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92、袖触れ合うも多生の縁

 孫悟空は考える。もしかしたら沙胡蝶は……先祖返りどころか、()()そのもの、つまり春香天女の生まれ変わりだったために、その芳香を放ち続けているのではないだろうか……と。


 前世の記憶はない()()。でも……。初対面で大泣きした。会って直ぐに自分を信じて身を預けてくれた。皮付きのまま桃を食べようとした自分に、同じ台詞を言って皮を剥いてくれた。前世と変わらない同じ行動をとる彼女は、前世と変わらない穏やかでお人好しで、無防備で優しいままだった。500年前に、自分は何と言って彼女と約束しただろうかと孫悟空は過去を振り返る。


『人間の言葉には”袖触れ合うも多生の縁”というのがあるという。それを信じるならば、俺とお前さんが今日ここで出会って、お互いの手弁当を交換したのも多生の縁なのだろう。もし良ければだが、俺はいい隠れ家を知っているから、そこに7日間隠れているかい?7日後に竜が帰ったら、俺がお前さんを迎えに行く。約束だ。それでお前さんが天界に戻ってきた後は、俺は蟠桃園でお前さんの食べる桃を守り、お前さんを守るから、ずっと俺のそばにいてくれるかい?馬鹿竜人がまた来たら、俺が追い払ってやるからさ』


 そうだ。孫悟空は春香天女にそばにいたいと言ったんだ。それを聞いた春香天女は目を丸くした。


『あなたの傍に?でも私、誰とも結婚は出来ませんよ?』


 結婚という言葉が出たのは、あの愚かな竜人にそう言われたからだろうとわかっていたので、孫悟空はそういう意味でそばにいたいと思ったわけではないと首を横に降った。


『お前さんは天界の酒造りの巫女だし、俺はまだ人化も不十分な猿の化生だ。俺はそういう結婚というものは望んでいないんだ。ただ俺は……怖いんだ』

『何が怖いのですか?』

『俺は生き物の親を持って生まれてこなかった。花果山の仙岩が俺の親さ。姿はこの通り猿だけど、本当に猿なのかはわからない。俺は自分が何者かもわからず、一人で生まれて一人で死んでいくのが、たまらなく怖いんだ。俺は死ぬのが……とても怖いんだ』


 孫悟空が死ぬのが怖くて不老不死を求めているのは、巷では有名な話だったが、その理由は誰も知らない。孫悟空は今まで誰にも言えなかった怖さの理由を春香天女に語った。何故初対面の天女に、胸の内を打ち明ける気になったのかは自分でもわからなかったが、話し出すと止まらなくなった。


 他に自分のような者がいたことも聞いたことも見たこともない。故郷の猿達は自分を仲間には入れてくれたけど、彼らは自分のように死を怖がらずに、毎日餌を探して食べて、仲間と戯れて、番と子をなして育てている。何故俺だけがこんなに、死ぬことを考えるのだろう。どうしてこんなに強いのに死ぬのが怖いんだろう。それを考えると孫悟空は夜も眠れなくなった。


『仙術の師が仙術以外の事も教えてくれたおかげで、俺は長く生きられたし、三途の川の向こうにいる閻魔の閻魔帳に書かれていた俺の名前を削って、自分の命の期限を無くすのに成功もした。今じゃあ、この世には神仏がいて、輪廻転生があって、命は巡るとわかっているし、魂は記憶を失っても死ぬわけじゃないって、頭では理解しているんだ。だけどな。時々途方もない、黒い闇に飲み込まれる自分を想像すると怖くてたまらなくなるんだ。死んでしまって、俺は俺では無くなってしまうことを考えるだけで、俺は体がどうしようもなく震えるんだ』

『お猿さん……』


 春香天女は自分の体を抱きしめる孫悟空を、自らも抱きしめた。桃とは違う爽やかな甘い匂いが孫悟空を優しく包む。


『ああ、お前さんはぬくいなぁ。俺は今日、お前さんと話してて思ったんだ。お前さんといる時は俺は怖くないってね。何でだろう?心が安らいでいられるんだ。心が慰められるんだ。だから夫婦とか、そういうものではなくて、俺はただ……ただ、お前さんの傍にいさせてほしいんだ。ダメかい?』

『……いいえ、嬉しいわ!ホントよ!私ね、生まれつき芳香があったことで、酒造りの巫女に定められて育てられたの。巫女になると恋も結婚も禁じられているから、そういうことを望む人達から離れて生きてきた。この定めに生きるつもりだけど、少しだけね、誰とも心を交わすことも無く、生きていくことを思うとね、私もお猿さんと同じで、私はこれからも一人っきりなんだなって、とても寂しくなって、泣いてしまうことがあるの』

『俺が……寂しい?』

『そうよ。一人っきりが辛くって寂しいから、あなたも私も怖く思うのね。一人っきり同士だったけど、これからは二人よ。二人なら、もうあなたも私も怖くない!お猿さん、ありがとう!すっごく嬉しいわ!私も天界に戻ったら、あなたの守ってくれる桃を食べて、あなたが危ないときは、私があなたを守るわ!』

『えっ?お前さんが俺を助けてくれるのかい!?ハ、ハハハハハ!こりゃ、いい!俺は斉天大聖孫悟空、仙術の天才の岩猿の化生よ!生まれてこの方、天才の俺は今まで誰にも助けてもらった事がない!その時が来るとは、思わないけど頼りにしてるよ!ハハハハハ!!ああ、楽しみだ!』

『ええ、任せてね!私もあなたはとても強いと思うけど、そのときは必ず全力であなたを助けに行くわ!約束よ!』


 あの時の()()との約束。約束を破ったのは孫悟空。


 昨日、試練で瓢箪に吸い込まれたあの瞬間、一緒に吸い込まれて、孫悟空が酒で溺れると思い込んで、自分の真珠を孫悟空にかぶせて助けようとしてくれた()()。例え記憶はなくとも、彼女の魂は約束を忘れてはいなかったのだ。孫悟空は500年間、誰にも触れることが出来ぬ孤独な空間で拘束されていた。拘束が解かれる500年後の今、健気にも彼女は今度こそ約束を果たそうと、孫悟空に見つけてもらうためだけに、あの馬鹿竜人の娘として生まれてくる危険を犯してまで、同じ芳香、同じ姿を持って生まれてきたのだ。おまけに、あの竜人の子として生まれたために、彼女はあの馬鹿竜人だけではなく、違う意味で地上界の全ての者に狙われる体質となってしまった。


 記憶はなくても約束を守った彼女。俺だって、今度こそ約束を守る。そう決意した孫悟空は、3人に、もう一つの真実を口にすることにした。


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