ブルーム・ストリーム
次の日のこと。
図書館の扉にかかった札には「open」の文字。今日は開館していた。
「せ、先輩、図書館なんて来るの初めてですよー」
「いいからいいから、この前の国語のテストの点数、悪かったんでしょ?」
「そうですけど…」
隣のまりちゃんの腕を引っ張って扉を開ける。
今日は、昨日長文読解が苦手だとぼやいていたまりちゃんを連れてきた。読解は半分くらいが慣れだから、日頃読書をしないまりちゃんに、本を読んでもらって慣れさせるという訓練だ。そもそも図書室に初めて来たなどありえない。こんなにたくさんの素敵な本が並んでいるのにきたことがないだなんて。
「こ、こんにちは……」
「そんなにかしこまらなくたって、怖い場所でもなんでもないのに」
「わ、私にとっては怖いですよー!!」
もう怯えた目をした子犬のようなまりちゃんをつついて中に入れる。
貸し出し返却カウンターが真正面に置いてあって、本を借りたり返したい人はそこで司書を呼べば良い。その奥にある司書用の机にはやはりたくさんの本が積まれていて、そこに人が座っていることも確認できないほどの壁を作っている。
「え……」
まりちゃんはその本の山を見て絶句した。
うん、最初はそんな反応だよね、普通。
私も最初に来た時はそうだった。中学の時と同じようにワクワクしながら図書室の扉を開けたら、いきなり本の山が見えるので整理しないのかと思いながら司書はどこにいるのかと本を借りるときに呼んでみたらその山の中から出てきたし。そのまま何も言わないで学生証のバーコードを読み込むとすごくいい手際で処理を済ませていったし。無愛想なのに仕事だけはできるっていうよくあるキャラ設定。
「先輩?ど、どうかしました?」
見ると、まりちゃんが腕にしがみついてこちらを見上げている。
「ううん、なんでもない。じゃあ本を探そうか」
「は、はい」
緊張しているのかな。
まあとりあえず、とカウンターとは離れたところにある本棚に一直線に向かう。
確か太宰治はこの辺だったはず……。
図書委員でもない一般生徒のくせに、毎日図書室に通い詰めたことで覚えた本の位置という無駄知識を使って目当てのものを当てていく。
「えっと、この辺なんだけど……」
太宰治のどの本を読むか、それは私が決めることではない。まあどれでもいいのだが、まりちゃんの直感というものを試してみてはどうだろうか。そう思って左腕にある暖かい塊に話しかけたが、反応はない。
「まりちゃん?」
まりちゃんはさっき通った貸し出し返却カウンターの方をじっと見ていた。
まりちゃんと同じ高さの同じ角度から同じところを合わせて見てみると、そこで奇跡的に視界に入ったのは本に埋もれる我が図書館の司書。
「ああ、あの男の人が司書さんだよ。本の貸し出しとかしてくれる人。ああやってずっと本読んでるんだけどさ、あれだから体調不良になるんだよって_」
「あの人、タイプ……」
「ん?何か言った?」
あの人、の先が聞こえなかったけど、まりちゃんは何を言ったんだろう。
「あっ!いえ、なんでもないです!」
「え、すごい顔赤いけど大丈夫?」
「だだだ、大丈夫ですっ!!」
「そうか、それでさ、この辺が太宰治なんだけど……」
なんだか焦っているみたいだけど。まさかあの人好みとか言わないよね、まりちゃん。確かにかっこいいといえばかっこいいかもしれないけれど、あそこまで愛想がなくて無口なやつは私のタイプじゃない。
「じゃあ先輩、来月までにこの本を読み切れるように頑張りますね!」
初めての本を借りて、やっと図書館から出られたまりちゃんはすごく嬉しそうに本を抱えて廊下を歩いている。本に触ろうともしなかった1ヶ月前のまりちゃんに比べたら大きな進歩である。
「ら、来月…。その頃には忘れてそうだね」
「え、そうですか?でもそのくらい時間ないと読めないですよ」
「いや、本の貸出期限2週間だし」
「そうなんですか?!じゃあ頑張って読まなきゃ」
やっぱり最初ってそんなものなのかな?
私は気づいたら1日1冊読んでたからその感覚がわからないんだよなぁ。でも図書館の本なら延長できるし、期限より、頑張るまりちゃんのやる気が優先だっ。
1日の後半戦もなんとかやりきり、帰り道。まりちゃんとは電車が反対方向なので駅で別れた。電車の中ではイヤホンをつけて音楽を鳴らし、本を読む。
"○○○駅、◯◯◯駅。お出口は、右側です"
私の家の最寄駅である花枝駅まではあと3駅。それまでにあとここまでは読みたいな。
疲れた首と目を休ませようと少し上を向いた瞬間、1人の男が目に入った。それは、図書館司書のあいつだった。ここの近くが家なのか、読んでいた本をぱたんと閉じるとそそくさと電車から降りて行った。
なんだか興味が湧いて、気づくとあかりも追いかけて電車から降りていた。
急いで高身長の背中をめがけて改札を出る。ここは遠くから覗いたほうがいいかな。いや、見失う危険性も拭えないしこのままそっと追いかけるか。
そのまま司書さんは駅の西口から歩いて歩いて歩きまくった。途中、本屋で雑誌を立ち読みしたり、商店街を抜けたり、スーパーで買い物をしたり、あかりが疲れるくらいのスピードで歩き続けておよそ20分。
いつの間にか海の近くへ来ていたらしい。
「さすが」
ふと、静かな落ち着いた声がして気づく。
さっきまでずっと前にいたはずの司書さんが、なんと自分の後ろにいる。
くそ、アニメでよくある尾行の失敗じゃんか。これならやはり遠くから覗いて見るべきだったか。
「遠くから覗くなんて、物騒ですね」
「なっ!」
こいつっ!エスパーかよ!
しかも普段全く喋らない司書さんが喋っている?!これはどういう状況なんだ。
振り向こうとすると、司書さんはあかりの頭の後ろに手を当てた。それだけでなぜか動けなくなる。振りほどこうと頭を振り回すも効果なし。諦めて前を向くとその手は離れた。なんだこの馬鹿力。
「頑張って撒いたのに。さすが藤沢あかりさん」
気づかれていたみたいだ。私の名前まで。でもいつから?スーパーで買い物をしたのもわざとなのか?こいつは何者なの?
返事をせず向こうの反応を待っていると司書さんはまた驚く言葉を口にした。
「クリスティといったほうがいいでしょうか」
クリスティ。それは私の二つ名。学校では隠しているもう一つの素顔。なぜこいつが知っているんだ?!
思わず焦ってカバンを落としそうになり、ここは落ち着いて聞いたほうがいいと思い直す。
「……なぜその名を?」
「"Bloom Stream"のNo. 1狙撃手、クリスティ。結構有名ですよ」
"Bloom Stream"、公式略称ブルスト。それは、日本という国が作り出した最強の兵器、国家機密の戦闘軍団だ。警察、元自衛官など全国からメンバーを集めて訓練し、今までにニュースにされていないためほとんどの国民には知られていないような暴力団の争いなどを、秘密裏に解決してきた。クリスティはそこに狙撃手として所属する私の通り名だ。スナイパーというのは、まあ簡単に言って遠くから敵を狙撃銃で射抜く仕事。現役高校生ながら大人に隠れて銃を撃つ私のことはあまり知られていないと思っていたのだが、なぜ一般人のこいつが知っていのだろうか。
「クリスティ、人気者ですね」
「__は?」
突然何を言い出すんだこの正体不明の図書館司書は。そう思って振り向くと、もう頭は押さえられなかった。そこにはすでに、彼の姿はなかったが。
パンッ、ピシッ
近くで小さな破裂音。
何かに当たった時のような金属片が凹む音。
毎日のようにこの音を近くで聞いてきたあかりだからこそ自信を持って言い切れる。これは、間違いなく銃声だ。
だとしたら司書さんが危ない。
そこで私は気付く。
今日は家に帰らずそのまま尾行してきた(失敗したが)から銃を持ってきていない、ということに。
しょうがない、本部に連絡するか。
と思って急いでスマホを取り出したその時。
「これ、どうしたらいいですかね」
銃声が聞こえた後にしてはずいぶんとのんびりした、まるでその辺でゴミでも拾ったかのような声。
もちろん、あの司書さんだ。
まさか、あの銃声は銃声なんかじゃなかったのか。聞き間違えたか。恐る恐る声のした方を見ると、司書さんが1人の男と距離を開けて向き合っている。そして男の手には、拳銃。
まさかっ!
司書さんが撃たれたんじゃないかと不安になるあかりは、次の瞬間ありえないものを見ることになる。
司書さんが男の方へ向かってすごいスピードで走る。男は急いで銃を2、3発打つが、司書さんはそれを見もせずに、ふっと跳んで見事なステップでそれを回避。男が焦って撃ち直そうとする頃にはもう、司書さんは男の後ろに回ってその手首を掴み、銃を落とさせてそのまま羽交い締めにしていた。
司書さんは慣れたように足で銃をこちらに向けて蹴り、それは私の足元でピタッと止まった。とりあえず、確保する。まだ銃口からは煙が薄く出ていた。
「僕と一緒にいるところを狙うなんて、運の悪い人だ」
彼は落ち着いたまま、静かに他人事のように言った。
司書さんが、銃を持っていたこの男を捕まえた、のだろうな。でもあの動き、早すぎてほとんど見えなかった。ブルストにもあんな動きで素早く敵を捕まえてしまうメンバーはいなかったのに。本当に何者なの?
「あの、クリスティを撃とうとしていたこの人を捕まえたのですが、どうしたらいいですかね」
暴れる男を取り押さえているとは思えないほどのんびりした口調と声で、司書さんは言った。
「……状況がつかめないんですけど、説明してもらっていいですか?」
もうわけがわからなかったから、あかりは素直にそう聞くと、司書さんは不思議そうに首をかしげた。
「知りませんでしたか?」
「何を?」
司書さんは少し笑ったように言った。
「初めまして、僕、怜と申します。以後、お見知り置きを」
謎の司書さんの謎の名前は、あかりの頭に何かを刻んでいった。