53、沙胡蝶、三蔵法師の膝の上で語る
玄奘の膝の上に座らせられた沙胡蝶は、彼を背もたれにして焼き菓子を食べることになってしまった。
「あのっ!あのっ!私、下ります!一人で食べられます!私、16才なんですよ!」
「ええ、わかっていますよ。ちなみに私は21才です。16才でも、そんなに小さくてはここのソファやテーブルは使いづらいでしょう?遠慮はいらないですよ」
焦って身じろぐ沙胡蝶の真珠の乗った頭を撫でながら玄奘は、にこやかな笑顔で答える。本当にいいのかしらという戸惑いの表情で後ろを振り返ると、ニコニコ笑顔の玄奘はこう言った。
「今は三時のおやつの時間ですからね。例え16才でも、今の沙胡蝶さんは小さくなってしまったのですから、大きくなるためにはしっかり食べないといけません」
そう言い切られてしまった沙胡蝶は、仕方なくお言葉に甘えて、卵色の焼き菓子を一つ食べることにした。両手に持って、もきゅもきゅと食べながら、翠の事や檜達の事情について考えた。
翠が……鉄扇公主がミス・オクトと似ていると思った理由は、鉄扇公主が夫の不実に苦しんでいたせいだったのかとわかると、彼女は可哀想な人だなと沙胡蝶は思った。確かに攫われてしまったが、だからと言っても何も手荒なことはされていないし、先ほど誠意をこめて謝罪されたのだから、これ以上の謝罪を沙胡蝶は望んでいなかった。
檜や楡を含んだ五宝貝の7人兄弟達は、沙胡蝶の初めて出来たお友達だった。檜と楡が狸の化生だったのは驚いたし、孫悟空が来てからのやりとりにもびっくりした。でも事情が分かれば、逆に自分が首を突っ込んだことで騒ぎが大きくなってしまったのだと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
沙胡蝶が焼き菓子を食べ終えると、玄奘は果実水を手渡してくれたので一口飲むことにした。あ、美味しい!と感激し、パァ~と顔が輝くような笑顔になるのを後ろから嬉しげに、玄奘が見ていることにも気づかずに、沙胡蝶はさらに三口飲んで、喉を充分潤してから言った。
「おやつ、ごちそうさまでした。あ、あのですね、三蔵様!私は攫われたけれど、みど……いえ、鉄扇公主さんはとても優しい女性でしたし、先ほど誠実に謝罪をして下さいました!だから、もうそれ以上の謝罪は望みません。檜さんや楡さん達は私の初めてのお友達です。ちょっぴり瓢箪のことは驚きましたが、試練というのを知らずに割り込んだ私がいけなかったので彼らは悪くないんです」
沙胡蝶がそう言うと、玄奘は真珠の乗った沙胡蝶の頭をまた優しく撫でながら言った。
「沙胡蝶さんのお話は、わかりました。お人好しなあなたは、彼女をやはり罪には問わないのですね。あなたはそう言うだろうと私も思っていました。先ほど少し言葉を交わしてみて、私も彼女は普段はとても真面目な女性なのだろうと感じました。きっとあなたが許しても、彼女自身が自分を許さないだろうとは思いますが、この話を後で鉄扇公主に一緒に話に行きましょう。
試練のことは一般人がいる中で、試練をいきなり行った彼らが浅はかで、試練を行う者としての配慮が足りなかったのですから、あなたがいけないのではないのですよ。沙胡蝶さんは試練のことを知らなかったのです。なのに体を鍛えていない、あんなに細い体で悟空を助けようと恐ろしい瓢箪の前に飛び出した。あなたの勇気は尊いけれど、これからはあんな無茶はしてはいけませんよ。心配で私の心臓がつぶれそうになりますからね」
沙胡蝶は玄奘に優しくそう言われて、嬉しくなった。
「心配してくださって嬉しいです!私は、こんなにも優しい三蔵様と間違えられていたなんて、ちょっぴり恥ずかしいけれど嬉しい気持ちになりました!三蔵様と同じように、悟空さんにも自分を守ってくれと言われました。これまでの旅も皆、親切で良い方ばかりと出会ってきましたし、今後もそうそう危ない目に合うとは思えないけれど、その時が来たら次からは、なるべくそうするように努力します。
あぁ、そう言えば!悟空さんは陸の者なのに、とっても泳ぐのが上手なんですね!実は私、恥ずかしながら瓢箪の中のお酒で溺れてしまったんです。……海の者なのに誠に情けないのですが、悟空さんは陸の生き物なのに私を抱えて瓢箪で泳いでくれたそうなんです!すごいですよね!」
ホウッと熱い息を吐き、沙胡蝶は黒い瞳をキラキラと輝かせて、遠くの席の孫悟空を憧れるような眼差しで見つめる。
「悟空さんも三蔵様みたいに、とても優しくて、すっごくかっこいい人です!瓢箪の酒精で溺れた私を助け出してくれて、いっぱい口吸いして助けてくれたんですよ!体だって綺麗に手洗いしてくれたそうで、もうすっかりお酒の匂いも消えてるし、このお洋服だって……あっ!私としたことが、助けに来てくれたことのお礼を
三蔵様に、まだきちんと言ってなかったですね。もうすぐ成人なのに不作法をするところでした!三蔵様!ここまで助けに来て下さって、本当にありがとうございました!嬉しかったです!」
沙胡蝶は玄奘の膝の上でお礼を言って頭を下げた。お礼を言うのに、本当はキチンと立ち上がって言いたかったのだが、玄奘が下ろしてくれなかったので、やむを得なかった。もうすぐ大人なのだから、次からはこんな失敗はしないぞ!と内心、強く思った沙胡蝶は、また玄奘が無言になっていることに首をかしげた。
そして二人の話が聞こえないはずの場所の席の方から、何故か冷気が漂ってきていることに気がつき、そちらに目をやった。その後、叫び声が一斉に上がったが何と言っているのか沙胡蝶にはわからなかった。玄奘は沙胡蝶をそっと自分の膝からソファに移し、座らせた。
「……三蔵様?」
「悟空を助けようとしてくださって、本当にありがとうございました、沙胡蝶さん。彼の師匠として、お礼を言わせていただきます。そして悟空の……ごく……うの……」
そこまで言って、沙胡蝶の唇をじっと見つめた三蔵法師はニッコリと微笑んだ。
「……すみません、少し席をはずしますね。沙胡蝶さんは彼らが入れてくれた果実水を飲んで、少しだけ待っていて下さいね」
「?……はい」
沙胡蝶は大人しく指示に従い再び、果実水に口をつける。やっぱり美味しい!と、パァ~と頬を紅潮させて喜んでいるのを確認してから、玄奘は沙胡蝶の真珠の頭を撫でて、彼に穏やかな笑みを向けてから席を立った。
「く、口吸いって!キスのことだよね!?」
五宝貝の7人兄弟プラス八戒・悟浄の声が揃って叫び声を上げている席の方へ、玄奘はゆっくりと歩いて行く。
「キスじゃねぇし、人命救助だし!!」
真っ赤な顔で、そう叫ぶ悟空の顔は、近づく玄奘を見つけた瞬間、ギョッとした表情で固まった。
「ヒッ!?お師匠さん?」
「お師匠様ぁ、笑顔なのにぃ、その顔ぉ、超怖いッス!!」
「げん……いえ、三蔵様、抑えてくだされ!!人間離れどころか魔王降臨かと思われますぞ!」
人外である3人の供の声は震えていた。




