プロローグ~お話がはじまる前のお話~
※今回は恐れ多くも「西遊記」のお話を題材にさせていただきました。主人公を河童に似た少年の姿にしたため、このプロローグと次の1話は、頭頂部の描写が多めになってしまいました。もし、その事でご不快な思いをさせてしまったら申し訳ないです。不快だなと思われる方は、読むのをお止めください。読んでもいいと思われる方は、出来るだけ頑張りますので、良かったら読んでくれると嬉しいです。
海の国の王は困っていた。先日、海の底にある国々の王達との宴会があったのだが、そこで叔父に当たる竜王に無茶なお願いをされてしまったからだ。
「少し前に岩から生まれた猿に宮殿の柱、一本奪われちゃってね。お前、ちょっと天界行って、天帝にクレーム言ってきて」
海の中ならともかく、陸は苦手だし、天界はもっと苦手だ。普通に赴くのも嫌なのに何故、叔父の苦情を自分が言いにいかなきゃいけないのか?頭を抱えた海の国の王は、この問題を自分の子どもに丸投げしようと決めた。
「う〜ん、だけど誰を行かせたらいいのだろう?」
息子達は海の国の女性達を追いかけ回すのに忙しいと断った。娘達は陸の船乗り達を自慢の歌声で魅了するのに忙しいと断った。自分だって叔父の無茶振りがなかったら今頃、何も悩まずに自分のハーレムに入り浸っていられたのにと叔父を恨めしく思ったが、海の国の王は若い頃に恋人がいる女性達を口説きまくり、相手の男性達から殺されかけたところを叔父に何度も助けられているので頭が上がらない。
「あ、そういえば、沙胡蝶がいたな」
沢山いる子の中で唯一、陸の人間との間に生まれた娘が一人いたことを思い出した。産まれたときにチラリと一度見に行ったきりで会っていないが、あの娘なら人間の足があるから丁度いい。自分の娘だから王族だし、天界に昇っても失礼には当たらないだろう。それに叔父のクレームを代弁することで天帝に怒りを買おうが、あの娘ならば惜しくない。自分さえ無事なら他はどうでもいいことだ。
海の王は遣いに言伝を託し、離宮の外れで一人で暮らしている娘に丸投げ出来て満足した。そして問題解決したとばかりに、海の国の王は叔父のことも娘のことも忘れてハーレムに足を向けるのだった。
薄暗い海の洞窟の中で、海の魔女はチョウチンアンコウのライトをいくつも灯し、海の国の王の娘で唯一、人間の足のある沙胡蝶を迎え入れていた。
大昔、海の魔女は美しい海の国の王が好きだった。だがいくらアプローチしても、”色狂い”という悪名を持つ海の国の王が、自分にだけは手を出そうとしなかった。だから海の魔女は、海の国の王も彼の多くの妻達も子ども達も嫌いだった。でも沙胡蝶は別だ。この娘の母は海の国の民では無かった。
沙胡蝶の母は遠い東の国の人間の女で、嵐で船が難破し、海に投げ出された所を海の国の王が助けて、そのまま妻にしたのだ。だが”色狂い”の悪名を持つ海の国の王は、たった一度彼女と肌を重ねただけで彼女に飽きてしまい、離宮の外れに追いやってしまった。
気の毒な人間の娘は、そのたった一度で身ごもり、沙胡蝶を産んだ直後に亡くなった。沙胡蝶は母親似て生まれ落ち、人の形をした赤子だった。海の国の者は足を持つ者を馬鹿にする傾向があり、さらに泳ぎが下手な者は特に蔑まれるので、人間の足を持ち、尾を持たないが故に泳ぎが下手だろうと思われる赤子は、海の王の実の娘なのに皆に馬鹿にされ蔑まれた。
恋に生きる海の国の王は父性愛が薄く、彼のハーレムの妻達もまた他の女が産んだ子を我が子のように育てる博愛精神は持ち合わせていなかった。だから海の国の城の中で沙胡蝶を育てようとするものは誰もいなかった。沙胡蝶を育てたのは、沙胡蝶の母と親交があった足が8本ある海の魔女だ。だから海の魔女にとって沙胡蝶は、我が子のような存在だったのだ。
「あのね、ミス・オクト。私ね、明日には陸に上がらないといけないみたいなの」
そう言った沙胡蝶は自分の生まれてから一度も切ったことのなかった黒髪を切って一つに束ねたものを携え、海の魔女にもらってほしいと言ってきた。
海の魔女は海の国の娘達が人間の足が欲しいと願った時に、願いを叶える代わりに声や髪を要求したと沙胡蝶や海の魔女と同じように足がある烏賊族から聞かされていた沙胡蝶は、今まで海の魔女に育ててもらった恩返しが出来なかったこともあり、せめてものお礼にと自分の黒髪を差し出したのだ。
「姉様や兄様達と違って私の髪は黒髪だし、私は出来損ないの人魚だから、あなたの魔力はあまり増えないかもしれないけれど」
海の国の王の子達の髪は皆、金色や薄い黄緑、オレンジなどの明るい髪色がほとんどで、黒髪なのは沙胡蝶だけだった。肩にも当たらないぐらいに短く切った黒髪を、海の魔女はまぶしいものを見るように目を細めて見てから、沙胡蝶の頭を優しく撫でた。
「あなたが出来損ないだなんて私は一回だって思ったことはないわよ。でも……馬鹿な娘ね。あんな噂を真に受けて綺麗だった黒髪を切っちまうなんて」
海の魔女は海の国の民の中で魔力が一番高く、よく魔法を頼まれていた。自身の魔力は豊富だったし、犯罪行為でない願いならば気前よく無報酬で叶えてやっていたが、人間と同じ姿になりたいという願いだけは、自分の魔力だけでは叶えてやることが出来なかった。
それを叶えるのに必要だったものが依頼主の声や髪だったのに、どこでどう話がすり替わったのか、海の魔女が魔法を叶える対価が声や髪だと言われるようになってしまっただけなのだ。それを自身の魔力の増幅に当てていると噂が流れた時は何とも思わなかったが、沙胡蝶がその噂を信じて自分の髪を切ってしまうなんて……。海の魔女は自分の迂闊さを呪いながらも、沙胡蝶の心からの礼を受け取った。
「今まで育ててくれてありがとう、ミス・オクト。どうか、これからも元気でいてくださいね……私のもう一人のお母様」
海の魔女は、キュッと目を閉じた。沙胡蝶と過ごした16年もの年月は短いようで長かった。海の魔女は目を開けて沙胡蝶を見た。
真っ黒の短い髪の娘。一度も日に当たったことがない肌は人と同じで、かろうじて海の民だとわかる特徴は左肩に小さな薄い水色の鱗が三枚あるだけだった。しかも小さな鱗はハートの形に並んでいるため、一見するとタトゥーのようにしか見えないが、この鱗があるから沙胡蝶は海の中でも息が出来る。
外見は人間の娘と全く変わらない沙胡蝶。顔立ちは東の国の民特有なのか母親に似て、幼げに見える。細い眉に小さな形のよい鼻と耳、桃色珊瑚のような色合いを持つ、美しい小さな唇。
海の民の娘としては体が小さく背も低いけれど、沙胡蝶は他の姉達と同じくらい美しい娘……いや海の民の中で一番美しい娘だと海の魔女は思っている。海の魔女は人間は沙胡蝶の母親しか知らないが、人間としても沙胡蝶は一番美しい娘だろうと、親馬鹿をこじらせている自覚はあるものの、そう信じている。
髪と同じ色の黒くて長いまつげにふちどられた大きく丸い瞳の色だけは、父親に似てエメラルドグリーンだが、他は父親に全く似ていない。海の魔女が我が子同然に大事に育てた娘が人間の世界に行かないといけないなんて。
大昔、陸に憧れた人魚達は誰も生きて帰ってこなかった。それは彼女達が決めたことだから仕方ないことだと割り切れる。でも沙胡蝶は……。海の魔女は沙胡蝶を抱きしめて囁いた。
「こんなにも貴重な髪をもらったからには、私もこれに見合う贈り物をしなければ。受け取ってくれるかい。私の……愛しい娘」
数日後、大海原を豪快に切り進む海賊船が漁をしていて、一人の人間を引き上げた。海賊達は、その人間の面妖な姿に息を呑んだ。
引き上げた人間は12歳前後の子どもだった。何年間も海に浸かっていたかのような薄汚れた服を着ていたが、肌はこの間、襲った遊覧船に乗っていた貴族の女よりもきめ細かく透明感のある真っ白な肌で細い手足をしていた。顔も子どもらしい幼い顔つき。細い眉に小さい鼻と口。肩に届かないくらいに短く切りそろえられた黒髪から覗く小さい耳。長いまつげに縁取られた瞳も、同じように黒く輝いている。
一見すると、それはそれは美しい少年だった。その箇所さえなければ、この子どもは、高く人買いに売ることが出来ただろう。その箇所に、男達の視線が否応なく集まる。頭頂部に、大きな円い禿げがある子ども。まるでベレー帽をかぶっているかのような広範囲のO字型のハゲが子どもの美しさに意識を持っていくことを奪い、面妖な姿の子どもに見せていた。
遠い異国では、ある宗教を信仰する一部の男性がわざと頭頂部を剃って、このような髪型にするらしいが、子どものハゲは剃っている形跡も無く、禿げた部分は毛穴や肌さえ存在しない……むき出しの骨のようにツルリとしていて白く輝いていた。
もしかして妖怪の類いなのではないか?と男達は考え、何の妖怪だろうかと思案した。一番疑わしいのは海の底にある、海の国の民である人魚だが、子どもは人魚の特徴であるエメラルドグリーンの瞳も鱗も魚のような尾びれも持っていない。子どもには人間の足が2本あって立って歩けている。
川に棲むという河童だろうか?とも男達は考える。頭頂部に皿のようなハゲがあると聞いたことがあったからだ。だがしかし、河童のようなハゲけれど、ここは海の上で川ではない。もしや川に棲む河童が海まで流されてたのだろうか?
ハゲの部分は子どもの肌よりもまだ白く、遠く東の国で捕れるという真珠のようにも見えるくらい綺麗に輝いている。もしかしてこういう形の帽子ではないかと、何人かの男達がハゲを触って取れないかと剥がそうとしたが、子どもが痛がるので、やはりハゲだったかと男達は子どもに謝罪した。
男達は子どもの処遇に困ったが、海賊達のボスの一言で、子どもは港に着くまで海賊船で働くことが決まった。通常なら余計な人員など置かないで直ぐに人買いに売り飛ばしていただろう。人と違った外見なら、見世物として売れば高く売れていたかもしれない。
だが、その子どもは別だった。その外見を持つ子どもを見世物にするなんて!子どもが笑い者になることを想像することも耐えられない!……と海賊のボスも他の海賊達も強く思っていた。
男達は自分達のことを冒険家だと子どもに説明し、港に着くまでの共同生活が始まった。男達は子どもに優しく接してやった。船の上の生活や仕事のことを丁寧に教えてやり、まるで弟や息子のように子どもをかわいがってやった。
子どもは素直で優しい性格をしていたし、仕事の覚えも早く、しかも男達のことを冒険家と信じ込み、彼らを父親や兄を見るように敬い、尊敬と親愛を込めて見つめ、懐いた。子どもに全幅の信頼を寄せられた男達は今までにないくらいの何とも表現に難しい暖かい気持ちに抱かれた。
半年が過ぎようという頃に港に着くと男達は子どもに、旅装束一式と肩掛け鞄に旅行用品を詰め込んで、おまけに少額だがと旅費となる路銀も持たせた。船が出航し、港で手を振る子どもが見えなくなると、男達は涙でにじんだ目を腕でこすった。
「ああ、あの坊主が見えなくなっちまった」
「良い子だったな」
「陸地でひどい目に遭わなきゃ良いが……」
「あの坊主に、幸運あることを祈ってやろう」
「……少なくとも俺達と同じ奴らは、あの坊主に優しくしてくれるだろうよ」
男達は帽子や頭に巻いたバンダナを取って、お互いの頭頂部を見る。そこには日に焼けて黒々と光る禿げた頭が、どこもかしこもあり、そしてボスは子どもと同じようにO字型の禿げた頭をしていたのだった。ボスは仲間達に声を掛けた。
「さぁ、これからの俺達は本物の冒険家だ!今度あいつに会ったときにはあいつに恥じない俺達になって胸張って会うぞ!!」
「「「オー!」」」
この港のある海を震撼させた伝説の海賊団”悪意あるオクトパス”は、これ以降二度と姿を見せることはなかった。十数年後、7つの海を渡り、いくつもの新大陸や新発見をした冒険家集団”真珠の頭”は善良で漢気あふれる豪傑達と、どこに行っても持て囃されるようになった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
精神的に打たれ弱いので、お手柔らかにおねがいします。