幕間 忘却の夢
「さっちゃんは」
眠い頭には不愉快な高い子どもの声が聞こえてくる。
「本当はね、×××××××って言うんだ、だけどきみは忘れちゃう。思い出しちゃいけない。いけないことがある。思い出したら、世界が壊れるんだ」
本当の名前とやらが、まったく聞き取れなかった。
俺は目を開け、自分の状態と周囲の状況を確認する。
俺は硬い金属のイスに座っていた。
正面には、こちらよりも一段高い壇上で、男とも女ともわからないガキが、スキップしていた。
こちらから壇上までは、通路となる赤い絨毯が敷かれていた。
赤い絨毯の通路の先には、青色の球が載せられた台があり、さらに向こうに、飾り付けられた玉座がある。
謁見の間のようではあった。
だが、ここは王国の間ではない。
いろいろ細部も違うが、決定的なのは、全体の雰囲気だ。
王国の謁見の間は、煌びやかな権威を象徴するもの。
一方でこちらは、壁が薄汚れ、蔦が這い、明かりも青い炎の燭台のみで薄暗い。
陰鬱で、おどろおどろしい。
けれど、見覚えがある。
ここは――いや、どこだ。
思い出せない。
ガキはスキップするのをやめて立ち止まり、こちらに向かって小首を傾げた。
「やあ。おはよう。いや、おやすみ、かな。ここは夢の中なんだから。不思議だね」
ガキは晴れやかな笑みを浮かべる。
「……ここは、どこだ」
「一体それは何回目の質問だか、わかる?」
「一回目に決まってるだろ」
「ぶっぶー! 残念はずれ! もうね、やんなっちゃうよ。次は、お前は誰だ、かな? きみこそ誰だい?」
「俺は……ヴォルク、じゃない。俺は俺だ」
「名前は?」
「ヴォルク……じゃない。俺は……」
一向に、名前が思い出せなかった。
俺が悩んでいると、ガキは満足げに何度かうなずく。
「うんうん。まあ名前なんてどうでもいいじゃない。つまりは自分が誰かなんて複雑で難しい問題は置いておこうってことさ!」
「ここはどこで、お前は誰だ!」
「やだなあもう。落ち着いてよ。だから難しい問いなのさ、それは。ボクもいい加減めんどくさくなってるんだよ。いちいちきみに説明してさあ」
ガキの口振りでは、俺は何度も同じやり取りをしている。
だが、俺にはまったく覚えがなかった。
「それらの質問には答えられないけど、きみだって自分が誰か答えられない。なら、おあいこさ」
そうなのか?
違う気もするが、強く否定することもできなかった。
「ここは夢。夢なら、ボクもかなり自由に接触できる。もっとも、夢から覚めたなら、きみはここでのことをすべて忘れてしまっているけどね」
「もし、こういうことを繰り返しているんだとして、だ。お前の目的は何だ」
「わお。さすがに繰り返してくると、その質問が出るまでにも早くなるね。ボクの目的はただ一つ。きみにボクの世界を楽しんでもらうことだけさ、きみへの恩返しにね!」
「あいにく、お前みたいなガキは知らんし、恩をかけてやった覚えもない」
「そうだろうね。そう認識していても、何ら不思議はないさ」
「間違っていると、言いたげだな」
「そりゃそうだよ! けど仕方ないことだから気にしないで! それよりもさ、どうだい? 楽しんでる?」
「知るか」
「まあ、ヴォルクに転生させたのはごめんよ。謝る。すいませんでした。申し訳ない。大変遺憾です」
「うぜえ」
「機嫌悪いなあ、もう。楽しんでいるかはともかく、苦痛ってほどじゃないようだね。よかった。うれしいよ。うれしいついでに、一つだけ、質問させてあげる」
「ずいぶん勝手だな」
「いわば神様だからね、ボクも。まだまだ、定まっていないけれど、神様には違いないから、偉いんだよ」
俺は溜息をつく。
どんな質問がいいか。
これまでした質問に、まともな解答はあるはずもない。
すでに解答はないという答えは得ている。
ならば、新たな質問をするべきだ。
他に何より、訊きたい質問で、答えがありそうな質問は、
「俺がいる世界……いた世界、か? あるいはここは、ファイナルドラゴンテイルでいいのか?」
「そうともいえるし、そうでないともいえる」
ぶん殴りたくなってきた。
「このボクの世界は、ファイナルドラゴンテイルを基本としている。あのゲームに準拠している。だから、この世界はファイナルドラゴンテイルの世界だ。イエース!」
ガキははっちゃけた笑顔で親指を立てる。
かと思えば急にテンションを下げて、真顔になった。
「けれど、秩序の信奉者、理を司る者として振舞うため、そして正しく世界を構築するため、変更点は出てくるし、追加点も出てくる。だからそういう部分では、ファイナルドラゴンテイルの世界とはいえない。なおかつ、厳密に言えば、イコールでない以上、きみの質問に対してはノー、だ」
ガキは腕で×印を作った。
「今日はこんなところかな。それじゃ夢でまた会おう。どうせすぐに会えるんだからさ」
「待て、まだいろいろと訊きたいことがあるんだ!]
俺はイスから立ち上がろうとして、できなかった。
手足が、革のベルトでイスにくくりつけられていたのだ。
ガキは手を振ってきて、こう言った。
「はぶ・あ・ないすげーむ!」
圧倒的な速度で、イスごとガキから遠ざかっていく。
あっという間に謁見の部屋から俺はいなくなり、そして何もない白い空間に出て、そして――、
草地の平原で、俺はあぐらをかいていた。
舟をこいでいたようで、かくん、と頭が落ちそうになる感覚に、はっとする。
見回せば、そばに<フェンリル1号>があるとともに、テントが張られている。
思い出す。
俺は、セレスやエリーをテントで眠らせ、念のため見張りをしていたのだった。
近くでは小川が流れていて、これを越えれば、メルカトールの領域に入る。
俺は立ち上がり、東から昇る朝日を眺めていた。
何か夢を見ていたはずだが、まるで思い出せなかった。
ガキが夢に出てきたということは覚えている。
だが一体何を話していたのか、どこで話していたのか、どんなガキだったか。
もろもろのことが、思い出せない。
夢の内容が思い出せないのは当たり前のことだ。
俺は、思い出せなかったことさえ忘れて、テントにセレスやエリーを起こしに行った。