11、猪八戒と沙悟浄、鉄扇公主の洞窟を訪ねる
八戒と悟浄の動きです。
八戒と悟浄は、鉄扇公主の住まいがあるという洞窟に来ていた。二人は最初、洞窟の外から声を掛けたが返事がなかったので、迷いつつも事は急を要することだったので、そのまま洞窟内に侵入した。
何故ならばもしかしたら皆の予想が外れて、鉄扇公主が沙胡蝶をさらっている可能性だって無きにしもあらずだからだ。その懸念を晴らすためにも二人は芭蕉洞に歩を進めた。
なるべく足音を立てないようにと気を配りながら進入したが、そこは無人であった。洞窟内は灯籠が沢山あり、洞窟内とは思えないほど明るく、そして湿気なども一切感じられることはなかった。中に置いてある調度類も上品で品の良い最上級な物ばかりが、これまた上等なペルシャ絨毯の上に並べられている。
赤くて丸いテーブルに揃いの赤い椅子が2つ。チリ一つ埃の一片も見当たらない綺麗な空間が広がっている。屑入れにさえゴミ一つ入っていない完璧な部屋がそこにはあった。
「ここの鉄扇公主とは、とても綺麗好きなご婦人らしいな」
「そうだな、埃っぽくもないし、酒の匂いもない。でも麝香の匂いはする。……もしや牛魔王の好みの香なのか?」
八戒は人間の割に喧嘩っぱやい玄奘をなだめるため、先程はのんびりした口調に戻してはいたが、彼だって怒っていたのだ。彼は天界にいるころから女性全てに対してフェミニストだと自称していた。豚の妖怪として生を受けてから好む女性の傾向は変わったが、だからといってフェミニストであることに変わりはなかった。
沙胡蝶と出会ってからは、どうも今の自分は子どもに対してもフェミニストなのだと自覚したばかりなのだ。初対面で自分の水筒にこっそりと入れていた果実水をあげちゃうくらいに、沙胡蝶は好感が持てる可愛らしい子どもだった。可愛い子どもが辛い目に合うなんてフェミニストとして許せない、と八戒は怒りに駆られていた。
「あの子の匂いはしないね。まぁ、あの子の匂いは、この僕でも嗅ぎ取るのに苦労するくらい匂いがない子だったけど」
八戒は豚の化生故、臭気を嗅ぎ取るのに長けている。例えば今一緒にいる沙悟浄は川妖怪らしく、ずっと流砂河の中で生活していたため、鮒や緑亀のような匂いがしている。悟空は太陽で干した布団と干し藁の匂いがするのは一昨日農家に宿を借りたからだし、お師匠様が線香と汗臭いのは、彼が毎日の読経と鍛錬を欠かさないからだ。
しかし不思議なことに沙胡蝶の匂いだけがわからないのだ。沙胡蝶は長い旅の中も、まめに体を洗い、衣服も洗っていたのだろうか?若干の砂埃が感じられるだけで、本人の匂いは感知できなかった。海の国の民だと聞いたのに海魚の匂いも潮の匂いもしない不思議な子どもだった。もしかしたら悟空が指摘した沙胡蝶の頭の呪いが、あの子の存在を示す匂いを消しているのではないだろうかと思ってもいた。
悟浄も八戒と同じように怒っていたが、それよりも自分の不甲斐なさに落ち込んでいた。何と言っても沙胡蝶は、沙悟浄を頼ってきた客人なのだ。お互いの髪型も同じで名前まで似ている沙胡蝶とは、何だか他人のような気がしないのだ。まるで年がうんと離れた弟のような親しみを、既に沙胡蝶に対し抱いてしまっている。
沙悟浄はずっと流砂河で、三蔵法師が来るのを待っていた。念願叶って、やっと玄奘の弟子になったものの、沙胡蝶のことを放り出すなんて考えてもいなかった。天界行きを断念させてから、あの子が海の国の王に叱られないように海の中まで付き添って、あの子が幸せに暮らせるのを確認してから天竺の旅に合流しようと考えていたというのに!沙胡蝶の頼りにならなかったどころか、目の前でむざむざと攫われてしまうなんて!誘拐犯に目に物をみせてくれるわ!と激しい怒りを感じていた。
芭蕉洞をくまなく探索している二人は、漆塗りの美しい着物箪笥に仕舞われていた芭蕉扇を見つけ出したが、沙胡蝶がここにいたという痕跡を見つけ出すことが出来なかった。ひとまず目当ての物を見つけられた二人は芭蕉扇を持って、玄奘が待つ流砂河に戻ることに決めた。
ただ鉄扇公主が犯人でない場合、自分達は不法侵入をした上に、黙って芭蕉扇を持ち出した盗人になってしまうので、一応断りを入れるべきではないか?と相談し合うも、でも内情を万が一にも敵方に悟られるのは得策ではないと思い直し、文をしたためるのは諦めて、沙胡蝶を救い出してから改めて二人で謝りに来ようと話し合い、芭蕉洞を後にした。二人が芭蕉洞を出て行く姿を、遠くから見つめる者がいたことに気がつかないままに……。
そこにいたのは牛魔王だった。彼は本妻の鉄扇公主の洞窟を常に気にかけていたのだ。最近は妾の玉面公主の所に入り浸っているため、妻に対し後ろめたさや罪悪感はあったが、鉄扇公主と別れる気は牛魔王にはサラサラなかった。だから妖力を駆使し、妻の屋敷に誰かが来ると知らせが来るようにしていたのだ。
知らせを受け玉面公主に適当な言い訳をし、慌てて駆けつけてみれば、男が二人も芭蕉洞の前にいるではないか!遠くからなのでハッキリとは会話は聞き取れないが、何とか聞こうと試みたところ、妻の不在を嘆き、文でなく直接告白しに来よう……などと言っているようだった。
何たることだ!と牛魔王は烈火の如く怒りで目の前が赤くなった。確かに鉄扇公主がいい女であることは認めよう!あれは世界一の良い女で、あれ以上に素晴らしい女はいない!だが、あれは俺の女で俺の大事な妻なのだ!と憤慨する。それにしてもと牛魔王は疑問を持つ。鉄扇公主は貞淑な女のはずだ。それなのにいつの間に二人の男に家を教えたのか?これは一度鉄扇公主に問いたださないといけない!と牛魔王は強く思った。
あの者らが可憐な妻の姿に横恋慕して後をつけて家を突き止めたのか?それとも妻がわざと二人の男に家を教えたのか?牛魔王はブツブツと妻に問いただしたい言葉をつぶやきながら、妻の行きそうな場所を考えたが、ここ百数年、妻とは会っていないため、彼女がどこにいるのかわからない事実にやがて愕然とした。




