三十六話 アリガトウ
地鳴りがどんどんと大きくなると、もう立ってもいられないほどに地面は揺れ、辺りの壁には亀裂が入り天井からは瓦礫が降ってくる。
「Dr.クライフ! やめるんだ!」
僕がそう言うにも、塔の崩壊は止まらない。機械塔であるDr.クライフは、何もかもを道連れにするつもりだ。
「ハハ……ハハ! ここで、終わるくらいなら、全てをこの冷たい雪の下に、眠らせて……やる! ここが……私達の……墓標だ……」
彼は言いたい事を言うと、事切れるようにその声は途絶えた。僕はぐらつく足に何とか力をこめると、植物の侵食で動けなくなったファリアの肩を持つ。
「ファリア! 僕と、僕と一緒にこの塔から逃げるんだ!」
彼女は渇いたような瞳で僕を見る。そこに感情のようなものは見えない。僕は改めて彼女が機械であることを感じたが、それでも──彼女を死なせたくはない。そして彼女を守り切ると言う信念に変わりはないのだ。
もう自分の力では動けない彼女を、僕は何とか背負って階段の方へと歩き出す。
「っ……ふうう……!」
体力なんてもう尽きかけていると言うのに、重い足取りで僕は底力を出すように脱出を計るが、
──ズゥゥゥゥンッッ!!
天井から大きな瓦礫が降ってきた。その瓦礫は出口の階段を塞ぐ。
「そんな……!」
完全に退路を断たれてしまった。フロアを見渡すが、他に出れるような所などない。
「くそ……! どうすれば……!」
僕が狼狽えたその時、頭に言葉が響いた。
『──右を見ろ! こっちだ!』
そう、僕を助けたゼニトの花の声。僕は右に振り向くと、亀裂の入った壁に植物がうねうねと入り込むと、内部から壊すように壁が無数の枝によって破壊されたのだ。
「寒い……外だ……!」
ぽっかりと空いた壁の穴から、恐ろしく冷たい外気が流れ込む。
『ここから飛び降りろ! 時間が無い! 早く!』
ゼニトの花の声が急かすように僕を誘導する。僕は壁の穴から下を覗き込むと、背筋が凍った。この塔が高い事は承知であったが、その何十メートルという高さから覗き込むこの景色は恐怖という他はない。
「中々だな……」
冷や汗が出る。だがもう僕の後ろには大小の瓦礫が降ってきて、後戻りできなくなっている。
「ファリア……いくよ──!」
ぐずぐずはしていられない。塔はもう瓦解する寸前だ。僕はファリアを抱きかかえると、思い切って塔から外へとジャンプした。
「うああああ──!」
雄叫びを上げながら眼下に迫る白い地面へと向かって、記憶の限り最大限の勇気を持って僕は飛んだ。
この落下中の空気の冷たさと言ったら、何と恐ろしいのか。肌を裂くような冷気を浴びながら、僕は着実に迫る地面への衝撃に備えるように、覚悟を決める他はない。
抱きかかえたファリアをより強く抱きしめる。自分はどうなってもいい。彼女を守りたい一心で、僕はなるべく垂直に落ちるように努める。
そしてうっすらと開けた目で、あともう少しで地面だと悟ると、僕はギュッと目をつむった。
────ドスンッッ!!!!
二人の男女が、白く積もった雪の地面へといま落ちた。
……僕は、相応のダメージを想像していたが、不思議と身体に痛みは無い。ゆっくりと目を開けると──そこには白い雪と、そして僕達を受け止めるように緑の網のようなものが敷き詰められていた。
これは植物だ。ゼニトの花がまた守ってくれた。塔から伸びてきた緑の蔓が僕達を受け止めたのだ。
「よ……よかった……」
安堵の息を漏らす。抱きかかえているファリアも無傷のようだ。
──ドドドドドド!!
機械塔が大きな地鳴りを上げて崩壊した。沢山の瓦礫と、緑の植物が絡まって崩れ去る。
終わった。……彼女の探していた目的地は、ここに崩れ去った。彼女は鉄の関節をギイギイと鳴らしながら、ゆっくりとその場に立つと、崩れ行く機械塔を見つめた。
「……………………」
その彼女の眼差しは、言葉では表せない。どこか寂しさを感じさせる、または故郷が失くなるかのような哀愁……そう言った方が正確なのか、静かに、ただ静かに見ていた。
「ファリア……」
僕は彼女を呼ぶと、彼女はこちらを振り向いて光の無い目を合わせた。彼女からはもう先程の殺意は感じられない。Dr.クライフの洗脳が解けたのか、僕は彼女に近づこうとした──その時であった。
──ジュッ!
赤い光線が、僕の肩を貫いた。数秒遅れた後で、熱したナイフに切られたような熱い痛みが襲い、血が溢れ出る。
「ぐああっ……!」
肩を押さえて僕は膝から崩れる。これは、あのロボットの攻撃だ。だが、これはファリアが僕に打ったのでは無い。僕はファリアの後ろに目を向けると、
「ク……カカカカ! 外シタカ、ヤハリ、慣レナイ体ダナ」
聞き慣れない声が聞こえた。彼女の後ろ数メートル先、そのロボットはいた。
「ぐっ……お前は……!」
僕は目を凝らすと、そいつは機械塔にいた、あの陸号とか言う片腕だけのロボットであった。
「ハハハハ! 塔ガ崩壊スル直前、ギリギリ"ダウンロード"ガ間ニ合ッタ。──ハザマ君、私ダヨ。『Dr.クライフ』ダ!」
「なん……だと……Dr.クライフなのか……!?」
ガシャン、ガシャン、とそいつはこちらに近づいて来る。そして一定の距離を保つように僕に話しかけた。
「残念ダッタナ。私ハ、モハヤ意思ダケノ存在ダ。機械塔ガ崩レテモ、ロボットサエ有レバ、私ノ意思ヲ移ス事ハ可能ナノダヨ」
「くっ……くそ……ッ!」
肩を貫かれたせいか、体に上手く力が入らない。今の僕にはロボットとなった、Dr.クライフを睨むことしかできない。
「コレ以上近ヅクト、マタ君ノ植物ニ殺ラレソウダ。──ダカラコノ距離カラ、君ヲ、赤熱光線デ殺ス。覚悟シタマエ」
──ジュンッ!
ロボットの目が赤く光ると、赤い光線が僕めがけて飛んでくる。
『──伏せろ!』
頭に言葉が響くと、雪の上に敷かれてある植物の蔓が壁となって僕を守った。緑の蔓は敵のその攻撃を受けると、チリチリと焼けてしまい、完全に消滅した。
「フハハハ! 面白イ。ダガ、次ハ無イ。今度ハ火力ヲ200%マデ上ゲル。ソンナ植物デハ、受ケキレ無イ。コレデ終ワリダ」
Dr.クライフはそう言うと、ギュインギュインと音を立てて攻撃の準備に入った。
「うっ……」
肩から血が止まらない。頼みの植物も焼き切れてしまった。全身に気だるさが襲うと同時に、僕は静かに観念をするように目をつむる。
「チャージ……110……150……180……200。フルチャージ、完了。──発射!!」
──ドウッッッッ!!
真っ赤な、この雪国に似合わないとても真紅で、極太の赤い光線が僕に向かって放たれた。その赤い光線は周りの雪さえも一瞬で溶かし、見るものの視覚さえ奪ってしまうような熱線だ。
ゴウウウウウウッッッ!!
──まるで、全てが溶けるような音。
ああ、終わった。……終わってしまった。
その轟音が、止むと
──僕は、
なぜか
生きている。
「…………あ……れ……」
不思議な感覚を覚え、目を開ける。
そして、目の前の現実を見て──僕は絶句した。
「ファリア……!!」
僕の目の前には、彼女が身を呈して、僕を光線から守っていたのだ。
「バ……馬鹿ナ!! ドウシテ……!!」
Dr.クライフも驚嘆の声を上げる。超級の熱線を浴びた彼女は、グスグスと黒焦げになって煙を上げていた。あの白く美しかった彼女の柔肌は溶け、良い香りのした髪も全て焼けて、残ったのは骨格のような鉄の骨と頭蓋だけが残っている。
「ファリア──! ファリア!!」
焼けた彼女の鉄の体がぐらりと崩れようとしたので、僕は急いで彼女を支える。まだ熱い鉄の骨格が僕の手をジュウウ、と焼いたがそんな事は気にもしない。僕は彼女の名前を、何度も呼ぶ。
「ファリア! しっかりしてくれ! ファリア!!」
涙を流しながら、僕は彼女を呼んだ。すると、鉄の頭蓋が──ギシギシと動くと、その硬そうな口を動かして彼女は──こう言った。
「──ハザマ……さ……私……を……好き……デ……アリ……ガト…………ウ…………」
彼女は──それを最後に、動かなくなった。
黒い煙が天に上がる。まるでその魂が天へと向かうように、高く、高く……煙は昇っていった。
「…………ファリア」
僕は、がくりと頭を垂れる。溢れた涙が止まらず、手足が震えている。
「──貴様、ヨクモ、私ノ娘ヲ……盾ニシタナ……! 許サン……許サンゾ……!」
Dr.クライフが、改めてこちらに殺意を向けそう言った。
「──お前は……まだそんな事を……!!」
僕は悲しみと怒りが混じる声で言うと、ロボットを睨んだ。
「貴様ナド、塵モ残サン!! 死ネ──ッ!!」
再び赤い目が、ギラリと輝く。そして、
──ズンッ
僕に赤い光線が飛ぶ前に、Dr.クライフの胸が──男の拳によって後ろから貫かれた。
「ナ……ナンダト……貴様、ハ……」
「俺との勝負の最中に勝手に逃げ、背を向けるとは──舐められたものだ」
それは──狼のような目つきの男、ヴライであった。男は崩れるあの塔から脱出していたらしい。
「コン、ナ……コ、ンナ……筈……デ……ハ……」
ヴライが風穴を空けた拳を抜くと、Dr.クライフは前のめりに倒れ、もう動かなくなった。
「ふん、やはり胸が弱点なのは全て共通のようだったな。鉄くず風情が……俺に喧嘩を売った事を後悔するんだな」
ヴライはそう言うと、こちらを一瞥もせずに、雪道を歩きながら去っていった……。
僕は、何もかも、終わったその場に……ただ、只々、うずくまって……ちらつく粉雪が舞うなか、彼女の亡骸を抱いて……泣いた…………。
────数日後。
北の大陸は今日も寒い。せわしく朝から働く人を横目に、僕は目的もなく……街を歩いている。
『やあ、ハザマ。元気かい?』
『ハザマ、今日は何をするんだい?』
『今日も寒いね。気をつけてね』
街に咲いてる花達が僕に話しかける。自分の能力がハッキリとわかった今、僕は様々な花達から毎日話しかけられる。
今の僕にとってはそれだけが救いだった。花達は僕を優しく励まし、話し相手になってくれている。
そんな時、路地に咲く一輪の花──ゼニトの花が声をかけてきた。
『ハザマさんや。禁断の花園を目指しなよ。きっとあそこなら、あなたを幸せにしてくれるよ』
『禁断の花園』……そんなおとぎ話をいつか、どこかで聞いた。
でも、僕にはそれがハッキリと"存在"すると何故か心のどこかでわかっている。
毎日夢に見る、あの黄金の花畑──きっとあそここそが、禁断の花園なのだ。
そして、そこに行けば……何でも願いが叶うと言われている……。そう、例えば亡くなった誰かさえも、もしかしたら生き返らせれるのかも知れない……。
未だハッキリとしない僕と言う存在を証明するため、そして──愛しき彼女を────。
僕は、進む。どこにあるかもわからない──夢物語を探す旅が、ここに始まる。
必ず探すと心に決意を、勇む足を前へと踏み出して、僕は深雪の荒野を歩いて行くのであった────。
〜四章 忘却の男編〜 完