49、玄奘と三蔵法師③
「このことはお師匠様の供になって二度目の試練の時に、観音様に話を聞いて知ったんだ」
お師匠様には内緒だと猪八戒は沙悟浄に前置きをしてから語り出した。
釈迦如来は随分昔から人々に信仰を広めたいと考えていた。そこで最初は王侯貴族出身の宗教家で、位の高い僧を三蔵法師として旅立たせた。何故ならば、この話をしたときに彼らの方から立候補されたからだ。三蔵法師に選ばれた王侯貴族は、供を何人も引き連れて、豪華な旅装束に身を包んだ。華やかな見た目となった三蔵法師一行は、たいそう人目を引いて、華々しく出立した……までは良かったのだが、彼らは直ぐに音を上げて逃げ帰ってきてしまった。その後も自分こそが三蔵法師に相応しいと名乗りを上げる身分の高い僧達を幾人選んでも、皆、最初の流砂河の試練で脱落して逃げ帰ってきてしまった。
「外見が強面で大男、しかも人外の川妖怪に声を掛けられただけで、皆、びびって逃げ出したんだ」
「……そんなにも拙者は恐ろしい顔だろうか?」
「ああ、そうだね。中身はともかく、見た目だけは何人も血祭りに上げてきましたって顔をしてる。その首元のスカルも沙悟浄が人を喰る妖怪であることを誇示してるように見えて、悪人面をよりいっそう引き立たせてるよ」
「ううっ。拙者は人など喰わんのに……」
ガックリ落ち込む悟浄をそのままに八戒の話は続く。
悟浄の見た目に恐怖し、逃げ出した僧が9人になって、この僧の選出方法は間違いだと釈迦如来は、やっと気づいたのだ。信仰心が強いだけではダメなのだ。経を唱えたところで、それで全てが上手くいくわけではない。恐怖に打ち勝つ精神力の強さを持っていないと、旅は続けることは出来ない。強い精神力を持つには、体だって強くなければいけないのだ。
信仰心を宿す心身が強くないと旅は無理だと気づいた釈迦如来は、そこで身分にとらわれずに三蔵法師に相応しい僧侶を探そうとしたが中々見つからなかった。それでもようやく見つけた心身共に強そうな何人かを三蔵法師として旅立たせることにした。今までの失敗を踏まえ、最初の試練に流砂河の試練を持ってくるのは時期尚早かと考え直し、試練を頼んでおいた太上老君の使者が行う、酒池肉林の試練を最初の試練に切り替えて、そこを通るようにと誘導したが、これも上手くいかなかった。
信仰心が強い者を選んだはずなのに、彼らは欲望渦巻く歓楽街の誘惑にあっという間にのめり込んでしまったからだ。これには釈迦如来も頭を抱えてしまった。信仰心が強いだけではダメなのだ。しかし心身共に健康なものは、あらゆる煩悩に弱かった。煩悩に抗えないが故、人間は進化したとも言えるが、これでは信仰を広める三蔵法師の役目は任せられない。
しかし三蔵法師は、かならず人間でないといけない。悩む釈迦如来に人間の国の帝が、面白い僧侶を見つけたから、その者を三蔵法師にしないかと持ちかけてきた。その者は心身共に強く、長旅にも耐えられる頑健な人間だった。しかも彼の求める煩悩は、強敵と拳を交わすことのみ。おまけに見目麗しい外見で人心を引きつけやすいという。
帝が自国での地位を盤石にするために釈迦如来の宗教を利用しようと考えていることはお見通しだったが、三蔵法師を切望していた釈迦如来は、その僧をこっそり観察した。
なるほど面白い男だと釈迦如来は思った。釈迦如来が今まで選んだ、どの僧侶よりも信仰心が低く、それなのに、どの僧侶よりも信仰が身についていた。まるで息を吸うように信仰が生活の一部と化している不思議な人間の若者だった。
還俗すれば裕福な土地の領主になれたのに、その選択をしなかった人間の若者は金にも権力にも魅力を感じていないようだった。領主になれば、結婚だって出来たのにしなかった。女にも興味はないのだろう。今は自分が信仰を忘れて敵討ちを力尽くでしてしまったと落ち込んでいるが、自分の本来の目的がそれであることに自ら気づいていない未熟で愚かな若者だった。
この若者なら、最初の試練である酒池肉林の試練に打ち勝てるだろう。だって若者は酒池肉林よりも、強い者と戦うことが何より強い望みなのだから……。その次の流砂河の試練にも、若者は余裕で迎え撃つだろう。だって沙悟浄の外見は、強面でとても強そうなのだから……。若者は自分の鍛えた心身を信じて、どんな困難にも自分の力で立ち向かっていくだろう。それが彼の意識していない彼の望みなのだから……。そして彼は信仰をけして捨てないだろう。彼にとっては毎朝顔を洗って歯を磨くのと同じくらいに信仰が生活の一部と化しているのだから……。
釈迦如来は玄奘を最後の三蔵法師にすることに決めた。




