二十九話 天使
「──う──んん──。……!」
飛び上がって起きたのは銀の髪を揺らす剣士であった。
「マルセロさん! 身体は大丈夫ですか?」
彼は自分の身体をひとしきり触ると、深く息を吐いた。
「……ありがとうサビオラさん。あなたがいなければ僕は死んでました……。まだ全快ではないですが、何とか動けます」
「ああ、よかったです! すみません、私も力がもう残って無くって……。全てを回復させるのは難しくて……」
「僕はどれくらい倒れていたのですか? それに、スタムさんは大丈夫でしょうか」
「ほんの十分くらいですよ。それとお父さんなら──」
私は視線を横にやると、
「ああ、大丈夫だぜ。俺もひどい傷であちこちが悲鳴を上げてるがな」
「スタムさん! よかった……」
まだ生傷があちこちに見えるが、お父さんはその筋肉を見せびらかすようにポーズをとった。
「二人とも無事でよかった……」
「言ったろ? パパはサビオラを守るって。──うっ、傷が……」
「もう! まだ全快じゃないんだから! 動いちゃ駄目だよ!」
「……それにしても、音を攻撃に変える能力か──。敵ながら見事な奴でした」
命からがらの勝利であった。三人は離れた所にいる倒れたソルダーノを見て、全身の力が抜けたように安堵した。
「間一髪だったな。マルセロ、助かったぜ」
「奴の攻撃は恐ろしく鋭かったです。でも──妻がくれたこのペンダントが助けてくれました」
マルセロさんは胸に手を入れると、壊れたペンダントを取り出した。ペンダントは真っ二つに割れており、敵の攻撃の凄惨さが如実に表れていた。
「奥さんに感謝だな」
「そうだ──! 教皇を追わないと!」
そう、戦いはまだ終わってはいない。この奥にいる教皇には聞かなければならない事がある。
「そうだな! 休んでる暇はねえ、行方不明者を取り返しにいくぜ!」
「マテウス教皇……。この奥の書斎にいると言ってましたね。お父さん、マルセロさん。レジーナさんとコネホ、それに大勢の人達を助けに行きましょう!」
私達は礼拝堂を抜けて、蝋燭の灯る長い廊下を渡る。その突き当たりに茶色の大きな扉が見えてくると、三人は目を合わせて確信する。
「うらああ!!」
お父さんが扉をタックルで吹き飛ばす。壊された扉の先は左右に円上に広がる本棚があり、数多の本を束ねる巨大な書斎であった。
その書斎の中心にある豪勢な机に座る教皇とゼルメイダは、突然やって来た私達を見て目を丸くした。
「なに!? 貴様ら何故ここに!?」
「信じられないわ……! ソルダーノが負けたの!?」
「マテウス教皇! 神の裁きに代わり、私達はここまで来ました! いなくなった人達を返して下さい!」
私が言うと、教皇とゼルメイダは顔を青くした。
「教皇マテウス。そしてゼルメイダなる少女よ。あなた達はもう詰みだ。僕の妻を大人しく返せば命までは取らん。妻をどこへやった!」
「俺の娘を返せ!! あんたは罪を償うんだ教皇!」
「くっ……まさかソルダーノが敗れ、こんなことになるとは……」
「教皇様……! どうするの!?」
私達はジリジリと教皇に近づく。教皇は脂汗を流し、歯ぎしりをさせながら少女と一緒に後方へと下がる。──その時であった。
バリィィィィン!!
頭上からの襲来であった。天井に張り巡らされた美しいステンドグラスを突き破り、何かが降りて来たのだ。
「な、なんだ!?」
「あれは──」
「大きな──鳥──?」
舞い降りる何かは、その白銀の翼を羽ばたかせながら優雅に降りてくる──。
「おお……! 天使様──!」
「天使様! 天使様だわ!」
教皇と少女はその大きな鳥を見ると、片膝をついて崇め始めた。
「はあ? 天使?」
「──! あれは天使などではありません! よく見てください!」
マルセロさんは身構えた。その理由は天使なる鳥の全貌が見えて来て私もわかった。
「え……。鳥……じゃない──。あれは、人の顔……!?」
地面に降り立った天使と言われたその正体は、語るのも憚れるような醜悪な容姿であった。身の丈三メートルは優にある身体は両脇に白銀の翼をつけ、足はまるで蜘蛛のような節足を四本ぶら下げていて、獣の体毛を纏った胴体から生える細い首の先には取って付けたように人の顔があるのだ。
「な、なんだこいつ!?」
「これが……天使……!」
「サビオラさん! 気をつけて! あの生物、僕の勘ですがかなり危険だ……!」
奇妙極まる謎の生物は私達をちらりと見て、教皇と少女に近寄った。
「天使様! お助け下さい! この者達は教団に仇なす不届き者にございます!」
「マテ、ウス……。おま、えは──もう、いら、ん──」
「え?」
ヒュンッ
乾いた音が一瞬聞こえた。その次に聞こえたのは"ゴトリ"と言う鈍い音。それは教皇の頭が首から落ち、地面に転がる音であった──。
「なっ!?」
「マテウス教皇……!」
私達は混乱していた。突然現れたその生物は長い舌を鞭のようにしならせて教皇の頭を一瞬のうちにもぎ取ったのだ。
「あ、ああ……」
その無惨に死んだ教皇を見て、ゼルメイダちゃんは腰を抜かした。
「この、ゼル、メイダは、だめ、だ。処分、する──」
長い舌を垂らしながら、その生物は少女をじろりと見た。
「だ、だめーー!!」
私は叫ぶ。だが──それも虚しく、少女の頭は瞬く間にもぎ取られたのだ─。
「そ、そんな……ゼルメイダちゃん──!!」
「この……! おいお前!! 天使だと!? これが天使のすることか!!」
お父さんが部屋中に響くほど怒鳴ると、それはゆっくりとこっちを見た。
「ぐ、ぎ、ぎ。お前、達、──きりの、谷、こ、い──。まって、る──」
謎の生物は長い舌で少女の頭を持って、空へと飛び上がった。
「待て!! くそ!!」
羽ばたく翼はあっという間に空高く舞い上がり、その姿を漆黒の夜空に消した……。