100、八戒の浄眼
泣いて泣いて我に返った八戒は、自分を心配げに見上げる沙胡蝶を見た。神様仏様沙胡蝶様……。八戒は思わず両膝を地に着け、両手を胸の前で手を合わせ、沙胡蝶を拝んだ。神様でも仏様でも無理だと匙を投げられた八戒の魔眼を沙胡蝶が治してくれたのだ。長年の不幸の原因を取り除いてくれた彼こそが、神よりも仏よりも、ありがたい存在なのだと八戒は実感した。
前世の忌まわしい呪縛から解放してもらえた。本当の意味で今、八戒は生まれ変わったのだ。もう誰にも襲われることはない。自分を救ってくれた至高の存在に感謝と尊敬と敬愛の気持ちを伝えようとした時だった。猪八戒の蒼い五芒星は煌めき、浄眼としての本来の力を発揮しだしたのだ。浄眼は聖魔を見抜く真実を視る瞳である。浄眼の目には、真実の姿しか映らない……。
浄眼の力が発現した八戒の目の前にいた幼い男の子の姿が消えて、現れたのは14,5才くらいだろうか?天女よりも美しい少女が、そこで心配げに八戒を見ている姿が映し出された。少女からようやく抜け出たような、蕾から今まさに、花が綻ぶような初々しい美しさが、まるで彼女自身からにじみ出ているように感じた。髪の色は、まるで蜂蜜で出来ているのではないかと思えるような透明感のある美しい琥珀色だった。
頭にかぶさっている真珠が、まるで天使のわっかなのかと錯覚してしまう。天界の天女は長い髪の者ばかりだったが、彼女は肩に届くくらいしか髪の長さがなかった。それでも美しさは少しも損なわれていないし、彼女のかわいらしさがより際だってよく似合っていた。細い眉も長いまつげも、髪よりもやや濃い色の琥珀色だった。大きく丸い目は一級品のエメラルドみたいに煌めく。その瞳は、萌える緑色をしていて、まるで懐かしい天界の蟠桃園の若葉の色にそっくりだった。
瞳だけは大きいが、その小さな顔に相応しい小さな形の良い鼻に、小さめの耳が、あるべき場所にバランス良くあり、肌の色は誰よりも真っ白く肌理が細かそうな肌だった。そこへきて、頬は薄い桜色だ。桃色珊瑚のような色合いを持つ、艶やかな美しい小さな唇。背は、この中で一番低い孫悟空よりもさらに拳二個分くらい低い。身にまとう着物ドレスも本当に美しい少女によく似合っていた。
長い着物ドレスの袖から見える手の指先も細くて、さらに小さい桜貝のような爪がチラリと見えた。たわわに実るその胸とは逆に、折れそうなほど細い腰に金色の帯が巻き付いて、その体格が小柄なのにメリハリがあることを瞬時でわかってしまう、素敵仕様の着物ドレスに頭がクラクラしてしまいそうだった。思わず二度見してしまうぐらい、魅力溢れる体型だった。しかも、ふんわりと膨らんだミニスカートから見えるすらりとした足の美しさときたら!みずみずしい若さが、弾けるような印象を受ける。八戒の胸の鼓動が、自覚できるほど高鳴っていく。
え?沙胡蝶様って女の子だったの?しかも、とってもきれいで可愛い女の子……。そう言えば悟空が沙胡蝶の本当の姿は春香天女そっくりだと言っていたが、性別も一緒だったってこと?沙胡蝶様の前後はまだ未通……って、童貞ではなく処女だったのか!……そう悟った八戒の目がクワッ!と見開かれる。
爛れた恋に溺れる者に追いかけ回される八戒に、まともな恋愛観を持つ女人達は八戒自身を知ろうとはせずに、誤解したまま警戒して近づこうとはしなかったために、八戒は前世も今世も魔眼のせいで、清純な乙女と会う機会が得られなかった。前世今世合わせて初の至近距離での初乙女だと気づいた八戒は、どんどん緊張していく。八戒の記憶の中の少年姿の沙胡蝶が、八戒の浄眼を通して、過去の姿さえ全て、この美少女姿の沙胡蝶に変換されていく。
流砂河で出会ったとき、恐ろしい顔の沙悟浄に連れられていく姿は、まさに美少女と野獣だった。この姿だったら、問答無用で自分達に、沙悟浄は倒されていただろう。悟空に横抱きされて泣いていた沙胡蝶の姿は可憐で、そのまま悟空の膝で眠ってしまった姿は、まさに無防備すぎる姿で、悟空が羨ましすぎた。
悟空はあのときから沙胡蝶の体を沙悟浄にも触らせずにしっかと抱き寄せていた。眠る彼女の頭を撫で回していたし、朝までずっと膝に乗せて離さなかった。瓢箪の中で真珠を外した沙胡蝶が、この姿になったのなら、悟空が誰にも見せずにあの場から出て行ったのも頷けると八戒は思う。服が溶けて裸体姿となっている沙胡蝶を大勢の男達の目に晒すなど、するわけがないのだ。
それにしても……。悟空は、誰にも見られることのない、自分の結界内の故郷まで、沙胡蝶を筋斗雲で連れて行き、酒精で溺れた沙胡蝶を助けるために、沙胡蝶の体を手洗いし、口吸いしている。この魅力的な、素敵すぎる沙胡蝶の裸体を、悟空の匂いが全身少しの隙間もないほど、隅々までしみこんでしまうほど、手で触りまくって洗い、沙胡蝶の呼気の匂いが、悟空のそれと同じになるほどの長くて、深い口吸いをしたのだ。それに、さっきも悟空の腕枕で眠る沙胡蝶を、悟空はしっかと抱きよせていた。何だか面白くないとか思う以前に、これは……。八戒は頭に血が登った状態となり、つい叫んでしまった。
「あー!官吏さんー!犯人はこの人ですー!!」
「ん?何の犯人だ?」
悟空を指さして叫ぶ弟分の八戒に冷静につっこむ兄貴分の孫悟空の声に反応し、沙胡蝶が声を上げる。
「八戒さん?」
八戒の浄眼は、沙胡蝶の本来の姿を見破っただけではなく、その声音さえ真実の声音に変換し直しているようだ。先程まで聞こえていた幼い男の子の声は、美しい少女のソプラノの声に変わって、八戒の耳に聞こえだしていく。美しい少女が、穏やかで優しげな声で八戒を呼ぶ。声の主である沙胡蝶の方をみると、つい目がそこに吸い寄せられていく。再びの凝視の視線を沙胡蝶は首をかしげ、八戒の視線をたどって見られているのが、自分の胸だと思ったのか、沙胡蝶は真っ赤になって両手を胸の前でクロスさせて隠すと、急いで後ろを向き、後ろから振り返るように八戒を見やり、涙目で訴えてきた。
「お、お胸見ないでください!は、恥ずかしいんです!」
耳まで真っ赤でプルプル震える沙胡蝶に、玄奘達が暖かく声をかけた。
「確かにいつまでも女児用の着物ドレスは恥ずかしいですよね。着替えましょうね」
「拙者、川から拙者の子ども時代の服をいくつか持って来ています!これを兄……いや、沙胡蝶殿の着替えにどうかと思って!」
「いや、こいつの服は蜘蛛の婆様が、おはようからお休みまで全部面倒見たいと言ってたから、結界の外に置いてあると思う」
三蔵法師や孫悟空や沙悟浄がガヤガヤと沙胡蝶の回りに集まって何やら話していたが、八戒の耳には届かなかった。耳まで赤く染め、恥じらう乙女姿の沙胡蝶を見た八戒は、神様仏様沙胡蝶様!な超美少女で、しかも処女の沙胡蝶様に、俺は眼球を舐められたのだ!という事実に我に返り……。
「え!?八戒さん?」
「うわっ!?八戒!?」
「八戒の兄者、しっかりしてくだされ!」
「あちゃ~、八戒、生きてるかー!?」
何かもう、色々堪らなくなった八戒は盛大に鼻血を吹き出し、後ろにひっくり返って気絶してしまったのだった。
沙胡蝶は海の国の女人とは違う豊かな胸にコンプレックスを持っているために、変化の魔法が掛けられていても、つい条件反射のように胸を隠してしまいます。