三話 大雪原へ
寒く、冷たく、吹雪が舞う。大粒の雪が僕とファリアの肌を打つと、僕達は目の前の現実に目を丸くさせた。
「おじいちゃん!」
ファリアが倒れている祖父の肩を揺らす。だが、もはや冷たくなった祖父の亡骸は返事をする事もなく外の吹雪の音だけが静かに小屋を軋ませる。
「そんな……なんで……?」
彼女は両手で顔を覆って悲しみに暮れる。僕はこのいきなりの状況を理解するために部屋を見渡して彼女の祖父の死因を探すが、目ぼしいものは無い。
小屋は出入口が一つだけの部屋であり、中には暖炉とテーブルと椅子、それと大量の薪とそれを割る斧があるだけだ。
「僕を助けてくれた恩人が……こんな……何故……」
僕はしゃがんで恩人の遺体の前でがくりとうなだれる。悲しむ彼女に何か言葉をかけてあげたいが上手くそれが出てこない。
「おじいちゃん…………」
「……おじいさんは、何か病気だったのかい」
「……ううん。そんなこと無いです……おじいちゃんは元気で強くて……こんな簡単に死ぬ訳ないんです……」
彼女は力なく言う。それなら、僕の恩人は何らかの事故で死んだ──もしくは"殺人"と言う事になるだろう。
僕は改めて老人の遺体を見るが特に目立った外傷は無い。部屋の中にある凶器となりうる物、薪割り用の斧を見ても血の一滴も付いてない。となればやはり殺人ではないのだろうか、しかし一つだけ気になる点が僕にはあった。
「ファリア、おじいさんはいつからここに?」
「……え? おじいちゃんなら朝からここで薪を割ってました……」
「朝からか……」
僕が気になったのはこの部屋が冷えきっていたことだ。暖炉の火種はとうに消えて燃えかすだけが残っている。つまりは、おじいさんは死んでから時間が経っていると言うことである。
少なくとも今から数時間前には死んでいたのだろう。僕は突発的な心筋梗塞などの状態で急死をした可能性を考えたが、それを杞憂にするような不可解な点を見つけた。
「(なんだ……これは?)」
それは非常に目立たないものである。おじいさんの遺体の左胸に小指の先ほどの"穴"が空いていたのだ。穴は着ている服を貫通し、綺麗な円を描くようにぽっかりと空いている。背中までは貫通していないがそれなりに深そうであり、そこから若干であるが血痕のようなものも見えた。
「……おじいちゃんはきっと"逸脱"に殺られたんだ……。最近この辺りで出没する危険な奴に狙われたんです……絶対そうに違いありません。そうじゃなきゃ、私はこの"死"に納得できない……。ハザマさん、おじいちゃんを埋葬するのを手伝ってくれますか……」
「あ、ああ……」
ファリアは悲しみの中に怒りを込めたような声で立ち上がる。彼女は黙ってスコップを持つと小屋の外に出て穴を掘り始める。それに僕も加わって二人で雪と土を掻きながら、埋葬するための深い穴を二時間ほどかけて掘った。
僕はおじいさんの大きな身体を彼女と一緒に持って、その穴におじいさんをそっと入れると──彼女と僕は何とも言えない顔をしながらその穴を埋めた。
・
辺りがすっかりと暗くなる頃、僕と彼女は部屋にある暖炉の前で暖まりながら喪に服すように黙っていた。
なんとも言えぬこの空気、彼女の悲しみと恩人に感謝の一言も言えなかった僕の後悔が部屋の中で渦を巻いているように沈黙を生んでいる。
「……なあファリア、君はこれからどうするんだい」
その空気に耐えられなくなったせいか、僕は後先も考えぬような事をぽろっと言う。
「……私は……おじいちゃんを殺した犯人を探したい……。だけど、犯人を見つけたとしてもそこまで……私には犯人を捕まえるような、そんな力は無い……」
弱々しく年頃の少女らしさを見せて彼女は言った。確かに、普通の人間ならば逸脱には勝てる道理は無い。それが女の子であるならばなおさらだ。だから僕は反射的にこう言った──
「──僕も探そう。おじいさんを殺した犯人を見つけようじゃないか」
その言葉は自分なりの恩返しなのか、僕は彼女の瞳を見つめて答えた。
「……ありがとうございますハザマさん。でも、これは危険な旅になります。あなたを巻き添えにはできません……」
「危険なのは君の方だ。このまま一人で外に出て犯人に殺されたりなんかしたら、それこそ君のおじいさんは望まないだろう。だから僕にも手伝わせてくれ。それに、僕も自分の記憶を取り戻したい……そのためには少なくとも一ヶ所に留まるよりは世界を歩いた方が記憶も戻ると思うんだ。僕は君を守り、君は僕をサポートしてくれないだろうか」
素直な気持ちで言葉を綴ると、彼女はオレンジの長い髪を揺らしてゆっくりと立ち上がり、僕を見た。
「ハザマさん……ありがとうございます。これから厳しい旅になるかもしれませんが、二人で頑張りましょう。私も……全力であなたの記憶が戻るのをサポートします」
ファリアはその白く細い手を僕に差し出す。僕は両手で包むように彼女の手を優しく握ると、瞳を見つめて頷いた。
・
──冷たい夜が終わり、朝が来た。今日も今日とて寒い朝が北の大陸を包む。
そんな冷え込む早朝から旅支度を整える……と、言っても最初から何も持たない僕はファリアからもらった服を着ただけで、後は彼女から簡単な腰巾着を貰ったくらいですぐに準備は整った。
「ハザマさん。準備は整いましたか?」
部屋のドアがノックされると、彼女の声が聞こえて来たので僕はドアを開けて彼女に挨拶をする。
「おはよう。もう準備は大丈夫だよ。ファリアはどうだい?」
「こっちも大丈夫です。ハザマさん、これを持って下さい」
ファリアは僕に何かを差し出す。それは銀の刃がきらりと輝く短剣であった。
「これは?」
「流石に丸腰では危ないのでせめてもの武器です。何かあった時のために護身用に持っていて下さい」
「……そうだね。ありがたく受け取るよ」
貰ったその短剣をぎゅっと握りしめる。別に普通の短剣、軽く扱いやすい武器だ。そして僕は感じる、僕は──強くないと思う。記憶を失くしてるから以前に何があったかはわからないが、僕はこの短剣を握っても別に力が湧いてくる訳でもないし、短剣を扱ったイメージが脳内に浮かび上がるなんて事は無かった。
僕はたぶん……記憶を失ってるだけの普通の人間だと思う。そんな普通な自分に彼女が守れるのかと情けない思考がふいに頭をよぎったが、僕は頭をぶんぶんと振って雑念を払った。
「──よし、行こう」
「はい──!」
僕とファリアは家を出ると昨日まで吹雪いていた天気はすっかりと晴れていて、太陽の光に反射された大雪原がきらきらと輝いておりまるで僕達の旅路を祝福してくれてるかのようだ。
「おお……とても……こんなに綺麗なのか」
「……晴れた日は綺麗ですよね。私もこの景色は大好きです」
彼女が遠くの雪に染まる地平線に指をさす。
「まずはこの先にある『ロトル』という小さい町に行きましょう。そこで情報収集です」
彼女は前を見据えて歩き出す。
「ファリア、その……おじいさんに挨拶はしなくていいのか」
「──そうですね。悲しいからおじいちゃんのお墓はあまり見たくなかったけど、旅立ちの前にお参りしましょう」
僕達は昨日埋葬した小屋の側にあるおじいさんの墓の前で手を合わせる。静かな黙祷の後、彼女は一礼をしてお墓に背を向け、目的地に向かって再び歩き出した。
僕もお墓に眠るおじいさんに心の中でお礼を言って立ち去ろうとする。──その時、視界にあるものが映った。
「(……?)」
不思議に思って近づいて見ると、小屋の出入口付近にあった雪が何故か変色していたのだ。本来純白である雪の一部が何か緑色の液体のような物が垂れたかのように変色している。
「ハザマさん? 行きますよー!」
「──! ああ、いま行く」
彼女の声で我に返ったように僕は雪を踏みしめて、大雪原を行く彼女に着いていくのであった──。