小夏と優心
今日も眠い中、最後の授業が終わりを向かえようとしていた。
「起立、礼。」
号令を終えると眠いと思いながら帰の準備をはじめた。
そこへ紅葉がサイレントに近づいてきた。
「あの、優心?」
女子の方から話しかけられる可能性が低い俺はドキッとした。
「えと、なにか?」
「明日の土曜日って暇?」
なんだ、この青春イベントが起きそうなフラグは。
心のどこかで期待が込み上げてきた。
「んー、特に用事はないかな。」
「本当に? 実は何人かで集まってカラオケに行こうって計画立ててるんたけどね、私らって3人で固まってるばかりで誘える人そんなにいないんよ。」
「そうかな?」
「そうだよ。とりあえずさ、明日来てよ!」
「まあ、別に構わないけど。」
「そうそう、誘えるなら拓斗も誘ってよ。」
「わかった。それで、明日の集合場所とか時間は?」
「うーん、11時開店だから、その10分前くらいに“カラオケ帝国”に集合ね。」
カラオケ帝国とはカラオケ店の名前である。
「了解。」
そう返事をすると、紅葉は小夏と春菜のもとへ戻っていった。
俺は今の話を拓斗に口頭で伝えようと席を立った。
「なあ、拓斗?」
「ん?」
拓斗はスマホに目を向けたまま返事をした。
「さっき紅葉にカラオケ誘われてさ、ぜひお前にも来て欲しいって言ってたんだが、どうする?」
「お、まじで?」
拓斗はスマホをいじるの手を止めると、ニヤけ顔で俺を見た。
「んー、したばってどすがなぁ(でもどうしようかな)。じぇんこ(お金)もうねぇんだよなあ。」
「別に無理にって訳じゃないだろうし、断ってもいいと思うぞ。」
俺がそう言うと拓斗は腕を組んで考えながら言った。
「いや、大丈夫だ。わぁも行きてぇはんで(俺も行きたいから)、どうにがして親がら貰うわ。」
「そっか。それじゃ言っておくけど、明日は10時50分頃にカラオケ帝国に集合だってさ。」
「わがった。」
そうして拓斗はまたスマホをいじり始めた。
こんな俺でも女子にカラオケなんて誘われるものなんだな。
しかし、カラオケなど生まれて17年、1回しか行った事がない…。
その日の夜、俺は最近のカラオケはどんな楽曲があるのかをスマホのブラウザで調べていた。
正直、微妙にオタクな俺はアニソンなどのジャンルじゃないと知っている曲が少ない。
「さっきから熱心に何を見ておるのじゃ?」
黙ってネットサーフィンしていると、田がひょこっと後ろから覗いてきた。
「実は学校でカラオケに誘われてな、今時はどんな曲が配信されているか調べてたんだよ。」
「空桶に誘われた?」
田は首を傾げて聞いてきた。
「なんかニュアンス違うくないか? カラオケだよ。好きな歌を歌ってモヤモヤした気持ちを発散する場所だよ。」
「そんなの、家でもできるじゃろ。」
「ほら、家だと周りの目が気になるだろ? カラオケでは他の人に迷惑ならないし、色々と設備が整ってるからいいんだよ。」
「ふむう、よく分からんがそこで歌うほうが良いのじゃな。」
田が納得したように頷いて言った。
それにしても、珍しく行きたいとかは言い出さない。案外こういうのには興味がないのかな。
「ま、そういうことだ。機会があれば連れて行ってやるよ。」
「おお、それは楽しみじゃ!」
そうして再び楽曲検索に戻った。
それからもしばらくネットサーフィンを続けると、明日に備えて寝ることにした。
次の日の朝、俺は早朝5時くらいに起きていた。休日の俺にしては珍しい時間帯の目覚めだ。
きっとカラオケに行くという事に変な興奮をしているんだろう。
「ぬお、お主にしてはやけに早起きじゃの。」
布団にくるまっていた田も目が覚めたのか、いつの間にか座っていた。
「ああ、なんか起きちゃったみたいだ。」
「ならば丁度よい、朝ご飯にしようじゃないか。」
「そうするか。」
それから俺と田は台所へ行き朝食を食べる事にした。
その後は、気が早すぎる気もしたが出掛けるための支度をした。
10時半を過ぎた頃には自転車で待ち合わせ場所のカラオケ帝国に向かい始めた。
今日の外は快晴で風もあまりない。サイクリングにはもってこいの天気だ。
カラオケ帝国に到着すると、一番ノリかと思いきや既に拓斗が駐輪場でスマホをイジっている姿が見られた。
「早いな。」
「んだが? したばって、わぁ(俺)も10分くらい前に来たばかりたばってな。」
ふと時計を見ると約束の時間のはずなのだが、紅葉達の姿が見当たらない。
「そうなのか。それで肝心の3人は?」
「わがね(知らん)。」
「ふむ。」
俺は何か連絡がきてないかLINEを確認してみたが、根本的に紅葉達の連絡先を持っていないのを思い出した。
すると、拓斗が俺の肩をたたいて呼んできた
「ちょちょっ」
「ん?」
返事をすると、拓斗は自分のスマホの画面を見せてきた。
俺はそれをまじまじと見つめた。
[急に学校で検定の補習授業を9時からやることになって、もう少しで終わるけど行くの遅れると思うから先に入ってて!]
「これって誰から?」
「紅葉から。」
「残りの2人は?」
「あいつ等はいつも3人で固まってらはんで(固まってるから)、一緒に補習授業受けじゃあべ(受けてるだろ)。」
「それじゃ、先に2人で入って熱唱でもしてるか。」
「んだな(そうだな)。」
そうして俺と拓斗は開店と同時に店の中へ入ると、ささっと受付を済ませて指定された部屋へと向かった。
フリードリンクを注文したので飲み物でも先に持っていこうかと思った時、後ろから小走りで小夏が来た。
「ま、まってぇー!」
あれ、小夏は補習授業を受けていないのか?
「補習授業は受けてないの?」
「あれは紅葉と春菜だけだよ。私はこう見えて成績は優秀なんだよ。」
あの検定の補習授業は成績がいまいちな人が受けさせられているようだ。
「それなら受付も済ませたし、とりあえず先に3人歌ってるか。」
「うん。」
それから改めて飲み物をコップに注ぐと指定された部屋へと入った。
それにしても、カラオケに入ったのは中学生の時以来だな。
「誰から歌う?」
小夏が歌を予約する端末をテーブルの中央に置いて聞いてきた。
「俺はカラオケ経験少ないから拓斗か小夏が先に歌って、手本をみせてくれよ。」
「私は2番目以降希望かな。」
「って事は流れでわぁ(俺)がな?」
拓斗は淡々と端末を操作して歌を予約した。手馴れた手つきだ。モニターには「モンシロ蝶」という曲のタイトルが表示された。
そのまま曲が始まると拓斗はノリノリな雰囲気で歌い出した。
「わんつかだばって、久し振りに燃えできた。」
歌い終わると拓斗はコップに入っている飲み物を一気飲みした。
「次は…優心歌ってよ。」
「んだ。おめぇ歌えって。」
2人に言われて断れない空気になってしまったので、仕方なく歌う事にした。
「じ、じゃあ、何を歌おうかな。」
いざ、歌おうと思うと何がいいのか決まらない。
とにかく黙ってジャンルからアクセスするとスクロールしながら選別した。
「よし、これでいいか。」
端末の予約をタッチするとモニターの方にタイトルが映った。
タイトルは「魂はしずしずとお休みにつくように」。
この歌は「東野物語」と言う作品の歌だ。
「東野物語」はアニメやゲームなどではなく、古くにどこかの絵書きサイトで生まれた同人作品のようなものだ。
その作品は二次創作が物凄く発展していて、ゲームや音楽といったジャンルでも「東野物語」と言うジャンルができるくらいには社会的にも影響を与えている。
曲が始まると、歌い始めるまでのドキドキが強烈に感じられた。
しかしながら、いざ歌い始めるとさほど気にする事はなく、最後まで歌いきれた。
「おおー、優心ってそう言う歌い方するんずが。」
歌い終わると拓斗が軽い拍手をしながら言った。
「あ、ああ。さ、次は小夏の番だな。」
俺はそう言いながらマイクを小夏に渡した。
「うん。」
小夏はマイクを受け取るとすっと立ち上がった。
曲は既に予約をしているようだ。
曲が始まると小夏はすっと軽く息を吸って歌い始めた。小夏の歌声は何というか、綺麗な透き通る感じだった。
「ふう~。」
小夏は歌い終わると今度は軽く息を吐いてから席に座った。
「小夏って歌上手いな。」
俺がそう誉めると顔を赤くしてしまった。
「カラオケには紅葉とかとよく来てるからね。」
「そうなのか。」
「次は誰歌う?」
拓斗はそう言いながら端末をいじっていた。
「最初の順番でいいんじゃないかな。」
小夏がすぐにそう答えた。
「わがった。」
それから一時間くらいはあの順番で歌い続けた。
「ごめーん、待たせた。」
一旦、休憩を挟もうかと思った頃に紅葉と春菜がやってきた。
「お、丁度いいところに。おめぇだぢ歌えって。」
拓人はそう言いながらマイクを2人に渡した。
「ありがとう。」
それから2人も混ざってその後も3時間以上は熱唱し続けた。
「ふう、だいぶ歌ったね」
小夏が帰る準備をしながら言った。
「んだな。だばって(そうだな。だけど)、まだ歌いたりねぇわ。」
拓斗はまだまだ歌えるようだ。
正直、俺は疲れた。
それから帰ることにした俺たちは会計を済ませて店を出た。
そこで軽く雑談が始まったが、他にする事がないため最終的にはその場で解散する事になった。
それぞれ別れの挨拶をすると、自転車に乗って各自の家の方向へと行ってしまった。
紅葉と春菜の姿が見えなくなった頃に、俺もそそくさと行ってしまった拓斗を追いかけようと自転車をこぎ始めた。
「ま、まって、優心!」
そこで後ろから小夏の声が聞こえたので、すぐに自転車を止めて後ろを振り向いた。
「どうした?」
どうやら俺の後ろを全力で追ってきていたようだ。
「その…この後、暇だったりする?」
「んー、特に用事はないかな。どうかしたの?」
正直この前の放課後の件(※6話より)があるため、小夏の心情はなんとなくだけど理解はしていた。
「その、良かったら帰り道にあるデパートで軽く何か食べていかない?」
帰り道にあるデパートとは、いつしか田と父さんとで行ったあのデパートだ。(※4話より)
実はそのデパートは俺の家から自転車で6分弱という案外近場にあったりする。
「まあ、せっかくだし軽くクレープでも食べてから帰るか。」
「うん、行こう!」
それから俺と小夏は風に乗るように自転車をこいでデパートに行った。
デパートについてからは妙に意識してしまっているのか会話をする事ができないまま、俺がさっき言ったクレープを食べれる店へと向かった。
「優心はなに食べる?」
俺は現在の所持金を考慮して最安値のメニューを優先してを眺めた。
「そうだな、昼食ってないからシーチキンマヨとか丁度いいかな。」
昼食とかは言い訳として、一番安いからなのではあるが…。
「私もそれにしようかな。」
それから2人で同じものを頼んで会計をした。
クレープを受け取ると近くにあったテーブル席に座り、それを食べる事にした。
「ねえ、優心って付き合ってる人とか好きな人とかはいるの?」
クレープに一口かじりついた時、小夏が言い出した言葉であった。
「付き合ってる人?」
「あっ! いやいや、別に答えなくていいよ! 私ったらなに言ってるんだろうね。」
小夏は慌ててさっきの質問を取り消そうとした。
特に隠すほどでもないかなと思った俺は普通に答えることにした。
「んー、付き合ってる人は中学の時はいたけど今はいないな。好きな人はいるけどね。」
「…え、誰?」
小夏は真剣な顔をした。
俺が今言ってる好きな人は赤坂の事だ。
「な、名前は秘密だけど、一つだけ言うなら他校の人だよ。」
「…そう、なんだ。」
彼女は結構落ち込んでしまった。
「ま、でも同じ学校、同じ学年、同じクラスの結構身近な人で気になってる人はいるよ。」
少し照れ気味で小夏に目をあわせないようにしてそう言った。
遠まわしで小夏のことだと俺は言いたかったのだ。
「それは…誰?」
しかし、俺の言い方が悪いのか小夏には伝わってなかったようだ。
「身近な人だよ。…さて、クレープも食べちゃったし、家へ帰るか?」
「え、あっ、うん。」
そうして俺と小夏はデパートをあとにして自転車へ乗ると、家へと向かった。
家へ向かう際もほとんど会話はしなかった。
「じゃぁ、気をつけてね。」
大雷神社へ着くと、小夏はそう言って家へ行く道に入って行った。
「おう。」
俺は、数秒間彼女の背中を見送ってから自分の家へと向かった。
「ただいまぁ。」
「む、おかえりなさいじゃ。」
家の玄関に入ると丁度階段を登ろうとしていた田がいた。
「どうしたんじゃ? 何か暗い感じがするぞ。」
「察しがいいな。」
「う、うむ。」
「実はな──」
俺はデパートであったことを田にそのまんま話した。
「ってことでな、やっぱり伝え方がまずかったかな。」
「むう…。まあ、人とは言いたい事がなかなか伝わりにくい生き物じゃ。もし互いの関係を深めたいのなら、どちらかがもっと大きく行動しないとダメじゃと思うがのお。」
田の言っている事にも一理ある。
だが、俺には赤坂の事もある。
「そうだよなあ。」
「まあ、何をしようともそれを決めるのはお主ら自身じゃし、妾は口出しはせんよ。」
「そ、そうだな。」
こんな感じで田から励まし(?)の言葉を貰うなんて初めてな気がする。
「優心…。」
田は俺の名前を呼ぶと、いきなり服の端を掴んできた。
「急にどうした?」
「お主は他人を不幸にさせたり、傷つける事だけはしないと約束して欲しいぞ。」
田は何を思ってそう言っているのか俺にはいまいち分からなかったが、そのくらいは当然守るさ。
「ああ、約束するよ。」
「ならばよいのじゃ。」
そうして俺の今日のイベントは終わりをむかえたのである。
深くはいえないが、今度小夏と会うのが気まずい…。