三十四話 さらばの日
「「────」」
目の前で大量の血を流す相棒。
その衝撃的な光景に、俺達は口を開くも、声が出なかった──。
「──あ、ああ……!!」
やっとの思いで出た声は言葉に非ず──。深紅の血に染まる視界。割腹をしたディーノが、ゆっくりと目の前に倒れる──。
世界がスローモーションになる。コンマ一秒が、ハッキリと自分の瞳孔に刻まれていくのがわかると、俺は咄嗟に倒れゆく相棒を受け止めた。
「「ディーノおおおおおおおお!!!!」」
同時に俺達は、感情を爆発させたかのように叫ぶ。
受け止めた相棒の身体は冷たく、されど流れ出る血は生暖かく俺の肌を伝う──。
「ディーノッッ!! しっかりしろお!!」
「すぐに傷口を塞ぐわ!! 痛いけど我慢して!!」
俺は相棒の腹に刺さる剣を直ぐに抜くと、駆け寄って来たティエナが、すぐに麻袋から出した包帯で傷口を塞ぐ。
出血量が多い──。白い包帯はあっという間に赤い帯へと変わる。ディーノは短く、細い呼吸をしながら虚ろな目をしていた。
「ディーノ!! すぐに医者のとこまで連れて行く!! だから気をしっかり持て!!」
「…………ゴフッ」
「ディーノ!? 大丈夫!?」
喀血をし始める──。ディーノは口の周りを血に濡らす。その遠い目は、何かを悟ってるような目である。
「……バッ……ジョ」
「バカヤロッッ!! しゃべるなッ!!」
俺は相棒が口をパクパクと動かすのを見て、怒る。
「…………」
それでも、口を動かすのを止めない。でも俺にはそれが言葉には出なくても、声にならなくても、心でわかるような気がした──。
「──おいディーノ。お前は死ねないぞ。俺をこんなとこまで連れて来たんだ。俺とここまで一緒に歩んで来たんだ。明日からの俺との稽古は、勝負はどうなる。俺達の野望は、まだ始まったばかりだろ──! 俺達を残して、自分だけ勝手に旅を終わらせようとしてんじゃねーよ! ふざけんなよ!! あきらめんじゃねーよ!!」
相棒は『意志』を残そうとしていた──。
俺にはそれが言葉では無くて、心──魂の奥に届くような鼓動で──わかってしまった。
「……バッジョ──」
「だから!! しゃべんじゃねえッッ!!」
相棒の肩を抱きながら、俺は怒鳴る。
地面には、二人の身体から滴る血が混ざるように融け合うと、そこに透明なものが同時に流れる。
──涙であった。互いの眼球から絞り出すように、止めどなく溢れる涙が床にぼろぼろと落ちた。
ディーノはもう、視界が見えていないのか、虚空を仰ぐように一点を見つめ、俺の手を握った──。
「──お前の……拳…………効いた……ぞ────」
ニヤリと笑う。ディーノは握る手を落とすように地面にやると、
安らかな顔で眠りについた────。
その顔は最後まで伊達男で──昔から変わらぬ笑顔であった──。
「──ディーノ……嘘……嘘よ……」
「──────うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
友の亡骸を抱き────吼えた。
慟哭。悲しみが大波のように押し寄せるも──長年の友を失った悲しみを、この場は許してはくれなかった。
「この結末は予想できなかったわ──。まさか、自分の命を勝手に絶つ下僕なんて、今までにいなかったからね。でも中々面白いものを見れた……そういう意味では新鮮で悪くは無い、貴重な体験だったわ」
元凶である魔女は冷ややかな目で、すでに事切れた相棒を一瞥した──。
「アルラネルラ……! あなたは絶対に許さない……ッ!」
「あら、かわいいこと……。あなたに許しを乞う必要なんて何処にも無いわ。むしろ逆でしょう? あなた達の方が許しを乞う──だけどそれは無理な話し。だってここで終わりですもの」
アルラネルラは杖を軽く振ると、辺りの空間がまばたきと共に歪みを見せ始める。
「なっ……! なによこれ……!」
捻れるように曲がり始めた床は、ティエナの方向感覚を狂わせる。すぐ横で手当てをしていた筈の二人さえも、遥か遠くに感じる程にその視界は犯されていた。
「うふふふ。これで邪魔はできないわね──。まあ、邪魔が入ったところで私の術は止められないでしょうけど。うるさい羽虫にはちょっと黙っててもらわないとね」
「バッジョ! そいつを見ちゃ駄目よ──!」
ティエナは自分の視界が完全に犯される前に、どこかにいる俺に言葉を投げる。
「────わかってるぜ……。こいつは──ここで倒す──ッ!!」
俺は冷たくなってしまった相棒を、静かに床に降ろすと、血のついた幻視ノ剣を手に持った。
「そんなナマクラで私に挑むのかしら」
くすくすと魔女は笑う。
「お前は、お前だけは……絶対に許さんッッ!!」
目を閉じる──。歪む視界は閉ざされ、彼奴の姿も封するように、俺は視覚を遮断した。
「心眼にて、相手つかまつる──。我が剣、相棒の無念と共に、お前を──断つッッ!!」
空気の流れが、敵の位置を、呼吸を、その一挙一動を教えてくれる!
これこそは雲の奥義──『龍雲』なり!! しかし男はその奥義を伝授されてはいない! 雲の技を苦手とする者には使えぬ奥義!
しかし! この場の空気が、状況が、劇的なる心境の極地が、果てや友の魂が乗り移るかのように、体得していない筈の奥義を自ら開眼し、自然と男の身体を動かした!!
間合いまであと三歩!! 入れば即斬る剣術の極みは、五感を最大限に引き出している!!
「こい……! 来ぬなら、こちらから貴様を討つ──ッ!!」
にじり寄る足に迷いは無い! 剣を上段へと構えるその姿は、咎人を誅伐するかの如く、堂々たる姿である!!
「──ぷっ、あははははははは!」
蠱惑の魔女は高らかに笑う! その笑いは自棄か否か! 真剣勝負に似つかわしく無い声色が、辺りを包んだ!
「血迷ったか──」
「──ふふ。血迷ったのはあなたよ。そんな目を閉じただけで私に勝てると思ったの? それは浅はか──通り越して馬鹿の二文字……。あなたは私を甘く見すぎた。そして私を一度でも──魅てしまった」
甘い声であった──。忘れかけていた、あの脳髄に響くような声。鼻孔を突く、脳をくすぐるような甘い匂い。気がつくと、俺は目を開けていた──。
その眼で、彼女を見ていた。いや、見たかったのだ。自分の中の欲求が抑えられない。あの彼女の操るような瞳を、誘う如く突き出した胸を、自身の体液を垂らせたい下半身を──。
そんな……荒い呼吸と共に、俺は彼女を凝視していた。
「──いい子ね……。さあ……いらっしゃい。私の胸で優しく包んであげる……。その猛ったモノを鎮めてあげる──」
気がつけば手にしていた幻視ノ剣は、何処かへと落ちていた。
剣も持たず、俺は彼女にゆっくりと一歩、また一歩と、歩みを進める。
「──バッジョ!!」
「うふふ。もう遅い……。この子は完全に私の虜。もう誰の声も届かない。しばらくはこの子をお気に入りにして、我慢してあげる。あんまり好みじゃないけど、この大陸の男を拐うには充分な戦力だわ。心が壊れるまで抱いてあげる……」
ティエナが叫ぶ。しかし、それを無視するかのように、俺の眼前には彼女が迫っていた。
俺は足を、手を振り、彼女の目の前で立ち止まった。
「いい子ね……。心まで溶かして、犯してあげる──」
「バッジョーー!! 目を覚ましてーーッ!!」
アルラネルラは髪をかき上げ、白く細い腕を伸ばして俺の横顔を触る。そして、服従と、洗脳、蠱惑のくちびるを俺の口に手繰り寄せた──
ザンッッッッ──
「────なっ──」
聞こえたのは、口づけの音では無い──斬撃の音──。
逆袈裟に胴体を斜めに切り裂いた──。鮮やかな血しぶきと共に、アルラネルラは足をガクンと曲げた──。
魅了をされていた筈の男は、その正気を保っていた。振り抜いた手に得物は無い──。しかしその手は魔女の真っ赤な血に染まり、天を指している。
「──なぜ、あなた……」
「──わからねーか。……ディーノが教えてくれたんだ──。これが、俺の『能力』だ──」
剣も無い男は言った。その『能力』とは男が『"逸脱"』であることを示していた──。
男の『能力』──それは『研ぐ』能力。
"研ぐ力"を持っていたのは月光剣に有らず。研ぐこと事態が己の能力だと、相棒は自分に託し、死の間際に教えてくれたのだ。
「俺は"研いだ"。お前の魅了に負けない『心』を研いだ──。そして、お前を討つ剣を研いだ。この手が俺の"剣"。全部…………全部ディーノが教えてくれたんだ──」
「──あなたは……最初から"対"だった……のね……」
俺は自分の手刀を見せる。アルラネルラはそれを仰ぎ見ると、静かに笑った。
「──私の……負け、か……。ごめん、なさいね……ジェロン……ラウド、ルップ……ガ……ン…………」
蠱惑の魔女は、前のめりにゆっくりと倒れる。それと共に、歪んでいた辺りの空間が元に戻り始めた──。
「バッジョ──」
ティエナが俺を見る。
「────勝ったぜ」