ち合わせることが勝機へと繋がる対決!!
池の水面には気泡がボコボコと沸き立った! それは両者の苦しみと凄絶な水の中のやり取りが容易に想像できる!
オカマはただ見守るしかない……! この池から先に這い上がる方、それが勝者! その勝者が自分の友であることを願うものばかりである!
「頼むぅ~!」
手のひらを合わせ天に願うことしばらく! ついに、月明かり降る水面に大きな影が見えた!
ザバァァァァッ!!
「ヴィエリィ!?」
バラコフは嬉々とした声を出す!
──しかし、池から現れたるは敵なる男の頭半分であった……!
「そ、そんな……!」
ガクリと、腰が抜ける。乙女は負けたのだ。そんな絶望が押し寄せる──
「よっしゃーあぁ!!」
──雄叫びと共に出てきた。そう、それはよく知る彼女。乙女は敵の胸ぐらを掴んで勢いよく池の中から飛び出し、勝利の咆哮を轟かせた。
ポカンとするオカマ、水も滴る良い乙女、ぐったりと気絶した敵。
静かな森の派手な死闘。死のない男、その決着。ここに乙女の勝利を持って終わるのだ。
水面に写る月が波紋に揺れて笑うように歪む。それは勝者を祝福しているようにも見える冴えた夜であった──。
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