序の口
「夜明け前の興奮の一時に。ベッドよりもハイでホットなのが、ここ、裏コロシアム!」
観客席の特別ブースで、司会らしい派手な男ががなり立てる。
「筋肉上等物理上等のここに現れた、哀れな前座の挑戦者。今宵の生贄、血と臓物の提供者の名は、ヴォルクっ!」
つくづく趣味が悪い。
俺は、正面の鉄格子が開くのを黙って待った。
「見届け人はこの方。まだ今よりもここがずっと過酷だった頃。愛した女のために十二のモンスターを屠り、挑戦者から王座にたどりついた男。ダニー・ツェネゲド!」
司会の男の隣には、遠目にもわかる褐色の筋肉の化物がいた。
ライトを受けて光っているのはオイルのせいか。
ダニーという男が、宣言する。
「今宵も筋肉の限りを尽くし、モンスターに立ち向かう闘志を見せてほしい。さあ、早くドラを鳴らすのだ」
「オーケィ旦那。言葉はいらず、筋肉で語るのみ!」
司会の男がまとめに入る。
「初戦はサービス、モノゴブリン。ザコだが、一発もらえば痛いぞ! さあお客様がた、どしどし賭けてくれ!」
観客席のほうを見れば、客の間を忙しなくスタッフが駆け回っている。
メダルとチケットをやり取りしているらしい。やがて特別ブースのほうにチケットが集められ、集計される仕組みのようだ。
「さあ、オッズはどうかな?」
北側のブースの上には電球の掲示板があり、赤と青の数字が示された。
赤が9.05、青が1.16だ。
その数字が示すところはつまり、俺のほうが大穴、というわけだ。
「さあ、挑戦者圧倒的不利! 鉄板か大穴かはお任せいたします! お近くのバニーに賭けメダルを預けてください! 締め切りますよ、……3、2、1、はい締め切ったでは開始ぃ!」
司会の男がドラを鳴らし、反対側の入り口の鉄格子が上がる。
闇の向こうからモノゴブリンが、姿を現した。
観客席からは、汚い言葉が投げかけられている。
かすかに俺を応援する声を聞きながら、俺はモノゴブリンを注視した。
モノゴブリンは序盤のモンスターで、腰ほどの体長の緑ゴブリンだ。醜い顔にぼろ布を着て、手には棍棒を握っている。
この棍棒が厄介で、外れやすいクリティカルを生み出す。
モノゴブリンは、唾を撒き散らしながら襲いかかってくる。
棍棒を振りかぶり、ある程度の距離で跳びかかってくる。
それなりに速いが大振りだし、胴ががら空きだ。
俺は自ら距離を詰めにいき、間合いをアジャスト。
踏み込み、中空のモノゴブリンを蹴り、飛ばす。
「――はっ?」
モノゴブリンは壁に叩きつけられ、青い花を咲かせた。
まもなくずるりと壁から落ち、地面に倒れると、塵となっていった。
所詮は序盤も序盤のモンスター。
俺の素手での攻撃でも、一撃。
ただの、司会のサービスに対する俺のサービスでしかないが。
「……ふっ、やるじゃねえか。そんくらいやってくれなきゃな。だが、ちっとサービスしすぎたようだ」
お互いに、な。
「――お次は黒き森よりやってきた大自然の使者、グリーンマン! ツタに捕まれば悶絶必死! けれど回避不可費、引きちぎるのも容易じゃないぞ! 果たしてひ弱なヴォルク君が勝てるかな?」
序中盤に登場するモンスターだ。
これなら2試合目も楽勝で、俺はあくびが出た。
はじめから、裏コロシアムに出場していれば、3000枚の資金さえあれば10万枚稼ぐのも楽だったな。
電球が点灯し、オッズが表示される。
赤が10.3、青が1.09となった。
……下がってやがる。
「またも挑戦者不利。さあ今度こそ血を見るか。試合開始だ!」
先ほどよりも汚い観客席からの罵声が聞こえてきている。
閉まっていた鉄格子が、再び開く。
闇の向こうから、突然一本のツタが伸びてきた。
俺は避けず、それを右腕で受ける。
「おおっとォー! さっそく捕まったぁ!」
湿った足音をさせて、闘技場内にモンスターが姿を見せた。
体が植物でできた人型のモンスター、グリーンマン。
その特徴は、エナジードレイン。
ツタが脈打ち、こぶができてグリーンマンのほうに流れていく。
なるほど、力が抜けていくのを感じた。
「これでおしまい!? もちろんそうじゃない、グリーンマンの恐ろしさは、こんなもんじゃあありませんとも!」
司会が叫ぶのが早いか、グリーンマンから鋭い枝先が勢いよく伸びてくる。
俺は手で叩き落とそうとして、しくじった。枝先は俺の腕の下をくぐり、腹へ抜けた。
「直撃ぃ――! さあヴォルク君の鮮血、をっ?」
少し驚いたが、こんなものか。
かすり傷程度の痛みしか、ない。
枝先は刺さらず、俺の外套さえ貫かない。
俺はグリーンマンに歩いて近づいていく。
「ちくしょう、がっかりさせてくれるぜヴォルク! 鎧を着込んでやがったな! この卑怯者、チキンが!」
違うが、まあ何とでもいえ。
俺はグリーンマンの枝攻撃を受けながら、前進を続けた。
そして、三メートルほどにまで近づいたところ、
「かーっ! グリーンマン、ピンチ! ――なん、つって!」
突然、グリーンマンは放射状にツタを伸ばした。
俺にまっすぐ向かってくるのでなく、包み、そして縛りにきた。
俺が一歩後退したところで、グリーンマンのツタは俺を捕まえ、本体のところに誘う。
グリーンマンに抱きすくめられたようになる。
「来た! グリーンマンの死の抱擁! 鍛え上げられた筋肉がない限り、人間トマトの一丁上がりだ! グリーンマンに賭けた方、おめでとう! そしてヴォルクに賭けたお客様、残念でした!」
司会の男の言葉に反して、俺はいつまでもトマトにならない。
「どうしたグリーンマン! 早く潰せ!」
なるほど縛られているが、痛くもない。
俺は右腕をなんとかツタの拘束から出すと、グリーンマンの頭部を思いきり殴る。
グリーンマンは頭をのけぞらせたものの、拘束はゆるまないし、倒れない。
「無駄だ! グリーンマンの体は柔らかく粘っこい! 生半な拳で倒せるか! さあ、行け行け我らがグリーンマン! 前座のザコなんかさっさと潰せ!」
俺がいくら殴ってみても、グリーンマンに弱る様子はない。
俺としても、呪術などでなく、物理で倒したかった。
それが、俺がリオンとして転生したかった理由の一端なのだから。
だが、まあいいか。殴る作業というのもつまらない。
とっとと、終わらせよう。
「<死神の一振り>」
グリーンマンの背後に、骸骨の死神が現れる。
「――なんだぁっ!?」
死神は鎌を上に振りかぶって、怪物の背に突き立てる。
鎌先をえぐるように出したとき、青い炎が載っていた。
魂を奪われたグリーンマンは、わずかに、魂を取り戻そうという動きを見せた。
ツタを死神に、いや自分の魂に向かって伸ばした。
しかしツタは空を切るばかりで、死神は地中へと還っていく。
ここで、グリーンマンは完全に死亡し、塵となっていく。
俺はツタを引きちぎり、変な形で固まっていた肩を回し、リラックスする。
「っなんだそりゃ! ざけんなバカ! 誰だ、観客席から邪魔しやがった召喚士は! 神聖なコロシアムを汚しやがって、出て来い!」
司会の男ががなり立てるものの、当然観客席から名乗りはない。
「犯人がいるとすれば」
と、筋肉の怪物、ダニーが俺のほうを指差すのが見えた。
「彼だな」
「はははまさかダニーさん。闘技場では魔法の類が使えなくなってるんですよ? まして召喚術なんて莫大な魔力を使うものがですねえ」
「召喚術というほど優しいものではないだろう。ヴォルク、という名に聞き覚えがある。確か、裏では有名な呪術師だ。彼を直に見るのは初めてだが、先ほどのは死の呪い、といったところか」
「にしたって無効です、無効だ! 魔法禁止のここで、そんなものは――」
「いいや」
ダニーが、コロシアムの王者が、否定する。
「コロシアムの構造はエンターテイメント上の措置であり、普通であれば魔法に法術に召喚術といった魔素を使う術が、使えなくなっているに過ぎない。使えるものなら使っていいし、禁止もされていない」
「いやでも、ここは、神聖なコロシアムで――」
「そうだ。だからこそ、なんでもありにすべきと常々思っていた。魔法を使おうが何を使おうが、人を寄せ付けぬ怪物たち。それらを屠ることこそ、意義がある。意味がある。お客様方に問いたい。果たして、魔法で倒れるような怪物でのショーが、真に望まれるものだろうか」
答えは、ダニーに向けられた歓声によって明らかだった。
司会の男は悔しそうにしていたが、机に八つ当たりすることで、我慢したようだった。
「よかったなこの野郎、ダニーさんの計らいでてめーの勝ちを認める! だがもう終わりだぞ! ここから先はマジのモンスターをぶつけてやる!」
そう、終わりだ。これから本気を出すつもりらしいが、すでに5倍5倍で、25倍。セレスの負け分を取り戻して余りある。
これならば、もう降参していい。
両手を上げる。
降参の合図だ。
遠目で、司会の男の顔などろくに見えない。
けれど、やつがにんまりと笑うのが、見えたような気がした。
「おおっと、挑戦者乗り気だああああ!」
何、だと。
手を開いて両手を上げれば降参と見なす。
そういう段取りだったはずだ。
「ふざけるな、降参だ!」
俺の叫びは、届いたかもしれないし、そうでないかもしれない。
届いたとして、無視されるだろう。
それは観客席にいる大半の客たちにしても、同じはずだ。
「おや、挑戦者は血気盛んな様子。次の賭けはお早めに! 早くモンスターをあてがわねーと、俺がやられちまいそうだぜ!」
ふざけている。本当に、ふざけている。
俺は前座で、それでいいと思った。
とっととモンスターを倒して、負け分を取り戻し、セレスは危機を脱する。
それがどうだ。
司会や客が満足するか、俺が最後まで勝ちぬくかの二択でしか、終わらない。
前者はおそらく、俺が負けて死んだときしか満たされないだろう。
試合は全6試合。
残り4試合を勝ち抜かなければならない。
「さあお次はプラチナスライムだ! 皆さま、どしどしお賭けください!」