ボス:ジェフォーダン家当主
背中にナイフを投げつけられた程度では、ほとんどダメージはない。
ジャンがすぐに切りつけにこなかったのは、俺が背中を向けていても、エリスが気づく可能性があったからだ。
だからこそ、ナイフを投げるという手段に誉れ高き勇猛な当主は出たのだ。
少ないダメージでも、与えられないより有効だろう。
ジャン・ジェフォーダンは部屋の中で、ベッドを背に立っている。
銀色の鎧の他に装備は、長剣と盾だ。
<ダマスクスソード>に、<祝福されし盾>。
さすがに領主とだけあって、いい装備品を持っている。
さらに、相手は明らかに物理型ステータス。
こちらは、攻撃魔法を持たない呪術師。
「なぜですお父様! ヴォルクさんは、何も悪くなどありません」
エリスが俺の前に出ようとして、俺はそれを手で押し留めた。
娘を身代わりなるのをよしとした父親だ。
おそらく守れる状態であったほうがいい、と俺は直感していた。
「おお、かわいそうなエリス!」
ジャンは大げさに首を振った。
あまりに、芝居がかっている。
吐き気がしてくるほどだ。
ジャンが俺のほうに、剣を向けてきた。
「そこの悪党に、魅了の呪いをかけられたのだな!」
「そう来るか、ジャン・ジェフォーダン」
娘のほうは、あくまで被害者なのだとしておく。そのほうが体面がいいだろう。
だが、まだ、狙いははっきりしきらない。
<十三の睡魔>がジャンに退けられたのはわかる。
こうして彼が起きたままでいることが、その証拠だ。
ならばなぜ、兵士たちを起こして連れてきていないのか。
また、なぜエリスを連れていくことを黙認しないのか。
エリスがいないほうが、彼にとっても安心できるはずではないのか。
「今助けるぞ、我が娘よ!」
ジャンが、盾を顔の前に構え、剣を腰溜めに、こちらへ走ってきた。
「お父様、違います! 私は正気です!」
「おのれ忌々しい呪術師めが!」
娘の叫びなど、ジャンは聞く耳持つ様子がまったくなかった。
もちろんわざとだろう。
彼はあくまで、娘が魅了の呪いにかかった被害者にしたいのだから。
歪んでいる。
それは、リオンたちを罠にはめて欠片も罪悪感を見せなかった、あの時にわかりきっていたはずだった。
俺はまず、ジャンの動きを鈍らせることにする。
「<愚鈍な秒針>!」
すると一瞬、ジャンの周囲に透明な膜のようなものが浮かび上がった。
ジャンが走ってくる速度に変化はない。
スキルが、無効化されたのだ。
「私の前では、邪悪なものはただ消え去るのみ! <獣>然り、邪悪な呪術師然りだ!」
「腹に誰より邪悪なものを持つやつがよく言うもんだな! <青い鳥篭>、<地獄よりの鎖>!」
鳥篭が、そして鎖が、ジャンの動きを止めに行く。
しかしまた、先ほどの透明な膜が一瞬見えたかと思えば、鳥篭も鎖も触れた端から消えてしまった。
状態異常に耐性を持っているらしい。
ジャン自身にあるのか、鎧にあるのかは定かではない。
完全な状態異常耐性は存在しない。
だから、何かしらの状態異常スキルは効くはずなのだ。
だがそれを探っている猶予は、ほとんどない。
発動させられるだけ発動させるしかなかった。
「<魅了>、<蛇髪の眼光>、<人面草の叫び>、<病魔の息吹>、、だっ、<闇より深き霧>!」
魅了、石化、混乱、風邪、暗闇。
どれかが効くことを願った。
しかしいずれもが、透明な膜にかき消されてしまう。
「姑息な呪いが私に通じるものか! 死ねぃ!」
ジャンがバルコニーに駆け込んできて、斜めに剣を振り下ろしてくる。
あまりにも大振りで、簡単に避けられそうだった。
俺は手で自分をかばいつつ避けようとして、固まってしまう。
待て。
こいつは、何をやろうとしている?
俺の後ろには、エリスがいる。なのにもし避けたら、どうなる。
それにこいつは、ジャン・ジェフォーダンは、俺でなくエリスのほうを見ていやしないか。
嬉々として、娘を斬ろうとしていないか。
答えが出る前に、俺は胴を斜めに斬られていた。
「ぐっ!」
「ふはははははははっ!」
俺は腕で自分をかばったものの、ダメージそのものは受けてしまう。
「お父様、なんてことを! ヴォルク様、逃げてください。――ヴォルク様!」
エリスが、俺の背中に触れて揺すってくる。
悪いが、彼女に構ってはいられない。
ジャンは、もう一度剣を構え、俺を突き刺そうとしていた。
点の攻撃なら、速度はつかみづらいが、避けやすい。
だが俺は避けられない。
決して、避けなどはしない。
ここで避けるようなやつが、リオンに、主人公になれるか。
なれるはずが、ないのだ。
俺は刺されることを覚悟し、スキルを発動させる。
「――<暴食の王>」
ジャンはためらいなく、剣を突き出してきた。
何度も何度も剣を動かし、笑う。
俺は突かれる度に、うめき、背中を丸めていかざるを得ない。
「はははは、ははははは! 邪悪な呪術師め! 思い知ったか! しょせんリオンにくっついていただけの弱者! このジェフォーダンのジャンに敵うものか! 娘のことは実に悲しい犠牲だったが、やむを得まい! 呪いを解けるはずもなかったのだから!」
「ヴォルク様、ヴォルク様!」
「ふははははは、ははははは――は?」
ジャンの笑い声が、やむ。
「……エリス。なぜお前、そうも元気に叫んでいられる?」
「え?」
エリスの不思議そうな声が、聞こえた。
俺ごと、エリスはジャンの剣で突き刺されていなければならない。
位置的に、そうなっているはずだったのだ。
俺は、腹を抱えた体勢から顔を上げる。
そしてジャンに笑いかけながら、彼の肩に手を置いた。
ジャンが、ぎょっとした目つきで、俺と目を合わせた。
「き、貴様! なぜそんな顔がしていられる!」
「よく、自分の剣を見てみるといい」
ジャンの目線が、手元に向く。
「何、だこれは!」
今、自分の握っていた剣が、剣先をすべてなくしてしまっているのを確認したのだろう。
つまり握っているのは、持ち手部分のみに過ぎない。
何が起こったのかといえば、だ。
<暴食の王>が剣先を食い荒らし、脆くした。
結果、俺の体を突くだけで剣先は欠けたり折れたりし、なくなってしまった。
そもそも<暴食の王>は、相手の攻撃力を下げる状態異常スキルである。
地獄のごくごく小さな生物が群となって対象の体に入り込み、食い荒らす。
これにより、爪であったり棘であったりを脆くしたり、筋肉を機能不全に追い込んだりする。
ある程度攻撃力を下げた結果、ダメージが0になるのはままあることだ。
<暴食の王>にジャンの耐性も役立たなかったのか。
それとも、剣を対象にスキルを発動したからなのか。
どちらなのか定かではないが、どうでもいい。
今、ジャンにまともな攻撃手段はない。
「突き刺してるつもりだったろうが、実際は殴っているだけだったんだよお前は。興奮しすぎて気づかなかったか。あと、そうだな、殴られているだけにせよ、それなりに痛かったぞ」
「は、はは、ははははは」
ジャンが笑い、
「ははははははは」
俺も笑い声を上げ、ふっと笑みを消した。
拳を固めてみせてやる。
「ぶっ飛ばす」
ジャンの笑みが引きつったところで、俺は彼の鼻先を思い切り殴りつけた。
彼の体は二メートルほど宙を飛び、絨毯の上に落ちて転がった。
部屋にあったベッドにぶつかることで止まる。
多少、すっきりした。
ジャンは鼻を押さえてのたうっているが、あれだけ声が出せれば平気だろう。
「ヴォルク様、ご無事ですか!?」
エリスが回りこんできて、正面からぺたぺたと触ってきて、俺の体の様子を確めてくる。
絶妙にくすぐったい。
俺は彼女の手を取ってやめさせる。
「大丈夫だ。それより、ちゃんと答を聞いてなかったろ。俺にお前を、メルカトールへ連れていかせてくれるか?」
「は――」
い、という口の形になるのは、見えた。
だが、ジャンの叫び声で、聞き取ることはできなかった。
「許さんぞ!」
ジャンは鼻を押さえながら、顔を真っ赤にして激怒していた。
「絶対に、許さん! いいや許されぬ! 我がジェフォーダンの騎士団よ! どうか娘さえ救えぬ力なき私に、力を貸してくれ!」
「何を――」
言っているのか。
果たして、扉が大きな音を立てて開き、わっと兵士たちが部屋に入ってくる。
さらに右からも、がしゃん、と金属音が聞こえた。
隣の部屋のバルコニーに、複数の兵士が現れたのだ。
さらに上からも同様の音がして、屋根の上にもまた兵士たちがいて、こちらに来ようとしていた。
俺はエリスのそばに立ちながら、見ていることしかできなかった。
「諸君らの剣をこの卑しい呪術師の血で汚すのは惜しい! だが、娘を! 私の愛する娘をどうか救ってほしい!」
こ、い、つ、だ、け、は。
兵士を連れてこなかったのも、すべてこのため。
あくまで声だけを聞いているよう、厳命していたのだろう。
なるほど、ジャンの芝居だらけの言葉もまた、それで納得できる。
だが今、ジャン・ジェフォーダンは騎士団に助けを頼んだ。
「エリス様をお助けしろ!」
「我ら誉れ高きジェフォーダンの騎士団なり!」
「下劣で卑怯な呪術師ごときに奪わせるものか!」
本気なんだろうなあ、こいつら。
その姿勢が愛おしくもあり、同時にバカらしすぎてイラついてくる。
ジャン・ジェフォーダンの次は、大勢の騎士団が相手。
やれやれ、と思う一方で、エリスを助けるのだと、とっくに腹は決まっている。
迷いなんかあるはずもない。
切り抜ける手段もすぐに考え付いている。
だからあとは、
――心のままに、やるだけだ。