二十七話 閃光の拳
ガシャ、ガシャン──。
一歩踏み出すたびに鉄を擦るような音を出してそいつは近づいて来る。
「ファリア──!」
僕は彼女の手を引いてすぐに逃げようとする。こいつはあの屈強な騎士達を一瞬で殺した化け物、体の細胞が全力で逃げろと告げた。背を向けて雪道を蹴り、村の出口へと走る。
「──加速」
ジュッ、という物音。次の瞬間には絶望が立ちはだかっていた。そいつは僕達を逃さんとまるで瞬間移動のような速さで逃げ道を塞ぐように、僕達の目の前に移動した。
「なっ……速い──」
「ハ……ハザマさん」
鉄の腕を伸ばして僕に向ける。瞬時に直感する脳髄。その脳裏に焼きつくはすぐそばに見える死体の山だ。あの指先から出る怪光線によって僕も、ファリアも殺されるだろう。恐怖と絶望が口も手も足も動かなくした。
僕はファリアを抱きしめ、彼女を守るように自分の身を盾とした。──せめて、彼女だけは守らなければという使命だけが己を動かし思い切り目をつむった。
「──────……?」
もう目を開けることは叶わないと思った。しかし、あの赤い怪光線は飛んでこない。僕はうっすらと、ゆっくり目を開けると信じられない光景が目の前で起こっていた。
「──おい。貴様、武人の勝負に水を差しておいて何様のつもりだ」
その僕に向けられた鉄の腕は、狼のような眼光をした男がひねり上げていたのだ。それはどんな握力なのかは知らないが、みしみしと音を立てて今にも折れそうな勢い。男は明らかに怒っていた。その眼光、表情、全ての雰囲気がまるで火山の噴火直前のような恐々としたものである。
そうだ、あまりの出来事に忘れていたがもう一人いたのだ。さっきのモストボイ将軍との勝負を邪魔されたこの男──味方かどうかはわからないが、彼もこの場で生き残っている唯一の人間だ。
「ギギ……邪魔ヲ、スルカ──排除スル」
そう言うと鉄の人形のような奴はもう片方の腕を振り回して男に殴ろうとした──その時、
「二極・昇『登破昇』」
ズガンッッ!!
男の拳が銀色の胸部にめり込んだ。刹那の攻防、男は一瞬早く攻撃へと転じた。深く刺さるその拳はどれだけの威力なのだろうか、その閃光の如き拳は素人目に見てもとんでもない瞬速かつ重厚な拳である。
「──ガ、ガガガ……!」
銀色の何者かは頭をガクガクと震わせ金属音を鳴らした。そして男から距離を取ろうと暴れようとするも、男はその者の手をがっしりと掴んでいるため動けない。
「この拳に伝わる感触──やはり人間では無いな。貴様はなんだ? おおかた逸脱が操作している操り人形というところか。本体はどこだ? どこから貴様を操作している」
男は腕を引っ張り上げて問う。冷静さと憤怒が混ざるような声。僕もファリアも、そして今やられているそいつも思うただ一つの真実──この男は強い。単純に強い、それだけで今この場の絶対的支配権はこの男へと移ろうとしていた。
「ガ──命令受信、命令受信。……タダチニ、戦線離脱。帰投シマス」
「──!」
ガシュンッ! 男がねじり上げていた腕が蒸気を吹いて外れた。二人の合間に一瞬の隙ができるとそれと同時に、
「最大加速!」
銀の足から火花が飛ぶ。轟音を立ててその謎の者は雪道をまるでソリのように滑るように爆速で逃げたのだ。
「小癪……! トカゲの尻尾切りか……」
ものの数秒の出来事。しかし逃げた奴の姿はもう遥か遠く、人間の足では決して追いつけないスピードで僕達の目の前から姿を消した。逃げた敵の影を睨みながら男は舌打ちをすると、残った敵の腕を雑に地面へと投げた。
「……あっ、あの! 助けてくれてありがとうございます!」
ファリアがお礼を言うと、男はちらりとこちらを見て短いため息を漏らした。
「……妙な気配だな。なんだ貴様らは」
「ああ、いや僕達は──」
男が訝しむように僕達をギロリと見る。僕はすぐに敵では無いことを証明するように両手を上げながら、名前と無害な旅の者だと口を動かし説明をする。
「……まあいい。特段、助けた覚えは無い。一般人がこんなところでうろうろするな。去れ」
どうやら僕の必死の説明で納得してくれたのか、男は背を向けると何処かへと行こうとする。
「あっ待って下さい! どこへ行くのですか……?」
「愚問だな。奴の跡を追う──勝負の邪魔をされた落とし前はつけさせてもらう」
彼女がくい止めるように尋ねると、男は背中越しに返した。
「待って! その……私達も連れて行ってもらえないでしょうか? あの敵は私のおじいちゃんの仇と関係があるかも知れないんです!」
「ファリア!?」
突然の彼女の言葉に僕は驚く。仮にも僕達はこの人のおかげで助かった訳だが、僕はこの人に何か危険なものを感じられずにはいない。恐ろしく鋭く冷たい眼、選択を誤れば次にあの拳が飛ぶ先は自分になるやもという恐怖があった。
「断る。弱者の世話をするほど俺はお人好しでは無い。もう一度言う、去れ。去らねばその命いくつあっても足らんぞ」
圧のある声で男はそう言うと逃げた敵の跡である削れた雪道を頼りに歩き出し、徐々に地平線の彼方へと消えていった。
「ファリア……」
男の姿が完璧に消え、村に静寂が戻ると彼女は静かに落ち込むように顔を下げた。それを見て僕は彼女を気づかうように肩を優しく抱き寄せる。確かにあの敵は彼女の祖父の仇と何かしらある可能性はあるが、今回は今まで以上に危険な予感がした。
あの敵は一体なんだったのだろうか? 男が言っていたように逸脱が操る鉄の人形だったり、僕達が予想もつかない能力だったりするのであろうか。
僕はふと周りを見ると、先ほどあの男が投げた敵の腕が転がっているのを発見した。
「あの腕……」
それにファリアも気づいたようで、彼女はそれを拾い上げる。ずしりとした重そうな腕だ。材質は……鉄だろうか、表面は銀色で問題はその中身、なにやら細い線のようなものが沢山詰まっていたり、見たことも無い素材が組み込まれている。
「なんなんだこれは……」
「ハザマさん、これもしかしたら──"機械"じゃないですか?」
機械──それは今から五百年も前に使われていたと言われる便利なもの。今でこそ世界には形は残っているがほとんどが動かないものばかりだ。
「機械……なんでそんな物が──」
疑問をさげながらその腕をよく見てみると、何やら文字が書かれているのを僕は見つけた。
「陸号……?」
なんだろう、何かの名前だろうか。鉄の腕には確かにそう書いてある。他には何かないかと僕はその腕を手に持って観察すると──中身の細い管から何か液体が垂れた。
「……────え」
この時の僕の顔は……酷く、崩れていたのかも知れない。
「ハザマさん? どうしたんですか」
「──あ、ああ……何でも……ない」
ファリアが心配そうに聞く。しかし僕はその自分の中で芽生えた何かを隠すようすぐに気を取り戻す。
「ハザマさん。私達も追いましょう。私、何か感じるんです。あの敵が逃げた先……この先におじいちゃんの死の謎があるような気がしてならないんです。ほんとに勝手だけど、ハザマさん──着いてきてくれますか」
彼女の瞳と強い決意が僕に問いかける。
「──もちろん。僕は君を守るよ。僕はさっきのあの人みたいには強くないけど、それでも必ず君を最後まで着いていって守るよ」
ファリアの決意を無為にはさせない。僕は彼女のためにここまで来たのだ。今さら引き返す選択肢など何処にもない。僕達は手を繋いで、白い地平線へと歩き出す。
────あの腕から垂れた液体。それは、緑色であった。
僕の血と同じ色…………あの彼女の祖父の遺体の側にあった色…………。
何か、すごく嫌なものを感じながら────僕は彼女の手を握って、自分の心の中に渦巻くものを誤魔化すように、その先へと向かうのであった──。