三十六話 神は誰も救わない
もう、勝機など無い。ここまで一緒に苦難を乗り越えた強き剣士も、私をいつだって守ってくれた頼もしい父親も、もういないのだ。
私の腕を引っ張るお父さんの大きな手は、優しさの欠片も無い。これは父の手でありながら敵の物になった。
怪物は背中の腕を伸ばして私の頭と足を握る。五体全てを掴まれた私は、どこか落ちついていた。それは、諦めていたから。生きる意味が無くなったからだ。仲間を、家族を失った私はもう生きる目標が無いのだ。
「サビオラ。お前の綺麗な髪はオレの外套の一部にしてやろう。その柔い肌は寝具にしよう。うるりと輝く目玉は腕に取り付け、穢れないその秘部は模型に付けて繁殖させよう」
ラウドルップの全身についた数多の目玉が、私の身体をじろじろと見て父の声で算段する。
「さて、最後に何か言いたい事はあるか──? ここまで頑張った君だけ特別だよ。断末魔のサンプルをワタシに聞かせてくれ」
「────────」
私は──何も答えない……答えたくない。全部を奪われた私に言葉は無い──。
「なんだ、何も言わないのか。──ああ、そうだ。君の言葉で思い出したんだがね、十年前にブンデスの街で拐った素材の事なんだが、二つ前のゼルメイダが確かそうだったな。しばらく役にたってたけど、体が成長したから模型に喰わせて処分したんだよなあ。彼女は最後まで泣きわめいていたよ。記憶は消した筈なのに、"家族の名"を呼びながらね」
「────────コネホ」
──ラウドルップのその言葉に、私の心の何かが完全に壊れる音がした。
「さよナラだ。愚かな献身の聖女ヨ。いま、家族と一つにしてアゲよう────分解」
──── 主よ……人に愛を……世に慈悲を……与え賜ること、願い、祈り…………祈り…………
神は──誰も、救わない。
祈るのは、神であり、神じゃない。
救わないのも、神であり、神じゃない。
私が、私だけが求め、祈るのは──この心に、この信念の元にある"私自身"だ──。
下を向くな。父を、仲間を、妹を忘れ、死を選ぶことこそ最大の罪と知れ────。
怪物に殺された人達の魂が訴えかけるよう、私の心を業火の如く熱くした。
「──────ナゼだ……。なぜ、分解できナイ…………!」
私の五体は外れなかった。ラウドルップは困惑していた。五体を握る腕から動揺が伝わってくる。
「私は──もう、あなたを許せない……。神で無く、私が裁くこの決断は覆らない──」
「キサマ、ナニを言って──」
ガコオオオン!
私の頭部を握っていた腕が、地面へと落ちる。
「……どういうコトだ…………」
「──私の力は"治す"力。でも、本当は違った……。あなたに殺された人達の魂の叫びが私に教えてくれた。私の本当の力は──"直す"力なんだ。だから、私はあなたを"直す"。私の、真の力で直してみせます!!」
握られた腕から、私は力を通す──!
「復元!!」
能力の進化──いや、"真価"を私は見いだしたのだ。全てを直す能力は、ラウドルップの肉体をぼろぼろと崩れ始めさせた……!
「!!!! 馬鹿な──復元の能力だと……!! オマエ如きの肉塊が、わたしの"対"となる存在だとでも言うノカ!!」
「あなたのその偽りの肉体──! 全部を元に戻してあげます──!」
皮膚から目玉が地面にぼとぼと落ち、足先は不安定な積み木のようにがくがくと崩れ始め、大きな丸い頭からは内蔵のような肉がじわじわと溶け落ちる。
「やめろおおおお!! 崩れる……! オレの、ワシの、ぼくの、私の体が──!」
「在るべき姿へと戻りなさい──!」
「オおおオオオおッ!! 接続! コネクトこねくとコネくとこねクトコネクトおおおおおお!!!!」
断末魔のように力を使うが、その体は繋がるよりも早く肉がこそげ落ちる。
「懺悔なさい……! これが、今まであなたが殺してきた人達の痛みです──!」
「ゴオおおおオオオ!! キサマ貴様きさまあああ!! 貴様も……道ずれダあアアッ!!」
ゴガァァァァァァン!!!!
ラウドルップが叫ぶと同時に、城が崩れ出した。それは想定外の早さで壁が、天井が、床が一瞬のうちに崩壊するのだ。
「きゃああ!!」
ガラガラと轟音を上げて崩れる────。私はなす術なく、あっという間に埋もれてしまったのだ……。
肉と血で出来た斑の城は瞬く間に肉の瓦礫となった──。白い霧に包まれた城の残骸は、人間の手足や顔の皮膚が溢れるおぞましいものである。
「────────あ、れ…………。私──生きて、る……?」
暗闇に閉じ込められる私。どうやら何故か生きているようだ……。頭上から僅かに光が差し込む──。私はそれを目指して這い上がると、外の景色が視界に広がった。
そして、自分が何故助かったのかわかった。這い上がった所を見ると、私の両腕を握っていた父の腕が──私を守るようにかばっていてくれたのだ……。
「……お父さん」
最後の最後まで、父は私を守ってくれたのだ。約束を違わない父の姿が、私にはそこに見える。──どこからかオルゴールの音が聴こえてきた。寂しげに聴こえてきた。
──ズシュ
「……え」
──鋭い痛みが走る。私の背中に──刃物が刺さった。
「──まだ、だ。まだ、死ね──ナイ──」
投げられたナイフ。少し離れた所に、その怪物はまだ生きていた──。だが、その姿はもう怪物を連想させるには程遠い哀れな容姿である。あんなに大きかった体は針金の如き痩躯となり、枯れ木のような細い手足に、カボチャほどの頭は口と目が三つ付いているだけでぴくぴくと動いている。
「くっ……あなたは……!」
「ここここ、コネ、接続──!」
肉の瓦礫が次々と怪物の形を整える。
「させない!! 復元!!」
私は自分の傷を直し、敵の一部を掴んでその接合を止める。怪物は再び肉体を崩れさせると、その場で倒れて私に乞うように言うのだ──。
「──やめてくれ! サビオラさん!」
マルセロさんの声で助けを求める。
「なんでこんなことするんだ! サビオラ!」
お父さんの声で私を叱る。
「──おねえちゃん……。やめてよ……。お願いだよ……おねえちゃん……」
────コネホの声だ……。
「──ラウドルップ……。お前は…………おまえはああああああああああ!!!!」
私は、怒りの咆哮をあげながら──胸に下がる聖水入れをちぎり、敵にぶつけると、辺りに"灯油"の匂いが拡がった。
そして──ポケットから出したレッチェの花を燃やすと、私はこいつに投げるのだ──。
「ぐああアアアアああ!!!! やめろ──! この火を──消すンダ……! サビオラ──! おねえ……ちゃん……」
燃え盛る炎の中で、ラウドルップは悶えながら助けを求めた。その体が全て灰になるまで──ずっと、ずっと私が知る声で助けを求めたのだ……。
白い闇の中で大きな黒煙がごうごうと上がる。悲鳴と、数々の叫びと思いが天へと昇る。
────終わった。瓦礫の城は、怪物と共に炎が焼き尽くした。人々を拐った真犯人は完全に灰となり、死んだ……。
霧に包まれた視界。全てを隠す霧はこの戦いさえも永遠に隠し続けるだろう──。
雨が降ってきた……。天が泣くような雨が降ってきた──。
「────ぅ──わあああああああああああ」
雨と一緒に私は泣いた。もう、戻ってこないあの日を想って──私は泣き続けた…………。