蚊取り線香時計
アマチュアが書いたオリジナル小説です。苦手な方はご注意ください。
誤字脱字等あるかもしれません。ご容赦ください。
「知ってる?昔、遊女は客との時間を線香で計ったんだって」
見慣れたワンルームに上がると、女は出迎えもそこそこに、蚊取り線香へ火をつけた。
「線香に火をつけて燃えつきるまでがその客との時間なの」
「お前も俺との時間を計るの」
「蚊取り線香って燃え尽きるのに結構、時間かからない?ふふ、長く傍にいられるね」
後ろから抱き寄せて、女の首を撫でる。髪を掻き分けて、少しニキビの浮いたうなじに鼻を埋める。舐めると処理の行き届いていない産毛がザラついて、唾液の粒がきらきらとまばゆい。
「荷物くらい置けば?」
「ああ」
「お風呂沸いてるよ」
「ああ」
「ふふ、今日は甘えん坊の日なの?」
もともと強く縛っていたわけでもない腕の拘束を解いて、俺のジャケットを脱がせる。
「ちょっと汗臭い」
「退社からそのままで来たから」
9月とはいえ蚊は出るし日差しもきつい。途中で買ったワインはローテーブルに、妻からいつかの誕生日祝いに贈られた鞄は適当に床に。女がジャケットをハンガーにかけて小さなクローゼットへ吊るすの見計らって、また背後から、中肉中背の柔らかい身体を抱き締めた。後ろからが好きなんだ、彼女の首が、好きだから。
「今日は、お前を殺すために来たんだ」
「ふぅん、どう殺るの?」
「……ここに来るまでは、ワインに毒を盛ってやろうと思ってたんだが、お前を見ていたらこの首を締めて喉を握り潰してやるのも良い気がしてきた」
汗のにおい、安いシャンプーのにおい、蚊取り線香のにおい。不思議と不快ではなかった。むしろたまらない。女を婀娜っぽく見せる要素になる。
「わたしもね、あんたを殺すつもりなの、今夜」
「どう殺るんだ」
「毒をパスタに混ぜようと思ったんだけど、やっぱり、バラバラに解体してわたしを好き勝手に触る手を食べてやるのも良いかな」
腰に回している腕を持ち上げて、指をぱくりと口に含む女。
「俺よりも猟奇的だ」
「B級サイコホラーみたいでしょ?第三者が観たらゲラゲラ笑えるしょうもないやつ」
指に、彼女の歯形が軽く残っている。
「俺がお前を殺す理由がわかる?」
「奥さんとの間に子供ができた。愛人と遊ぶ金を子供の養育費にまわさなくてはならない。愛人とは別れたいが、きっと別れたがらないので、騒ぐ前に殺す。じゃあ、わたしがあなたを殺す理由は?」
「殺して自分のだけのものにしたい」
「そんなにロマンチックじゃないよ。殺される前に殺してやろうと思ったの」
「お前は強い」
「あなたは弱いね。お子さんおめでとう」
「ありがとう。明日、この部屋で見つかるのはどっちの死体かな」
「死体は二つかも」
「お前もなかなかロマンチックだ」
「まあね。さて、死ぬ前にやりたいことは?」
「最愛の女と、風呂に入る」
「それならすぐに実行できる」
「ああ、今すぐやろう。死ぬ前に身体を清めないと」
「お風呂場で死ぬのはやだなあ」
「同感だ。メインイベントは風呂とディナーの後で」
「うん、それが最高!」
こんな風に、愛する女と殺し合いたいと願うのは普通のことだろう?
これから俺は父親になって普通に子供を愛しんで、彼女と合う時間も減っていく。それはしあわせなことだろう。でも、その間に彼女が他の人間のものになるのが嫌だから、殺して自分だけのものにしたい。当然の感情だ。愛とはすべて、利己的なものである。
俺たちはどうせ殺し合いなんてできない。小心者なのだ。だから、お互いがたもとを分かつ前に、二人が風呂に入っている間に、蚊取り線香の火がその辺の、例えば俺の鞄なんかに燃えうつり、大火事大惨事……なんてことが起こらないだろうか。都合よく、二人の思い出がつまったこの部屋だけが全焼する勢いで。誰にも迷惑をかけずに。
少しだけ期待しながら、彼女の下着のホックを外す。
「子供が産まれたら会わせてよ」
「……考えておく」
蚊取り線香はまだ燃え尽きない。細い煙を揺らしながら、少しずつ削れていくのだ。誰かのなにかを、殺していくのだ。
おわり。




