十話 侵入者
「────ん……ここは……」
目を開けると、暖かなベッドに寝かされたファリアの視界に入って来たのは数々の金細工の装飾が施された広い部屋である。見るからに高そうな壺やキラキラと金に輝くシャンデリア、自分が寝ているベッドも、部屋を暖める暖炉さえも黄金をふんだんに使っている。
「気づいたかいファリア。君は頭痛でしばらく倒れていたんだよ」
目を覚ました彼女を見て僕が言う。
「あっ……すみませんハザマさん! 駄目ですね私……足を引っ張ってしまって……」
「いいや気にしないでくれ。僕だってファリアには助けられているんだ。このくらいは当然さ」
僕は彼女の元気そうな顔を見て一息つく。どうやらもう心配は無さそうだ。ほんとに一時的な頭痛なのであろう。
「あの、ところでここは……」
「ああ、ここは──」
僕が説明をしようとすると部屋の扉がノックされて、この邸宅のメイドさんが頭を下げながら入ってきた。
「お客様、具合はどうでしょうか」
「あの、えっと、もう大丈夫です! 元気いっぱいです!」
ファリアは状況がよく飲み込めないが、とりあえずメイドさんに自分が健在であることをアピールするように腕を振りながら答えた。
「それは良かったです。何かお困りの事があれば遠慮なくおっしゃって下さい」
「ありがとうございます。ファリアも元気になったようなので、シアラーさんに改めてお礼を言いたいのですが…… 」
「かしこまりました。シアラー様もお客様方に会いたいそうでしたので、すぐにご案内できますがいかがですか?」
僕と彼女は目を合わせる。
「ファリア、立てるかい?」
「はい! もう大丈夫です!」
彼女は何にも無かったかのようにベッドから降りて立ち上がる。僕達はメイドさんに連れられて赤と金のカーペットが敷かれる長い廊下を歩くと、階段で二階へ上がって大きな黄金の扉の前まで連れてこられた。
「シアラー様、入ります」
扉をノックして入ると、そこには広々とした客間が現れた。その客間の中央に金のテーブルと金粉をまぶした白のソファがいくつか置いてあって、その一つにこの邸宅の主であるシアラーさんが座っていた。
「あら、お身体は大丈夫そうですわね。どうぞお掛けになって下さいまし」
「ありがとうございますシアラーさん。ファリア、こちらの方がここまで君を運んでくれたんだよ」
「そうだったんですね……本当にありがとうございます!」
彼女は頭を深々と下げると、シアラーさんはにんまりと笑う。
「別に恩義など感じる必要はありませんわ。人助けは当たり前のこと……さあ暖かい紅茶でもお飲みになって」
僕達は恐縮しながらふかふかのソファに座って、言われるがままにテーブルに置かれた紅茶をちびちびと飲む。紅茶は透き通るような葉の香りで美味しそうなのだが、その表面に金粉が浮いている。これはこだわりなのかわからないが、僕には何ともミスマッチに見えた。それとも上流階級の人々はこれが普通なのかと僕達は紅茶をそのまま飲みきる。
「ふふふ。自己紹介がまだだったわね。私はシアラー。この町に住む人々は私を『マダム・シアラー』と呼んでますわ」
僕と彼女は改めてシアラーさんを見る。率直な感想で言えば、マダムはデカかった……その全体的に。座っているソファはその体重を表すように僕の倍以上は深く沈んでおり、紫と金のカラーリングの高そうな洋服を着ていて一般人とは明らかに雰囲気が違う。身長も男の僕より高く、横幅も広く、懐も太い。心も身体も大柄な女性であった。
指にはいくつもの宝石の指輪、大きくブローした髪、強めの香水の匂いが辺りを漂わせている。絵に描いた金持ちとはこの人の事だろうと僕は思ったし、ファリアもそう思っているかのようにマダムの全体を凝視している。
「ごめんなさいね。こんな黄金に囲まれたような部屋で……落ち着かないかしら?」
「あっ、いいえ! こんな素敵な部屋、初めてなもので……ちょっと緊張というか……」
ファリアはマダムの一声で我に返ったように慌てふためいた。
「あなた達は旅人さんでして?」
「はい。僕はハザマ、彼女はファリアと言います。僕達はお互い探すものがあって旅をしています」
僕はかいつまんでマダムに旅の経緯を話す。僕の記憶の欠如、ファリアの祖父の死、一通りを話すとマダムはそれを黙って聞いた。
「そんな事があったのですね……さぞかしお辛い旅でしょう……」
「シアラーさんはファリアの祖父を殺めた者について何か知っている事はありますか?」
僕はマダムに聞くと、マダムは少し考えたようにこう答える。
「……数年前からこの辺りで旅人が失踪する事件が起こっていますわ。それと風の噂だとここよりもっと北東の方では、人々が突然に居なくなる行方不明事件が多発していると聞いた事がありますわ」
「そうなんですか!? それは──やはり逸脱の仕業でしょうか」
「断定はできませんわ。しかしその可能性は高いでしょう。この北大陸も物騒になりましたわね。あなた方はその危険を承知で旅を続けるのですか?」
僕とファリアはマダムの問いに強く頷く。人には誰だって譲れぬものがあるのだ。僕は自身の記憶を、ファリアは祖父の死について今だ納得など出来ないのである。
「意志は強く、固い……よくわかりましてよ。とにかく今日は泊まっていきなさいな。もう陽も暮れる……明日の朝、出発したらよくってよ」
マダムは窓を見ると、夕焼けに染まるザカンの町を見て言った。
「何から何までありがとうございます。それにしても……シアラーさんはすごいお金持ちなんですね! 何だか別の世界に来たみたいで迂闊にそこら辺の物に触れませんね……」
ファリアはつい本音をこぼすと、マダムは大きな口を開いて笑う。
「ほほほ。まあ私はこの町、いいえこの大陸で一番のお金持ちと言っても過言じゃありませんわ。私はちょっとした金脈を堀当てただけ……。ならばこうやって人助けの一つや二つをしないとバチが当たると言ったものですわ。この私の黄金邸はご自由に使って下さいまし。メイド達にも気がねなく言付けをしてくれればいいですわ」
「恐縮ですマダム……。ファリア、お言葉に甘えさせて頂いて今日はもう休もうか」
「そうですね。シアラーさん改めて本当にありがとうございます。軽い頭痛なのにこんなお世話して頂いて……本当に助かりました」
僕達は二人揃って頭を下げる。
「気にしないでくださいまし。むしろこの程度しかお役に立てないで、こちらこそ力不足を感じますわ。──ああそれと、この上の三階にはちょっとした大広間があってそこだけは"立ち入り禁止"して貰えると助かりますわ。なにせ工事中でして足場が悪いので……大きな茶色と金の扉だからすぐにわかると思いますわ」
「そうなんですね。わかりました。じゃあファリア部屋に戻ろうか」
僕達はソファから立ち上がって、またメイドさんに連れられて一階の客室へと戻った。
「ハザマ様のお部屋はお隣にございます。どうぞごゆっくりお過ごし下さいませ」
メイドさんはそう告げると部屋から去っていった。僕達は椅子に座って備え付けの菓子に手をつけながら一息ついた。
「ふう。どうなる事かと思ったけど、どうやら僕達はかなり運がいい。シアラーさんみたいな優しい人に助けられるとは、渡りに船だね」
「ほんとに良かったです。でもなんだかここまでされると逆に何か申し訳ないような……。私の頭痛は一時的なものなので何だか騙したみたいで気が引けちゃいます」
ファリアは申し訳なさそうに言う。
「……ファリア。君の頭痛は一時的なものとはいえ、その瞬間はかなり苦しいんだろ? なら無理は絶対しちゃ駄目だ。君は普通の女の子なんだから……」
「ハザマさん……ありがとうございます」
僕がまっすぐと彼女の目を見て言うと、ファリアは何故か顔を赤くしてうつむいた。
「……あっそうだ! ハザマさん、シアラーさんの言ってたこと、あれが本当なら私達はこれから東北へと向かった方がいいかも知れません!」
ファリアは何かをごまかすように突然僕に言ってきた。
「東北……シアラーさんが言うには行方不明者が多発していると言ってたね。それにこの辺りでも旅人が失踪しているとも言ってた。気をつけていかないとな」
「犯人は何か目的があって移動をしながら各地を襲っている可能性があります。私のおじいちゃんも……何か目的があって殺されたに違いありません。調べに行きましょう」
彼女が力強く言うと、僕はそれに頷く。それに僕も思うことがあった。犯人が一人とは限らないとすれば、それだけ逸脱に出会う機会が増える。僕は異能である彼等を見て、僕自身が逸脱であるかどうか判断をしたいのだ。
もしかしたら中には記憶を消す逸脱や、その逆で記憶を甦らせる能力者もいるかも知れない。彼女が探す犯人と自分の記憶の欠如の原因はもしや関係性があるのかも知れない。
「よし。じゃあ明日の朝には出発しよう。そのために今日はゆっくりと休もう」
「そうしましょう! ハザマさんもゆっくり休んでください」
僕は彼女に見送られながら部屋を出ると、隣にある自分の部屋へと入る。僕の部屋は彼女の部屋と変わりなくそれなりの広さと金の彩飾が至る所に散らばっている。
部屋を一望して大きくてふかふかのベッドにどすんと寝転ぶと、僕は背を伸ばした。寝たまま窓の方を見ると外はすっかりと暗くなっており、町の外灯が雪のちらつきを静かに照らしている。
僕はそのまま目蓋を閉じると、疲れていたのかすぐにその意識は深いまどろみの中へと沈んでいった。
──────────『……きろ』
────────『起き……ろ』
──誰かが呼ぶ。こんな真夜中に誰かの声が頭に響いた。
「……んん」
僕は目を覚ます。静まり返った豪邸の一室で何者かに起こされたかのように起きた。
「(夢……いや違う。またあの声だ……)」
僕は何か嫌な予感がした。何者かの声が聞こえたのは何かの予兆のような気がしたからである。
どこかまだぼんやりする頭を振ると、僕はベッドから出て部屋のドアを開けた。そして彼女の部屋の方を見ると、何故かそのドアが開いているのだ。
「(ファリア……?)」
僕は流れるように彼女の部屋の中を覗くと、
「……いない」
部屋には誰もいなかった。僕は彼女が外の空気を吸いに行ったのかと思って、少し駆け足で出入口の正面扉まで来る。しかし扉を開けようとするが鍵がかかっていたのだ。つまりは彼女は外へと出た訳では無い。僕は段々と何かおかしな気配が自分の背筋を凍らせていくのを感じる。
「ファリア……どこだ……!」
僕は豪邸の長い廊下を走る。すると──
『……上だ』
またあの声が僕に助言する。僕は階段を上がって上へと向かう。二階……いや、この声は三階を表しているように聞こえた。僕は迷いなく三階へと向かうと、そこにはマダムが言ってた立ち入り禁止の大広間の扉があった。
『……そこだ』
声は僕を導くように言う。僕はその大広間の扉をゆっくりと開けた。
すごく暖かい空気が流れてくる。大広間の中には人が7、8人立って入れそうなとても大きな暖炉があって、それがごうごうと薪を燃やして広間を暖めている。
僕はまるで泥棒のようにこっそりと入ると、壁伝いにゆっくり進む。すると──目の前に急に人がいた。
「わっ!?」
僕は驚いて腰を抜かす。しかしその人は僕を見てぴくりとも反応しない。それもその筈だ。だってそれは人ではなく人形の像であったからだ。
「な、なんだ……銅像か……」
よく見ると広間の壁には囲むようにずらりと銅像が立っていた。いや訂正しよう、銅像では無く黄金で造られた金の像だ。
「こんなに沢山……マダムの趣味なのか……? それにしてもよく出来ている……」
像達はまるで一体一体が人間の剥製かと思わせるような繊細でリアルな逸品である。僕は暖炉の火の灯りで照らされた広間にある像を見ていくと、
「──ファリア」
立ち止まった先にあったのは衝撃。その数ある像の中に彼女そっくりの物があった。いいやそっくり所じゃない。まるで本物の彼女がそこにいるかのような出来映えの金の像である。
「どういうことだ……? なんでこんなファリアそっくりの像が……」
突然の事に僕は疑念に刈られる。──その時であった。
「お前は誰だ……!」
急に声が後ろから聞こえると、そこには剣をこちらに向けて威嚇する男がいた。
「……!」
僕は生唾を飲み込む。男はゆっくりとこちらに近づいて来ると、その剣を僕の目の前まで突きつける。
暖炉の灯りが男と僕の顔を照らすと、互いはそこでハッキリと相手の顔を再確認した。
「お前は……!」
「……あっ!」
男は茶髪で身体には銀の胸当てを着けていた。そう、この男は昨日……旅人の小屋で出会った男であったのだ──。