三十四話 二人の旅路
人は──人生でどれほどの強い衝撃的な体験や経験をするだろう。僕は自身の記憶を失くすと言う、他者には無い珍しいショッキングな出来事が身に起こった。
これ以上の不幸はあるまい。そう、思っていた。
……だが、今目の前に起きている現実は、そんな記憶を失くした事すら忘れてしまうような、恐ろしくも残酷な事実であった。
「……がっ、ファ……リア…………?」
ぎりぎりと僕の首を片手締めながら、ファリアは僕を軽々と持ち上げる。生身の人間にできる事では無い。普段の笑顔で眩しい彼女の愛らしい小顔は、冷徹で無機質な真顔になり、首を締める手から感情はまるで伝わってこない。
「ふふ──ふはははははははは!!」
四方からDr.クライフの笑い声がこだまする。何を笑う。僕を笑うか。不快な笑い声だ。
「良い子だ。私の娘、ファリアよ。ここまでの旅路、実に心の成長には有意義であった。そしてハザマ君! 君には大いに感謝している。ありがとう。拾号がここまでの感情の飛躍ができたのは君のおかげだ」
「う……うそだ……ファ、リア……目を、覚まして……くれ……」
絞るように僕は声を出すが、彼女はまぶた一つ動かさない。まるで機械──そう、あのロボット達と同じなのだ。
「ハザマ君。最後だから教えてあげよう。ファリアは私の元から逃げた後、近くで旅をしていた手頃な女性を捕まえて自分の肉体として同化させた。
恐らく私から逃げるためのカモフラージュのつもりだったのだろうが、残念ながら私は彼女の視覚から送られてくる電子信号で状況を逐一把握をしていたがね。
そして、ある日君と出会った。君はどうやら記憶喪失のようだね。私の娘が海岸で君を見つけて拾った時、この時から娘はどうも様子がおかしくなった」
塔に響く老人の声は、苦悶となる僕の表情を観察しているのか、楽しげに語りだした。
「その時ファリアは近くにあった小屋を見つけ、そこにいた逸脱を殺した。レーザーで一撃だったよ。そして娘は小屋の中へ君を置くと、しばらくじっと観察をしていた。私は訝しんだよ。この男に娘は何を思っているのかとね」
僕は、苦しさの中でショックを受ける。嘘だ。彼女は自分のおじいさんを、その仇を追っていたのではないのか。
「そして信じられない事に、ほっとけば死人同然の君を、娘は介抱し始めた。私は何らかのバグかと思った。だから強い電磁波を放って娘に命令した。『その男を殺せ』と命令したのだ。
……するとな、ファリアは頭を抱えて私の命令に逆らった。何が娘をそうさせるのかは解らないが、私はしばらく様子を見ようと思った。これは感情の成長の一環、そして貴重な実験だと思ったからだ」
彼女のあの頭痛は、命令を拒んでいたから……? そんな事を考えてる内に、徐々に力が強くなる彼女の指が僕の首に食い込んでくる。
「ハザマ君。君は本当に不思議な存在だった。君は何か未来を予知するような能力を持っているね? あの戦い方を見ていればわかる。それは紛れもない逸脱の能力であり、疑いの余地なしの証拠だ。
……なのに、ファリアは君を殺さなかった。これはとてもおかしい事なんだ。娘には逸脱を感知して、必ず殺しに行くプログラムが組まれている。それなのに、君を殺さなかった。これは君が逸脱で無いと言う証拠だ。そして何故か君の目の前では、娘は逸脱に対して攻撃を仕掛けなかった。これは何故なのか? ハザマ君、君はいったいなんだ? 私の仮説では君は娘と同じロボットなのだと私は考えた。だが──」
Dr.クライフがそう言うと、ファリアが空いた片方の手で、僕の服を引っ張るように破いた。すると、無数の細い触手のようなものが彼女の腕から出てきて、僕の身体を触り始めた。
「ふむ──やはり君は普通の人間だ。普通の肉体、ロボットのような機械でも何でも無い。少し残念だよ。私以外が創ったロボットがこの世にいるのかと思ったが、そうじゃないようだ。……しかし不思議な男だ。君は記憶を失くしていると言ったが、それもどこか怪しい。本当に君はどこからやって来て、何者なのだろうね?」
「ぐ……っ……」
ひとしきり検査のようなものを済ませると、触手は彼女の腕に収まるように戻る。僕はその光景を見て本当に彼女がロボットなのだと再確認すると、心の中でひどく落胆した。あんなに、笑顔が素敵な君が、こんなにも無慈悲に、僕を殺しに来ているなんて信じられないからだ。
「ふふふ。悲しい表情を見せるじゃないか。短い間であったが、二人の旅路はいくつもの情を育んだようだね。そう、それはまるで男女の恋のような性と欲望のリビドー、私の娘は君という男に、なんと恋をしていたのだ」
「ファ、リア……!」
僕は彼女の手を強く掴むが、びくともしない。
「前述の参号の機能を追った拾号は、人に寄生し同化できる。しかしそれは寄生される側の人間の性格が如実に現れる。だから娘の恋心は、その元となった人間の感情的なものだと私は思い、深くは考えなかったが──すぐにそれは間違いだと気づいた。私は電磁波による命令を送り続けて私の娘、ファリアの性格によせるよう強制をした。
だが、ファリアはそれを強く拒んだ。正確には私の娘になる事を拒んだのでは無い。例えばこの塔まで誘導するという命令には逆らわないのに、どうしてか君に抱く恋心を失くすと言う命令だけを反し、拒否し続けたのだ」
「……!」
そのDr.クライフの言葉、僕はさらに強く彼女の手を握る。そうだ──彼女が機械だろうが何だろうが、ここまでの二人の旅路は嘘偽りでは無かったのだ。僕は愛そう。機械でも何でもいい。あるがままの君を愛そう。
「──この実験は私の予想を遥かに越えた……わかるかい? 恋する機械、これはもう──"人間"だ! 私の手によって再構築された"娘"が! "機械"が! こともあろうか行きずりの男と感情を芽生えさせ! 親である私を謀るかのように! 恋をして見せたんだ! ふあーはっはっはっはっ! これ以上の心の成長は無い! 拾号は、君と言う男を持ってして、完璧なる娘へと至ったんだ!」
塔中に響き渡るかのような声で老人は高らかに笑った。誰しも自分の子供の事ならば嬉しいこともあろうが、この男は狂っている。もういない筈の自分の娘を機械に見立てて、本物と謳う彼は狂人のほかにないだろう。
「ファ、リア……頼む……目を……覚まして、くれ……」
「ハザマ君! 改めて言わせてもらう! ここまで娘を成長させてくれてありがとう! 今、ここに! 私の悲願が成就する! 我が愛しの娘を復活させる計画……『女神計画』は遂に完成へと至った! 名残惜しいがハザマ君! 君はここで死ぬのだ! 君が死んで、私の娘は今ここに現界する!」