走る俺たち私たち
講習開始前準備期間二日目。
初めて冒険者ギルド第3区画支部で迎える朝だ。
日の出と共に教官たちが雪崩込んできて叩き起こされた。
このための教官1人手伝い1人制度なのだろう。教官たちが高笑いしながら叩き起こしていた。
そして朝の準備を駆け足でした後に訓練所で朝の走り込みをさせられた。
走る訓練所はかなり広い。
自分が通ってた小学校と中学校の校庭が同じくらいの規模で確かトラック一周500メートルだったと思う。
優にその二倍くらいはある。
おかげで昨日の作業も全然終わらなかった。
訓練所がとにかく広いせいでそこに置いてある設備も多い。
やることはいくらでも有る状態で、やってもやっても終わりは来ない。
なぜにここはこんなに広いのだろうか。
答えは知っている、戦争を機に弱者から奪い取ったから。
とかく冒険者とは恐ろしい職業で、それを管理する冒険者ギルドはさらに恐ろしい。
そんな広い訓練所を寝起きで10周させられた。
500の倍で1000メートル、つまり1キロ。それを10周で朝から10キロだ、かなり堪えた。
講習生予定者たちは俺を合わせて16人。
走りきったのは俺だけだった。
いやーさすがに10キロは走り慣れてない者にはきついだろう。
俺だって朝から10キロはきつい、きついに決まっている。
走り込みには心の準備が必要だ。
準備してもキツいことに変わりは無いけど。
昨日の村人エータがへばっていた理由が理解出来た。
多分毎日毎朝、走り込みをやらされるのだろう。
彼は今日も走る途中でダウンしていた。多分毎日走り切れていないのだろう。
普段走らない奴、走る習慣のない奴が急に走らされると相当キツい。
異世界に転生するつもりがあるのなら走る習慣をつけておくことをお薦めする。
さらに薦めるなら本を読んでおけ。走り方の本なんて一杯出ている。
エロ漫画家のみやす〇んき先生のランニングの本は解りやすくてよかった。
なにしろ作者がエロ漫画家だからな、著書を読んでおけば捗る。
その後に昔の漫画とか読み返した日には、背徳感でお代わり無双だぞ。
それはともかく他の講習生でも完走出来た者はいなかった。
何人か惜しい所まで来ていたが朝食の時間がきて打ち切られた。
走りきるまで飯を食わせないとかじゃなくてほっとしたよ。
俺は前世、筋トレ大好きマンだったが格闘技もこよなく愛する男だった。
格闘技にラントレは絶対だ。足腰の強さと、持久力がなければ戦えない。
そして健康維持と精力アップにもラントレは絶対だ。
強い男は足腰が強い。
だから俺は走った。
ただし、やりすぎは逆効果だ。弱くもなるし、怪我の可能性が高まる。
死ぬ直前まで、可能な限り週に2.3回は走っていた。
トレーニングに通っていた場所は筋トレ専門のゴールドな所では無く、大手のスポーツジムだったから筋トレ以外でもプールで泳いだり、バイクを漕いだりと色々有酸素運動には励んでいた。
が、それでもまともにランニングとして走れるのは5キロくらいだと自分では判断していた。
元々強くなるために走っていたのであって、走るのが好きだった訳では無い。
マラソンの大会に出たりとかはしなかったし、出たいとも思わないタイプだ。
格闘技はなんだかんだ、決着が早い。
だからそこまで持久力は求められない。
持久力はむしろ練習でこそ最も求められてたりする。
だから俺は5キロも走ると満足してた。
そんな俺だが今回、いきなり倍の距離を楽に走りきれた。
いつもよりもかなり楽に走り切れた。それもかなりペースが早かったと思う。
恐らく俺の中に氷の神を受け入れたことで心肺能力が上がったのだろう。
死んで再生したからとしか思えない。
朝のランニングで走りきった俺を見て他の講習生はふざけんなよ、とでも言いたげな顔で見ていた。
それはそうだろう、理解は出来る。
でもその目は止めて癖になる。
女子限定だけど。
男の視線はムカつくだけだから止めて欲しい。
走ることは辛い訓練だ。
少し走るだけならさほどでも無いが、長く走るとなるとよっぽど鍛えていないと難しい。
出来ない奴がほとんどだ。
だから皆が出来なければ出来ない事で済む。
仕方が無いね、で終わりだ。
しかし、そこにこなす奴が現れたらどうなるか、話は変わってしまうのだ。
なんであいつに出来てお前に出来ないという話になる。
対し、走りきった俺に狂喜した人もいる。極道コンビの2人だ。
「これは良い拾い者をした!」
と手放しで誉められた。
俺にはそれが良い玩具を見つけたと言っているようにしか聞こえない。
早く走り終わった俺は2人に「余った時間に自主的に鍛えておくもんだぞ」と言われたので仕方無く腕立て伏せとスクワットをしたよ。
バーベルとかベンチ台があれば筋トレをしたかったのだが残念ながらそんなものは置いてない。
無くても出来る自重トレーニングを選んだ。
自重トレーニングも悪くは無いのだがどうせやるなら、思いっきり負荷を掛けたい。
負荷をかけてこそ筋肉は進化する。
そのためには知恵と技術と道具がいる。
知恵と技術は死んだときに持って来られたが、残念ながら道具は持って来られなかった。
勿論ここにも置いていない。
作業しながら道具を探すことにしよう、何かあるだろう。
筋トレ専用の物があるはずは無いので、代用品になる何かでいい、それを探すのだ。
そして腕立てやスクワットも生前よりはるかに楽にこなせた。
これはかなり筋力が上がっていると期待できる。
自重だと回数でしか判断できず難しい。
回数が増えた=筋力が増えただとは思えないんだよね、俺。
筋トレに嵌まり重量を追い求めた男が世の中には一杯いる。
それのなれの果ての1人が俺だ。
筋肉の強さ = 上げた重量 だ。
重しが見つかれば自分の現在値がなんとなく数値化出来る。
その楽しみは取っておこう。
とても楽しみだ。
試しに逆立ちで腕立てを行ったところ軽々出来た。
逆立ち腕立て伏せは前世で出来るようになりたくて、なりたかったのに結局出来るようにならなかった最後の種目だ。
まさか転生でここにたどり着くとは思わなかったよ、嬉しいけれど、少し寂しく、また悔しい。
それでも物凄く身体能力が強化されていると実感した、これはかなり期待ができる。
逆立ち腕立ては様々な筋肉の筋力、その上でさらにバランス感覚が必要になる。
ある意味究極の種目だ。
さらにレベルとか、経験値とかの概念がある世界なのだという。
ここからさらに鍛えたら凄いことになりそうだ。
昔昔、砂漠の国を根城にしてた、政府公認の七海賊の1人が、現れた超新星と対峙したときに言った。
「能力だけにかまけたそこらのバカとは俺は違うぞ、鍛え上げ研ぎ澄ましてある!」
とな、超かっこいい。
死ぬまでに一度言ってみたいセリフだ。
その後結局負けたし、再登場したものの追加設定の覇気を使えなかったりと駄目な部分もあったが好きな悪役の1人だ。
胸を張って言えるくらい鍛えて研ぎ澄まそう。
能力じゃ無いけど、似たような物だ。
どうせ好きに生きるならあれくらい悪く生きたい。
こっそり悪の組織作っちゃおうかなー。
その後、まだ時間が余ったのと、ちょうどいい出っ張りがあったので懸垂をした。
これもかなり回数をこなせた。
自己ベストを3倍値で更新した頃、教官に朝飯だと声を掛けられた。
暫定で、俺の転生チート、筋力3倍ってところか。
朝の訓練が終わり、手伝い講習生全員と、それに対しついている教官全員で一斉に食堂に向かう。
昨日の昼も夜もギルドに食事を提供してもらって食堂で食べた。
兵士の時よりは待遇が良くなっている。
確実にステップアップしている。
最も油断したらいつでも下に落ちる程度の下層だけど。
それでも最下層からは抜けられた。
こちらの世界でもしっかり3食を食べるようなので安心する。間が空くとお腹すいちゃうんだよね。
食事とは強さの基本だ。
食べなければ身体は大きくならない。成長しない。
食べない奴は強くなれない。
強くなるには鍛えなければならず、動く分を食べなければ細くなる。
食事は全ての基本だ。
断食して強くなった奴なんて、デブ以外いない。
デブは自覚して痩せろ。重りをつけて生きているようなもんだ。
なんて最もらしいことを言っているが、俺が心配してるのは筋肉が分解されることにつきる。
タンパク質の摂取量が足りないと、筋肉が分解されて身体を動かすエネルギーに廻される。
だから筋トレ好きとかボディビルダーはタンパク質、タンパク質言ってプロテインを飲む。
あーゆう奴らってタンパク質とプロテインしか言葉を知らないんじゃないかってくらいそれしか言わないだろ?
その疑問にお答えしよう。
駆け出しの初心者で覚え立ての言葉を使いたいだけのお馬鹿さんか、脳までプロテインに侵食された残念な人のどちらかだ。
放って置いてあげてくれ。
まともな人も一杯いて、そんな人はきちんと考えて摂取している、はず。
取得したタンパク質を生かす食生活をしているはずだ。
だからタンパク質に特化した食事をしていて、なのに大して結果が出ていないなら自己満足のバカ野郎だろう。
思考がそこで停止しているのだ。
ちなみにプロテインとは英語でたんぱく質のことを云う。
白い粉のアレ、全てを指して言うわけじゃ無いから注意な。あれは製品名の総称ですから。
別にそれぞれ名前がある。
飲む奴は特にに拘る。メーカーだとか、ブランドだとか。
全部違う。
もっとも日本では一般的にはプロテインといえばあの粉の事だけど。
あの粉を飲んでいるというのは、タンパク質を積極的に取っているだけですから。
別に悪い事や、悪い薬を使っている訳では無いです。ご理解を。
そんな生きるために大事な食事だが、この講習会では死ぬほど食わされるようだ。
フードファイターか!とツッコミを入れたくなる。
昨日の2回の食事も今朝の食事も苦しくなってなお、追加されて食べさせられた。
極道コンビの言うところ、冒険者になるような奴は貧しい出の者が多いため講習会の中でしっかり食べさせてまず、身体を作るらしい。
短い期間だがここに最も力をいれているらしい。
だからか味付けは正直微妙だが、とにかく量が出される。
しかもほとんどが肉だ。
米は無かった。固いパンとパスタもどきがついてきただけ。
ちょびっと。ほんの気持ち分だけだ。
それをおかずに肉を食う。
元来肉食なので肉がたくさん出る分には困らないのだが、実際に目の前に置かれて困るのは味付けの問題だろう。
塩気が薄い。
素材の味を生かした料理を目指しているのか殆ど塩が効いておらず、獣臭い。
臭み取りの香草のような草が使われてはいるが、お世辞にも美味しいとは言い難い味だ。
そして料理方法がソテーのみ。
おかげで皿の中で肉から染み出た油が溜まる溜まる。
せめて網焼きならば油が多少下に落ちて、し腰はマシになるのに・・・・・・
とても残念だ。
一度に大量に作るから仕方無いのだろうか?
まだ煮込んだほうが良い気もする。
内情はわからないが、タダ飯に文句も言えない。
食えるだけマシだと思って食べるしかない。
それでも空腹がスパイスになることと、食いそびれたら食えないことを理解しているので、出されるがままに腹へと流し込んでいく。
何しろ間食する金も無ければ、売っている店も無い。
コンビニも無ければスーパーも無い。
菓子もケーキも、おにぎりも売っていない。
あるのは訓練施設のみだ。
食えるときに食わねば確実に飢える。
それはつまり緩やかな死を意味している。
よく走りよく食べる俺を極道コンビを筆頭に教官たちは喜んだ。
その笑顔が怖い。
教える側からすれば出来ない奴より出来る奴の方がかわいいものかもしれない。
他の手伝い講習生よりも多く御代わりをよそわれ、食べきり、また追加される。
一皿200グラムくらいだろうか、他の手伝い講習生への御代わり強制が、女性が1回男性が2回というラインのところ、俺は合計5回だ。
ここ三度の食事で毎回1キロの肉を食べていることになる。
こんなに食べたのは死ぬ前も通じて初めてだ。
一緒に出されるパンやパスタもどきの量が少ないから食べれたのだと思う。
だが、たんぱく質は充分取れているので、とりあえず一安心だ。
たんぱく質が充分なら筋肉はすぐに落ちない。
長い目で見たら色々栄養素が足りないけど。
世話になっている身でそこまで求める訳にはいかない。
まずは一人前になって金を稼ぐ、それからだ。
金が有れば何でも出来る。
結局は金が全てだ。
食事が済むと仕事をする。
当然だ、働かざる者食うべからず。
仕事の手伝いをするのが条件でここにいる。
やることはそこまで難しくはない。
講習生が生活する間に使うものを揃え、壊れていたら直す。
今回は講習生が多いということでこの作業が主になった。
『ぬののふく』を大量に揃えた。兵士にもらったものよりは少し良い奴だ。
足りない物は教官が事務員にガンガン発注を掛けていた。教官は悩む事無く多めに注文を入れていく。
事務員も特に問題無く受け入れる。
これはつまりこの冒険者ギルド、かなり金がある。
でなければどんぶり勘定の馬鹿の集まりだ。とっくに組織が崩壊しているだろう。
人の豊富さや支部の広さを考えるとかなり儲けている方なんだと思う。
実は裏側で崩壊寸前だったりもするんだが。
前世の企業でもよくある話だった。
表向きは好調に見せておいて株価を押し上げていく奴だ。
その節は随分痛い目を見せてもらいましたわ-。
たとえ冒険者ギルドがそうだとしても、俺の講習が終わるまで持ってくれればそれでいいけど。
次にあちこちの建物のメンテナンスに廻った。
素人によくこんなことやらせるなーと、思う作業も結構させられた。
素人修理じゃ完全に直っていない。
前世でこうゆう作業には多少経験があったが、電動工具とかのツールがいないと大した役に立たなかった。
冒険者、もしくは教官はなんでもござれ、なんだろう。
俺から見たら何も道具が無いに等しいのにしっかり修理はしていたよ。
それでも俺の見たところ、そんなにちゃんとは直っていないと思うけど。
少なくとも教官たちは広く浅く色々出来るようだ。
そこは素直に凄いと思う。
このギルド支部の敷地は本当に広く、無人の建物が結構ある。詳しくは教えてもらえなかったがそのうちいくつか潰して建て直したりもする予定があるらしい。
内容を教えてくれないということはきっと講習生からみたらろくでも無い内容なのだろうと勝手に思った。
走る訓練所が広く立派になるのは素直に嫌だ。
だが建て直した頃にはもう俺は講習生ではないだろう。現在は計画のみのようだし。
まだ見ぬ後輩たちには頑張って欲しい。精々な。
その前に、まず俺が頑張らなきゃいけないがな!
それは置いといてそん時は差し入れでもいれてやるさ。
そしてこう言うんだ
「さ、元気出してもうひとがんばりしてこい!」って。
延々走らせてやろう。ふっふっふ。
広い中でも各教官毎に管理する建物の管轄があるようで、俺たちの組は、極道コンビともう1人の若い教官の管理する建物を廻って掃除をしたり、修理をしたり、倉庫代わりに荷物を運び込んだりをした。
中にはセカンドハウス的に建物を利用している教官もいるらしい。廻った建物の中には古い家具が置いてある物もあった。
余った物らしい。何故余るのかは謎だ。
多分聞かないほうがいい。
そういえば教官たちはどこに住んでるのだろうか。
教官の寮とかも敷地内にあるのかもしれない。
最後に訓練用の装備の点検、そして数を揃える作業がある。
点検は教官が行い、数を揃える方を手伝いの俺たちが担当する。
個人的にはこの仕事が一番ワクワクした。
やっぱ男の子だから。武器とか見るとテンションがあがる。
胸の奥が熱くなる。
講習準備の手伝い期間は日中はこうやって過ぎていった。
昼飯までガッツリ働いて、また昼飯を大量に食べさせられる。
夕飯までガッツリ働いて、また夕飯を大量に食べさせられる。
夕飯前にシャワーを一斉に浴びて、1日の仕事は終わる。
後は各自部屋に戻って過ごすのだ。
暇なので誰かと交流を持ちたいと思ったが、手伝いの連中は朝まで死んだように寝て過ごすようで誰も出歩いていなかった。
1人1つの部屋宛がわれてはいるが同じ建家なので接しようとすればいくらでも出来るのに、誰も動く元気すら無いようだった。
だが俺は違う。
男は夜に経験値を積んで強くなるのだよ。