~四章 忘却の男編~
人は──同じ夢を何度も見ることはあるだろうか?
……僕はこの夢を何度と、幾度と無く見ている気がする。それはいつから見ているのかはわからない。でも僕はまったく同じ夢を今までも、そしてこれからもその夢を見る気がする。
深い……深い眠りの中で目を開けると、そこには決まって目を疑うような絶景が広がっている。
雲一つ無い澄み渡る青空、視界を遮る建造物は無い目の前にはだだっ広い地平線、そして視野いっぱいを埋め尽くすように美しく咲く黄金の花が僕を取り囲む。
気持ちのよいそよ風が、花から出る少しだけ甘い匂いを乗せて僕の鼻孔を突く。
夢の始まりはいつもそこからだ──。
そこがどこなのか、何故自分がそこにいるのかも知らずに僕はただそのこの世とは思えぬ綺麗な場所に感動をし、そして安堵のような感情を覚える。
そんな桃源郷のような所を僕はふらふらと歩くと──それは急に現れるのだ。
黄金の花が咲き誇る中で、安楽椅子に座った謎の人物。その人は頭を全て覆い隠すように黒い布を被っている。それどころか肌の一つも見せないように手袋や深いブーツ、大きめの黒い衣服を着て手足の先まで漆黒に包まれていた。
そんな不審な人物を見たら誰もが怪しがるだろう……。しかし、不思議とその人物には何故か敵意やそう言ったものは僕には感じられなかった。それどころかどこか懐かしさや親しみのようなものさえ感じるのだ。
──そしてその謎の人物は僕に決まってこう言う。
「──お前は、必ずここに戻って来る。ここに戻って来なくてはいけないのだ」
誰かも知らない黒い人はそう言う。僕にはその意味がわからないし、ここが何処なのかも知らない。
でも、夢でその人に会うたびに言われる。何回言われたのかは覚えて無い。もしかしたら数回かも知れないし、何百回かも知れない。
その人の言葉にはなんと言うか……焦りや怒り、または悲しみなんかじゃなく、どこか儚い"願い"を込めたようなそんな感情が伝わってくる。
そしてその言葉を聞き終わると、夢は唐突に終わりを迎える。まるで砂で作った城が風に吹かれてさらさらと消え去るように、辺りの風景が崩れだしながら闇へと消えるのだ……。
──────────────
『……きろ……起き……ろ……』
──誰かが自分を起こそうとしているのか、声が聞こえる。
『……めろ…………目覚め……ろ……』
声は段々と大きくなっていく。いったい誰だ、僕を起こそうとするのは誰なんだ。
『──目覚めよ』
「──!!」
一段と目を覚まさせるような鋭い声が耳に響いた。僕は驚くようにがばっと身体を起こして辺りをきょろきょろと確認した。
「…………ここは……?」
起きて早々であるが、そこは見知らぬ部屋であった。部屋の隅にある大きめのベッドの上で僕は困惑する。
壁一面はくすんだ色合いの赤い煉瓦で作られ、少し薄暗い。その薄暗い中でぱちぱちと薪を炎が燃やして大きな暖炉が部屋を明るくし、登山用具などが壁に掛けられているのがわかった。
……うん、やはり知らない部屋だ。こんな所は見たことも無い。ベッドの横にあった小さな戸棚を見るとそこには一輪だけ白い花が差してある花瓶と写真立てが飾ってあり、その写真には見知らぬガタイの大きな老人が写っている。
「……寒いな」
どこからか入ってきた隙間風が僕の首筋を撫でた。よく見たら僕は上半身の服を着ておらず、胴体には包帯が巻いてある。自分は怪我をしていた? 誰かが介抱してくれたのか? ……考えるがわからない。
身震いをしながら部屋を見渡すがどうにも空気が冷たい。暖炉が点いているくらいだ、おそらく外は気温が高くないのだろう。
ベッドすぐ横の壁際にはカーテンがついている。僕はそのカーテンを開けると、ガラスの厚そうな窓が現れて外の様子を見た。
「──ここは」
外は────吹雪であった。視界全てが白に染まるような吹雪。どうりで寒い訳だ納得……いや、納得はしない。そもそもここはいったい何処なのか僕はさらに混乱をする。
ふと、窓に反射する自分の顔を見つめた。薄い緑髪と幸の薄そうな顔立ち、白い肌と痩せた身体がさらに貧乏そうに見える。ああ、僕ってこんな顔だったか……? と、自分でも不思議がるように顔をなで回した。
外の景色と自分の顔を眺めてると、部屋の反対側にある木製のドアがギイイと嫌な音を立てて開いた。
「──! お目覚めしましたか」
現れたのは、二十歳くらいの一人の女性であった。淡いオレンジ色の長い髪はその片方を三つ編みにしていて優しそうな顔立ちをしている。薄い青と白の決め細やかなカーディガンと長いロングスカートを履いたその女性は柔らかな声で僕の傍に寄ってきた。
「お身体は大丈夫ですか? まだ痛みますか?」
彼女は僕の手を握って心配そうに聞いてきた。暖かな感情が伝わると、僕は状況がまだいまいち理解できないせいか彼女に質問する。
「……ここは、どこなんだ? 僕は何故ここに? それに君は?」
「何も覚えていらっしゃらないのですか? あなたはここから数キロほど離れた海岸で怪我をして倒れていたのですよ。ちょうど漁に出てた私の祖父が発見してここまで運んできたんです」
「なっ……倒れてた──?」
まくし立てに質問する僕は彼女の言葉に驚く。どうやら僕はよくわからないが危ない所を助けてもらったらしい。
「でもよかった……生きてて。怪我はどうですか? 痛みますか?」
胴体に巻いてある包帯をさすると、痛みは特に無い。僕は不思議に思って包帯を取り除くと、身体にはうっすらと細い傷跡が残るだけで怪我は完治していた。
「ああ……大丈夫みたいだ。どうやら大した事は無かったらしい……」
「ほんとですか! よかったです!」
「ええと、何て言ったらいいか、とにかくありがとう。おかげで助かったみたいだ。本当にありがとう。それで、ここはどこなんだい?」
「ここは年中を雪に閉ざされた地──北の大陸です。この家は西の沿岸部の方に当たります」
──北の大陸。それは世界を占める四つの大陸の中で、最も厳しい環境下とも言われる凍える大地であった。
「そうか……北の大陸……」
「あっ自己紹介がまだでしたね。私は『ファリア』って言います。あなたのお名前は何と言うんですか?」
「ファリアか。良い名前だね。僕──僕の名前は──……?」
ファリアの問いに返そうとしたが、その返答は僕の口から出てこなかった。簡単な質問、自分の名前を答えるだけなのにそれができない。何故なら僕は自分の名前も、どこから来たのかさえも記憶に無いのだ。
「思い……出せない……。僕は、誰だ──? どこから来て……そもそも、今までどうやって生きてきたんだ──?」
僕の脳内はもやがかかったように不明瞭であった。名前も、過去も、何もかもが思い出せないのだ。
「まあ大変……! おそらくは一時的な記憶喪失なのですね。それだけショックの大きい事があったのでしょう……かわいそうです。でも、安心して下さい。少なくともここにいれば心配無く、安全です。あなたの心の傷が癒えるまでゆっくりしていって下さい」
ファリアは僕の手をまたぎゅっと握ると優しい声でそう言った。
「……すまない、ありがとうファリア。しかし、名前も思い出せないとは不便だな……」
「良いんですよ。困った時はお互い様です。あなたは生と死の間をさまよって、こうやって生きているんですもの。そこには何か意味がある筈です。……そうだ! 急遽ですがお兄さんのお名前を思い付きました! 生死の境界を跨いだその名は『ハザマ』! ハザマさんでどうですか!」
「あ、ああ……」
ファリアは足をぴょんと跳ねて目を輝かせながら提案する。揺れる髪と胸が弾むと僕は照れながら頷いた。
吹雪の大地、北の大陸──こうして僕こと『ハザマ』と『ファリア』は出会ったのだ。
失くした僕の記憶と共にこの物語は始まる。この時は、まだあんな事になるなんて……思いもしなかった──。
あけましておめでとうございます!前年から読んでくださってる読者様、これから読んでくださる皆々様にはご健康の願掛けを祈る次第です。またぼちぼちスローペースですが書いて行きますのでご一読頂けたら幸いです。稚拙な作品ですが、今年もどうぞよろしくお願い致します。