二人きりのテント
「それじゃ、私は無線機を作って待ってますから」
セレスを宿屋に置いて、俺とミュウはオイマール山に向かった。
報酬は前払い。
ミュウから無線機の材料を受け取ったセレスは、明日中には無線機を作れるという。
その際、ミュウに先に材料を受け取っていいのか訊ねれば、
「にゃあ。急ぐんにゃろう? それにこれは信頼の証、というやつにゃ。期待に応えてくれると、うれしいにゃ」
「失敗はまるで考えてない、ってことか。ありがたい話だ」
トラムの南東に位置するオイマール山を越えれば、とてつもなく広い平原に出ることができる。平原にはいくつもの街と、領邦が存在する。
トラムはそうした南東地域と、商業的に強く結びついている。
だから、トラムにとってオイマール山道は交通の要衝だ。
しかし、行き来は容易ではない。
通常モンスターの出没もさることながら、あるモンスターが大きな障害となる。
<ディスピア・バイパー>。
にらまれただけで死ぬという、大蛇のモンスターだ。
行き遭えば絶望しかないことから、その名前が付いた。
山道の半ばの地点で、俺とミュウはテントを張った。
ここで夜を明かそうとすれば、ディスピア・バイパーは現れる。
今はようやく、陽がほんのり赤く染まり始めた時間帯だった。
「モンスター避けの聖水は撒いておいたにゃ。バイパー以外は、こないはずにゃけど、休まないのかにゃ?」
テントから腹這いで顔を覗かせるミュウ。
俺は、テントのそばにあった石に腰かけていた。
「警戒、しておくに越したことはないからな」
「心配しにゃくとも、月が出るまではバイパーもやってこないにゃあ。それより、ヴォルクみたいないかにもな健康不良児は、ここまでの山道で疲れたんじゃにゃーか? 体を休めるのも、戦いの一つにゃ」
実際、ミュウの言葉は半分当たっていた。
疲労そのものは、否定できない。
歩くのを見ているだけと、実際に歩くのでは、大分差がある。
それに、道中でモンスターにスキルをいくつか使用した。
MPを可視化できていないから、いつ限界があるともわからない。
「……そうだな。邪魔するぞ」
俺はミュウのテントにもぐりこむ。
二人寝転ぶだけのスペースはあり、食料も隅に置かれていた。
テントのてっぺんから吊るされる青い光のランプにより、それだけで心身が癒されていくようだった。
俺はミュウとあぐらをかいて向かい合う。
ミュウは、先ほどまで着ていた外套を脱いでいた。
外套の下に身につけている衣服は、露出度が異様に高かった。
胸は一枚布を巻いただけだし、下半身は股下ぎりぎりのズボン、いわゆるホットパンツだ。
外套で全身を覆っていた時とのギャップで、少し目のやり場に困る。
俺は、テントの屋根のほうに視線を逃がした。
「しかし、準備がいいというか、テントなんかお前、持ってたか?」
「なーに言ってるにゃ。ミュウの魔法の風呂敷には、いくらでも入るにゃ。リオンだって、魔法の袋を持っていたにゃあ」
「そう、だったな」
主人公が持つ大量のアイテムに関しては、そういうふうに辻褄が合っているらしい。
「その、何でも入る魔法の品の類は、どうにか手に入らないか」
「にゃー。こればっかりはものすごい希少品だにゃ。――はっ!? ヴォルクから剥ぎ取ってくればよかったかにゃ?」
「勘弁してくれ。大体、お前は商人で、追いはぎじゃないはずだ」
「にゃー。惜しいにゃー」
ミュウは人差し指を唇に当てて、リオンの所持品に思いを馳せているようだ。
揺れる尻尾が、彼女の商人の誇りとやらは危ういことを、示しているような気もした。
「それより、安心して休めるうちに休もう。体力が万全であるほうがいいに決まってるんだ」
「にゃー、そうするかにゃ」
俺が横になると、ミュウも寝転がったようだった。
テントの下はすぐ地面だから、ごつごつとしている。
寝づらいといえばそうだが、不思議と体は癒されていく。
やはり、吊るされているあのランプの効果だろうか。
単純に寝て癒される感覚とは、また別感覚だ。
存外、ものすごく心地いい。クセになりそうだ。
魔法アイテムによる回復など、どんな感覚が、いろいろ試してみたくなる。
うとうとしていると、ふと、脇腹の上を這うものがあるのに気づいた。
見ると、白い尻尾が、脇腹をくすぐってきていた。
ミュウが、尻尾でイタズラを仕掛けてきているのだろう。
背中合わせに、こちらの反応を想像して楽しんでいるのかもしれない。
眠りに落ちるいい気分だったところを、冷や水を浴びせかけられたみたいだ。
俺は抗議するべく、寝返りを打った。
すると、ミュウのにやついた顔が間近にあって、どきりとする。
てっきり、背中合わせだとばかり思っていたのだ。
これほど至近距離で異性と顔を近づけるのは、たぶん初めてだ。
「にゃー。にゃにを、どきどきしているのかにゃ?」
ミュウが、尻尾を使って俺のあごをさすってくる。
「ミュウと、テントで、二人だってこと、意識しちゃったのかにゃあ?」
ミュウの言う通りだった。
つい、目をそらして、ミュウの体のほうを見てしまう。
セレスほどはないが豊かな胸が、巻いた布だけで包まれている。セレスがメロンなら、ミュウのそれは桃である。
さらに、きれいなへそに、よくくびれた腰つき。日頃の運動量の賜物か、細いが、健康的な体つきをしていた。
「ど・こ・を、見ているんだにゃ」
抗議するようでいて、からかうようなトーンだった。
ミュウの尻尾が、俺の視界を遮る。
「ヴォルクは、とんだむっつりにゃ」
完全にからかわれている。
スキル使用も考えた。<魅了>はあまりに大人気ないにせよ、何か都合のいいスキルがなかったか。
いや、スキルなど使わなくても、こらしめることはできる。
俺はミュウの尻尾を握りこんだ。
「にゃ、あ!」
ミュウががくがくと体を震わせ、体をのけぞらせる。
「案の定、尻尾が弱いらしいな」
「ミュウの尻尾は、一つのセンサーなの、にゃ。いいから、離すにゃあ」
ミュウが瞳を濡らし、訴えかけてくる。
「優秀なセンサーだ」
俺は尻尾を離したものの、直後に指先でなでた。
ミュウがひとしきり悲鳴を上げたかと思えば、こちらをにらんでくる。
やばい、なんだかぞくぞくしてきた。
というより、止まりそうにない。
俺は体を起こすと、ミュウの両肩のそばに肘をつき、顔を覗きこむように覆い被さった。
「ヴォルク。謝るから、調子に乗ったって謝る。にゃから、勘弁してほしい、にゃ?」
「本当に? 本当に、勘弁してほしいのか?」
「あ、当たり前にゃ。からかったミュウが悪かったにゃ」
「同族が欲しいと、そう思ったりはしないのか?」
「にゃにを」
「もう、一人で気を張らなくてもよくなるとしたなら、どうだ。一人じゃない安らぎが、得られるとしたら」
ミュウの瞳は揺れていた。
ある時ふっと、顔を背ける。その顔は、いじけているようで、焦がれるようでもあった。
「それは、とんでもない呪いの言葉、にゃ」
俺がミュウを自分のほうに向かせると、ミュウは抵抗しなかった。顔を近づけていくと、彼女は目を閉じた。
やわかそうな唇の位置を覚え、俺も目を閉じ、口付けに行く。
ところが、だ。
ミュウの指先によって、止められてしまう。
目を開けた時、ミュウはいつになく真剣な顔をしていた。
「どうした」
「バイパーが近づいているようにゃ。ミュウの耳には聞こえる。ヴォルク、仕事をしてもらうにゃ」
「その前に俺の蛇をどうにかしないといけないとは思わないか」
ミュウから手痛いチョップをもらった。
「しょうもないこと言ってる場合じゃないのにゃ。余裕なのはいいけど、さっさとテントから出て備えるにゃあ」
さすがにふざけすぎたらしい。
俺はすごすごとテントを出て、周囲を見回す。
月明かりのおかげで、かなり見晴らしがいい。
テントを構えていたのは、山道で最も海抜が高い場所であり、十メートル四方に開けた場所だった。前後は山道が続いており、左右は山の急斜面に挟まれている。
日の光はないが、岩壁の凹凸も、かなり細部まで見て取ることができる。
「南東側の山道から来ているようにゃ。いつ、飛びかかってきていてもおかしくないから、心するにゃ」
俺はうなずき、念のためスキルを発動。
「<青い鳥篭>」
ミュウと俺の周囲に、鳥篭が形成されていく。
その瞬間、背後からの衝撃で前に向かってミュウもろとも倒れてしまった。
何だ、と振り返る前に、鳴き声がした。
――シュルルルルルル
巨大な蛇のモンスター、<ディスピア・バイパー>が、逆側、北西側の道から、双眸をぎらつかせていた。