六話 目撃者
──ボルシアの朝は早い。エムス運河沿いに建つこの町はブンデスよりも一回り小さい町だが、その活気は負けてはいない。昨夜とは打って変わって、多くの人々が田畑や市場へと仕事に向かう。そして残った家族は家の家事を一斉にやり始める頃に、私達親子も目を覚ました。
「おはようお父さん。今日はいい天気だね……」
寝ぼけた顔をして私が挨拶する。
「おはようサビオラ! 準備ができたら早速に聞き込み調査と行こうじゃないか」
お父さんは涼しい顔で元気よく朝の挨拶をしながら、ものすごい速さでスクワットをしている。
別にいつもの事なのでそれを横目に私は洗面台にある鏡で自分の姿を見ると、それはそれは酷い寝癖が頭をかき乱しており、更には寝巻きが裏表逆であることに気づいた。
「……なんてだらしない格好で私はお父さんに挨拶してんだろ……」
なんかもう一々であるが、自分自身にツッコミをいれたくなるようなドジを毎日続けているせいで、私は半ば諦めの境地に心を諭していた。
数刻後、身だしなみを完璧にした私はスクワットを続ける父親に声をかけて宿を出た。
「まずは昨日聞いた花屋さんに行ってみよう」
「そうだな。何かわかるかもしれねえ」
早速私達は町の大通り沿いにある花屋を訪ねに足を動かす。こじんまりとした花屋に着くと、女性の店員さんが入り口の前に花を並べていた。恐らくこの人が昨夜に聞いた女主人であろう。私はパタパタと駆け寄ると、彼女に話しかける。
「すみません。少しお聞きしたいことがあるのですが……」
「いらっしゃいませ。なんでしょう……?」
女主人は虚ろな目で元気の無さそうに答える。
「実は先日の生誕祭で行方不明者が出た事件について伺いたいのですが──」
「……そういうことなら帰っておくれ。あたしはもう息子の事は考えたくないんだ……。胸が苦しいんだよ……」
女主人はそっぽを向いて私を払うように店の中へと入ろうとする。
「ちょっと待ってくれ奥さん。あんたの気持ち、よくわかるぜ。俺も娘が突然にいなくなっちまったんだ。頼む──詳しく教えてくれないか? もしかしたらあんたの息子を助けられるかもしれねえ」
お父さんが呼び止めると、彼女は去る足を止めて振り返る。
「あなた達ならどうにかできるっていうの?」
「そのために行動してます。私も、妹がいなくなったんです。必ず探し出してみせます」
彼女は落ち込んだ声で、私達を問う。それに私は力強く答えると、遠い目で彼女は語り出す。
「……息子はこの間の生誕祭で私と一緒に町を出歩いていたわ。とても楽しそうだった。でも二人で街頭の下で行われていたショーを見てる最中に、息子が突然いなくなったの。まだ七歳の子供よ、遠くに行けるわけが無いし、それに私が目を離したのはショーを見ていたほんの一瞬の出来事よ。それなのに息子は煙のように突然消えたわ……」
「近くに誰か息子さんを見た人や、怪しい人物はいませんでしたか──?」
「誰も見てないし、怪しい人もいなかったわ。なのに……どうしてかしらね……」
「……似ているな。奥さん、俺の娘も大道芸人のショーを見ているのを最後にして目撃情報が無くなったんだ。もしかして他の行方不明者も──」
「他の人もそうよ──。私も息子以外の人がいなくなったのを知って色々と聞いてみたけど、みんな町のあちこちでショーを見ている最中に消えたらしいわ。こんな奇妙な事件、ありえないわよ……」
彼女は落ち込みながらも恐怖している。無理もない、こんな現実離れした事件だ。私達にもその気持ちはわかる。
「……そのショーをしていた芸人さんはどこにいますか?」
「この町の芸人なら、この先の大通りを抜けた先にあるサーカス小屋にいるよ」
「ありがとうございます!」
「奥さん、ありがとうな。話したくない辛い気持ちなのにすまなかったな」
「いいえ……。それはお互い様でしょう。それに息子はまだ生きているとあたしも信じています。あたし一人で何とかしようと思ってたけど、何だか胸のつかえがとれたようだわ。こちらこそありがとう。息子の名前は『マッシモ』よ。あの子は屋台で買った赤と黄色の目立つ帽子をしてるわ。お願い、息子を見つけて下さい……!」
女主人は私の手を強く握る。私はそれを優しく包むと、
「安心して下さい。マッシモ君は必ず見つけ出してみせます。大丈夫ですよ。私達にはいつも大天使ミカエル様の加護があるのですから。神はいつだって見守っていてくれます。あなたは息子さんの帰りを祈りながら待っていて下さい。それが今できる努力です」
私はニコリと笑いながら彼女を優しく諭した。
・
「どうやらショーをやっている大道芸人が怪しいと俺は踏んだね」
お昼にさしかかる午前の終わりに、昼食をとりながらお父さんは言う。
「わたしもそれは思ったけど……でも決めつけるのはよくないと思う。お父さんこの後サーカス小屋に行くけど、先走って危ないことしちゃ駄目だからね」
念のために私は釘を刺すように言うと、お父さんは渋い顔をして「大丈夫だよ」と言った。
私は昼食の大きなパンと色とりどりのサラダと具沢山の味の濃いスープをむしゃむしゃと食べる。そう言えばこんなまともな食事は久々かもしれない。普段は野菜だけとか、パン三つだけとか、具の入ってないスープだったから。
「う、うめえ……!!」
「おいしいね! おいしいね!」
思わず笑みをこぼす。ああ、こんな小さな事が幸せに感じられる人生。これも普段から神に祈りを捧げている信仰心が、実ったかのような嬉しさだった。
ひとしきり食べ終わると、私達はサーカス小屋へと赴いた。入口が雑に空いているので中を覗くと、暇そうにタバコをふかしている芸人らしき人物がいる。
「あのーすみません。ここの芸人さんでしょうか?」
「ん? ああ、そうだよ。あっ、仕事の依頼なら来週からにしてくれよ。生誕祭が終わって団員は休暇中なんだ」
「おい。ちょっと聞きてえことがあるんだが」
只でさえでかすぎる巨体が小屋の中を圧迫するように、威圧的にお父さんは質問した。
「なっ、なんだあんた!? 人間か!?」
あまりの圧力に座っていた椅子からひっくり返る芸人さんは慌てるように、身を構えた。
「ちょっとお父さん! 静かにしてて!」
「サビオラ……。わかったよ」
お父さんはいじけるように私の後ろへひっこむ。
「恐がらせてすみません。実は、先日の生誕祭で行方不明者が出た事件について聞きたい事があって来ました。行方不明になった人は大道芸人さん達のショーを見てる最中にいなくなったらしいのですが、何か心当たりはありますか?」
「あ、ああ。なんだまたその質問か。行方不明者の親族からもその質問はされたよ。悪いけど俺達は何も知らないし、見てないよ。あの当日は結構の人がショーを見ていたからね。一人二人が突然いなくなってもちょっとわからないよ」
「ならお前達が"逸脱"ならその犯行もできたんじゃねえのか?」
「ちょっと! お父さん!」
「か、勘弁してくれよ! 俺達は普通の人よりかは芸達者なだけで、ただの"人間"だよ! それにあの当日は町に俺達以外の大道芸人達も、よそから出稼ぎにやって来てたんだ。勿論そいつらも昔からの顔馴染みだからただの人間だ。怪しい奴なんていなかったよ!」
芸人さんは必死に無実を訴える。それをお父さんはギロリと見下ろすと、
「けっ、本当か? 嘘つきやがったら容赦しねえぞ──」
「もう! お父さん! やめてって言ってるでしょ! この人は嘘をついてないわ。あなたもミカエル様に使える信者ですよね?」
「そ、そうです。聖ミカエル教団の信者です」
芸人さんは服の裏から、信者の証である教団のバッジを見せる。
「なら、嘘をつけないですね。『汝、いかな時も真実を口にすべし。偽りは神への冒涜なり』です。信者なら戒律をきちんと守っています。お父さん、この人は真実を言ってるよ」
「ううむ……。わかったよ。疑ってすまんな」
お父さんは頭を軽く下げると、芸人さんはホッとした様子だった。
「お手数おかけしました。私達、事件について詳しく調べているのでもし何かわかったら教えて下さい。ほんのちょっとした事が解決に繋がるかもしれないので……。さ、お父さんもう行きましょ」
私はペコリと頭を下げて、そそくさと小屋から出ようとする。下手をしたら今度はこっちが逸脱として通報されるかもしれないからだ。
「──ちょ、ちょっと待ってくれ」
「え? 何でしょうか……?」
突然呼び止められたのでドキリとする。
「実は一人だけ見慣れない芸人がいたんだ。そいつは誰ともつるんでない独り芸人だったよ。なんかちょっと変わった奴だったから、まあ、それだけなんだけど……」
「それは──どんな人でしたか?」
「不気味な奴でな、丸っこい大きな体に黒いマントを全身に纏っていた……。それで仮面をつけた変な奴だった」
「仮面? どんなやつだ?」
「うーん……何て言うかな……。例えるなら"大きな鳥みたいな仮面"だったよ。何か、得体がしれないって言うか……とにかく近づき難い奴だったよ」
「大きな鳥の仮面……そうですか。ありがとうございます。参考にさせて頂きますね」
そう言うと、私達親子は小屋を後にするのであった。
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