六話 殴れぬ男『鏡のガスティー』
地面にうずくまるバラコフは白目をむいてぴくぴくと胸のあたりを押さえて苦しんでいた。
「うぐ……お……」
「バラコフ! 大丈夫か!?」
私は彼の側によると、胸に大きな拳ほどのくぼみができてるのがわかった。
「これは──」
あの一瞬でバラコフより先に相手が殴ったとでもいうのか、しかも並の威力じゃない。私でも見切れないほどの速度で攻撃してきたこいつは何者なのか。少なくとも普通の人間では無い……そうなると答えは一つだ。
「あんた──逸脱ね」
「だったらどうする。女、お前もそこのオカマのように痛い目にあいたくなけりゃ静かにしてろ」
「静かに……してろですって──」
ゆらりと、乙女は立ち上がった。故郷を荒らされ、友を傷つけた目の前の男を倒すために怒りで肩を震わせながら立ち上がったのだ!
「ああ? おい女、やるのか?」
「あんたはもう許さないわよ。私のこの拳で悪を成敗するわ!」
両の拳を構える乙女が使うもの、それは武術である!! 説明しよう! この南大陸では五百年前、世に逸脱が蔓延ると共に人々は自衛のため己が身体を鍛え、異能の者に対抗すべく武術を独自に編み出した!!
そして乙女もまた武術家の一人! 得物を使わぬ己の拳で闘う拳闘士! 受け継がれし伝統のある拳法を彼女は祖父から叩き込まれているのである!!
「ふん。女ごときの拳で俺に勝つなんて無謀だなぁ!」
敵の大振りパンチが飛んでくる。私は息を深く吸い込むと、
「流術『流水破』!」
男のパンチを前に出した左手で流すように払う。逸れた攻撃はまるで流水のように私の後方へと流れるのだ。
「なにっ!?」
勢いに乗った身体、体勢をがくんと崩した敵の胴体はがら空きだ。そこに──致命の拳を叩きつける!
「はあっ!!」
これぞ必殺『流水破』! 無防備な身体にまともに食らった者はまず間違いなく倒れる威力である! くらいやがれと言わんばかりに私の拳が敵の胴にめりこむ……っ!
だが、私の予想を反して──必殺は相手に通らなかった。
「ぐっ……!!」
間違いなく、疑いなく私の拳が炸裂したのに、敵はニヤリと笑っている。そして逆にダメージを受けたのは私自身である。胴のあたりに重い一撃が入ったような鈍い痛みが襲った。私はたまらずにその場で片膝をついた。
「ハッ。少し驚いたがその程度か。言ったよな? 俺に攻撃は効かねえんだよ」
「くそ……! いまの一瞬で……何かの能力ね……!」
敵はあの一瞬で攻撃を加えたそぶりは一切見せていなかった。となると、なんらかの能力だろう。
「(まいったわね……。こいつの能力を解かない限りは分が悪い──! 少し時間を稼がないと──)」
「なに考えたような顔してやがる。女、もう一度下手な動きをすれば次はもっとキツイ攻撃を食らわせるぞ?」
「あんた……名前は」
「は? 俺か? 俺は『ガスティー』。最近能力に目覚めてこの近辺を荒らしてるイケイケな男だ。覚えとけ」
「…………(雰囲気から見て他大陸から来た逸脱かもな……。しかしどこかこの男、違和感がある──)」
私は昔聞いた祖父の言葉を思い出していた。
『いいかヴィエリィ。お前がもし逸脱と闘う時が来るならば、まずは相手をよく見よ。普通の人間であるお前がまともに闘っては勝ち目は無い。よく観察し、敵の能力を把握するのじゃ』
祖父の言葉が頭に反芻すると、私は両手を上げて防御の構えをとった。
「てめえ……まだやる気か。その反抗的な目、気に入らねえんだよ!」
そう言うとガスティーはギラギラと輝かせた服を舞わせ、力任せに私を蹴ってきた。またしても大振りな攻撃で、軌道の読みやすい前方に一直線に放たれるケンカキックをしてきたのだ。
ドカッ!
私はそれをなんなくガードする。そこで私は気づいたのだ。
「(攻撃が……弱い──!)」
男の攻撃は素人そのもので、とても先程の痛烈な攻撃には及ばなかったのだ。さっきと同じ私が片膝をつくぐらいの攻撃をすればいいのに、奴はしなかった。
「どうした? 痛くて声も出せないか?」
素人丸出しの大振り攻撃、ダメージの無い蹴り、さっき私が食らった状況……。謎が少しずつ見えてくる。それを確かめるため、私は行動に移すのだ。
「──シュッ!」
私は左の軽いジャブを敵に打つ。鋭いジャブは敵の右の肩口に軽快な音を立てて当たると、
バシィッ!
痛みが響く──私の右の肩口に。
「ハッ! お前馬鹿か? 俺には効かねえって言ってるだろお!?」
「いいや──あんたの能力の謎は解けたわ。あんたは、相手の攻撃を反射させる能力ね──!」
「──! ふん。気づいたか。そうさ、俺は攻撃をそっくりそのまま相手に返すことができるんだ! この鏡に映る限り、お前はこの『鏡のガスティー』様にはかすり傷もつけられねえのさ!」
奴は自慢気に鏡のような服をこちらにみせつける。
「──あんたアホね」
「はあ!? 誰がアホだと!」
「私はあんたの能力までは気づいたけど、その打開策は思いつかなかったわ。でもあんたの今の一言でもう私に負けはなくなった」
「ほざけ! お前の攻撃は効かないんだぞ!?」
「だから、その鏡の服をどうにかすればいいんでしょ──」
私は、一足で敵の懐に間合いを詰めた。
「はっ、早──」
「脱げろ!!」
私は敵の肩口を掴むと、勢いまかせに上へと引っ張ってガスティーの服を強引に脱がした。
「お、俺の服が!!」
「流術『破水門』!!」
両手の掌を重ね、敵の腹めがけて思い切り爆発させるように打ち込むこの技はまさに門を破る怒涛の水の如し!
「ぐおほああッッーー!!」
回転しながら吹っ飛ばされたガスティーは、そのダメージが物語るように吐瀉物を撒き散らしながら、数メートル先の木にぶち当たって無様に倒れた。
「うっしゃあー!」
私は勝利の握り拳を天高くに上げると、いつの間にか意識の回復していたバラコフがぽかんとした顔でそれを見ていた。