三十五話 君の声
とても、とても冷たい手だ。僕の首を掴むこの手は、あんなにも温もりに溢れていたファリアの手は、鉄の冷たさを持って僕を殺さんと、無情にも万力の如き力で締め上げてくる。
「ふははは! ありがとうハザマ君! ありがとう! ありがとう!」
「ファ……リア……!」
僕は必死で首から彼女の手を離そうとするが、僕程度の力ではびくともしない。
「ガ……グ……」
「いいぞファリア! 流石は私のかわいい娘だ! そいつを殺したらお前は生まれ変わるのだ!」
「ハイ……お父様……」
呼吸がもうまともにできない。彼女は僕の呼びかけに表情一つ変えることなく、命令された事をまっとうしようとする。
この死の刹那、僕の脳に浮かぶのは彼女と過ごした日々。それは、人生の中であまりにも短い間であったかも知れないが、記憶を失くした僕にとってはかけがえのない時間であった。
それが今、こんな形で僕達の関係を終わらせようとしている。
──僕は君が好きだった。君は? ファリア、君は僕をどう思ってた? 機械である君はなんで僕を助けた? あの時間は、あの日々は、決して計算されたものでは無い筈だ。
ファリア、君は機械でも、その心はまごう事なく人間であった。あの手の温もり、人の心の温かさを君は間違いなく持っていた。
ああ──あと数秒で僕は首の骨を折られて死ぬだろう。
……しかし、不思議と嫌では無かった。僕は愛した彼女に殺されるのなら、それもやぶさかでは無いと感じた。
心残りは、君がこのまま操られてあの老人の支配下に置かれる事だ。僕の事も記憶から消されて、君は新たなファリアとして生まれ変わるのだろうか……。
「……ゔ…………」
僕は、最後の力を振り絞り、彼女の頬に触れようとするが、そこまで至る事はできずに……いつの間にか彼女の首から下げてあるペンダントを握っていた。
そのペンダントは、透明のガラス玉の中に入ったゼニトの花が白く美しく輝いている。彼女の好きな花だ。僕も、この花は好きだ……もう思考する事も怪しい頭の中で僕はぼんやりとそのペンダントを見た。
もう終わりだ──守るべき彼女は無事だったのだ。最初から僕がいなくても、彼女は一人で生きていけたのかも知れない。
静かに目を閉じる。僕を助ける、あの天の声も聞こえない。今回ばかりは僕を見放したのだろうか……? それもいい。なんだか酷く疲れてしまった。結局あの天の声はなんだったのだろうか。
そんな一抹の疑問が頭をよぎった────。
『────まだ、終わりではない』
もう終わるこの命の灯火に、喝を入れるようなあの声が頭に響いた。
……だれなんだ? まだ僕に生きろと言うのか。
僕は不満を漏らすように思う。
『──私を呼べ。ここまで見てきた、私を呼ぶのだ』
……訳がわからない。いつもどこからか助言してた何者かを呼べる訳が無い。
僕はぼやける視界の中、頭に響く誰の声はどこの者か。
──急に、手が────熱くなった。
火のような、燃えるような熱さでは無い。じわりと鼓動をするような生き物のような熱さだ。
その瞬間、僕は気づいた。気づいてしまった。
──僕に語りかける、この天の声は……そうか、こんなにも近くにいたのだ。その声は、ここ一番で僕を鼓舞した。
『呼べ──! 生きるのだ──!』
「──ゼ…………ニ、ト………!」
ピシャン──ッ!!
僕が無意識のように握った彼女のペンダントが、割れた。それは、力で割ったのでは無い。そのペンダントの中から物凄い勢いで、植物の蔦が伸びてきたのだ。
「なんだ──!?」
Dr.クライフが驚いた声を上げた。ファリアのペンダントからズルズルと、まるで制限無く凄い勢いで伸びる植物の蔦、枝、そして葉──!
それらは植物でありながら、まるで獲物を捕食するかのような、そう……獣にも似た生き物のようだ。
緑の触手はあっという間に彼女の腕や体に絡みつくと、ギシギシとその鉄の身体を締め上げる。
「植物だと──!? 馬鹿な! なんだそれは!? ええい! ファリアよ! その植物を薙ぎ払え!!」
Dr.クライフが命令するも、僕を殺す寸前までいったファリアの鉄の腕は、もう大量の蔦と枝が絡まり、ピクリとも動けなくなっている。それどころか彼女の関節の隙間からは小さな葉が入り込んだのか、体の内部からも無数の植物が出始めているでは無いか。
「ギ──、各部パーツ、行動、不能。内部回路……及び全体70%に異常アり。問題を修復してクダサイ。問題を修復して下サイ」
僕の首からその鉄の腕が離れると、彼女の体がもう頭を残して、ほぼ全身が植物に食われるように緑と化した。
「ふざけるな貴様! なんだそれは! それが貴様の能力なのか?! この私の娘を、欺いていたと言うのか──!?」
塔全体が怒号を発する。僕はその場でごほごほと咳をしながら、よろめく。
「……はぁ……はぁ……。そうか……ずっと、君は、僕を見て助けてくれてたんだね……」
ゆっくりと僕は視線を上げて彼女の方を見た。
天の声の正体──それは、彼女が身につけていたペンダント……もとい、その中にいたゼニトの花であったのだ。
植物の声を聞く能力……! そして、その植物を成長させる能力が僕にあったのだ。
「認めん……! 認めんぞ……! 貴様、よくも私の娘を……!」
ファリアはもう指一本も動かせないだろう。彼女の体のあちこちからまだまだ植物は伸び、成長を見せる。その植物は僕の意思とは無関係に地を這い、塔の壁を伝うと、フロア中を緑で覆い尽くす。
「や、やめ……ろ……! 私、の、中に──入る、な──!!」
この機械塔そのものであるDr.クライフが叫ぶ。しかし植物は壁を侵食するように突き破り、この塔を、Dr.クライフという意思そのものを侵略する勢いである。
「……ファリア」
僕はゆっくりと彼女に近づき、その冷たい頬に触れる。
「ギ、ギ──ザ──」
一瞬、彼女の目にいつものような明かりが灯った──その時、
「やら、せん──ぞ──! 貴様、如き、に──娘を──やら──ん────!」
ドドドドドドドド!!
塔が激しく揺れた。成長した植物が塔を揺らしているのでは無い。この塔自身が、縦揺れに動き始めた。
「Dr.クライフ……!」
「ここで──貴様、は──死ぬ、の──だ──!!」