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15、玄奘、流砂河で自身を振り返る

荷物番をしている玄奘、反省しています。

 玄奘は3人の供が帰ってくるのを読経をしながら待っていた。玄奘の視線は流砂河に向けられていたが、その意識は彼の心の奥深くにあった。




 玄奘は自分は捨て子だと知っていた。物心ついた頃に玄奘を育ててくれた住職が、君は(たらい)に乗って川を流れてきた赤ん坊だったんだよと教えてくれたからだ。貧しい寺で育てられた。自ら畑を耕さないと食べる物も手に入らない。僧侶としての教えを受けながら毎日の畑作業に精を出す毎日。寺の中しか知らないから僧になることに何の疑問もわかなかった。ただ親元から離れて寺にやってくる者達の涙を見るたびに、自分も自分の血を分けた親というものに一度で良いから会ってみたいものだと思った。


 毎日同じ事の繰り返しに変化があったのは玄奘が5歳のころだった。寺に修行僧が一人やってきた。彼は僧侶の身でありながら武道を嗜んでいた。理由を尋ねると世間というのは恐ろしい場所であるから、そこで身を守って生きていくには必要なことなのだと教えてくれた。


 寺の外の世界では人は人を(しい)げたり(さげす)んだり(おとしい)れたりするらしい。他者の持つ物を欲しがり強請(ねだ)強奪(ごうだつ)する者もいるらしい。人を傷つけ(だま)し奪い殺し合うことも珍しいことではないらしい。そんな恐ろしい世界だと修行僧は言うのだ。


 そんな世界で我々の信仰する神の教えを伝えるための旅を続けるには、護身術というものを身につけておいて損はないものだと彼は言葉を重ねた。その話を聞いた玄奘は即座に彼に弟子入りした。何故ならば玄奘は大きくなったら自身の過去を知るために、外の世界に出たいと考えていたからだ。毎日厳しい修行を積んだ。でも、こうも思っていた。外の世界は広いという。だからどれだけ探してもどうせわからないだろうけれど……と。この時の玄奘はわかるはずはないと思っていた。


 だから大きくなった玄奘が、自分の捨てられた川を(さかのぼ)ったところで自分の母に再会するとは思っていなかったし、父が盗賊達に殺されていることを知り、気がついたら遅いかかかってきた盗賊団のボスだった男や盗賊団の一味を根こそぎ再起不能になるまで叩きのめして、血まみれになってしまうとは幼き日の玄奘は夢にも思っていなかった。


 そう、大人になった玄奘は自身の身を守るはずの護身術を私情で敵討ちの(すべ)に使ってしまったのだ。玄奘の母は息子が父の敵を討ったことを誇り、感謝し、屋敷の裏庭の……おそらくは父が葬られたのだろう土山の前で自死していた。愛する夫を殺されて、それでも生き恥をさらしてきたのは夫婦の無念を晴らすため、息子が戻ることを信じていたからだと遺書には書かれていた。


 殺したいほど憎む相手に妻代わりを強要された母の心は、夫が死んでしまったときに死んでいる。今、残っているのは復讐のために鬼になった女。あなたが血にまみれたのは鬼のせいで、あなたの本意ではなかったのだから悔やまないでくれ、あなたは私を忘れて幸せになってくれと書き(つづ)られていた。


 玄奘の知らせでようやく国の役人が動いてくれ、母のもう一つの遺書……国の役人宛に綴られた手紙により、全ての真相が暴かれたとき、玄奘は二つの選択を強いられた。山賊どもが領主となっていたこの土地の正式な領主として還俗(げんぞく)するか、このまま僧侶でいるか。


 玄奘は領主にはならなかった。かと、言ってこのまま僧侶でいる自信もなかった。いくら法律で今回の場合の敵討ちは認められているとはいえ、玄奘は盗賊と同じように力づくで盗賊達を再起不能にし、屈服させた。僧なら信仰の心を尽くした言葉で相手を鎮めるべきだったのに、玄奘は襲いかかってくる悪人達を前に信仰を忘れてしまったのだ。


 そんな玄奘に僧侶であるよう強いたのは自国の帝と釈迦如来であった。


 帝は我が国にまだ伝わっていない釈迦如来の元にある経典を欲し、天竺まで往復できる行動力と胆力のある力のある僧侶を探していた。そして釈迦如来は未だ浸透していない信仰をより広めたいと経典を用意し、天竺まで三蔵が出来る僧侶を探していた。玄奘はそんな彼らの探す条件にピッタリの僧侶だったのだ。


 しかし釈迦如来は、けんかっ早い玄奘のことを危惧してもいた。なおかつ釈迦如来の命を受けたことで好奇心旺盛な人外……妖怪達の間で、三蔵法師を食べると不老不死になれるという妙な噂が立ち、目をつけられてしまったことを懸念した。


 そこで地上で仙術を巧みに操り、天界に戦を仕掛けた暴れん坊の猿の化生である孫悟空を供につけた。喧嘩や争い事は悟空に任せろという意味合いなのは言葉にしなくとも丸わかりだ。そして元天界人で今は豚の化生であるという猪八戒を供につけたのは、世間に疎い玄奘に代わり、旅で知り合う者との交渉役であるとともに間延びした口調で冷静さを失いがちな玄奘を押さえるためであったのは火を見るよりも明らかだった。


 この二人の供がいてくれたことで玄奘は、旅の中でも読経や鍛錬の時間が十分持てて、自分の心と向き合い続けることが出来ていた。そうだ、自分は僧侶なのだ。今度こそ困難なことに力尽くではなく、話し合いで解決出来るようにならなければならない。だけど実際はどうだ。今度も玄奘は口よりも先に体が動いてしまった。


 大きな体の河童の妖怪が子どもを川に引き入れようとしているのが見えると言って走り出した孫悟空を追いかけた玄奘は、実際にそこにいる二人を見て頭に血が登って、狼藉者を説法で諭す考えが頭から吹き飛んでしまい、話を聞く前に手が出てしまったのだ。自分は襲われていない、誤解だから話し合ってくれと泣きながら懇願する沙胡蝶の方が、よほど僧侶らしかった。


 だから、あの誘拐犯も間違えたのだ。玄奘が僧侶らしくなかったから。次こそは間違いを侵さない。今度こそ、今度こそ……言葉を尽くす。そう改めて決意する玄奘の背後から誰かが声を掛けてきた。さっきとは違う別の女の声だった。

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