イゾウ
目を開けても、閉じても視界の先は真っ暗だ。
真っ暗なのは二段ベッドの下段で寝転んでいるから。
部屋には無く、扉も外から施錠されている。
今日はいつもよりも少し早く目が覚めてしまった。
明かりつけに魔道具はあるのだが、どうせもうしばらくすると教官が雪崩れ込んできて叩き起こされる時間だ。
このまままどろんでいるのも一興だと思う。優雅な時間だ。
昨晩は消灯の鐘がなるギリギリまでセレナと喋っていた。
とても楽しい時間だった。
色々名前のアイデアは出してもらったが、どうもピンと来る名前は無かった。
セレナの候補の名前は勇ましすぎる。
どれもイメージ的に金髪碧眼の色男についていそうな名前だった。
鏡が無いので水に映る姿を確認しただけだが、俺は今世でも黒髪で、多分黒目だ。
生まれ変わってもそこは変わっていない。
俺の身体をベースに再生したのだろうから当然といえば当然だが。
ゲオルギオスとかランスロットとかトリスタンとか堪忍して欲しい。
絶対に似合うわけが無い。
セレナは俺に何を求めているんだろう。
・・・・・・多分何も求めてないからこうゆう勇ましい名前をポンポン出すんだろうけど。
というわけで自分で考えようと思う。
名前、この世界で過ごして行くに当たって自分が何と名乗るか。
元の世界の本名を再び名乗るのはちょっと憚られる。
俺は確かにあの時に死んだ。
未練が無いと言えば嘘になるが、曲がりなりにも自分の死体をみてしまうとなぁ。
仮に生き返ったとして、あそこに戻るのか。そう考えるとなんともいえない気分になる。
今の肉体にも特に不満が無いし。
若いって素晴らしい。
よく考えなくてもおっさんの頃の身体に戻りたくないかもしれない。
なので本名は無しだ。今此処で封印する。
「ふーいん!」
誰もいないとはいえ馬鹿みたいだ。
こうゆう行動する性格も誰か封印して下さい。やって後悔するんだから。
無理だろうなぁ・・・
この世界風の名前をつけておくのも有りだと思う。
だがひとつ疑念がある。
もし俺と同じようにあっちの世界からこっちに飛ばされてきた人間がいたらどうする?
いない可能性が高い。
でも切り捨てるのは惜しい。
ゼロに近い確率でも昔話が出来る相手が欲しいと思う。これは未練だ。
死んだ、だがもし戻れるなら戻りたいと思う自分もいる。でもそれは出来ないと理解している。
もしこっちで同じ転生者にあえたら話してみたいとは思うじゃん?
だからもしかしたら向こう風の名前にしておけば相手から接触があるかもしれないとも思う。
ゼロに近い可能性だろうけど。
だからこれは未練だ。捨てきれない未練だ。
まぁ名前なんかその場その時で使い分けても良い。
死ぬ前にも複数名前は持っていた。
主にSNSやソシャゲ、ネットゲーム。
あんまりこだわりの強いほうでもないし、当面の名前という方向で考えよう。
気に入らなかったり、飽きたらまた名前を考えれば良い。
そんなわけでとりあえず名字は無しで名前があれば良いだろう。
ゲームで最後に名前をつけたのはいつだったか。
よく使ってたのは漫画のキャラの名前だったな。
2つ3つ候補を思い浮かべたところで気づいた。
もうそのキャラの漫画を読めないことに。
死にたいくらい悲しくなったので漫画のキャラの名前を借りるのはやめることにした。
せめて完結するまで読みたかった。
が、それが完結してもそれ以外に読みたい漫画が次々出てくるだけか。
諦める頃合いなのかもしれない。
俺が生きてるうちに簡潔して欲しかったな・・・・・・あの漫画・・・・・・
漫画以外でも続きが気になる物は思い出すと凹むので昔好きだった俳優から連想することにした。
死ぬ間際は忙しくてドラマを見ることは無くなっていたし、ドラマなら大概完結している。
それなら思い出してもいくらか悲しさが和らぐ、気がする。
好きな俳優の名前だけもらうなら 【 タカシ 】だ。
だがこの名前小中高と続く人生の青いハルのときに、子供のときから結構いっぱいいた。
だからやめておく。
昔は多い名前だったが今はどうなんだろう? キラキラなネームが多いと聞くが。
ある意味社会にでてもいっぱいいた名前だ。
その俳優の役名から取ると 【 ワタル 】が最も記憶に新しい。
女好きだけど実は芯の通った男の役だ。
だがあの刑事物は死んだ時には完結してなかったな。
もしかしたら代替わりしてる可能性もある。
悪くない名前なのだが、どうも子供の頃好きだったマシンに乗って戦う英雄伝の方を思い出すので止めておこう。
うっかり決め台詞を言ってしまいそうで、面白かっこいいぜ。
他の役名だと 【 ゴロウ 】 の役が好きだった。主演の俳優より断然好きだった。
この頃のこの俳優に、断然憧れた。
ただこの名前は自分の中では解散した某グループの一人の印象が強い。
自分にしっくりこないので止めておく。ワインが飲みたくなるかもしれないし、きつい。
こっちの世界の酒は酸味が強くて美味くは無い。
タダだから喜んで飲んでるけど。
最終的に酒は酔えればいいし。
代表的なのは 【 エイキチ 】 か。漫画も読んでいた。
ドラマもリメイクされてたが、童貞の呪いが掛かりそうなので止めておこう。
折角の異世界、恋はしたい。むしろエロエロしたい。
超したい。
すごい流行ったドラマだと 【 ヒロミ 】。
この役のときの相方の髭の俳優も好きだった。
海辺を舞台にしたドラマだ。
ただこの名前は俺の中で女性の名前のイメージが強い。割と筋肉質で男性的な俺が使うのはなんか違和感がある、なので止めておく。
おかまバーの源氏名みたいでちょっと・・・・・・
となると、ちょっと毛色が違うが 【 イゾウ 】はどうだろう。
毎日毎日コゾウコゾウ言われてるし、似てるし、響きは良いんじゃ無いか?
有名お笑いコンビの突っ込みの人が若い頃やってた時代劇のドラマの中で、この俳優が人斬り以蔵役で出ていた。
人斬り以蔵のことは名前くらいしか知らないがこのドラマの影響で、この人が演じてたのは好きだった。
平民はどーせ名字なんてないだろうからイゾウで良いんじゃ無いかな。
歴史上の偉人や武将の名前を借りることも考えたが、特に好きな武将や偉人がいるわけでも無い。
面倒なので却下でいいだろう。
教官にあとでこの名前はどうだか聞いてみよう。
そんなことを考えていたら壁の向こう、玄関の方からガチャガチャ金属音がする。
この音は昨夜も聞いた。鍵をいじくる音だ。
どうやらお迎えが来たようだ。
なんていうと死ぬみたいだが、そうならないように頑張らないと。
今日も一日働いてるように見えるように頑張ろう。なんとか乗り切ろう。
足音が近づいてくる。暗闇の中だとよく分かる。
ドアが開く前に身体を起こして軽く伸びる。
「おはようございます。」
ドアの音とともに顔を出した教官に挨拶する。
急に光が入ってきたのでとても眩しい。
「ガハハハ、起きてたか。よく寝れたか?」
「ええ、さっき目が覚めたところです。」
「そうか、ガハハハんじゃまずは訓練所に行くぞ、準備して着いてこい。」
手早く身支度をし、教官の後を追う。
今日も華麗にトップで10周走りきった。
走りきれない講習生の視線が痛い。
でも気にしない。
今朝も元気に女の講習生も走っている。
支給されている『作業用のぬのの服』は安物で薄っぺらいので身体のラインがもろに出る。
おかげで女性の講習生を見ると目が幸せになれる、とても眼福だ。
走り終わっても遊んでると怒られるのでスクワットをしながら見ているとセレナが走っていた。
今日も変わらず背が高い。胸も尻もでかい。
ぬののふくが押し上げられて揺れている。
これで結婚出来ないなんて、異世界って不思議だわ。
俺なら毎日子作りしまくるのに。
そんなエロい妄想をしながら見ていたら思いっきり目が合った。
視線が身体を這ってたのがバレたのかもしれない。
女はそうゆう視線に敏感だと言うし。
そう考えてビクビクしてたのだが、目が合うとセレナは手を振ってくれた。
気さくで正確も良いと思う。
ただ走り方はよくない。
後半だから前傾になるのも、呼吸が荒くなるのもわかる。
わかるけどきついからこそそこは意識して正さないといけない。
特に全身運動中は呼吸を荒げちゃいけないのだ、動けなくなる。
背筋もそう。
あとでそれを指摘してみるか。余計なお節介だって怒られるかな?
ま、それくらい良いだろう。
胸のでかい女は陸上競技すると痛いらしいし。
頑張ってるから応援したくなるじゃん。
ただし美人に限るが。
ちなみに今日も走りきれていなかった。
また凹んでいるかもしれない。
その後朝食時に教官に名前について聞いてみた。
「イゾオォ?」
「ガハハハ変な名前だな。」
いやあんたのガハハ髭も変な名前だよ?
ああ、これは俺がつけたあだ名だ、名前じゃねぇ。
「ふむ、覚えてないって話だったが思い出せたのか?」
引き取られるときに記憶喪失の設定で話は通している。
実は前世の名前ならしっかり覚えているけど。
「いえ、それは全然ですが名前が無いと不便そうなんで考えてはいたんです、変ですか?」
「ふむ、珍しいが別に変では無いな。」
「ガハハハ イゾウ、イゾウか。俺は悪くねーと思うがなんでその名前なんだ?」
髭の教官が暢気にのたまった。
お前らが散々コゾウ呼ばわりするからだよ。なんか呼ばれ慣れた。
他の教官たちは気づいているようで極道コンビに対し、おまえは何を言ってるんだ?という顔で見ている。
こ、と、いの違いだけで響きは一緒だもん。普通気づくか。
「呼び名がつくのはこちらも呼びやすくて良いと思うけど、焦らず考えた方がいいんじゃないかな?」
若い教官は一応やんわりと考え直すように言ってきた。
由来に気づいてるもんねー。
でもあんたも時々コゾウ呼ばわりしてたぞ。
「講習でその名前を名乗るなら冒険者としての登録もその名前になる。いますぐ決めなくてもいいんだよ?」
なるほど、ここでそう名乗ったら登録するときもその名前になっちゃうのね。
どちらにしろ冒険者としては【イゾウ】と名乗る。
それだけの話だな。
そこまでこだわる気もないし、名前を使い分けることも考えている。
ぶっちゃけた話で言えば冒険者なんて危険な職業より他にもっと楽して稼げそうな職業いっぱいありそうだし。
最初の資金を稼ぐ間だけの予定でもある。
俺は異世界のウォーレン・バフェットを目指すのだ。
聞いたところ戸籍のような物は無いようで身元を保証するのも国では無いみたいだし。
ギルドに登録されて管理されるだけで、国が見せろと言わない限り特に報告もしないだろう。
極端なことをいえば、冒険者でイゾウで、商人としては他の名前を使うのもありなのだ。
〝ウォーレン〟とか 〝バフェット〟とかな。
その時に人を斬りそうな名前より金を稼げそうな名前に変えるだけだ。
特に問題ないと伝え、これをもって冒険者ギルドではイゾウという名前で生きることになった。
俺はイゾウ。
異世界で勝手に名前を変えて新たな人生を歩む男だ。