あの時のお礼をしたいのじゃが……
「起立、礼。」
今日の授業もやっと終わり、俺は眠たい身体をゆっくり起こして外を眺めた。
「おい、工藤。」
「は、はい!?」
黙って外を眺めていると視界にいきなり担任の先生が入ってきた。
「お前と笠井は今日、中央階段の掃除当番だからな。忘れずに行けよ。」
「はい…。」
これで帰れるかと思えば今日は掃除当番の日だったようだ。
帰りのホームルームが終わって直ぐにその事を拓斗に伝えた。
「げ、まじか。わりぃ優心。」
拓斗は両手を合わせて俺に謝ってきた。
「わるいって?」
「実は買い物する用事があるんだ。それでバスが間に合わないかもしれねぇはんで急いでるんだ。」
拓斗はそう言いながら急いで荷物をバッグに詰め始めた。
「え…。」
「んじゃ、そう言うことでよろしく!」
拓斗はそう言って小走りで教室を出て行った。
「ちょ、おい! …勘弁してくれよな。……仕方ない、掃除に行くか。」
掃除場所に行くと英語の授業を担当している先生が小さなモップを持って立っていた。
「おお、やっときたか。あれ、もう一人はどうした?」
「ああ、相方ならとても重要な用があるので先に帰りました。」
とにかく拓斗は大事な用事で帰った事を主張しておくか。
「そうか。まあ、次回はその相方に2倍で掃除をやってもらおうか。」
「そ、そうですね。」
俺は苦笑いしながら言った。
「よし、このモップ持って4階から階段のゴミを掃除してこい。俺は会議室の掃除をみてくるから。」
先生はそう言ってモップを俺に渡すと、会議室の掃除の様子を確認しにその場からいなくなった。
「4階から…ね。」
いつもなら一人4階から2階踊り場まで、もう一人は2階踊り場から1階までと半分半分にやるのだが、今日は拓斗がいないため全て一人でやらなければならない。
まあ、文句を言っても仕方がないと諦めながら4階へ行って掃除を始めた。
「あの…優心…?」
「はい?」
ため息混じりに掃除をしていると誰かが俺の前から話しかけてきた。
俺はゆっくりと首を上げて声の主を確認すると
「あ、小夏か。どうかしたの?」
話しかけてきたのは竹内小夏という俺と同じクラスの女子だった。普段はめったに話すことはない。
「その…今日の放課後、暇?」
「んー、まだ何とも言えないけど掃除したら家に帰るかな。」
「そう、じゃあ今度また誘うね。」
彼女は残念そうな顔をしてそう言うと、小走りで階段を登って行ってしまった。
正直、適当なことを言ってしまったという罪悪感が多少あったが、言ってしまったものは仕方ないと掃除を再開した。
「ねえ、どうだった?」
掃除を再開するとさっき行ってしまった小夏の声とその友達の声が聞こえた。
小夏はいつも川村春菜と岩崎紅葉という女子とで3人で固まっている。
「ううー、やっぱりちゃんと言えないよ…。」
「そもそも小夏はなんで優心の事が好きなの?」
春菜のそう言う声が聞こえて俺はドキッとした。
これ会話には思わず聞き耳をたててしまう。
「えとね…去年の夏休みの話しなんだけど、夏休みの時に中学生の体験入学ってのやるでしょ?」
「ああ、そういうのあったね~。」
「私、その時に熱中症になりかけて倒れたちゃったの。」
「ええ!」
紅葉は驚いて軽く叫ぶ様に言った。
「その時にね、たまたまそばにいた優心が私を保健室まで運んでくれたの。…たぶん、その時からかな。」
小夏は照れくさそうに言った。
「へー、それは羨ましいね!」
その話をすると彼女たちはどこかへ行ってしまった。
俺は一人で去年の夏休みにあった中学生の体験入学の事を思いだしながら掃除を再開した。
あれは去年の高校一年の夏休みだったな。
俺は部活の顧問の先生に頼まれて体験入学に来た中学生にこの学校のパンフレットを配る仕事をしていたのを覚えている。
同じく小夏もいたが、彼女は廊下に立って道案内をする仕事を任されていた記憶があった。
それから俺は仕事が終わった後は、部室に置いてある荷物を持ってさっさと帰ろうとしていたな。
その時にたぶん同じく帰ろうとしていただろう小夏が、ふらふらと階段を降りていたのを覚えている。
彼女はずいぶん具合が悪そうで、俺はそれを観察するように彼女の後ろを着いていった。
ストーカーとかではない。玄関へ行く道がそこしかなかったから仕方なくだ……。
それで彼女は案の定、階段を踏み外して落ちそうになったので俺はとっさに両手で彼女が落ちないように掴んだのだ。
「お、おい! 大丈夫?」
彼女は酷く汗をかいていて息が荒れていた。
きっと熱中症になったのではないかと思い、彼女を抱えて急いで保健室へと向かったんだったな。
その後の記憶は曖昧だ…。
そんな事を思い出していたら、いつの間にか1階まで掃除を終えていた。
「おお、優秀、優秀。」
最下層では先生がちりとりを持って立っていた。
俺はモップのゴミをはらいながらさっきの小夏の発言を思いだしていた。
「よおし、後は先生やっとくから帰ってもいいぞ。」
先生はちりとりにゴミを集めながらそう言った。
「…あ、はい。」
俺は返事をすると、近くに置いておいた自分の荷物を持って玄関へと向かった。
「ねえ、聞いた?」
「なになに?」
靴を履き替えて外へ出ようとしたら、女子たちが盛り上がって話をしているのが耳に入ってきた。
「校門の前の電信柱に巫女服着た女の子が隠れて学校を覗いてるの!」
「えー! まじー!」
俺はその話を聞いて少し冷や汗が出てきた。
とりあえず小走りで玄関を飛び出すと、真っ直ぐ校門を目指した。そこには話し通り、巫女装束の女の子……いや、田が電信柱に隠れてこっちをじーっと見ていた。
「…おい」
「は! …なんじゃ優心か。」
俺が話しかけると、田は電信柱から離れて警戒するようにこっちを見てきた。
「何でここにいるんだよ。」
俺は周りを通行していく人の視線を気にしながら質問した。
なんせ巫女装束で出歩く女の子なんて、そこら辺にはいないからな…。
「ち、ちゃんと優心の母には了承を得てここに来ておる!」
「そうなのか。……じゃなくて、何しにここに来たんだ?」
そう言うと田は少し言いづらそうな顔をしてきた。
「本当はダメだと思っておったがの、この前、妾の面倒見てくれた先生とやらにお礼を言いに来たのだ。」
田はそう言いながら板チョコを俺の前に出してきた。
「それは?」
「その先生に渡したいのじゃ。チョコレートが大好きだと言っておったから、お主の兄に相談をしたらこれを買ってきてくれたのじゃ。」
俺は少しだけ考えたが、先生に許可を貰えれば別に学校に入れても問題はないだろうという結論が頭のなかで算出された。
「よし、学校に行ってお礼してくるか。」
「おお!」
田は嬉しそうに言った。
そんなこんなで俺は再び学校へと戻った。
学校へ戻ってからは職員室に行って、担任の先生に外部の人を入れる許可を得てから田を職員玄関から入れた。
「うう、何だか緊張してきたぞ。」
「大丈夫だって。あの先生はこの学校で結構優しいほうだからな。」
「う、うむ。ところでその先生はどこにおるんじゃ?」
「音楽の先生なら演奏部の顧問だから音楽室にいはずだ。」
「演奏部?」
田は首を傾げた。
「学校にはな、授業の他に主に自主的に受ける部活動ってのがあるんだよ。それで、吹奏楽部という音楽を演奏する部活があったんだが、だんだん人が減ってきて規模が小さくなってから演奏部ってのに改名されたんだってさ。演奏部は名前の通り色んな楽器で音楽を好きに演奏する部活らしい。」
「ほお、楽しそうじゃの。」
「そうだな。ま、とりあえずいこう。」
「うむ。」
それから俺たちは階段を登って音楽室のある最上階へと向かった。
音楽室の近くまで登ると演奏部の綺麗なメロディーが聞こえてきた。
「さて、ついたぞ。」
「ここに入るのは一週間ぶりじゃな。」
「…そうだな。」
俺は一人であの時の事を思い出した。
「さあ、入ろうか。」
「う、うむ。」
田は緊張しているのか表情が固まっていた。
俺はお構い無しにドアをノックをして音楽室の扉を開けると、さっきまでのメロディーが嘘の様に静かになった。
「あの…失礼します。」
「あれ、優心?」
最初に俺の名前を呼んだのはヴァイオリンを持っていた小夏だった。
そう言えば小夏と紅葉と春菜は3人揃って演奏部だったな。
と言うか演奏部の部員は今この3人しかいないんだな…。
「まさか演奏部に入部してくれるの!?」
俺が黙っているとピアノの前に座っていた音楽の先生が立ち上がって言った。
「それは違います。」
俺はきっぱりと言った。
「なぁんだ。」
音楽の先生は少し残念そうにそう言って座り直した。
「ちょっとコイツが先生にこの前のお礼を言いたいって言うので連れて来ました。」
そう言いながら田の背中をポンと叩いて俺の前へ立たせた。
「ど、どうも...じゃ。」
田はおどおどしていた。
「あら、この間の。」
先生は笑顔で田に近づいてきた。
一方、隅では小夏達が円を作って立ち、こそこそと何か話をしていた。
「あれってさっき噂になってた巫女服の女の子じゃない!?」
春菜はそう言いながらこっちを異様にチラチラ見てきた。
「だね。何やら優心と関係があるようだけど…。」
紅葉は背を向けたままそう言った。
「優心とはどんな関係何だろう...。」
小夏がそう言うのを聞くと、さっきの階段での話を思い出す。
「のお、優心?」
田は俺の名前を何回か呼んでいたが、俺は小夏の事を考えていて反応出来なかった。
「…優心?」
田は俺の制服の端を引っ張って呼んだ。
「ん、おお?」
「どうしたんじゃ?」
「すまん、考え事してた。」
「むう。それより、ちょこれーと渡せたぞ。」
田はやりきったという感じの表情を浮かべた。
「そうか。そんじゃ行くか?」
「うむ。」
田が無事に目標を達成できたようなので、俺はこの空気から逃げるように音楽室を去ることにした。
「あら、もう帰っちゃうの?」
扉を開けようとすると音楽の先生が言った。
「せっかく来たのなら、田ちゃんのあの曲をもう一度だけ聞きたいわぁ。」
チョコレートを渡した時に「田」という名前を教えたのだろうか。
それにしてもあの曲とは…?
「うむ、いいぞ。」
田がそう言うと先生は大喜びでフルートを出してきた。
俺は窓辺に寄りかかり、夕日になりはじめの太陽を眺めた。
小夏達はポカンとした顔でこっちを見ていた。
「指使いは大丈夫?」
「うむ、まだ覚えておる。」
田はそう言って静かな息遣いでフルートを奏で始めた。
その曲は初めて聞くものでクラシックとは少し違う和を感じる曲だ。それは言葉に言い難い幻想的かつ綺麗なメロディーだった。
演奏している田を見ていると、どことなく“神様”なのだと見直してしまう。
「ねえ、優心?」
俺が田に見とれていると小夏がいつの間にか隣に立っていた。
「どうした?」
「彼女は優心とどんな関係?」
小夏は田を指差した。
「ああ。彼女は俺の親戚の子で、ちょっと訳ありでうちで預かってるんだ。」
「そう、なんだ。」
彼女は俺が田を恋愛対象にしているかどうかを気にしているのではないか。…それくらいは分かっていた。
まあ、推定身長140センチの巫女装束を常備した女の子を恋愛対象にしていたら、学校での俺のイメージが崩れ落ちてしまう。
……まあ、悪くはないが。
「優心はさ、楽器とかなんか弾けるの?」
「んー、そうだなあ。ソプラノとアルトリコーダーなら小学校と中学校の時にやってたから確実だな。あとはピアノがまったくできない人よりはできるってくらいかな。」
「そうなんだ。じゃあさ、ピアノ弾いてみてよ。」
小夏は何だか嬉しそうに話してきた。
よく考えるとこうして放課後に話をするのは初めてだ。
「妾もぴあのとやら聞きたいぞ。」
俺がピアノを弾こうか迷っていると田が割り込んできた。
「別にピアノ教室に行ってたとかじゃないから下手だぞ?」
「妾はそのピアノすら知らぬぞ?」
田は期待のまなざしを向けながら言った。
「私も…聞きたいな。」
すると少し小声で小夏も言ってきた。
「…分かった。じゃあピアノを借りします。」
俺はそう言ってピアノの前に座った。
正直、クラシックなどは弾いた事がなく、両手で弾けるものと言えば少しマニアックなゲームやアニメの簡単な音楽だけだった。
とりあえず一回深呼吸をして、自分で一番得意だろうと思うゲームの音楽を弾き始めた。
「ほお、それがぴあのか。」
「そうよ。学校には必ずあると言ってもいい楽器ね。」
音楽の先生はそう言って俺の方を見た。
俺は弾くので精一杯だったので周りの情報は一切入ってこない。
「この曲聞いたことがあるぞ。」
田は顎に手を当てて言った。
「本当に?」
「うむ。…優心が持っていた…くらふと、わーるどの曲じゃったかのお。」
「なあにそれ。」
音楽の先生は笑いながら言った。
「げーむじゃ。」
「そうなのね。」
田と先生が話しているうちに、俺は無事に一曲を弾き終えた。
「思ったよりできるじゃん。」
小夏はそう言いながら小さな拍手をした。
誉められるとなんだか照れくさくなる。
「これが精一杯だよ。」
「それってどうやって覚えだの?」
「家に古い電子ピアノがあってさ、それを趣味で弾いているうちに勝手に上達したんだ。」
「へえ、優心の家に電子ピアノあるんだ。」
小夏は興味津々に聞いてきた。
「工藤君?」
小夏と話をしていると音楽の先生が呼んできた。
「なんですか?」
「いるついでで悪いんだけど、この本を図書室に運ぶの手伝ってくれないかしら。」
音楽の先生はそう言いながら20冊くらいの厚めの本を机に置いた。見たところ音楽関連の本のようだ。
「いいですよ。」
俺はそう言ってその本を持ち音楽室を出て行った。
「優心行っちゃった…。」
小夏は少しがっかりしたように言った。
「お主は優心の事が好きなのか?」
「え!?」
田の質問に小夏は顔を赤らめた。
「なんかそんな気がするぞ。」
「…う、うむ。優心の事が好き。で、でも、優心に言わないでね!」
小夏は正直かつストレートに田へ言った。
「安心せい。」
田はそう返事をしてから窓から外を見た。
「優心はとっても優しい人じゃ。妾のわがままをよく聞いてくれるしの。優心がお主に何をやったなどは妾には分からんが、目の付け所がいいとは思うぞ。」
「そ、そう?」
田はにぱっと笑って頷いた。
「私、去年の夏に優心に助けてもらった事があってね、その時にきっと好きになっちゃったのかな。でも、上手く言い出せなくて…。」
「大丈夫じゃ、お主なら言えるぞ。ただ、その後の優心の返事に負けてはならぬぞ。」
田は口にはしないが、赤坂の存在を忘れてはいなかった。
「うん、私頑張る!」
「ん、なにを?」
小夏が後ろを振り向くと優心が立っていた。
「ななな、なにも!」
小夏は顔を赤らめて音楽室を出て行った。
紅葉と春菜はその後を追うように行ってしまった。
「俺…なんか悪いことしたか?」
「たいみんぐとやらが悪かったようじゃな。」
田は苦笑いしながら言った。
「そ、そうなのか…? と言うかそろそろ帰るか?」
「うむ、そうするかの。」
その後は学校を出て、家へと向かって歩き始めた。
「お主は小夏のことをいい人だと思うか?」
学校を出て直ぐに田は質問してきた。
「なんだよ、急に。」
俺は掃除の時の事もあるせいか、その質問には少し答え難かった。
「ま、まあ、別に悪い奴だとは思わない、かな。…正直可愛いとは思うし……ってなに言ってるんだ俺は…。」
俺は小声でそうブツブツと言った。
「…お主はもし、小夏に告白されたらどうするんじゃ?」
その質問の返事には色々複雑な思いを抱く。
赤坂のこともあるからだ。
「今すぐ答えを出すのは難しいかな…。その時になってみないと分からないな。」
「そうじゃろうな…。」
今日の田はどこか大人っぽく感じる。
と言うか実際、田のほうが圧倒的に年上なのだが…。
そうして俺達は、そういう類いの話をしばらく続けながら歩き続けた。
それから農道へ出たときである。
後ろから自転車に乗った人が全速力でやって来たので、道の端へ避けようとすると、俺の後ろで急ブレーキして止まった。
「…あれ、もしかして優心?」
すると後方からさっき学校で聞いたばかりの声が聞こえた。
「え、小夏?」
後ろを振り返るとそこにいたのは小夏だった。
「優心の家ってこっち方面なの?」
「えーと、俺はつがる消防署の近くだよ。小夏は?」
「私は大雷神社のすぐそば。」
大雷神社は俺が家に行くための住宅街の道路に面してある小さな神社で、俺の家から自転車で1、2分の距離だ。
ついでにその神社から俺の家に行く間の道路の歩道に田が泣いてしゃがんでいたお地蔵様もある。
「なんじゃ、お主たちは家が近くかなのじゃな。」
「はは、なんか縁を感じるよ。」
俺は笑いながら言った。
「そ、そうだね。その、行く方向が同じなら途中まで一緒に行かない?」
小夏は恥ずかしがりながら言った。
「お、おう。別にいいよ。」
なんだか俺まで恥ずかしくなってきた。
それから3人で話をしながら大雷神社を目指して歩くことになった。
「じゃあ、私はここから直ぐだから。」
大雷神社に到着すると、小夏はそう言って神社の隣にある小道に入って行った。
「また明日な。」
俺はそう言って軽く手を振った。
「うん!」
小夏は振り返って返事をすると手を振り替えしてきた。
学校で見ていた印象とは違って、思っていたより明るい人なのかもしれない。
「さて、妾達も帰ろうじゃないか。」
「そうだな。」
そうして俺と田は改めて家へに向かって歩き始めた。