90、孫悟空の本当の語り始め
孫悟空は結界内を自分の仙術で明るく照らした。沙悟浄は流砂河で携帯食を手に入れていたので、それを皆の夕餉とした。八戒は玄奘のために敷物を敷いた。ようやく人心地ついた自分の仲間達に孫悟空は、沙胡蝶について話し出した。
「さっき話していたときには伏せていた、一つ目の事柄は沙胡蝶の匂いのことです。人間とは違い、俺達のような獣の化生の多くは皆、鼻がいいんです。特に鼻が利く豚の化生である八戒ほどじゃないにしろ、人間よりもはるかに俺や沙悟浄は鼻がいい。そんな俺達が、沙胡蝶の匂いだけはないと感じるんですよ。この世の全ての者……例えば神様仏様だろうと、化生だろうと、仙人だろうと、竜人だろうと、悪魔だろうと、勿論人間だろうと死者だろうと、この世に存在する肉体を持つ全てのモノには何かしらの匂いがあるのが当たり前なのに、沙胡蝶だけが匂いがないと感じる。これって、どても不思議なことですよね?」
さっき皆の前で現れた沙胡蝶が、悟空の分身だと気づかれなかったのは、元々匂いがない沙胡蝶が筋斗雲で帰ってきた時に孫悟空の体臭と呼気をしみこませた状態で彼らに会っていたからだ。東海竜王と海の王にいたっては、沙胡蝶が匂いがなかったことすら気づかない様子だった。
「実は瓢箪に入っていたのは”春香天女の舞”ではありません。あれは酒飲みに関してはワクである太上老君が、手っ取り早く酔いたい時に呑む、酒精が強すぎる只の酒です。匂いだって酒精臭いだけの安物です」
酒精、いわゆるアルコール度数が高いだけの酒と聞いて八戒が声を上げる。
「ちょっと待ってよ!あの匂いは確かに”春香天女の舞”の匂いだったよ!俺は前世で天界人として生きていた頃、天界の春の宴で天帝に”春香天女の舞”を酌したもの!あの匂いを間違えるはずないよ!」
八戒が自分の鼻は確かだと言うと、玄奘はあることに気づいた。
「もしかしてですが……沙胡蝶さんが酒の中に入ったから、安物の酒が”春香天女の舞”に変わったということですか?」
「そうです。あの時に沙胡蝶は、俺が陸の生き物だから溺れるのではと心配し、瓢箪の中で真珠を頭から外して俺にかぶせたんです」
「!?」
「こういうと間抜けて聞こえるかもしれないけど、あの沙胡蝶の頭に被せられた真珠の一番の役割は春香天女に瓜二つの芳香を放ち続ける沙胡蝶の消臭装置なんですよ」
そう言って孫悟空は、沙胡蝶が生まれた直後から、海の魔女が施し続けた消臭について話し始めた。




