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1、沙胡蝶 港にてご飯をご馳走される



「うわぁ、人がいっぱいだぁ!」


 すごいすごい、どこもかしこも人だらけだ!……と沙胡蝶は海の国を出てからというもの、ずっと興奮しっぱなしだった。海の宮殿の後宮の奥にある離宮の外れで暮らしていた沙胡蝶に、父親である海の王から初めて遣いが来た。遣いのタツノオトシゴは沙胡蝶に言伝を告げて、直ぐに引き返していった。タツノオトシゴの言葉は不明瞭で聞き取りにくく、沙胡蝶は三度聞き返して、やっと内容を把握した。


『竜王の大叔父様の宮殿の柱が一本無くなってしまったので、天界の偉い人の所に行って、一本譲ってほしいと頼んでくる』


 多分、これで合っているはずだと沙胡蝶は思っている。父から初めてのお遣いを頼まれてしまった。今まで一度も父とは会話をしたこともないし、遠くから見かける位だった。沙胡蝶はお遣いの内容にも驚いたけれど、父が自分の存在を覚えていたことの方が驚きだった。


 人間だったという母の記憶もない沙胡蝶を育ててくれたのは、海の魔女と呼ばれる美しい女性だった。豊かな黄緑の髪に大きな金色の瞳を持つ彼女は、海の国の女性の中で一、二を争う美人なのに、蛸族や烏賊族や海月族といった足のある者たちを軽んじ、蔑む海の国の民の傾向故、足が8本あるというだけで海の国の民から蔑まれていた。


 そんな彼女が、母が亡くなって後宮の他の妻達に育児拒否された二本足の赤ん坊だった沙胡蝶を助けてくれたのだ。彼女は美しく優しいだけでなく、とても賢く、そして偉大な魔女だった。沙胡蝶は自分の頭頂部を、そっと撫でる。ツルツルとした手触りのこれは海の魔女からの贈り物。沙胡蝶は彼女から贈り物をもらった時のことを思い出した。


「これはね、真珠で出来たお盆を加工して(まじな)いをかけておいたの。陸に行く日に頭に乗せるのよ」


 海の魔女に沙胡蝶の髪を渡した次の日の早朝、海の魔女は餞別にと、この贈り物を沙胡蝶にくれたのだ。そして人前では、けっして外してはならないと念を押された。


「あなたが無事に旅が出来るように、できうる限りの私の魔力を注いでおいたわ」


 母と慕う海の魔女と呼ばれる彼女の心のこもった贈り物に、沙胡蝶は精一杯のお礼を言い、感謝と共に受け取った。





「坊や、頭のことは今は考えるな!食べることだけに意識を集中させて、しっかり食べるんだよ!」


 沙胡蝶が頭のツルツルの感触を楽しんでいると、人間の若い男性にそう言われた。沙胡蝶はさっき会ったばかりのこの男性に港の中の食堂で、ご飯をご馳走になっていた。


「はい、ごちそうになって、すみません。ありがとうございます」


 人間は、何て親切で優しい種族なのだろうか!……と、沙胡蝶は心からの感謝を噛みしめながらご飯を味わって食べる。海の魔女にもらった真珠盆を頭に乗せて旅立った沙胡蝶は、まず烏賊族の乗り物であるクラーケンを借りて、天界に昇るための山に一番近い川まで行こうと計画していた。


 だが運悪く人間の船がクラーケンを襲ったので、沙胡蝶はクラーケンを逃がすためにクラーケンの代わりに自分が漁の網に入ったのだ。でも漁をしていた人間達は、とても親切だった。彼らは冒険家で、集団でその仕事を営んでいるらしい。


 人間の暮らしの何もかもを知らない沙胡蝶を疑うどころか、何も知らないことを同情してくれて、一から優しく色んなことを教えてくれたのだ。彼らは沙胡蝶の実の父や兄弟姉妹達よりも、うんと親身になってくれて、別れの時には旅をするのに必要な物や路銀までくれたのだ。沙胡蝶の一番に尊敬する人は、海の魔女と呼ばれるミス・オクトだけど、二番目は彼らだと沙胡蝶は思い、ミス・オクトや彼らみたいに困っている誰かに親切に出来る強い大人になりたいと強く願った。


 沙胡蝶は将来なりたい大人像を決めたところで、自分は父のお遣いに来ていたことを思い出した。そこで港で彼らと別れてから、人目のないところまで行って川の中から山の麓まで泳いでいこうと考え、飛び込もうとした所を、この人間に見つかって、何故か後ろから肩を掴まれて怒鳴られた。


「早まるな!人生辛いことばかりじゃないぞ!」


「?あの、離してもらえませんか?」


「離すもんか!おい、腹減ってるだろ!人間腹減ってるとロクな事考えないからな!よし、一緒に飯に行くぞ!」


 人間の男性は沙胡蝶に有無を言わさず、沙胡蝶は首根っこを掴まれて食堂まで引っ張られていき、そこで初めて、どうやら自分が身投げをしようとしていたと勘違いをされていることがわかった。沙胡蝶は親切にしてくれた男性に誤解を解こうとしたが、なかなか解けないまま、こうして食事しているのだ。


 それにしても冒険家の皆も男性も、沙胡蝶が海の魔女の贈り物に手をやるたび、同情めいた視線というか、痛ましいものを見ているような辛そうな表情をするのは、どうしてなのだろうか?と沙胡蝶は首をかしげ、思い切って尋ねてみることにした。


「あの、つかぬことをお伺いしますが、私の頭は何か人と変わっているのでしょうか?」


「はぁ!?」


「私は、このツルツルの感触がとても気に入っているんですけれど、皆さんもあなたも私の頭を見るととても辛そうな表情をされるんです」


 手触り最高の真珠盆を撫でながら話す沙胡蝶に、目と口が大きく開いたままの男性は、ペチリと沙胡蝶と同じ髪型の頭を叩いた。


「なんてこったい!!」


 その後の男性との会話により、沙胡蝶は衝撃の事実を知った。何と沙胡蝶の頭の形状は禿げていると呼ばれる陸の人間の男性に多く見られる髪型で、人間の男性はそのことを気に病む者が少なからずいて、男性も自分の頭部のことで悩み苦しんでいると言うことだった。


「そうだったんですか……。私は自分の頭は素敵な頭だと思っているのですが、そんな風に気にされる方がいたなんて知りませんでした」


 手触りも良いし、このツルツルなら海の中も泳ぎやすくて実に良かったのに……とボソリと沙胡蝶は呟く。人間の世界は知らないが、海の民達にとって泳ぎが上手い者は魅力的に見える。泳ぐのが一番下手な沙胡蝶はずっとかぶっておきたいくらいに気に入っていたので、この髪型の良さを語り合えないのを残念に思った。


「そんな若さで自分の体のことを素敵だと思えるなんてたいしたもんだ!」


 そうだよな、お前くらい堂々としているほうが却っていいのかもしれない……と、男性は目の端に涙を光らせる。不思議に思った沙胡蝶が泣いている理由を尋ねると、男性は長年交際している女性に求婚され、いつまでも偽った自分ではいけないと思い、本当の姿を……かつらを外したありのままの姿を見せたら驚かれてしまい、嫌われたのではないかと思ったら居ても立っても居られなくなって、思わずその場から逃げ出してしまったのだと話し、あの時本当は、自分こそが身投げを考えていたのだと悲しげに話した。


 沙胡蝶は身投げしたいほど悲しい気持ちだった男性が沙胡蝶を助けたという行為こそ、男性が素敵な人だという証拠だと思ったので、それをそのまま正直に話すことにした。


「……多分なのですが、その女性は髪の毛が全部取れたことにただ驚いただけで、あなたを嫌ったとは思えません。だって、その女性はあなたと長く交際されていたのでしょう?それならあなたが優しくて素敵な人だと、私よりもよく知っているはずで、きっとあなたが戻ってくるのを待っていると思いますよ。ちょうど食べ終えたところだし、一緒に行きましょう。絶対大丈夫ですよ!」


 沙胡蝶はそう言って男性を促し、一緒に店を出て、男性が女性を置いてきたという場所まで行ってみることにした。案の定、目を潤ませて立ち尽くしていた女性がいたので、沙胡蝶は逃げ腰気味になっている男性を強引に押し出し、二人きりにさせると少し離れた所まで行き、二人が話し合うのを見守った。


 半刻もしない内に男性が女性を伴って、沙胡蝶に礼を言いに来たので、沙胡蝶もこちらこそ食事をご馳走になってと礼を言った。旅装姿の沙胡蝶に女性がどこに向かっているのかと問われたので、沙胡蝶は川の上流に行きたいのだと告げたところ、二人は陸路を行くようにと勧めてきた。


「流砂河という川の上流には、人食いの妖怪が出るらしいから、けして行っちゃダメだよ」


 男性は別れ際にも念を押してくれたが、沙胡蝶はどうしてもそこに行かなければいけなかったので、適当に陸路を行って、誰かに身投げと誤解されないように、今度こそ気をつけて、人目を確認して川に入ろうと思いながら二人に別れを告げて旅立った。





 小さなその後ろ姿を見守る二人は、おずおずとお互いを見た。


「ごめんなさい、さっきは驚いただけなの。私の気持ちは変わっていないわ、どうか私と結婚してください!」


「でも俺には身寄りは無いし、こんな頭だし……。君はこの港を取り締まる代官の一人娘で、婿なんて選り取り見取りだろうに……。代官の跡を継ぐ君の婿には、立派な家柄や美しい君に見合った美しい容姿の男の方がいいんじゃないか?」


「身寄りが無いのも、外見もあなたのせいじゃないでしょう?私はね、働き者で優しいあなたがずっと大好きだったのよ!付き合っていて、あなたにふさわしい立派な女性になれるようにと、ずっと努力していたし、これからもするつもりよ!だから代官になる私を支えて欲しいの!一緒に、この港をより良い所にしてほしいの!」


「俺なんか……。いや、もう自分の境遇や自分の姿を卑下するのは止めるよ!君が認めてくれた俺を、俺が大事にしないで誰がするんだ!よし、決めた!君の求婚を心から喜んで受けるよ!そして俺達二人で、一緒に頑張って幸せになろう!この港もこれからは海賊なんかに襲わせない!安心して誰もが笑顔でいられる良い港にしていこう!」


「嬉しい!」


 恋人達はお互い喜びの涙を流しながら、お互いを抱きしめ合った。


「今度、あの子に会うまでに、この港をもっと立派にするぞ!」


「そうね、あの子は私達の恋の天使(キューピット)だものね!頑張りましょう!」


 新しい代官は情熱的な女性で、彼女は働き者で優しい夫の支えを受けながら、港の改革に乗り出した。海賊の脅威を退け、港を利用する人々や荷物を守るその港は、やがて国の中で一番美しく安全な港と呼ばれ、多くの人が利用する大きな港になった。


 後世、この港は真珠の光を放つ天使(パールエンジェル)が訪れた港と言われるようになる。何でも代官を継ぐべき女性の前に、真珠の光を後光にした美しい天使が現れて、彼女を支える素晴らしい夫を与えてくれたという伝承が残っているからだ。

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