丸呑み
<ディスピア・バイパー>は巨大な蛇のモンスターである。
問題は、こいつは不死、なのである。即死スキルはもちろん効かず、体力を削りきって倒しても、時間を置けば復活する。
ちなみに、その復活するまでの時間に、皮を剥ぎ取る予定だ。
こいつは剣撃も魔法攻撃も寄せ付けない、固く頑丈な鱗を持ち、蛇らしくその動きは俊敏そのもの。体力も攻撃力も高く、ゲーム序盤では決して勝てない難敵だ。
対して、俺は序盤の主人公たちほども、物理攻撃力は高くないし、魔法攻撃ができるわけでもない。
ミュウもまた、商人であって、冒険者ではない。
バイパーが今、舌を揺らしながら、こちらを眺めている。
「ヴォルク!」
「わかっている! <愚鈍な秒針>」
まずはバイパーの速度を落とす。
バイパーが噛みつきにきたところを遅くした上で、「解呪!」によって、邪魔な鳥篭を排除する。
こうすることで、ようやく回避ができた。
さらにスキルを発動。
「<一刻一病>!」
このスキルは、時間経過とともに対象の体力を削っていくものだ。毒とよく似ているが、毒が一定時間ごとであるのに対し、こちらは連続して体力を削る。
それに、持っている毒付与スキルよりも、ダメージ量が大きい。
あとは、時間経過とともにバイパーが動けなくなるのを待つだけだ。
バイパーは不死ではあるが、体力がなくなれば戦闘不能にはなる。
すぐ横を、バイパーの長い体が猛然と通り過ぎていく。
触れれば弾き飛ばされる、と予感した時だった。
十分回避していたつもりが、あっという間にバイパーの胴が迫ってきて、一気に斜面の岩壁まで叩きつけられた。
「大丈夫にゃ!?」
「ああ、問題ない」
手が多少切れたのみで、大したケガではなかった。
バイパーは巧みに体をくねらせることで、俺に体当たりをしたらしい。
しかし、全速力の馬並みの速度であるくせに、一向に体が途切れる様子がない。
「こいつ、一体どれだけ長いんだよ」
ミュウは、その動体視力と脚力で以って、斜面の上のほうに逃げていた。
「にゃあ。てっきり南東のほうから擦る音がしていたから、そっちからだと思ったにゃ。けど、長い体で、とっくに逆側に回りこんでいたようにゃ」
「もう接敵した。ミュウ、逃げていいぞ。俺も後から逃げる」
「そうしたいのは山々にゃんだけど」
斜面の上のほうにも、木々をなぎ倒しながら動くバイパーの体があった。
「ミュウの足でも、ちょっと危ういかにゃあ。まさか完全に囲まれるほどでかいとは思ってなかったにゃ」
「とにかく頭だ。赤く光る眼が――あった!」
ミュウの上る斜面のさらに上に、赤く光る二つの眼があった。
それから、月明かりに照らされて、真っ赤な舌と口内、二本の鋭い牙が見えている。
なぜ、口を開けているのか。
まずい、と直感した。
「ミュウ、早くこっちへ!」
「にゃにゃっ?」
ミュウが一度、そして二度、俺とバイパーを見比べる。判断に迷ったのだろう。何をしてくるのか確かめるか、それとも俺をひたすら信じるか。
その迷いが、彼女の足を以ってしても、攻撃から逃れがたくした。
紫色の煙が、バイパーの口から吐き出されていく。火山の噴火のごとき速度で、一呼吸の間に、山道頂上のスペースが煙で満ちてしまった。
バイパーの毒が気化して、息によって辺りに撒き散らされたのだ。
俺は、毒に耐性を持っている。だが、ミュウはそうではない。
猛毒は、たちまちミュウの体を蝕んだ。
ミュウは斜面を転げ落ちてきて、俺はせめて、地面に叩きつけられないよう受け止めることしかできなかった。
毒は、彼女の体力を奪っていく。
「毒消しは――」
煙が満ちている今は、無意味だ。毒消しを使ったそばから、毒に侵される。
「ヴォル、ク……」
ミュウは顔色が青黒くなって、ひどく苦しそうだった。
さらに抱きかかえていると、彼女の体温が低下していくのがわかる。
失態だ。
もっとちゃんとバイパーのことを記憶していれば、ミュウを危険な目に遭わせずにすんだんだ。
甘かった。
ゲーム感覚が、過ぎた。
苦しんでいくミュウを見ていると、感じていると、心臓をわしづかみにされたような罪悪感に襲われる。
俺が後悔の念に駆られていると、生暖かい風がやってきた。
直後、大きな真っ赤な口が、俺とミュウを飲み込んだ。
抵抗する間もなく嚥下され、ひんやりと、しかし同時にひりひりとする柔らかいものに包まれた。
<ディスピア・バイパー>に、丸呑みにされたのだ。
不幸中の幸いは、やつの体が、あまりにでかかったことだった。
半端であったなら、飲み込まれた瞬間、骨をばきばきに折られ、死んでいた。
今更ながらに、本当に死にかけていたと、感じる。
だが、今も死に掛けているのだ。
バイパーの食道に沿う体の向きを取ることで、多少のゆとりはあるが、今も現在進行形で溶かされようとしている。
肌がひりひりとするのは、食道の酸のせいだろう。
ミュウのうめき声が聞こえた。
「ミュウ、ミュウ、大丈夫か」
まともな返事は返ってこなかった。うめき声のみである。
俺は悪いと思いながらも、ミュウの体をまさぐる。それで小瓶を見つけると、開けて、ミュウに飲ませてやった。
毒消しで当たっていたようで、ミュウの呼吸も落ち着いた。
「……ヴォルク、ここは?」
「悪い。バイパーの腹の中だ」
「にゃんと。貴重な体験をしているものだにゃあ」
俺は、こんな状況で暢気なミュウに、噴出し笑いをしてしまう。
「お前、状況わかってるのか? 死にかけてるんだぞ」
「端的に言えば、ヴォルクがいて、こうして話せているからにゃ。にゃから、暢気でもいられる」
「どういうことだ?」
「一つ目は、ヴォルクがいるなら、にゃんとかなるにゃあ? 世界一の呪術師は、伊達ではにゃいにゃ?」
「けど、俺は」
「何かあるはずだにゃあ。ミュウは何もできないけど、ヴォルクなら、できるはずだにゃあ」
「……ありがとよ」
罪悪感も薄らいで、頭が働くようになった。
そうだ、今は起きたことの後悔より、後悔するようなことが起きたから、これからどうするか、を考えるのだ。
一つ、一刻一秒によってバイパーが動けなくなるのを待つ。
いずれは動けなくなるだろうが、俺たちが体外に出られるわけでもない。
こんなのではだめだ。
二つ、口か、下の穴から出る。
ぬめぬめしていて、とても移動できたものではない。ダメだ。
三つ、体内から攻撃して吐き出させる。
ヴォルクの魔法型ステで、単に素手で殴ったところで意味はない。
武器が必要だ。
「ミュウ、何か武器は」
「ミュウの美貌、かにゃ」
「つまりないんだな。ふざけやがって」
とはいえ、少し笑ってしまう。
リラックスしたせいか、ひらめきを得た。
「ここから出る方法は、思いついたぞ」
「それは何よりにゃ。にゃらさっそく、こんなところおさらばするにゃ」
「だがただ出たんじゃ、さっきの繰り返しになる」
「ここで溶かされて死ぬよりは、ましじゃにゃいか?」
「出た上で、倒す方法を考えつかないと」
「にゃあ。けど、ヴォルクが持ってる倒せる術は、『一刻一病』のみだったにゃ? 死神を呼ぶ術は、不死のこいつには、効かないし。一刻一病をかけたら逃げ出して、体力が尽きるのをただ待つ、いやらしい作戦しかないのに、我慢比べは明らかにこちらの負けにゃ」
実のところ、バイパーだろうと、倒すスキルは、ある。
だがそれは、大きなリスクが伴う。<青い鳥篭>などのスキルが、本来の使い道より広がっている。
スキル習得の際のイベントにおいて、スキルの危険性が示されていた。
それに則っているなら――いや間違いなく則っている。
だから、このスキルを使えば、ミュウは間違いなく死ぬ。
自分のせいで誰かが死ぬなど、耐えられそうもない。
まして好きな人間だというなら、なおさらだ。
「……鳥篭に、我慢比べ?」
俺は口元で笑ってしまう。
ようやく、方法を思いついた。
相変わらず、爽快感のまったくない勝ち方だ。手応えはなく、英雄的でもなく、見栄えもしない。
「じゃあ、我慢比べを始めようぜ」
俺は、ここから出るためのスキルを発動する。
「<青い鳥篭>」
ミュウと俺を囲う鳥篭が形成されていく。
それは、食道を押し広げ、内から圧迫することになる。
「にゃっ、ヴォルク、これは?」
スキル発動が数秒で、鳥篭に対する食道の圧迫が増したようだ。
手で触れれば、わかる。食道の内壁が鳥篭の柵に食い込んできているようだ。
だが、鳥篭が軋むような音さえ、一切聞こえない。
「ヴォルク、これはどういうつもりなのか、訊いてるのにゃ」
「バイパーの腹の中に、消化に悪いものを発生させたわけだ。とても消化できないものを体内に取り込んだ生き物は、体外に出そうとするものだ。一時は、何とか小さくして消化しようとする。例えば、消化器官の酸や、蠕動運動によって」
「何を、言っているのかわからないにゃ」
「つまり悪いものを食ったらさっさと吐き出すだろ」
「下痢でないことを、祈るにゃあ」
ミュウのうんざりしたような顔が目に浮かぶようだった。
「幸い奥まで運ばれていないし、蛇は飲み込んだものは消化できないと吐き出す」
その通り、感覚として、運ばれていくのがわかった。
飲み込まれてから時間が経っていなかったこともあって、ものの数十秒で、再び月の浮かぶ空の下まで、帰ってこられる。
鳥篭ごと転がり出て、山道の頂上の広場に、戻ってこられた。
夜の清涼な空気が、肺を満たす。
俺もミュウも、その空気を存分に味わった。
直後、バイパーの牙が襲ってきた。
牙は鳥篭を貫通できない。
柵の間にもちろん隙間はあるが、牙に対して狭すぎるのだ。
バイパーはその顎の力を以ってしてもムリだと悟ったようだ。
見上げるほど高く鎌首をもたげたかと思えば、一気に振り下ろしてきた。
風圧と、轟音が、生じる。
鳥篭は地面に埋没する。
けれど、鳥篭も、俺とミュウも、健在だ。
――シャアアアアアアアアアアア!
<ディスピア・バイパー>は苛立ったように鳴き声を上げ、さらに何度も何度も、あごを鳥篭目がけて打ちつけてきた。
残念ながら、俺たちを吐き出した時点で、お前は敗北している。
再び飲み込もうという頭もないのだろう。
やがて、十六度目の体当たりで、ディスピア・バイパーは体当たりでなく、地面に倒れ伏した。
ようやく、<一刻一病>がバイパーの体力を削りきったらしい。
「にゃあ。地味で、姑息で、いやらしくて、ヴォルクらしい戦いだったにゃあ」
「嫌味か」
「褒めてるんだにゃあ」
「それこそ嫌味だな」
心から軽口が叩けるというのは、いいものだ。
倒したといっても、予想したとおり爽快感などない。ああ、なんだ終わったのか。それくらいの気持ちだ。
それでも、自分のせいでミュウが死ぬ羽目になどならなくて、本当によかった。
ふと、ミュウが話しかけてくる。
「ところで、訊いておきたいことがあるにゃ」
「何だ」
「ここから、どうやって出るにゃ」
鳥篭は解呪で消せばいい。
問題は、地面に埋没させられていることだ。始末の悪いことに、バイパーの体が上を塞いでいる。バイパーも死んだわけでない。時間を置けば復活するので、不死の称号は伊達ではない。なので、バイパーの体は塵とならず、上を塞ぎ続ける。
つまり前後左右上下が、塞がれているのだ。
「……どうしような」
こうなることまでは、考えていなかった。




