逃走劇
ジェフォーダンの街は、道が格子状に造られている。
宿屋からまず大通りに出て、そこから東門に車を走らせる。
北と南、東と西を貫く大通りがあり、その交差点にジェフォーダンの屋敷がある。
ゆえに、
「逃がさんぞ不埒者めが!」
ジェフォーダンの屋敷からの部隊に、かち合う。
彼らは馬に乗り、先頭にはジェフォーダンがいて、彼が抜きん出ていた。
俺はドリフトしながら横目で、彼らに向かってスキルを発動。
「――<十三の睡魔>」
結果を確認できる前に、東門への方向転換が完了する。
さらに、速度は上げられる。
とかく大通りは綺麗に整備されており、凹凸がない上、道幅が広く真っ直ぐだ。
「あー、ダメですねさすがジェフォーダン家当主」
横目で見れば、セレスが座席を抱えるように振り返っていた。
「何らかの<天の恵み(ギフテッド)>持ちですか。彼が先頭にいるおかげで、魔法の砂も打ち消されちゃってますよ」
<天の恵み(ギフテッド)>という言葉は、初耳だった。
そのことについて訊きたかったが、切迫した状況だ。
「速度はどうだ、こっちが勝ってるか!」
「行けます行けます、だんだん引き離してますよ」
ならばいい。
「いけません!」
「え、何がです? 追いつかれようがありませんよってうわ弓ィ!」
馬上から、弓矢を放った者がいたのだろう。
しかし、風切り音がかすかに聞こえたばかりだ。
こちらを追い越すようなこともない。
「へへーん、弓矢程度がこの<フェンリル1号>に追いつけるものですか!」
「違います、東門には、すでに見張りの兵士たちがいるのです!」
なるほど、城壁がないジェフォーダンの街でも、簡易の門はある。
ゲートというよりアーチではあったが、兵士は詰めていた。
「大丈夫ですよー、こちらがするのはひき肉にしてしまわないか、だけです」
「魔法騎士がいても、ですか」
エリスがぽつりともらすように言えば、
「ヴォルクさん降参しましょう。当主は慈悲深いお方と聞きす、許していただけますよ」
「それ俺がたぶん殺されてるんだが」
「私がかわいくないんですか!」
「そんなこというやつはかわいくねえよ」
むー、とセレスがぶーたれている。
まあこんなもの、軽口の範疇だ。
俺はハンドルを強く握り、<フェンリル1号>を加速させた。
「うわわわわわわ!」
セレスやかましい。
直進方向、東門のアーチの下に、兵士が一人いた。
全身を鎧で覆い、剣を眼前で天に突き立てる形で、構えていた。
祈りのようだ、と一瞬思う。
距離五十メートルで、魔法騎士らしい兵士が動く。
天に捧げていた剣を引いて構え、突き出す。
「――<火炎突き(フレイムスタッブ)>!」
その動作の途中で剣先に小さな炎が灯る。
突き出しきる瞬間には火炎が噴出してきた。
火炎は大きな渦となって、<フェンリル1号>ごとこちらの全てを飲み込まんとしてくる。
「ブレーキいいいいいいいい!」
セレスが叫び、エリスは無言だが強く抱きついてきた。
どちらも怯えている、ということだろう。
「逆だ」
さらに、加速する。
セレスの悲鳴が街に響き渡り、エリスもか細いながらも悲鳴を上げた。
体感から、時速は八十キロ以上。
炎との接触はほんの一瞬だし、空気の膜が出来ている。
だから、加速して走り抜けてこそ、無事でいられるのだ。
「はっ、わ、生きてる!」
東の門を通過し、無事ジェフォーダンを脱出できた。
「……えっと、私は信じてましたよ、ええ!」
いつかこの調子の良さについて、こらしめてやらなければならん。
だが、それは、いつか、だ。
「私は、街を、出られたのですね」
エリスが俺の体から離れる。
あの感触が遠ざかり、少し名残惜しい。
今、<フェンリル1号>は月明かりの下、草地を東に向かって走っている。
「ああ。これから、メルカトールに向かう。そこで、やりたいことをやるといい」
「ヴォルク様は? メルカトールに行った後、どうなさるのです?」
「ん?」
なぜ疑問に思ったのか、不思議に思ったが、エリスの疑問に答えることを優先した。
「メルカトールで、研究員に会うつもりだ。グアガを共に倒すはずの仲間が、原因不明の呪いにかかっててな。それを解明してもらいに行く」
「噂は、聞き及んでおります。王国の<四聖>の一人だった者が、巨悪をなしていると。……ヴォルク様、ええと、それでは」
エリスが髪をふぁさっと風に流し、どや顔で言う。
「私が、力の足りぬあなたに、この手を貸してさしあげますわ!」
「いや、ううん……えっ?」
「えっ?」
エリスに手伝ってもらうということは、頭になかった。
彼女に特別な技能があったという覚えはない。
街で、薬師のようなことができた、と、それくらいのものだ。
だが、薬術が必要なことになることもあるかもしれない。
「そうだな。何かあったら、頼む。ありがとうな、エリス」
「いえ、その、当然ですわ。高貴なる私が、手を差し伸べるのは当然です。が、素直に感謝の意を述べるところは、褒めてさしあげましょう」
「ヴォルクさん、通訳してください」
セレスが横から会話に入ってくるので、答えてやる。
「気にしないでくれ、だけどどういたしまして、と言っている」
「貴族様の文法は難しいですねー」
こうしたセレスとのやり取りの間で、エリスが顔を赤くして縮こまっているのに気づいた。
「どうした、エリス」
「あの、それと、一つ、私の願いを叶える栄誉を差し上げようではありませんの」
「ああ、何だ? 努力するが」
「あなたでも叶えられるごく簡単なことですわ。ただ、これからはエリー、と。そう呼びなさい」
「あのすいません、貴族様がそれってつまり」
「だ、黙ってくださるかしらセレスさん!」
「何だかよくわからないが、エ――」
エリーと呼べばいいんだな、と言いかけたところで、聞き覚えのある声が追いかけてきた。
「追いついたぞ呪術師、そしてエリス!」
ジャン・ジェフォーダン。
しつこい。
一瞬だけ振り返れば、彼は黒馬に乗り、こちらを追いかけてきていた。
相当の駿馬らしい。
平原で速度が出せているはずのこちらに、追いつくことができるとは。
……いや、待て。
あちらの馬は、さほど速くも感じなかった。十分速いが、競走馬を見るときと変わらない印象を受けた。
つまりあちらが速いのでなく、こちらが遅くなっている。
「しつっこいですねえ、ジャン・ジェフォーダン。ヴォルクさん、早く振り切ってしまいましょう」
「それなんだがな。さっきから加速しようとしてるんだが、うまく行かない」
「……はい?」
「以前、運転者の魔素で動くと言ってただろ。つまり、俺の魔素が少なくなっていっている。なんだか体もだるくなってきたし、その可能性が高い」
「……どうするんです?」
「まあ、何とかなるさ。あちらの速度を落とすスキルも、二つある。どちらかが効くはずだ。エリス、悪いがハンドルを持っていてくれ」
「は、はい」
俺は運転を隣のエリスに任せ、自分は立ち上がり、座席の上に立ってジャンを振り返った。
「ふはははは! そら、すぐ追いついて、切り殺してくれる」
「あいにくそのつもりはない。<茨のも――り?」
スキル発動を、途中でやめる。
「不発かね!? そら、一撃目だ!」
違う。そうではない。
ジャンが馬を駆るその後ろで、巨大なモンスターが走ってきていた。
その形態は、狼に似ている。
ただその地面から肩までの高さは、ゆうに大人の背を上回るほどで、かなりの巨体だ。
さらに黒き炎を身にまとい、尻尾は月明かりに煌めく棘を何本も生やしている。
――<ジェフォーダンの獣>。
<獣>が、追いかけてきていた。
ジャンもまた、俺の視線で気づいたようで、振り返る。
「ふはは、はは! 来たか!」
「やりましたよヴォルクさん! ナイスタイミングで<獣>が来ましたね!」
セレスがはしゃぐが、俺のほうはそうもいかない。
なんてことだ、本当に、ナイスタイミングだ。
「行け、ジェフォーダンの眷属たる<獣>よ! やつらを食い殺せ!」
ジャンが指示を飛ばせば、<獣>は一鳴きし、そのまま加速した。
<獣>は進路上にいたジャンに突撃し天高く吹き飛ばした上で、距離を詰めてくる。
そんな中、ジャンの悲鳴が上がり、そして遠ざかっていった。
「お、お父様ーっ!?」
「……あーあー。ご当主様大丈夫ですかね。というか、眷属とか言ってましたけど、どういうことですか」
エリスが父を心配して叫び、セレスが訊いてくる。
俺は簡潔に答えた。
「つまりマッチポンプ、グルというわけだ」
あまり、賢いようではないし、命令をうまく解釈はできないようだが。
しかしそれにしても、
「……向かってきてますね」
ジャンの命令はあくまで有効らしい。
エリスに運転を任せているために、格段に速度が落ちている。
対して<獣>は、たとえこちらが最高速度であっても追いついてきそうなほど。
現在の距離はおよそ15メートル。
それが二秒につき、1メートルほど近づいている。
つまり残り三十秒。
「ヴォルクさん!」
「わかっている、<茨の森>!」
茨を生やし、敵の近距離攻撃を妨げるスキルを発動する。
しかし、<獣>はまるでものともせず、身にまとう炎で一瞬で茨を蹴散らしてしまう。
ならば今度は、
「<愚鈍な秒針>!」
速度そのものを落としにいく。
しかしこれも無効化される。
一向に、<獣>の速度は落ちなかった。
だよなあ。
予想はしていた。
<獣>はボスにして、負けイベントの敵だった。
一定時間耐え抜き、逃亡できるタイミングを待つしかないのだ。
「あっち行け、この!」
セレスが声を上げるので、とっさにそちらを見た。
嫌な予感がする。
彼女はスパナを投げつけたのだ。
「やめろばか!」
制止は、セレスがスパナを振りぬいた時に届いた。
遅かった。
スパナが<獣>に命中する。
<獣>が激しく吠え、ぐん、と速度を増した。
「よくもやってくれたな、セレス」
「えへへへへ」
<獣>は物理攻撃を受けると、怒り状態に移行する。
下手な物理攻撃は、こちらを首を絞めるというわけだ。
まさにその下手な物理攻撃を、セレスは先ほどやってくれた。
後で覚えてろ。
後があったら、だが。
<獣>が飛びかかってきた。
俺は最後のスキルを発動する。
効くかはわからない。だが、可能性は十分にあった。
「<魅了>」
しかし<獣>は止まらない。
ずらりと並んだ鋭い牙のある口を見ながら、俺はダメージを覚悟する。
大丈夫だ。一撃くらいは、耐えられる。
そこからが問題なのだが。
果たして、俺は、べろり、と<獣>に顔をなめられた。
「――え?」