70、甥の愚かさに嘆く東海竜王
「この大馬鹿者が!」
硯を幽体姿の甥に、投げつけて東海竜王は怒鳴りつけた。
{もう投げないでよ!当たらないって分かっていても怖いんだから!}
甥の非難めいた言葉は、東海竜王の耳には届かなかった。
「何故、こうも浅慮なのだ!?」
またも甥がやらかしてくれたと、東海竜王は苦り切った表情で、人化している自分の顔のこめかみを押して頭痛を和らげようと揉む。自分の不要な一言で、この甥の子の沙胡蝶が地上に出て、あの陸の悪魔に気に入られてしまい、自分の所業を知られてしまったため、竜宮まで悪魔が乗り込んで、四海竜王ひとまとめに散々ボコボコに叩きのめされてしまったのが今朝のことだった。
陸の悪魔が去ってから、この暴行のことを観音菩薩にでも告げ口し愚痴ろうと、東海竜王は何百年も昔の孫悟空との最初の出会いから思い返してみたら、生き肝の件で、孫悟空に如意棒を渡した経緯を思い出してしまった。当時、賠償の品は東海竜王の秘蔵中の秘蔵の宝である如意棒ではなく、他の物にしてくれと懇願したが孫悟空は聞き入れず、ほぼ無理矢理に近い形で取り上げられた印象だけが強すぎて、その経緯を忘れていたのだ。
これでは観音菩薩に愚痴ることも出来ない。まさに自分で蒔いた種故、東海竜王は、この不幸も甘んじて受けねばならなかった。甥っ子はともかく、二海竜王達にはとんだ迷惑をかけてしまった。普段から海の王の多々な不祥事の数々で迷惑を掛けて不満をぶつけられていたのに、今回は自分の落ち度で最低最悪な陸の悪魔を呼び出す事態に陥ったのだ。
激怒する彼らに、もうこれ以上は迷惑を掛けないからと二海竜王達にひたすら頭を下げて詫び、奪われた宝の代わりにと、東海竜王の個人所有の宝飾品を渡したのが正午のことだった。甥の海の王にも当然、自分の言いつけに対することを詫びた。軽率な発言だったと頭も下げた。だが今回の事で、もう二海竜王達の堪忍袋の緒が切れる寸前までになってしまった。彼らは甥の不祥事に500年近くも目をつぶってくれていたのだが、もう聞き入れないに違いない。叔父甥ともに、もう彼らに迷惑はかけられない。甥には何とか真面目になってもらわないとならないのだ。だって、もう竜族は4人しかいないのだから……。
500年以上前のこと。竜族は、ある病により、二海竜王達と東海竜王、そしてそのころ、まだ単なる人魚だった甥を残して全員、死んでしまったのだ。他の海の国の化生達もその時、大勢亡くなった。原因は、その当時流行っていた美食ブームのせいだった。
動物の生き肝という、悪食とも言えるものを好んで食した者達が、ある禁忌を犯したのだ。色んな動物達の生き肝を試していた彼らは、その頃、猿の生き肝をより好んで食していた。しかし仲間を奪われたと激怒した陸の悪魔……孫悟空が、海の国を攻めに来て、壊滅寸前になってしまい、もう猿を食べないと正式に誓うことで怒りを収めてもらったのだ。
それに懲りて悪食を止めていれば、その悲劇は起きなかっただろう。だが猿はあきらめたものの、悪食は止めずに、猿に代わる別の、知能の高い生き物の生き肝を探した彼らは次に人間の生き肝に目をつけたのだ。大勢の人間を竜王の血を引く人魚達が、己の歌で海の中に引きずり込んで殺していった。……その引きずり込んだ人間達の中に人間に変化していた、一人の神がいたことで竜族の運命は決まってしまったのだ。神殺しの罪は、とても重い。海の民に生き肝を食べられて亡くなってしまった神の伴侶は、とても高位の神だった。
『神殺しを犯した、愚かな海の者達よ!愛しい者を奪われた者の苦しみを知れ!生き肝を食した者の肝は、全て腐り果て、食された者の無念が毒となって、お前達が彼らによって蝕まれ、命を奪われるのだ!たとえ竜王だろうと、呪いからは逃れられぬぞ!』
甥の父親の西海竜王も悪食をしていた。竜族で悪食をしていなかったのは、三海竜王達と西海竜王の沢山いる寵妃の子の中で、唯一悪食をしていなかった人魚の甥だけだった。他の竜族達も海の化生達も、動物の生き肝を一口でも口にした者は皆、食中毒を起こして死んでしまった。
4つの海を治めることを定められている竜王となるのは、竜族の竜王が正式に番と決めて、竜王の2枚目の逆鱗を飲んで、竜体となった番の子宮から生まれた者のみだったのだが、その当時、三海竜王達には番はいなかったし、寵妃さえもいなかったのだ。
東海竜王の年の離れた兄である西海竜王にも番はいなかったのだが、彼には寵妃が幾人かいた。でもその寵妃達もその子どもの人魚達も、彼と同じで悪食をしたためにたった一人を残して、皆亡くなってしまった。たった一人生き残った男の人魚が無事だったのは、彼が悪食よりも色恋に夢中だったからだ。
四つの海の国を司るためには、四人の竜王が必要だった。西海竜王が亡くなり、新しい竜王が必要になったが、純粋な竜族と呼べるのは、三海竜王達のみだった。そこで三海竜王達は仕方なく、亡くなった西海竜王の寵妃の子ども達の中で唯一生き残った、その男の人魚を西海竜王の正式な後継者とすることにした。
正当な番からではなく、妾腹から生まれた人魚を竜族にするために、三海竜王達は奇策を講じることにした。亡くなった西海竜王の体から逆鱗を剥がし取り、王の仕事なんてしたくないと逃げる男の人魚を押さえ込み、無理矢理に逆鱗を飲み込ませたのだ。それにより、男の人魚は竜体に変化し、竜族となった。
こうして無理矢理に竜族にしたのだが、そのことを気の毒に思った三海竜王達は、彼のことを海の王と呼び、彼自身が竜体となった自分自身に慣れ、強大な竜族の力を使いこなし、彼自身が竜王としての自覚が出るまでは、四海竜王が作る結界も3人で頑張って持ちこたえようと決め、彼にはまずは、一つの国を治めさせてみることにした。
海の王となった元・人魚の彼が一人前に、海の国を治められるようになったら、西海竜王と名乗らることにしよう。それまでは一番彼と血が近い、東海竜王が彼の教育係兼後見人として、彼を育てることにした。そう取り決めを交わして500年経ったが、未だに海の王は西海竜王とはなっていなかった。
それには理由があった。2枚目の逆鱗は竜体に变化させるための薬であるが、副作用として、飲み込んだときに、その者が執着していたものが、その竜体の性質となるのだ。当時、その男の人魚は色恋に夢中で、多忙そうな王などになりたくはないと思っていた。だから竜体となった彼は、あれからも色恋に執着し、王になるための勉強もサボり続けた。しかし竜王となった彼は、その権力で得るものだけは当然のような顔で、受け取って私欲のためにだけ、それを使った。
さんざん色恋沙汰の不祥事を起こし、東海竜王に迷惑をかけ、王の仕事もまったくしない。500年も国が潰れなかったのは、竜宮で働く者達がフォローし続けたからだ。500年待ったし、もうそろそろ心を入れ替えてほしい。……と、東海竜王は話し始めようとした。すると、一言二言を聞いただけで、体中の鱗が剥ぎ取られて痛いから、お説教は後にしてくれと、甥に泣かれてしまった。それもそうかと待っている間に詩作でもと思っていたら、こんな馬鹿なことで、ここまで呼び出されてしまったのだ。
「お前は、例え元人魚だったとしても今は竜族であり、自らを海の王と名乗っておるのだぞ!自分の言葉に責任を持てと、あれほど言ったではないか!」
海の王としての地位についた甥っ子が、その場の勢いで嘘を正当であると見せるために正式な誓いをしてしまったなんて頭痛が治まらない。正式な誓いをするにあたり、叔父としてではなく東海竜王の名で賭けられた以上、この誓いに嘘偽りがあってはならないのに、こいつと来たら!陸の悪魔だけでもタチが悪いのに、何故こんなにも各界の者達が揃っている場で誓ってしまったんだろうか?……と東海竜王は渋面となる。
しかも神使立ち会いの下で正式に誓ってしまったことで、彼らが神から預かっていた神器が、海の王の嘘を見抜いてしまったのだから、もう言い逃れは出来ない。ここで自分が甥に甘い罰を下せば、東海竜王の名が、地に落ちてしまう。忌々しいことに、陸の悪魔は甥っ子と海の魔女の当時の会話まで把握していた。
「ハハハ!東海のおっさん、ご苦労なこったな!お前の甥が神使達の前で正式に誓ったんだから、もう後には引けないぞ。それにしても正式な誓いの前では、真偽などすぐにわかるというのに、それもわからず平然と嘘を吐くとは愚かだよな!ああ、そうだ。神器の判定の証拠は竜宮の書庫にある。17年前の分の竜宮の日誌に記帳されていたぞ!……”海の魔女は竜宮の謁見の場にやってきた。100回目の告白をした後、真珠を見せてこう言った。『私と本妻の婚約をしてくれたら、私の大切にしている宝物をあげる。私が千年かけて魔力を注いで育てた千年アコヤ貝で作った特大真珠よ。四海竜王達の頂点に立てるほどの魔力を宿している素晴らしい魔道具なの』と。海の王はそれに対してこう言った。『例え千年二千年、いや万年過ぎようが、お前と褥を共にはしない。どれだけ凄い魔道具だろうと、足のあるお前と引き替えなど、まっぴらごめんだ!その真珠は絶対に受け取らない!そんな真珠、酢漬けにして溶かしてしまえ!!』と”……海の王は海の魔女の真珠は要らぬと撥ね付けたと、竜宮の謁見の場で交わした会話の一言一句を、竜宮の書記官は記録していた!」
{うっ!}
驚愕の表情の海の王に、孫悟空はニヤリと悪人顔をわざと作って言った。
「なんで知ってるかって?簡単さ、俺は午前中にお前の国に行っただろ!俺は何回も調べるのも往復するのも、本当に面倒で嫌なんだ!沙胡蝶のことを調べようとしたら、その親たちや国の事も全て調べ上げるのが、本当の面倒くさがりってもんよ!」
二度手間を嫌う孫悟空は調べるとなったら徹底的に調べると、大昔、動物の生き肝のため、陸の悪魔の仲間を攫った騒動のときに、嫌と言うほど骨身に染みてわかっていた東海竜王は甥の海の王を睨んだ。
「神器がお前の嘘に反応した。何故、お前は沙胡蝶が真珠を盗んだと嘘を言ったのだ?何故、その真珠を欲しがったんだ?」
叔父の言葉に、海の王は膨れっ面で口を尖らせた。




