三十六話 ズタボロの勝者
──のどかな午後。白き花畑はいつもの陽気さと小鳥のさえずりがどこからか聞こえてきた。
それは二人の武人の死闘が終わった証明でもあり、花畑には倒れた両者がぴくりとも動かずに時だけが過ぎて行く。
「…………うっ……痛っ……!」
最初に起き上がったのは開幕早々にヴライの攻撃によりぶっ飛ばされたバラコフであった。まだ攻撃の痛みが身体中を走るなか、何とか膝を立てて辺りを見渡した。
──辺りは悲惨であった。いまだに倒れたままのカーニヒア、異常を知らせる煙と緑のオイルを流して沈黙するサンゴー、よほど激しい闘いだったのか周囲の花が散々と荒れた花畑の中央に、ヴィエリィと敵のボロボロになった身体が死んだように倒れていた。
「──ヴィエリィ! サンちゃん! カーニヒア様!」
バラコフは二人の元へ寄ろうとするが、全身を巡るじわりとした痛みで足が上手く動かない。それほどまでに男の一撃は重く、足枷となっていた。
「くっ……足が……! ────え」
痛みを耐えて踏ん張って立とうとしたその時──バラコフの目の前に自分より先に立ち上がる者がいた。
「──こぉぉぉ……ふゅぅぅ……」
──それは、もっとも立ってほしく無い者であった。その身がズタボロになっても立ち、ヴィエリィを見下ろす男はたえだえの息でその狼のような眼光をギラつかせているのだ。
「あ、あんた……!」
何か言葉を投げ掛けようとしたが、男の余りの威圧に気圧されてしまう。余計な事を口走れば、即座に噛みつかれ殺されるようなそんな雰囲気である。
「…………礼を言うぞ。ヴィエリィ……。お前のおかげで、俺の九極は『究極』へと至った……! 俺の拳を完成させたのはお前だ……。お前は俺の拳を完成させたが故に敗れたのだ……やっと、やっと……俺は俺の使命を果たせた……。改めて礼を言うぞ……」
男は今にも倒れそうな身体であるが気丈に振る舞い、その身の強固さを誇示するように言う。その相手への賛辞は己の誇りであるように、真の武人である強敵に対して最大の敬意を込めて誉めた。
「ヴィ、ヴィエリィ……! ヴィエリィ!!」
バラコフは生きてるか死んでいるのかわからない友を呼ぶ。──しかし乙女の反応は無い。彼女はただ屍のように倒れているだけだ。
「安心しろ……まだ息はある……。急げば間に合うだろう……」
ヴライはそう言うとサンゴーの方をちらりと見た。それを感づいたバラコフは思わず声を出す。
「サンちゃんを殺る気!? そうは……そうはさせないわよぉ……!」
友を死なせまいと、気力を振り絞り男へと近づこうとする。だが、男はこう言った。
「ふん……。もう、俺にはあの機械に止めを刺す余力は残ってない……。この勝負は俺の勝ちだが、紙一重だった……勝敗を分けたのは経験の差だ……技量は互角といってもいいだろう……。俺の拳を完成させた礼もある……。それに、俺には新たな目標ができた。俺と紙一重となる勝負ができる武人がいると知ったからには、更に強くなる必要がある……」
ヴライはもう一度ヴィエリィを見て、しみじみと言う。
「──俺は修行の旅を続ける。またいつか、会いまみえる時、それが再戦の時だ……。それまでにもっと強くなれ──。さすれば俺はお前より更に強くなり、圧倒してみせよう。その時が来るまで、その機械は壊さないでおいてやる……。真の決着、楽しみにしているぞ……ヴィエリィ──」
それだけ言うと、男は柄の悪い間延びした服を風に揺らしながら、踵を返して花畑を去っていった。
「な……なんなのよぉ……」
バラコフは完全に男が去ったことを確認すると滝のような汗を吹き出し、安堵の息を漏らした。
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──パラカトの町。
バラコフは身体をよろめかせながらやっとのおもいで花畑を抜けて町に戻ると、知り合いの力を借りて倒れた友を運んできた。
「アイヤー! リリアンちゃんのお友達なかなか重傷ネ! すぐに私が見てあげるヨ!」
「頼むわアンジョンちゃん! 得意のやつでよろしくお願い!」
このうさんくさそうな喋り方と細い目と太った身体、赤と紫のヘンテコな服を着ている怪しさを体現したような風体をした『アンジョン』という男は、前にバラコフが働いているバーに偶然入って来たときに知り合い、妙にうまがあって仲良くなった男だ。
「くそう……! 私がふがいないばかりに……! どうか、ヴィエリィを頼みます……!」
「カーニヒア様のせいじゃないわぁ! あんなヤバイ奴がいる方がおかしいのよぉ!」
途中で目を覚ましたカーニヒアが壁を叩きながら己の未熟さを噛み締める。
「そこのあんちゃんは大丈夫そうネ! じゃあまずは煙出してるこっちの人? から見るネ!」
アンジョンはサンゴーに触れようとすると、
「ギ……ガガ……バラコフ……」
「サンちゃん! 大丈夫!?」
「ワタシ……ハ、大丈夫……デス。自己修復、機能ヲ……作動……シマシタ……。ソレヨリ……ヴィエリィヲ……」
「わ、わかったわ! サンちゃんも無理しちゃ駄目よぉ!」
サンゴーは胸から流れる緑のオイルを手で止めると、首筋から数本の長いコードが飛び出して破損した部分をいじり始めた。
「アイヤー! この人なんなのネ! まるで機械みたいだヨ!」
「アンジョンちゃん質問は後にしてぇ! サンちゃんは大丈夫っぽいからヴィエリィをお願い!」
「わかったネ! よくみたらこのお嬢ちゃん、生死の境目にいるから久しぶりに腕がなるネ!」
アンジョンは腕まくりをすると、太った指先を仰向けになったヴィエリィの腹部に乗せた。
「いくネ! 秘技! 『地獄整体術』!!」
これこそはアンジョンが誇る秘技『地獄整体術』! 実はこの太った男、異能の力を持つ逸脱である! 指先から思い切りズンとした振動を乙女の身体にぶつけると──
「──かはっ! 痛っった!!」
ヴィエリィは口から血を吐きながら意識を取り戻した。
「ヴィエリィ!」
「……え──ここは……? あ! 私、勝負は──あいつは……!?」
「よかった……! 生きてただけで儲けもんよぉ!」
混乱するヴィエリィ。身体を起こそうとするが、全ての力を使い果たした乙女は指の一本も動かない。その横でバラコフはよみがえった友の手を握り歓喜した。
「動いちゃ駄目ヨ! あなた全身の骨が軋んで折れる一歩手前ネ! アザも沢山あるからちょっと我慢するネ!」
アンジョンは更に力を込めた指先を肩に食い込ませる。
「ぎゃあああああ!!痛いっっ! 痛っっっだだだだだ!!」
「我慢してヴィエリィ! あなたを直すために必要な行程なのよぉ!」
「まだまだこれからヨ! 安静にするネ!」
アンジョンの能力はずばりマッサージである。しかし人を気持ちよくするただのマッサージでは無い。アンジョンの指先から出る特殊な力で対象となる者のツボを突いてマッサージすることにより、その者の悪い所を徐々に直していく能力なのだ。
打撲や酷い内出血、臓器の不調までも完璧に直すこの技は神業にも見えるが、この技を受ける者は地獄のような痛みに耐えなければならないというデメリットもあるため、普通の人間ではその痛みからショック死する危険性もある。
「次は足いくヨ! 頑張るネ!!」
「がああああ!! 痛っ痛いいいいい!! ──うっ」
断末魔のような叫びが聞こえると、ヴィエリィは気絶した。
「リリアンちゃん!」
「わかってるわアンジョンちゃん!」
パァンッ!
バラコフが乙女の頬をひっぱたく。これは生死の確認のためである。酷であるが生きながら治療を受けるにはこの方法しかないのだ。
「──はっ」
再び意識を取り戻した乙女。そしてそれを確認してアンジョンはまた足のツボを突いた。
「だああああああああ!!」
「我慢ヨー! 我慢!」
「耐えるのよぉ! ヴィエリィ!」
「ヴィエリィ! 頑張るんだ! 私が身体を押さえる! アンジョンさんお願いします!」
──その断末魔は夜まで続いた。あまりにもすごい悲鳴なので近隣住民が何事かと様子を見に来たり、何回も気絶する乙女の頬をはたきすぎて風船のように膨れ上がったりしたが、何とか全てのツボを突き終わりその身体と命は事なきを得た。
アンジョンは途中から動き始めたヴィエリィの片腕に殴られたり、それを押さえるカーニヒアも今度は動く足に蹴られたり、バラコフは頬を叩きすぎて逆に自分の右手の感覚を失くしていた。
三者三様に汗まみれ傷まみれで終わった治療。それは夜が明けても、ぐったりとその場に全員が動けずに朝日を浴びていたのであった──。